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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。

氷の侯爵はおっさん騎士を溺愛したい〜枯れおじの呪いを解くには恋が必要らしいです〜

作者:
掲載日:2026/03/17

 少年は幼い頃より物事への興味や執着がなかった。

 常に淡々としていて、勉強も運動も魔法も少し習っただけで人の倍以上できる。その度に大人たちから驚かれ、天才だともてはやされ、生きることに飽きていた。


 それが、魔獣(モンスター)の襲来で一変した。


 親の仕事で一緒に隣国へ行っていたその帰り。あと少しで自国の王都へ着くというところで、魔獣に襲われた。


 巨大な蛇のような姿だが、三つの目とコウモリのような翼を持つ。口には鋭い牙が覗き、足がないのに動きは素早い。


 命の危機に馬車はがむしゃらに走ったが魔獣の尻尾に呆気なく弾かれて横転。

 馬車に乗っていた少年は家族とともに外へと投げ出され、そのまま魔獣の餌食になる……ところだった。


 そこに見回りをしていた騎士隊が助けにきて、森の中は一瞬で激戦地となった。


 激しい戦闘音と騎士たちの怒声が響く中、両親とはぐれた少年は一人で木の影に隠れていた。

 そこに心配する母親の声が響く。


「ルイ!? どこなの!?」

「母様!?」


 隠れていた木から顔を出して親の姿を探す。

 その瞬間、魔獣が苦し紛れに放った魔法が飛んできた。


「しまっ!?」


 体を小さくして目を閉じると同時に血が混じったスモーキーな香りに包まれた。


「坊主、無事か?」


 柔らかな声に少年が恐る恐る目をあける。すると、そこには赤茶の髪から滴り落ちる血と、破れた騎士服から覗く厚い胸板には蔦のように広がる模様があった。


 魔獣が放った魔法。

 それを目の前の青年騎士が身を挺して受け止め、少年を守った結果だった。


「……おじさん」


 少年の微かに震えた声に、琥珀の瞳が安心させるように細くなる。


「おにいさんと呼べ。俺はまだおっさんって年じゃねぇよ」


 痛みを堪え、口角をあげて安心させるように笑う青年騎士。騎士服はボロ布ように破け、空気にさらされた肌は傷だらけ。

 それでも、腕の中にいる少年を安心させようとしている。


 その気遣いを感じ取った少年が言い直して訊ねた。


「おにいさん、名前は?」

「は?」


 少年からの問いに騎士の琥珀の瞳が丸くなり、男らしい精悍な顔がコテンと首を傾げた。

 逞しい体の背後では他の騎士たちが魔獣にとどめを刺したらしく空を割るような断末魔が響く。


 命の恩人とはいえ名前を聞く状況ではない。それでも、少年は聞かずにはいられなかった。


「名前、教えて」


 キョトンと見つめる琥珀の瞳に、少年は生まれて初めて心からの渇望を覚えた。



 これが二人の出会いであり現在、少年は青年へと成長し、青年騎士はおっさん騎士になっていた。



~※~



 王都を守る騎士たちが日々、体と武術を鍛える訓練場。

 その隅で、後ろ手で椅子に縛られた赤茶の髪の男がいた。


 もうすぐ四十歳になるディオン・リカイオス。


 ボサボサに伸びた赤茶の髪と、鋭く光る琥珀の瞳。まっすぐな鼻筋に整った顔立ちだが無精ひげが目立つうえに、騎士服はだらしなく着崩している。だが、体は騎士服の上からでも分かるほど鍛えられており、年齢にしては無駄がない筋肉を持つ。

 ちなみに実家は貴族の子爵家だが三男で跡継ぎではなく、結婚もしておらず、婚約者もいない。


「……で、今日はどういう用件だ?」


 そんなディオンが眉間にシワを寄せ、ジトッと見上げる。

 そこには無表情のまま見下ろす眉目秀麗な青年がいた。


 粉雪を集めたような白髪と、涼しげな目に輝く蒼玉の瞳。高すぎない鼻に薄い唇、陶磁のような滑らかな肌が揃った美麗な顔。しかも、手足はスラリと長く、体も適度に筋肉がついている。


 ニ十歳の青年、ルイ・セリノフォト。


 魔獣に襲われていた少年は青年となり、侯爵家の跡継ぎとして立派に成長していた。

 しかも、極上の外見だけでなく、氷系の魔法については右に出る者がいないほどの腕前で、治療についても知識が深い。そして、頭脳明晰で領地経営も順調で新たな事業にも乗り出すなど、貴族の中でも頭角をあらわしている。


 そのため社交界では垂涎の的で未婚の淑女たちが我先にと狙っているほど。だが、当の本人は社交界に興味がないため滅多に顔を出さず、その代わりと言わんばかりに頻繁に騎士隊へ出入りしている。


 そして、今日もルイはディオンに新しく開発した薬を飲ませようとしていた。


「この前の薬に秘境より入手した珍しい薬草を混ぜてみました。これで生命力が格段にあがるはずです」


 そう言って懐から粉薬が入った薬包紙を出して口角をあげる。


 普段は表情筋が死滅していると言われているルイの微笑み。もし、ここに女性がいたら黄色い歓声とともに失神する人がいたかもしれない。

 それだけ貴重で美しさが漂う表情なのだが、騎士隊員たちは興味がないため誰も反応しない。と、いうか巻き込まれたくないので遠くから見守るのみ。


 そんな中、ディオンが赤茶の髪を横に振りながら盛大に拒否した。


「毎度、毎度、俺の体で実験するな!」

「実験ではありません。治験です」

「同じことだろ!」


 そう叫んだディオンは苦笑しながら見守る騎士たちに視線を移す。


「おまえたちも黙ってないで止めろよ!」


 突然、話を振られた仲間たちが肩をすくめながら顔を見合わせる。


「そうは言ってもなぁ」

「侯爵様は騎士隊の大事な出資者(パトロン)だしなぁ」

「それがお前一人の犠牲で済むならなぁ」


 ここで三人の声が揃う。


「「「安いもんだ」」」


 その言葉にディオンが心の奥底から叫ぶ。


「薄情者!」


 そこに良い笑顔を浮かべたルイが白髪を揺らしながら上半身を屈めた。

 長い人差し指が無精ひげに触れ、そのままクイッと強引にディオンの顔を上へ向ける。爽やかな柑橘の香りとともに美麗な顔が迫る。


「そろそろいいですか? あ、今回は星蜜花の蜂蜜粉を混ぜましたので苦くないですよ」

「味の問題じゃねぇ!」


 その叫びに蒼玉の瞳がキョトンと丸くなった。


「では、どういう問題ですか?」


 心底分かっていない様子にディオンがガックリと項垂れる。


「誰かこいつに一般常識を教えてくれ」

「一通りの教養は学んでおりますが」

「なら、なんで常識が通じないんだよ!?」


 その言葉にルイが不思議そうに首を傾げた。


「それが常識ではないから、だと思いますけど」

「おまえの常識が世界の常識だと思うなよ!」

「違うんですか?」


 自分が世界の中心だと疑っていない蒼玉の瞳にディオンが嘆く。


「なんで、こんな奴が侯爵なんだ……」

「侯爵家に生まれてしまいましたからね。それより、さっさと薬を飲んでください。効果と経過を観察したいので」


 そこで琥珀の瞳が逃げるように逸れた。


「……粉薬はむせるから苦手だ」


 ボソッと落ちた言葉にルイが無言のまま口元に手をあてて顔を背ける。

 ディオンからの予想外の告白に心の柔らかいところを刺されまくったルイが小声で叫んだ。


「むせるって何ですか!? 可愛いすぎるんですが!? 私を悶え殺す気ですか!?」


 一方で、その叫び声が聞こえていないディオンが訝しみながらルイの顔を覗き込もうとする。


「……どうした?」


 心配より不審混じりが強い声にルイはハッとなった。

 そして、大きく息を吐くといつもの淡々とした表情になりディオンへ視線を戻す。

 

