第六話 消失領域
海は、静かだった。
不気味なほどに。
「……ここが」
トシノリは、水平線を見つめる。
空と海の境界が、曖昧になっている。
どこまでが世界で、どこからが“外側”なのか。
分からない。
「バミューダトライアングル……」
ルルが、小さく呟く。
風が、吹かない。
波も、ほとんどない。
ただ――
“何も起きていないこと”が、異常だった。
「本当に……ここでいいのか?」
トシノリの問いに、ルルは頷く。
「うん」
「ここから先が、“消える場所”」
一歩、踏み出す。
その瞬間――
足元の感覚が、消えた。
「……っ?」
立っているはずなのに、立っていない。
重力が、曖昧になる。
「トシノリ、止まらないで」
ルルの声が、わずかに遠い。
「止まると、“固定される”」
「固定……?」
意味を考える前に、体が動く。
前へ。
ただ、前へ。
景色が、歪み始める。
海が、崩れる。
空が、溶ける。
色が、抜け落ちていく。
「……なんだよ、これ」
声が、自分のものじゃないみたいに聞こえる。
その時だった。
目の前に、“何か”が浮かぶ。
船。
古びた船。
だが、形が安定していない。
ノイズのように、ちらつく。
「……あれ」
近づく。
いや――引き寄せられる。
次の瞬間。
映像が、流れ込む。
嵐。
叫び声。
混乱。
そして――
消失。
「……っ!」
トシノリが息を呑む。
「これ……記録?」
ルルが、静かに答える。
「ううん」
「“残りカス”」
背筋が、凍る。
「消えたものは、完全には消えない」
「ここに、“残る”」
船が、崩れる。
粒子のように。
光でも、物質でもない何かに変わっていく。
「……じゃあ、ここは」
トシノリの声が、震える。
ルルが、ゆっくりと言った。
「“観測から外れたものの溜まり場”」
その言葉が、重く落ちる。
「……ゴミ箱かよ」
苦く呟く。
「違う」
ルルは首を振る。
「ここは――」
一拍。
「“自由な場所”」
トシノリは、目を細める。
「自由?」
「観測されないってことは」
「決められないってこと」
風がないのに、何かが揺れる。
世界そのものが、不安定になる。
「……つまり」
トシノリは、ゆっくり言う。
「ここなら、あいつらは触れない」
「うん」
ルルが頷く。
「でも――」
その声に、影が差す。
「長くいられない」
「なんでだよ」
ルルは、トシノリを見る。
「ここは、“定義されてない場所”だから」
「存在も、曖昧になる」
その瞬間。
トシノリの手が、わずかに透けた。
「……は?」
目を見開く。
「おい、これ」
「始まってる」
ルルの声が、鋭くなる。
「急がないと、“消える”」
心臓が、強く打つ。
「……どうすればいい」
ルルは、強く言った。
「三つを使う」
トシノリは、剣を握る。
草薙の剣。
そして――
残りの力を、思い出す。
鏡。
勾玉。
「ここで?」
「うん」
ルルが頷く。
「ここでしかできない」
「観測の外でしか、“外に出る”ことはできないから」
理解が、追いついてくる。
「……つまり」
トシノリは、静かに言う。
「ここから、“外側に出る”のか」
ルルが、小さく笑った。
「そう」
「世界の外へ」
その言葉が、重く響く。
トシノリの体は、さらに薄くなる。
時間がない。
「やるぞ」
剣を構える。
「うん」
ルルが、隣に立つ。
不安定な世界の中で。
二人だけが、はっきりと存在している。
「いくよ」
「ああ」
次の瞬間。
三つの力が、共鳴し始めた。




