◆プロローグ◆
「この世界から消えてしまいたい」そんな罰当たりな考えを抱く主人公。とはいえ誰しも一度くらいは大なり小なりそんな考えを抱いたことがあるのではないでしょうか。ここに登場する「僕」は思いがけずそのチャンスに遭遇します。ネガティブモードから始まる話が最後にどこに着地をするのか。自分自身も楽しみながら書いてみようと思っています。
「ようやくこの日が来たのね」
タキシード姿の僕を見て母がしみじみとそう言った。
「そんなにジロジロ見ないでくれよ。恥ずかしいだろ」
「だって、本当にそう思うんだもの。てっきりあんたは結婚なんてしないものだとばかり思っていたから、本気でちょっと諦めていたのよ」
母のその言葉を受け、僕も内心では同じことを考えていた。本当に…僕が結婚する日が来るなんて、一番驚いているのは何を隠そう僕自身だった。
今から十年程前のあの不思議な出来事がなかったら、あるいは本当に一生独身を貫き通していたかもしれない。それほどその出来事は神秘的で、そして暖かなものだった。
「お父さんにもあんたの晴れ姿見せてあげたかったわね」
母は目頭を押さえながら、「いけない、いけない。せっかく綺麗にしてもらったのにお化粧が落ちちゃう」
そう言って控え室を出て行った。
「ついでに香の様子をちょっと見てきてくれよ」
僕は母の背中にそう声をかけ、椅子に腰掛け一息つく。そして、静かにあの出来事を振り返った。もう随分と昔のことになったが、今でも鮮明に覚えている。いつもより早く梅雨の明けた初夏。僕の身に起こったあの奇跡の出来事を…。