「粉が苦手と気づかず失礼しました。そうですね、次からは丸めて固めるようにします。あ、それとも……」


 蒼玉の瞳が細くなり、薄い唇が柔らかな弧を描きながら白い指が無精ひげに触れた。


「薬を水に溶かして口移しで飲ませましょうか?」


 甘く誘惑する声とともに極上の微笑みが琥珀の瞳に迫る。

 誰もが目を奪われる美麗な顔だが、ディオンはため息を吐きながら言った。


「そういうのは未来の奥さんにしてやれ。間違ってもおっさんにすることじゃない」


 素っ気ない言葉と態度にルイが美麗な眉をピクリと動かしながら迫力のある満面の笑みを浮かべる。


「ですが、魔力供給は口移しが一番効率が良いと言われていますよ?」

「絶対、魔力供給が必要な状況にならないようにする」


 ディオンが決意を固めたところで、伝令の大声が響いた。


「魔獣が出現した! 騎士隊は至急、東門に集合! 各自、武器を持って東門に至急集合せよ!」


 その命令に訓練をしていた騎士たちが一斉に動き出す。

 この騒ぎにルイもディオンから顔を離した。


「ふん!」


 気合いが入った声にルイが振り返ると、ディオンが後ろ手に縛っていた縄を引きちぎって立ち上がっていた。


「薬はまた今度だ」


 それだけを言うと他の騎士たちを追いかけていった。

 遠くなっていく赤茶の髪を見送りながらルイが頷く。


「そうですね。私も準備をしましょう」


 転移魔法の詠唱とともに白髪が消えた。



 広大な王都をグルリと囲む壁は魔獣の侵入を防ぐため高くそびえ立っていた。

 そのため、王都から出入りするには東西南北ある門を通らないといけない。


 その東門の前にピリッとした空気をとった騎士隊がいた。それぞれが得意の武器を持ち、馬に跨っている。

 その先頭にいる騎士隊長が剣を掲げて鼓舞するように隊員へ怒鳴った。


「魔獣は狼タイプで群れになっている! 三人一組で一体ずつ確実に仕留めろ! 決して一人になるな! 全員で生還するぞ!」


 その言葉に騎士隊全員が胸に拳を当て、声を揃えて応える。


「「「「「ハッ!」」」」」


 騎士隊長が門の方へ体を向けて剣を振り下ろす。


「出撃!」


 巨大な門が開き、地面を揺らす蹄の音とともに騎士隊が飛び出す。


 草原を抜け森に生える木々の隙間を抜けて走る騎士隊。

 魔法で視野を広げて先頭を走っていた斥候の騎士が声をあげる。


「魔獣発見! 数、二十!」


 その報告に騎士隊長が命令する。


「各部隊、散開! 負傷者が出た場合はすぐに撤退しろ!」

「「「「「ハッ!」」」」」


 三人一組となった騎士隊がパッと散って魔獣へ向かう。


 その中でディオンだけはどの隊にも属さず一人で馬を走らせていた。


「新人がいる部隊の補助にまわりつつ、ヘクターの様子も気に掛けるか。あいつ、腕の怪我が完治してないのに出てきてるからな」


 そこに狼の声に似た遠吠えが響いた。


「仲間を呼んでいるのか?」


 気になったディオンがそちらへ馬を走らせる。

 すると、その先には数頭の魔獣に囲まれたルイの姿があった。燃え盛る火を纏い額から一本角を生やした狼型の魔獣は牛ほどの大きさで迂闊には近づけば火傷どころか全身が燃えてしまう。


 普通の人なら逃げるか腰を抜かす状況だが、ルイは平然と魔獣たちと対峙していた。


「こんなところで、何やってるんだ!?」


 思わず叫んだディオンの前でルイが右手を空へ掲げる。


『極寒の女神よ。慈悲と絶望の息吹を、すべての者に等しき眠りを』


 白髪がぶわりと巻き上がり、ルイを中心に氷の柱がバキバキと音をたてながら魔獣へ向かって伸びていく。


「なっ!?」


 逃げる間もなく魔獣たちが足に氷が触れ、体から噴き出ている炎ごと一瞬で氷漬けにした。

 驚愕するディオンに対して、ルイが残念そうに眉尻をさげる。


「あー、見つかってしまいましたか」


 淡々とした声音に琥珀の瞳が警戒の色を持つ。


「……最近、氷漬けの魔獣の目撃例があったが、おまえの仕業か?」

「えぇ。転移魔法ですぐに撤退しますので、騎士隊の功績を横取りするようなことはしません」

「そうじゃなくて!」


 ディオンが馬から降りてルイに近づく。

 白髪が風になびき、爽やかな柑橘の香りが鼻をくすぐったが、ディオンはそれを切るように手を振った。


「一人で勝手にこんなことをして危ないだろ! 付いてくるなら付いてくるで、ちゃんと言え! おまえに何かあっても気づけないだろ!」


 その言葉に蒼玉の瞳が丸くなる。


「それは、私のことを心配して……?」


 驚くルイに対してディオンが慌てて顔を背けた。


「そ、そりゃあ、侯爵様だし、騎士隊への大切な出資者の一人だからな」


 普通ならディオンの態度と言葉で照れ隠しだと分かるのだが、真面目なルイは言葉通りに受け取った。


「そうですね。あなたに心配してもらえるなんて、騎士隊に多額の出資をしていて良かったです」


 その言葉にディオンが視線を戻す。


「だから、そうじゃなくて……危ない!」


 ディオンがルイの体を押しのけて剣を抜く。


 ガッ!


 魔獣の角がディオンの剣に圧し掛かる。

 それだけでなく、魔獣の体が纏う炎の熱がジリジリと肌を焼いていく。


「凍らしたはずなのに!?」


 ルイが視線をずらすと氷柱が次々と砕け、他の魔獣たちは氷を飛ばすように身震いしていた。

 丸くなった蒼玉の瞳にディオンが説明する。


「相性が悪かったな。炎属性のこいつらだと氷の魔法は威力が半減する」

「なら、全力でいくまでです!」


 ルイが再び手を掲げるが、魔獣がそれより先に咆哮をあげた。


「伏せろ!」


 剣で魔獣を弾き飛ばしたディオンが白髪を押さえながら一緒に地面へ伏せる。

 同時に頭上を火柱が走り抜け、二人の髪を焦がした。


「森を燃やすつもりか、こいつら。先に守護魔法をかけておいてよかった」


 ポツリと落ちたディオンの呟きにルイが飛びつくように体を起こす。


「なっ!? また魔法を使ったんですか!? しかも、この辺り一帯にかけたなら、かなりの魔力を使ってますよね!?」


 その言葉にディオンがしまったと表情を崩した。


「あ、い、いや。ちょっとだけな。軽い魔法だから……」

「その軽い魔法でさえも、呪いに蝕まれたあなたにとっては命取りなんですから! だから、私が出てきているのに!」

「だから? って、危ない!」


 ディオンが二人に迫る魔獣の牙を剣で受け、そのまま力の向きを変えて受け流す。

 周囲を見れば逃げ場をなくすように魔獣が取り囲んでいた。


 この状況にディオンが決断する。


「とにかく詳しい話は後だ! ここは一気に仕留めるぞ!」

「ダメです! 強い魔法を使ったら……」


 ルイの声を無視してディオンが剣を地面に突き刺した。


『天より切り離されし地よ! 命を生み出す大いなる大地よ! 求める子羊を与え、その嘆きを慰めん!』


 詠唱が終わると同時に地面が割れ魔獣を地中へと引きずりこんでいく。魔獣が這い上がろうと前足を伸ばすが大地はあり地獄のように呑み込み、何事もなかったように閉じた。

 残ったのは平らな地面と、遠くから聞こえる鳥の鳴き声のみ。


「これなら出てこれないだろ」


 その光景にディオンがふぅ、と額の汗を腕で拭く。

 そこにルイが近づき、ディオンの右腕を掴むと乱暴に騎士服の袖を捲り上げた。


「やはり伸びている」


 無駄のない筋肉と血管が浮いた腕。だが、それよりも目を惹いたのは、肩から肘まで絡みつくように伸びている黒い蔦のような模様。

 美麗な顔の眉間に深いシワが寄るが、その表情を吹き飛ばすようにディオンが軽い口調で言った。


「伸びたって言ってもちょっとだろ」


 なんでもないことのように言ったが、ルイは怒鳴るように叫んだ。


「ちょっとでも良くないです! わかっているんですか!? この模様が指先にまで伸びた時、あなたは死ぬんですよ!?」


 魔獣に襲われていた少年のルイを庇ってディオンが受けた魔法。


 それは魔獣が魔力が強いルイから魔力を吸い取るために放った魔法だった。

 しかし、その魔法はルイを庇ったディオンに当たり、魔獣が死んだ瞬間に呪いへと変化した。


 魔法を受けた者が魔力を使う度に心臓から伸びている模様が成長していき、模様が全身を覆い尽くすと死ぬ。


 だから、ルイはディオンが魔法を使わないようにするのと同時に、この呪いを解くための方法を探していた。治験と称して飲ませている薬も解呪のための一つ。だが、どれも効果がなく解呪の方法は見つからないまま。

 そして、ディオンは呪いのことを他の隊員に知られたくないため隠しており、この事実を知っている者は少ない。


 己の無力さを痛感しているルイがディオンの腕を掴んだまま額を肩にのせた。ふわりと爽やかな柑橘の香りが舞う。


「お願いですから、解呪の方法が見つかるまで大人しくしてください」


 いつもは堂々としていて冷淡な態度が多いルイが甘えるように懇願することは珍しい。


 弱々しくも見える姿にディオンの心の柔らかいところが刺激され、キュッとなる。


(なんだ? 不整脈か?)


 微かな違和感に心の中で首を傾げながらディオンが話す。


「そうは言っても、これが俺の仕事だし……って、どうした?」


 ルイが何かに気づいたようにディオンの腕を探った。


「呪いの模様が縮小しました」

「え?」


 丸くなった琥珀の瞳にルイが肘を指さしながら説明する。


「呪いの模様の先端はここにありました。ですが、目の前でここまで後退しました」

「本当か!?」


 そこに馬の蹄の音が近づいてくる。

 二人が顔をあげると、そこには騎士隊長がいた。


 ディオンと同い年ぐらいの筋骨隆々の体格をした騎士隊長が馬に跨ったままディオンに訊ねた。


「おい、この辺りに魔獣が……って、何故ここにセリノフォト侯爵がいる!?」


 訓練場にいたルイが、なぜ森にいるのか。しかも、よりにもよって魔獣が出現しているここに。

 驚愕している騎士隊長に対して、ディオンがルイを庇うように前へ出た。


「ちょっといろいろあってな。で、魔獣がどうした?」


 とても隊長に対する口調と態度ではないが、騎士隊長はディオンと同期入隊で同僚としての気安い関係がそのまま続いていた。

 ディオンとルイを交互に見ただけで状況を悟った騎士隊長が吐き出したくなるため息を堪えて訊ねる。


「あと五体ほど魔獣がいるはずなんだが、見かけなかったか?」


 ディオンが魔法で地中に埋めた魔獣がちょうど五体。

 そのことを説明すると騎士隊長が額を押さえて唸りながら馬からおりた。


「おまえ、それは高難易度の魔法だろ? 呪いを助長させるようなことをしてどうする?」

 

 隊長は呪いのことを知っており、ルイが解呪のために騎士隊へ通うことも許可していた。

 そして、呪いの性質も理解していた。魔獣を同時に五体も封じる魔法は相当な魔力量と高度な技術が必要になり、呪いを助長させるには十分で。


 心配する隊長に対してディオンは腕にある呪いの模様を見せながら軽く言った。


「だが、今回は呪いの模様が縮んだんだ」

「縮んだ? 模様が? 何故だ?」

「それが、なんで呪いが縮小したのか理由がわからなくってよ」

「それだと意味がないだろ。そもそも何をしていたんだ?」


 その言葉にディオンとルイがお互いの顔を見る。

 それから、その時の状況を二人は淡々と再現した。


「たしか私がこうして腕を掴んで肩に頭をのせたんですよね?」

「そうだな」

「で、大人しくしていてくださいと私が言って」

「すると、目の前で模様が縮んだんだよな?」


 体を寄せ合いながら話す二人。

 お互いの匂いが混じり、吐息がかかりそうな距離。ディオンは無精ひげで騎士服を着崩しているが、元々はかなりの美丈夫。そこに若くて美麗なルイが並べば嫌でも絵になる。

 二人とも淡々とした口調で表情も平然としているが、傍から見れば仲睦まじいカップルのようにも映る。


 この光景に騎士隊長が呆れたように口を開く。


「おい、オレは何を見せられているんだ?」

「おまえが何をしていたんだって聞いたから再現しているんだろうが!」


 怒鳴るディオンに隊長が肩をすくめる。


「つまりイチャイチャしていたら呪いの模様が縮んだのか?」

「そんなわけねぇだろ」


 ディオンが素早く否定する。

 だが、ルイはその言葉にピンときたように顔をあげた。


「そういうことですか!」

「何かわかったのか?」


 ディオンの質問にルイが蒼玉の瞳を輝かせて説明する。


「古来より恋は呪いの効力を失わせる力としても利用されてきました。カエルに姿を変えられた王子が真実の愛によって元の姿に戻る話や、死んだ姫が愛がこもったキスで生き返る話など、恋には魔法を超える力があります」

「いや、それは恋というより愛だろ。それに、目に見えない恋をどう利用するんだ?」


 ディオンのツッコミもルイが無視して話を続ける。


「ですから、恋をすればその呪いが消える可能性があるということです。ですので、恋をしてください。いますぐ、さぁ!」


 グイグイと迫るように近づく美麗な顔。

 お互いの唇が触れそうな距離にディオンが慌ててさがる。


「いや、いきなり恋をしろと言われても、そう簡単にできるもんじゃないだろ」

「ですが、呪いを解くには必須です」

「さっきは可能性って言ってたのに、なんで必須になっているんだ!? そもそも、おまえは恋をしろと言われて、すぐにできるのか? できないだろ」


 ディオンからの正論にルイが足を止める。

 それから、ふむと頷いた。


「そうですね。わかりました」


 ホッとするディオンに次の爆弾が落ちる。


「では、恋をする状況を作りましょう」

「……どういうことだ?」


 ルイが真面目な顔で頭をさげた。


「私は準備がありますので、失礼いたします」

「ちょ、待て! 質問に答えろ!」


 だが、ディオンの問いに返事はなく、風に揺れた白髪が転移魔法で消える。

 唖然とするディオンの隣でポツリと騎士隊長が呟く。


「……どうなるんだ?」


 ディオンが額を押さえて俯いた。


「こっちが聞きてぇよ」


 ろくでもないことになる予感しかしない。


「……まぁ、頑張れ」


 騎士隊長は気休めにもならない言葉と一緒にディオンの肩をポンポンと叩くことしかできなかった。


~~


 翌日。

 騎士隊が日課の訓練をしていると、これまでにない事態が起きた。


「ディ、ディオン、大変だ! おまえに面会希望の女が!」


 その言葉に名指しされた当人より周囲がざわついた。


「女!?」

「この枯れたおっさんに女!?」

「女のおの字もなかったディオンに女!?」

「天変地異の前触れか!?」


 蜂の巣を突いたような大騒ぎになる。

 そして、ディオンは無言のまま顎に手を置いて考えた。


「まさか、昨日の今日で恋をする相手を送り込んできたのか? 手回しが良すぎるだろ」


 小さな呟きは周囲の喧騒にかき消され、誰の耳にも入らず。

 それどころか収集がつかないほどの大騒ぎになっていく。


「どういうことだよ、ディオン!?」

「おまえだけは同士だと思っていたのに!」

「抜け駆けはゆるさねぇぞ!」


 今にも掴みかかってきそうな騎士仲間たちにディオンが怒鳴る。


「うるせぇ! 勝手に同士にしてるんじゃねぇ!」


 怒声が響く中、見慣れないドレスを着た人が訓練場へ入ってきた。

 大きな帽子で顔は隠れているが、長い白髪が上品に風に揺れる。空のような真っ青なスカートが歩くたびにフワリと広がり、フローラルな香水の香りが漂う。


 むさ苦しい男だらけの騎士隊とは無縁の光景。


 普段ではありえない事態に訓練場はますます大騒ぎ……にならなかった。


 一見すると、どこぞの貴族の令嬢の服装。だが、その体の大きさが問題だった。


 どう見ても女性にしては体格が立派すぎる。体の大きさに合わせた違和感のないドレスデザインのため、すぐには気づかなかったが、よく見れば肩幅が広く、腰も女性にしては太くくびれが少ない。


 そのことに気が付いた騎士隊員たちが一斉に黙る。


 不気味な静けさが訓練場を包む中、ディオンが素早く駆けだした。


「あ……」


 立派な体格の訪問者が声を出す前にその腰を掴み、ドレスごと体を肩に担ぎあげる。フローラルな香水の中に混じる爽やかな柑橘の香りにディオンが確固たる確信を持つ。


「ディオン!?」

「なにしてんだ!?」


 他の隊員たちが驚く中、大きな女性? を荷物のように肩に担いだディオンが無言のまま訓練場から走って出ていった。


「うわっ!?」

「なんだ!?」


 人々から奇異の視線を浴びながら宿舎内を駆け抜ける赤茶の髪。そのまま一直線に人が滅多にこない倉庫に駆け込んだ。


「……おま、なんでそんな恰好しているんだ?」


 ゼェハァと息を切らしながら肩から大きな女性? をおろす。

 高い位置にある窓から光が入るが、さまざまな物品が押し込まれた倉庫は薄暗い。


 そんな中でストンと優雅に地面に足をつけた女性? が低い声で平然と答えた。


「ですから、恋をしてもらおうと思いまして」


 そう話しながら帽子を外す。

 すると、粉雪のような白髪が美麗な顔に流れた。

 現れたのは見慣れた顔だが薄っすらと化粧をしており眉目秀麗な顔がますます美しくなっている。たしかに顔だけを見れば美女に……見えなくもない。

 ただ、顔から下に視線を向ければ太い首にがっしりとした肩と筋張った大きな手でさすがに男だと分かる。


 ディオンは腰まで長く伸びている白髪に目をむけた。


「その髪はどうした? カツラか?」

「髪を伸ばす魔法を開発して、魔法で伸ばしました」

「才能の無駄使い!」


 ルイは簡単に魔法を開発した言ったがそれは決して簡単なことではない。魔法を学び続けている人が一生をかけて一つ開発できるかできないか、という代物。

 それを料理の新メニューのようにポンッと作り出す方がおかしいのだが。


 ディオンは自分の常識を疑いそうになりながらも話を進めた。


「そんな魔法を開発してまで女装してここにきた理由はなんだ?」

「恋をしてもらおうと思いまして」


 ある意味予想通りの答えにディオンが頭を抱える。


「それで、なんで女装なんだ!?」

「この姿の方が恋をしやすいかと思いまして」


 そうじゃなくて、という言葉を呑み込む。


「それなら、普段のおまえでいいだろ」

「え?」

「着飾らなくても、おまえはおまえだし、そのままが一番だ」


 その発言に蒼玉の瞳が丸くなった。


 ディオンは思ったことをそのまま言ったのだが、ルイの心の奥底がキュンとなり嬉しさに満たされ、思わず早口で心の中の気持ちを口走った。


「着飾らなくてもいい!? つまり、素の私がいいと!? どんな殺し文句ですか!? それなら、お望み通り今すぐ服を脱いで生まれたままの姿であなたを愛で……って、私がキュンしても意味がないんですよ!」


 あまりの早さに内容がほとんど聞き取れなかったディオンが唯一聞き取れた言葉を口にしながら首を傾げる。


「……えっと、きゅんって何だ?」


 その言葉で現実に戻ったルイは一瞬で無表情となり仕切り直すように言った。


「いえ、なんでもありません。それより、そのままが一番ということは、普段の私のままがいいってことですよね?」


 確認するように訊ねられ、琥珀の瞳が目の前にいる眉目秀麗な女装青年を見る。

 吸い込まれそうなほど透明に輝く蒼玉の瞳に映る自分の顔。


(こいつも酔狂だよな。こんなに綺麗なのに俺の解呪のために、こんな奇行までして。そこがまた可愛いといえば可愛いんだが……って、俺は何を考えているんだ!)


 ディオンが思考を払うように軽く頭を振って答える。


「まあ、そうなるか」

「わかりました」


 ルイが颯爽とドレスを翻して背中をむける。


「では、出直してきます」


 倉庫のドアを開け放って悠然と廊下へ出ると、優雅にドレスのスカートを持ち上げて廊下へと踏み出し、そのまま転送魔法で姿を消した。


「……なんだったんだ?」


 その疑問に答えられる者は誰もいなかった。



 それからもルイの奇行は続いた。



 とある日の夕方。

 訓練を終えたディオンが騎士宿舎にある自室へ戻ろうとした時のことだった。


 騎士宿舎に足を踏み入れると、宿舎で働いている職員たち、主に女性職員たちのざわつく声が聞こえてきた。

 しかし、ディオンは興味がなかったので寮にある自室の方へ歩いていると、むせ返るような薔薇の匂いがした。男だらけでむさ苦しく汗臭い騎士宿舎とはほぼ無縁の香りに思わず発生源を探す。


「誰か花でも飾ったのか?」


 ここで、その疑問はすぐに解決する。

 ディオンの視線の先に両手いっぱいの赤い薔薇を抱えたルイがいた。


 蒼玉の瞳を伏せ、物思いに更ける美麗な顔と真っ赤な薔薇はどこぞの絵画のようで自然と目を惹く……というか見惚れるカッコよさ。だが、さほど広くない宿舎の廊下では邪魔以外の何ものでもなく。


「……何をしているんだ?」


 声をかけたディオンにルイが伏せていた顔をあげた。魔法で伸びた白髪はバッサリと切り、元の長さに戻っている。

 その白髪を揺らしながら、ルイが平然とした顔で薔薇を差し出した。


「どうぞ」

「は?」

「恋をしましたか?」


 真っ赤な薔薇から視線をあげれば、宝石のようにキラキラと輝く蒼玉の瞳。その目は己の行動に微塵も疑問を感じておらず、むしろ確固たる確信さえ持っていて。


 そんなルイに対してディオンが眉間にシワを寄せる。


「つまり、これは恋をするための花束ってことか?」

「本には花を贈られると恋が芽生えると書いてありましたので」

「まあ、若い娘なら恋をしていたかもな」


 いや、確実に恋に落ちている。それだけの破壊力のある光景。


 そう考えながらディオンは反射的に受け取ってしまった花束を見下ろした。


(正直、こんなおっさんがこれだけの薔薇の花束を持っていても似合わないし勿体ないし、なによりも薔薇が気の毒だろ。こいつなら絵になるし、見ているだけで目の保養になるし、こいつから花を受け取りたいというヤツもいるだろうし。特にさっきからチラチラとこちらを見ている女たちとか)


 そこまで考えて、なんとなく胸がチクンと痛む。


(……気のせいだな)


 ディオンは浮かびかけた感情を無視して顔をあげた。

 そして、そのまま花束を返そうとした……のだが。


「ダメですか?」


 じっと見つめる蒼玉の瞳とバッチリ目があった。

 雨の中に捨てられた子犬のような表情。普段は冷淡で眉一つ動かないのに、今は不安気に眉尻をさげ、ウルウルと蒼玉の瞳を潤ませながら自分を見つめる。


(クッ! 普段は無表情でカッコいいぐらいなのに、そのギャップは反則すぎる! これじゃあ、花を返せねぇ!)


 心の柔らかいところを刺激されかけたディオンは慌てて顔を逸らした。


「ま、まぁ、こんなおっさんには花より食いもんの方が合うけどな。ただ、捨てるのは勿体ないし、とりあえずもらっておいてやる」


 そう言って野次馬の目から逃げるようにディオンが早足で部屋へ戻っていく。


「……食べ物、ですか」


 遠くなっていく赤茶の髪を眺めながらルイが胸の前で拳を作って唸る。


(花は受け取ってもらえるか賭けなところもありましたので、少し強引に押し切りましたが……ですが、何ですか!? あの恥ずかしそうな顔は!? 薔薇を抱えながら恥じらうなんて、どこぞの処女(おとめ)ですか!? 真っ赤な薔薇の中に押し倒したくなったじゃないですか! っていうか、すぐにでも押し倒したいんですけど!? ……とにかく、次の作戦に移りましょう)


 どんちゃん騒ぎの思考を一切表に出すことなく平然とディオンの後ろ姿を見送るルイ。そして、その姿が見えなくなったところで転移魔法で姿を消した。


 一方のディオンはわざと大きな足音を立てて廊下を歩いていた。


「クソッ、調子が崩れる」


 自室のドアまで来たディオンがはぁとため息を落とす。

 それからすべてを払うように頭を振った。


「いや、いや。あんな一回りも年下の男に動揺してどうする」


 気持ちを落ち着かせ、いつものようにドアノブをまわす。

 そして、ゆっくりとドアを開けたのだが、そこからぶわりと甘い花の香りが広がってきて……


「あの野郎ぉぉぉお!!!!」


 目の前にあったのは、部屋を埋め尽くす真っ赤な薔薇。

 王都中の薔薇を集めたのかというほどの量で、机どころかベッドまで埋め尽くされおり寝る場所さえない。


「加減ってもんがあるだろうがぁぁぁあ!!!!!」


 ディオンの叫びが寮内に轟いた。


 この夜、ディオンは薔薇の中で眠ったためか、巨大な薔薇に押しつぶされる夢にうなされ、翌日は全身から薔薇の匂いを発して過ごすこととなり、騎士隊員たちに笑われて過ごした。



 そんな薔薇事件から数日後。



 午前の訓練を終えたディオンは昼食をとるために騎士宿舎にある食堂へ移動していた。

 そこに聞き馴染んでしまった声がかかる。


「ちょっと時間いいですか?」


 振り返れば白髪を揺らしながら眉目秀麗な青年が立っている。

 その姿に薔薇事件を思い出したディオンが警戒しながら話した。


「おまえ、騎士じゃないのに当然のように宿舎にいるよな」

「騎士隊に出資しているので融通が利きますから」


 当然の答えにディオンが額を押さえた。


「そうだったな。騎士隊にとって大事な大事な侯爵様だ。で、俺に何の用だ? 急ぎじゃないなら飯を食ってからにしたいんだが」

「その飯の話をしたいのですが」

「じゃあ、食堂でもいいか?」

「はい」


 ディオンはルイを連れて食堂へ移動した。

 騎士隊の隊員だけでなく、宿舎で仕事をしている人も食堂を利用するため賑わっている。その中で素早く空いている席を見つけたディオンが座席を確保してルイを呼んだ。


「俺は飯を取ってくる。おまえはどうする?」

「その飯ですが、ここにあります」


 ディオンの正面に座ったルイが懐から布を取り出してテーブルに広げる。

 そこには魔法陣が描かれており、淡い光とともに複数の箱が現れた。


「は? なんだ、これ?」

「転移魔法陣です。広げて魔力を通すと、これと同じ布に描かれた魔法陣の上にある物がここに転移します」

「まさか、その魔法もこのために開発したのか?」

「はい」


 当然のように答えるルイにディオンが唖然となる。


 丸くなった琥珀の瞳の前でルイが次々と箱の蓋を開けていく。

 箱の中には様々な料理が入っており、食欲をそそる匂いがディオンの鼻をかすめ、空腹を刺激する。


「旨そうだな。侯爵家の料理人が作ったのか?」

「いえ、自分で作りました」


 予想外の言葉に琥珀の瞳が再び丸くなる。


「は?」


 思わず漏れが間抜けな声を気にせずルイが淡々と説明していく。


「恋に関することが書かれている本に胃袋を掴むという記述があり、それは手料理でなければならないとありましたので」

「それで自分で作ったのか!?」

「はい」


 貴族の中でも高位貴族である侯爵家。

 家事は使用人の仕事であり、侯爵家の子息が自ら料理をするなど考えられない。と、いうかキッチンに立った時点で料理人たちは生きた心地がしなかっただろう。

 その時の料理人たちの心境を察したディオンが呟く。


「……なんか、料理人たちが気の毒だな」

「最初は畏縮しておりましたが、料理をしているうちに筋がいいと褒められました」

「……それはよかったな」


 侯爵家の料理人の神経も図太かったらしい。

 こうして話している間にもルイが皿に料理を取り分けてディオンに差し出した。


「どうぞ、召し上がってください」


 そう言って差し出された皿の上には野菜のマリネに煮込み肉と焼き魚など色鮮やかな料理が並んでいた。他の皿にはパンがあり、深い皿にはスープまで。フルコースのような状態で正直、食堂の料理より豪華で美味しそうではある。

 しかし、作ったのがルイというところで不安が拭いきれない。


「本当におまえが作ったのか?」


 その質問に白髪がしっかりと頷く。


「はい」


 ジッと見つめてくる蒼玉の瞳にディオンは逃げられず。しかも、周囲で昼食を食べている人々も何事かと興味津々に覗いている。


 この状況だと食べないわけにはいかない。


 いろいろ諦めたディオンはフォークを手に取り、肉を突き刺して口に入れてゆっくりと咀嚼した。


「……旨い」


 上等な肉というのもあるが、煮込み加減が絶妙で軽く噛んだだけで崩れる肉から溢れる旨味が口内に広がる。そこに煮込んでいるソースが絡み、肉の旨味を二倍、三倍へと増幅させる。

 次にディオンは焼き魚を口に入れた。白身であっさりとしていながら香ばしい風味と魚の旨味が口の中を優しく満たす。付け合わせのマリネは口の中をさっぱりとさせるし、パンは香ばしいだけではなく肉と魚の味を活かす味。


 パクパクと食べていくディオンの様子をルイは平然とした顔のまま内心では満足気に眺めていた。


「こんなに美味しそうに食べるなら、また作ってもいいですね」

「なんか言ったか?」

「いえ、お気になさらず」


 そう言って何度か包丁で指を切り、跳ねる油で火傷した手をテーブルの下でそっと握る。


 治癒魔法で怪我は綺麗に治っているが、あの苦労は無駄ではなかったとルイが実感していると、目の前でディオンが唇の端についたソースを太い指で拭い、赤い下がペロッと指の腹を舐めた。

 どことなく艶がり色っぽい仕草にルイの白い頬が薄っすらと朱に染まり、無意識にゴクリと喉仏が上下する。


(私が触れていた食材が、あの白い歯によって噛み砕かれ、飲み込まれ、消化されて、吸収されて、あの人の体を構成する一部になっていく……私が作ったものが……なぜ、この事実に早く気づかなかったのでしょう!?)


 新しい感覚にゾクゾクと背筋を震わせ、蒼玉の瞳が怪しく輝く。

 だが、料理に夢中になっているディオンがそのことに気づくこともなく。


「うん、旨い。毎日食べたくなる旨さだ」


 その言葉に白髪がピクリと跳ねた。


「本当ですか?」

「ん? 何がだ?」


 顔をあげたディオンにルイが少しだけ興奮気味に訊ねる。


「毎日食べたくなる旨さ、という言葉です」


 ここで蒼玉の瞳の奥にある怪しい輝きに気が付いたディオンの言葉が止まる。


(なんかマズいことを言ったか? だが、毎日食べたくなる旨さは事実だし……)


 目の前にいるルイは表情には出ていないが、褒められ待ちの犬のように見つめている。

 その姿にディオンの庇護欲が刺激されて……


「まあ、そうだな」


 その言葉に蒼玉の瞳が満足そうに細くなり、ディオンは毎日昼食を差し入れをされるようになった。



 また別の日には。



 休息日だったディオンは必要な物を買いに街へ出ていた。


 木とレンガを使った三、四階建ての家が通りに沿って並ぶ。一階は商店になっており、二階から上が居住区となっている。魔獣の侵入を防ぐための王都を囲う壁があり、家が建てられる範囲は限られているため無駄な土地は一つもない。


 人々と活気にあふれた通りを歩いていると黄色い歓声が耳に入った。


「お伽噺に出てくる王子様みたい」

「お一人かしら?」

「声をかけてみる?」

「恥ずかしいって」


 少女たちの可愛らしい声とは反対にディオンは嫌な予感がした。


「……見るな、関わるな、俺」


 そう言い聞かせながら声が集まっている方からワザと視線を逸らす。そんなディオンの行動を嘲笑うようにざわつきが近づいてきて……


「おはようございます」


 進路を塞ぐように眉目秀麗な青年が現れた。


「……おはよう」


 渋々挨拶を返す。


「偶然ですね。買い物ですか?」

「そうだが、おまえもか?」

「はい」


 その返事にディオンが眉間にシワを寄せる。


「侯爵様は平民の街で買い物なんかしないだろ」


 買い物は使用人の仕事。もし自分で買い物がしたければ、一声かければ商人が商品を持って屋敷に現れる。侯爵とはそんな身分だ。


「それは子爵家も同じでは?」

「しがない子爵家の三男坊は自分で買い物をするんだよ」


 ディオンの実家は子爵だが、三男であるため家を継ぐ予定はない。そのため自分の生活費は自分で稼ぐしかないし、寮生活のため自分のことは自分でするしかない。

 そう言って歩き出したディオンをルイが追いかける。


「どこにどのような店があるのか知らないので教えてください」

「おまえのところの使用人に聞いたらいいだろ」

「私の私用に付き合わせるほど暇な使用人はおりませんので」

「俺だって暇じゃねぇよ」


 不機嫌に赤茶の髪を揺らして諦めさせようとするが、まったく気にする様子なくルイが提案した。


「あなたの買い物に付き添うだけならよろしいですか?」

「はあ? おっさんの買い物に付き添って何が楽しいんだ?」


 その問いに蒼玉の瞳が丸くなり、そして細くなった。


「楽しいですよ」


 いつもは表情がない美麗な顔が少しだけ微笑む。

 その顔にディオンの胸が少しだけキュッとなり、誤魔化すように視線を外した。


「も、物好きなヤツだな」


 そう言って歩調を早めるがルイは当然のようについてくる。


「今日は何を買われるのですか?」

「あー、上着がボロくなってきたから、良いのがあれば欲しいのと、靴も買いたいな」

「それなら良い店を知ってますよ」

「いや、おまえさっきどこに店があるか知らないから教えてくれって言わなかったか?」


 矛盾を指摘されたがルイが平然と言葉を返す。


「この辺りの店には詳しくありませんが、良い上着と靴を売っている店には心当たりがあるだけです」

「へぇ、じゃあその店に案内してくれ」


 このとき深く考えずに言ったことをディオンは盛大に後悔することになる。



「こちらです」


 悠然と案内された先は貴族御用達の立派な店だった。

 もちろん、先程まで歩いていた下町とは比べ物にならない店構えにディオンの顔が引きつる。


「いや、そりゃあこんな店なら良い上着と靴があるだろうが手持ちが足りねぇよ」

「そこは私が奢りますので」


 サラッと言われた言葉にディオンが盛大に頭を横に振った。


「それは拒否する!」

「どうしてですか?」

「年上としての矜持(プライド)があるんだよ!」

「矜持、ですか」


 その含みがある言葉にディオンが吠える。


「おまえのことだから金にもならない矜持に何の意味が、とか考えているんだろうがな! だが、年上として年下に奢られるのはどうしても享受できねぇんだよ!」


 怒鳴り声で白髪が揺れるがルイは平然としたまま提案をした。


「では、お昼はあなたがオススメする店で私に奢ってください」

「へ?」

「それで平等になりますよね?」

「いや、まったく平等じゃねぇよ!」

「どうしてですか? 奢って、奢られて、平等ですよね?」

「その行為は平等だが、金額が釣り合ってねぇよ!」

「私にとってはあなたのオススメのお店を知ることは、ここで払う金額以上の価値がありますけど」


 当然のように言われた言葉にディオンが額を押さえて俯く。


「ただでさえ毎日、豪華な昼飯を差し入れされているのに、これ以上おまえに負担をかけたくねぇんだよ」

「負担ですか? まったくありませんけど」


 その言葉にディオンが顔をあげる。


「毎日作っているんだろ?」

「はい」

「食材費とか、飯を作る手間とか、負担だろ?」

「いえ。食材は一人分ぐらい増えても問題ありませんし、手間もありません。むしろ、私が作った料理をあなたが食べて、それが血肉となりその体を構成する一部になっていると想像するだけで……」


 顔は無表情のままだのだが、徐々に声音が怪しい色の含み、危険な気配が漂い始める。

 そのことに背筋がゾクゾクしたディオンは慌てて止めた。


「わかった、わかった。それ以上、何も言うな、話すな。聞いた俺が悪かった」

「では、店に入りましょう」

「もう煮るなり焼くなり好きにしろ」


 こうしてディオンはルイに連れられて高級洋裁店へ入っていった。



「はぁ……」


 バタバタとした休息日を終えたディオンが騎士宿舎にある風呂へため息とともに浸かった。

 複数人が同時に入れる大きな風呂だが、夜遅いため利用しているはディオン一人のみ。魔法で少し熱めにした湯に傷だらけの引き締まった体が沈んでいく。


「なんか休みなのに疲れたな」


 あれから高級洋裁店の店員に有無を言わさず採寸され、ルイが生地とデザインを選び、気が付けば上着と靴がオーダーメイドで注文されていた。

 それから約束通り昼食を奢るためディオンは知っている店の中でも一番の高級料理店へ行った。ちなみにディオン自身は店に入ったことはなく、高級な料理を出す店として耳にしていただけだった。


 しかし、ルイはその高級料理店に到着したところで入店することを拒否。

 いつも使っている店に連れて行けと言って動かなくなったためディオンは渋々馴染みの店にルイを連れて行った。


 そこは最初に歩いていた通りにある定食屋で、店主も常連客も顔なじみだった。


「おう、ディオンどうした? 今日はえらい別嬪さんを連れているな」

「騎士隊の新米か? 休みの日まで連れまわしたら可哀そうだぞ」

「うっせぇ。そういうんじゃねぇよ」


 ディオンは野次を軽くいなしながら店の奥にあった二人掛けのテーブル席にルイと向かい合って座った。使い古された椅子とテーブルは騎士宿舎の食堂よりボロい。

 その中で上品な空気をまとうルイはどうしても浮いて見える。


(もう少し上等な店に連れて行くべきだったか? けど、味はこの店がダントツなんだよな)


 ディオンがそんなことを考えていると恰幅のよい女性が注文を聞きにきた。


「おや、すっかり枯れたと思っていたディオンに春かい?」

「だから、そういうんじゃねぇんだよ。で、今日のオススメは?」


 その問いに女性がメニュー表を渡しながら答える。


「今日は豚カツがオススメだよ」

「じゃあ、俺はそれで。おまえはどうする? 羊のステーキとかもあるぞ」

「いえ、私も同じ豚カツを」


 あっさりと決めたルイにディオンが怪訝な顔になる。


「口に合うか保障しないぞ」


 ゴン!


 赤茶の髪に容赦なく拳骨が落ちた。


「うちの料理はどれも旨いんだよ」


 眉を吊り上げた恰幅のよい女性にディオンが頭を押さえながら話す。


「知ってるって。だから、ここに連れてきたんだ。ただ、こいつの場合、育ちからして豚より羊の方が合うかもしれないって思ったんだよ」


 その言葉に女性がルイを頭の上から足の先まで見た。


「たしかに育ちが良いお坊ちゃんって感じだね。けど、うちの料理はどんな育ちの人でも唸らせる絶品だから楽しみに待ってなよ」


 そう言って女性がメニューを持って厨房へさがる。

 その後ろ姿にディオンが頭をさすりながらぼやいた。


「まったく、本気で殴りやがって」

「大丈夫ですか?」


 心配しているのか、していないのか分かりづらい表情でルイが訊ねる。

 感情はみえないが美麗な顔というだけでチラチラと不要な視線が集まり、その中には質の悪い下卑たものも混じる。その視線はディオンを苛立たせるには十分で。


(こいつは見世物じゃねぇんだよ! もう少し奥の席に座ればよかったか?)


 周囲を牽制するような鋭い視線を放つディオンとは反対にルイが興味深そうに店内を見回す。


「こういう店もいいですね」

「なにがいいんだ?」

「賑やかで、どんな話をしても気にされなさそうなところです」


 無表情だがいつもより穏やかな声音にディオンの心の柔らかいところがツンと刺激される。


(いや、いや。今は飯だ)


 刺激された感情を見なかったことにしたディオンが平然とした表情を作って訊ねる。


「普通だろ?」

「いえ。私が連れて行かれる店は静かでマナーにうるさくて、人の話に聞き耳を立てるような連中が集まるところですから。迂闊な話はできません」

「そりゃあ、政治とかの話になればそうなるだろ」


 高位貴族となれば国の中枢にも関わる。そうなれば、聞き耳を立てられることもあるだろう。


「いえ、私生活のこととかでもですよ。時間を持て余した暇な連中が多いですから。少しでも不祥事や醜聞に繋がるようなネタがあれば、そこから話を広げて相手を陥れようとします」

「それは大変というより面倒だな」


 雑談と注文の声が飛び交う店内。

 興味半分の視線は感じるが陥れるなどの悪意はない。


 そこに大皿を持った恰幅のよい女性が現れた。


「はい、お待ち」


 威勢のよい声とともに置かれた皿には豚カツと炒めた野菜がのっていた。隣に置かれたカゴには無造作にパンが入っている。


「よし、食うか」


 ディオンの掛け声で二人は食事を始めた。

 豚カツは表面がカリッと揚げられ、筋は切られて肉はとても柔らかく、香辛料(ハーブ)で肉の臭みは一切なく、いくらでも食べられる味になっていた。パンは表面は固いが中はしっとりとした柔らかさで、噛めば噛むほど小麦の味がする。


 それは舌が肥えたルイでも満足する味の料理だった。


「美味しいですね」

「口に合ったなら良かった」


 あっという間に食べきったルイがどこか楽しそうに話す。


「こうして店で同じ食事をするのも良いですね」

「また来るか?」


 ディオンは冗談半分で言ったのだが、蒼玉の瞳がパッと明るく輝いた。


「いいんですか?」

「あ、あぁ。おまえがいいなら」

「ぜひ」


 そう言って、いつもは不愛想な顔がふわりと表情を緩める。

 人形のように美麗な顔が感情を持って微笑んだ姿は脳を破壊するほど強烈で、胸がドキンと不規則に高鳴った。


 それから下町で必要な日用雑貨を買ってルイとは別れたディオンだが、頭の中はずっとふわふわしており夢の中にいるような感覚だった。


 普段は氷のように固まった美麗な顔。氷の侯爵と呼ばれるほど、感情が表情に表れないルイ。


 だが、いつからか無表情の中にある蒼玉の瞳の輝きや声に滲む音からルイの感情が伝わるようになっていた。そして、いつからか二人で過ごす空間が心地よくなっていた。


「……なんでかなぁ」


 ディオンの低い声が浴室内に響く。


 視線を落とせば湯の中で揺れる呪いの模様。心臓から蔦のように全身へ伸びており、二の腕と太ももの真ん中あたりまで絡みついている。


「……また少し模様が縮んだ、か?」


 ルイの奇行が始まって少しずつ呪いの模様が縮んでいる。


「本当に効果があるとはな」


 ディオンの口から小さな苦笑が漏れた。


 この模様が指先まで伸びた時、自分は死ぬ。


 そのことを知った時、そうか、としか思わなかった。いつ死ぬかわからない騎士という仕事を選んだ時点で自分の家族を持たないと決めた。自分が死んでも困る人、悲しむ人を持ちたくなかったからだ。


 それなのに予定外のことが起きた。


 それがルイだった。


 ルイは自分を庇ってディオンが魔法を受け、それが呪いとなったことに罪悪感を持っているのか、どうにかこの呪いを解こうと必死で。古今東西、あらゆるところの呪いと解呪について学んだという。


「こんなおっさんの呪いの解呪に必死になるより、若い娘と過ごす方が有意義なのになぁ」


 責任を感じることはないと何度も言った。呪いの解呪に時間を使うより、自分のために時間を使えと、何度も説得をした。


 それでもルイは頑なに解呪の方法を探した。


「まあ、それもあと少しか。あいつには悪いが」


 呪いの模様は縮んでいる。だが、それはほんの少しだけ。魔獣を倒すために魔法を使えば、あっという間に模様は伸びて全身を覆い尽くす。


(俺が死ねば、あいつは解放される)


 そう考えながらディオンは右手を掲げた。筋張った大きな手は剣ダコだらけで固くゴツゴツしている。


 白く滑らかで張りのあるルイの手とは大違い。


「あいつは若くて、未来があるからな。オレなんかより、ずっといい相手がいる」


 ディオンの独り言は誰にも聞かれることなく湯煙の中に溶けた。



 魔獣の襲来もなく、落ち着いた日常が続いていたある日の深夜。


「南の草原に魔獣が現れた!」


 伝令の声に騎士宿舎にある寮が慌ただしくなる。


「魔獣はグリフォンだ!」


 その声に準備をしていた騎士たちから声があがる。


「グリフォンだって!?」

「寝ているヤツは叩き起こせ!」

「全隊出撃だ! 急げ!」


 グリフォンは上半身が鷲で下半身が獅子の体を持つ。

 鋭い鉤爪と大きな嘴での物理攻撃と、大きな翼で巻き起こす風の魔法が厄介な相手。しかも、空を飛ぶため王都を守る壁も簡単に超えて侵入してくる。


 深夜にも関わらず騎士宿舎は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。



 満天の空に浮かぶ満月が西へと傾きだした頃。

 馬に跨った騎士隊が南門を抜けて草原に出ると、そこには巨大な影があった。暗くてハッキリと姿は見えないが、翼を羽ばたかせて悠然とこちらに向かって飛んでいる。


「間に合ったか。ロゼ隊、灯りを出せ!」


 騎士隊長の指示に応えた隊員が魔法で光の球体を出すと巨大な影へ放った。


 黒い影を光が囲む。


 鷲の顔と翼と鉤爪を持つ前足に、獅子の下半身と強靭な後ろ脚と鞭のようにしなる尻尾。夜行性で音もなく近づき、生き物はすべて捕食して去っていく。

 しかも、攻撃性が強く破壊された街は一つや二つではない。


「本当にグリフォンだったか……」


 見間違いであってほしかったという気持ちの籠った呟きが落ちる。


 そこに隊長の喝が飛んだ。


「ここで仕留めるぞ!」


 その声に隊員全員の声が揃う。


「「「「「ハッ!」」」」」


 その勢いを削がないようすぐに隊長が指示を出す。


「作戦通りに散開! 持ち場につき次第、全力で魔法陣を展開しろ!」


 返事はなく一斉に動き出す。

 ほとんどの隊員が暗闇に紛れて移動していく中で、ディオンが魔法で光玉を出した。


「ほら、こっちだ!」


 大声を出してグリフォンを誘い、囮としてワザと目立つ動きをする。


「ディオン、無理はするな!」

「わかってる!」


 騎士隊長からの声に片手をあげて応えると、隊員たちから離れるように馬を走らせた。


 騎士隊の中で一番実戦経験があり、臨機応変に対応できるディオンは自ら進んで囮役になった。仲間が魔法陣と攻撃の準備をしている間、グリフォンを自分に引き付ける。そして、魔法陣が完成したらそこまで誘導するという危険な役割。

 だが、誰かがしなければならない。


「独り身の俺にはピッタリだがな」


 帰りを待つ者がいないので気兼ねなく動ける。


 そのために、いくつもの婚約話を断り、結婚をせず、自分の家庭を持たなかった。



 ――――――それなのに。



 脳裏に浮かぶ粉雪のような白い髪。透明な湖のように輝く蒼玉の瞳。


 そして、自分にだけ見せる柔らかな微笑み。


「……ダメだな」


 また会いたいと思ってしまった。


 グリフォンを倒して、いつもの朝を迎えて、いつものように訓練をして、ルイが作った昼食を食べて……そんな未来を創造してしまった。


 普段通りの日常がこんなにも愛おしく想う日が来るとは。


 ガッ!


 ディオンに向かって鋭い嘴が襲い掛かるが、間一髪でその攻撃を右手の剣で受け止めて弾いた。


「グダグダ考えている場合じゃない」


 自分に言い聞かせるように言ったディオンが左手をかざす。


『砕けた大地よ、沈黙を与える(くさび)となれ!』


 周囲に現れた無数の石がグリフォンへ飛んでいく。


「キェェェ!」


 咆哮とともに翼が大きく羽ばたき、巻き起こった暴風で石がボトボトと地面へ落ちた。


「弱い魔法だと当たりもしないか」


 そこに急降下してきたグリフォンの鉤爪がディオンを狙う。


「させるか!」


 鉤爪がディオンの体を掴もうと広げた瞬間、素早く剣を振って傷をつける。


「ギャァ!」


 短い悲鳴とともに赤い血をまき散らしながらグリフォンが急上昇した。

 そのまま空から警戒するようにディオンを睨む。その目には絶対に仕留めるというグリフォンの怒りが滲んでいる。


「よし、これで完全に意識がこっちに向いたな」


 ディオンが横目で仲間たちの様子を確認する。

 それぞれが配置についてグリフォンを仕留めるための魔法陣を仕掛ける。普通に攻撃しても翼が巻き起こす暴風で防がれ、致命傷を与えることは不可能。だからこそ、一発で仕留めるだけの威力を持つ魔法陣が重要となる。


「あとは隊長からの合図があるまで、グリフォン(あいつ)を俺に引き付けられれば……おっと!」


 突如、頭上が明るくなり火球が降ってきた。

 しかし、ディオンは慌てることなく魔法で防護壁を展開して対処する。


「風魔法だけかと思っていたが、火も使えるのか。厄介だな。しかも火事まで起こしやがって」


 火球が落ちた場所の草が燃えだしたため、ディオンが魔法で素早く消火する。


「……さて、あと何回魔法が使えるか」


 大きな魔法は使っていないので、呪いの模様は少ししか進んでいないはずだが、それでもルイは目ざとく見つけて文句を言うに違いない。


(あんまり、あの顔は見たくないんだよなぁ……)


 一見すると無表情だが、微かに眉尻がさがり、蒼玉の瞳が哀しみに揺れている。その顔は思い出すだけで胸がキュッとなり、息が詰まるように苦しくなる。


「とはいえ、魔法を使わないわけにはいかな……チッ!」


 火球が効かないと判断したグリフォンが風の魔法を放ってきた。

 鎌のような形をした風の刃がディオンに襲い掛かる。


『孤月より垂れし細氷よ。我に仇なすすべての刃に冷暗と沈黙を!』


 左手をかざして風の刃を凍らせてボトリと草原に落とした。


「氷系の魔法はあいつの方が得意なんだよな」


 今は寝ているであろう美麗な顔を思い浮かべる。

 それだけで、ディオンの心の柔らかいところがふわんと温かくなった。


「あいつの安眠を邪魔しないためにも耐えないとな」


 グリフォンを仕留める罠はあと少しで完成する。

 それまでの時間稼ぎをどうするか。


「最初に近づいてきた時に斬ったのがマズかったな。あれで警戒して魔法攻撃ばっかりしてくる……そうだ」


 閃いたディオンがグリフォンに背を向けて馬を走らせる。


 背後からグリフォンが魔法で攻撃してくる。上空から火球と風の刃が降ってくるが、ディオンは馬を巧みに操って避けていく。


「見境ない攻撃になってきたな……クッ!」


 避けそこなった火球がディオンの肩に当たり落馬する。


「キェェェ!」


 喜びの咆哮をあげたグリフォンが急降下する。

 そこで草の上に倒れていたディオンがニヤリと口角をあげて立ち上がった。


「待ってたぜ」


 腰を落として素早く剣をかまえる。

 罠に嵌まったと気が付いたグリフォンが方向を変えようとするが間に合わない。


「ちょうど、おまえを仕留める魔法陣も完成したぞ!」


 ディオンがグリフォンの足に剣を突き刺し、そのまま力任せに地面へ叩きつけた。


 ドンッ!


 グリフォンの巨体が草原に転がると同時に魔法陣が輝く。


 魔法陣を囲うように立っている騎士隊員たちがグリフォンに剣を向けて一斉に詠唱をした。


『』


 グリフォンが慌てて体を起こすが、魔法陣から現れた光の鎖に縛られて動けない。


「突撃!」


 騎士隊長の命令に隊員たちが一斉に魔法で強化した剣をグリフォンに突き刺す。


「ギャァァァァ!」


 激しい断末魔とともにグリフォンが絶命する。


「やった!」

「よっしゃ!」


 喜ぶ騎士たちの姿に騎士隊長が安堵の息を吐きながらディオンに近づいた。


「無事か?」


 それは呪いが広がってないか? という意味も含まれており、そのことを察したディオンが軽く手を横に振って答える。


「あぁ。大きな怪我はないし、魔法も少し使ったぐらいだ」

「それなら良かった」

「無事に魔法が発動して良かったな」

「隊員たちの魔力が足りるかギリギリなところだったからな」


 グリフォンを縛ることができる魔法となると相当な魔力が必要となる。

 今はグリフォンを倒したことで気分が高揚して動けている隊員たちだが、明日は魔力切れでベッドから起きれない者もいるだろう。


「明日の訓練は休みか?」

「そうなるな。防腐処理と隠匿の魔法をかけて、解体は明日以降にしよう」


 強い魔獣の死体は解体され、爪や牙などは魔道具の素材として高額で取引される。それは騎士隊の貴重な収入源にもなっており、盗まれないようにしないといけない。


「そんな魔力が残っているのか?」


 ディオンの問いに隊長がフッと口元を緩める。


「最低限の魔力は残しておくものだ。いざという時のためにな」

「そうか。とりあえず、俺は休みたいな」

「あぁ、しっかり休め」


 そう言って隊長がグリフォンの死体に魔法をかけ、隊員たちからも一件落着の雰囲気が流れる。

 そこに、少し南下した場所から爆炎があがり、馬に乗った伝令が駆けてきた。


「グリフォンがもう一体いる!」


 その言葉に安堵に満ちていた空気が一瞬で緊迫する。


「なんだって!?」

「まさか!?」


 ほとんどの魔力を使い切った騎士隊に絶望の空気が落ちた。


「まさか、もう一体いたとは……」


 騎士隊長が奥歯を強く噛む。

 グリフォンを倒すために全魔力を使ったため騎士隊員たちに魔力はほとんど残っていない。


「同じ手は使えないが……まだ、王都まで距離がある。どうにか追い払うことができれば……」


 必死に作戦を練る騎士隊長の隣でディオンは爆炎の中に混じる煌めきに気が付いた。

 星屑のように月の光を弾く破片。それは、透明な氷の欠片で……


「まさか!?」


 嫌な予感が駆け巡る。


「先に行く!」


 馬に跨ったディオンが駆けだした。


「おい、待て!」


 騎士隊長の声が遠くなる。


(思い過ごしならいいんだが……)


 嫌な予感を抑えながら馬を走らせる。

 暗闇の中、巨大な影と人影が戦っているような姿が見える。


『極寒の女神よ。慈悲と絶望の息吹を、すべての者に等しき眠りを』


 耳に馴染んだ声が響くと同時に草原から複数の氷柱が突き出した。


「キェェェ!」


 魔力が籠った啼き声に呼応するように氷柱が粉砕する。

 それから、巨大な影は勢いをつけるように宙で一回転をすると、そのまま人影に襲い掛かった。


「ルイ!」


 思わず叫んだ名とともにディオンが魔法を詠唱する。


『悠久なる時を統べる大地よ、盾となり目覚めん!』


 土が盛り上がり高い壁となって鋭い鉤爪を弾く。

 その光景を唖然とした様子で見上げる人影。それから、慌てたように白髪が振り返り、ディオンを映した蒼玉の瞳が大きくなった。


「どうして、ここに!?」

「それは、こっちのセリフだ! どうして、おまえがここにいる!?」


 その問いにルイが黙る。

 騎士宿舎に盗み聞きができる魔法陣をしかけていて、そこからディオンの動きを把握していたなんて言えない。しかも、グリフォンの襲来を聞いて転移魔法で草原に来たら、他のグリフォンと鉢合わせて戦闘になったなど。


「それは、その……」


 ルイが口ごもっていると上空から暴風が叩きつけてきた。


「危ない!」


 馬から飛び降りたディオンがルイの体を引っ張る。


 ドン!


 眼前で土壁が崩れ落ちる。あのまま、その場にいたら土の塊に潰されていた。


「間一髪だったな」


 ディオンがふぅと息を吐きながら呟く。

 しかし、助けられたルイはそれどころではなかった。

 ディオンの逞しい腕に抱きしめられ、体が硬直する。頬に感じる柔らかな胸板。鼻を直撃するスモーキーな香り。全身を包むぬくもり。初めて出会った時のことを思い出し、体が熱くなる。


 その一方でディオンも衝撃を受けていた。

 いつも艶やかな白髪が土で汚れ、柔らかい肌は擦り傷だらけ。暗くてよく見えないが血の臭いもあり、どこからか出血しているのだろう。

 それでもルイなら治療魔法を使えるし、怪我もすぐに治せる。だが、グリフォンが相手では治療魔法を使う余裕もないほど戦闘が激しかったと推察できる。


(どれだけの時間、グリフォンと一人で戦って、ここで食い止めていたんだ!?)


 ディオンの胸がキュッときつく締め付けられる。

 強く抱きしめたくなる気持ちを抑え、腕を緩めながら俯いているルイへ声をかけた。


「大丈夫か?」


 ピクリと白髪が動き、慌てたように顔をあげる。


「は、はい」


 暗闇の中でも浮かぶ美麗な顔。白髪が夜風に遊ばれてなびく。白い頬は土で汚れているが傷はなく、凛とした神々しささえ漂うほど。息を呑む美しさに状況を忘れて見惚れる。

 そんなディオンの顔を映した蒼玉の瞳が大きくなった。


「伏せてください!」


 ルイがディオンの体を突き飛ばし、両手を空へかざす。


『天弓を編み、雪風巻を重ね、凍てつく壁となれ!』


 詠唱とともに巨大な氷の壁が宙に出現するが、それもグリフォンの鋭い鉤爪によってあっさりと砕かれた。

 その勢いのまま鉤爪がルイを襲う。


「しまっ!?」


 ルイは反射的に防御魔法を張ったが、ボールのように弾き飛ばされた。ポン、ポン、と草原を跳ねて転がり、そのまま動かなくなる。

 白髪が夜風に寂しく揺れる光景にディオンが叫ぶ。


「ルッ……なっ!?」


 体を起こした瞬間、横から突風が吹き、鉤爪が飛んできた。


「クッ!」


 素早く体を引き、グリフォンの攻撃を避ける。

 騎士服の上半身が引き裂かれ、肌に赤い線が走った。


「クソッ!」


 もう少し反応が遅かったら体が輪切りになって死んでいた。圧倒的なグリフォンの力にゾクリと背中が冷える。


 だが、ディオンは死の恐怖より暗い草原の中で揺れる白髪から目が離せなかった。微かに上下する胸の動きから生きていることはわかるが、このまま何もしなければどうなるかわからない。


 いや、このままだと仲間の騎士たちが来る前にルイが死んでしまう。


「……ダメだ」


 ポツリと声が落ちる。


 呪いのことは気にするなと、解呪に囚われなくていいと、何度も説いて、言い聞かせてきた。それなのに離れるどころか、ますます近づいてきて。


 そして、気が付けば粉雪のような白髪を探すようになっていた。


 蒼玉の瞳と目が合う度に胸が跳ね、低い声が鼓膜を震わす度に心が揺れ、爽やかな柑橘の香りに気持ちが落ち着いた。


 ルイという存在が心を占めるようになったのは、いつからか。



 枯れていたはずの感情が芽吹き、何よりも大切な存在になったのは――――――



 体の奥底から湧きあがる熱が目の前を真っ赤に染める。


「絶対に、助ける!」


 ディオンがグリフォンに手をかざす。


『我が血と魔力を礎に、我が生と死をかけて結ぶ』


 グリフォンの真下に魔法陣が浮かぶ。


『深き眠りに堕ちた煉獄の王よ、我が呼び声に応えよ』


 赤茶の髪がぶわりと逆立ち、すべての魔力を魔法陣へ注ぎ込む。


『四門を開け放ち、刻を従え、顕現せよ』


 ディオンの尋常ではない雰囲気に危険を察知したグリフォンが大きく羽ばたき風魔法を起こそうとする。だが、その翼が突如凍り、魔法が起こせなくなった。


「させ、ません……よ、グッ」


 辛うじて上半身を起こして手を伸ばし、グリフォンへ魔法を使ったルイが真っ赤な血を吐く。

 その様子を横目で確認しつつもディオンは奥歯を噛んで堪えるように叫んだ。


『我が剣となり、我が盾となり、黎旦な空を黒き焔で焼き尽くさん!』


 詠唱が終わると同時に魔法陣から現れた黒い炎の柱がグリフォンと夜空を貫いた。



「……嘘、ですよね?」


 ルイが体を足を引きずりながら倒れている赤茶の髪へ近づく。


「……どうして」


 空が白くなり、暗闇だった世界が色を取り戻していく。

 そんな中、ルイは仰向けで倒れているディオンの前でガクッと膝をついた。


 ボロボロになった騎士服の下で、呪いの模様が全身を覆っていた。それは、太い首から無精ひげが生えた顔、そして腕から爪先まで。


 その姿にルイが両手で地面を叩きながら叫ぶ。


「どうして!? あなたのいない世界なんて、意味がないのに!」


 生きることに飽きるほど、すべてのモノに興味がなかった。すべてがつまらなくて、どうでもよくて。

 そんな灰色の世界に初めて色を魅せた存在。


「あなたさえいれば、何もいらないのに!」


 呪いの模様に染まった顔に白い手を添える。


「私の魔力をすべて渡しますから」


 無精ひげを撫で、ルイは薄い唇に口づけた。

 魔力供給をするには1番効率が良いと言われている方法。だが、体力も魔力もほとんど残っていないルイにとって、それは自死に等しい行為だった。


 それと同時に希望でもあった。


 ディオンが魔力を吸い取れば、まだ生きているということ。それなら魔力を与え続ければ、意識が回復する可能性もある。


「……クッ」


 触れた唇から底なし沼のように魔力が吸い取られていく。腕に力を入れ、倒れそうになる体を支える。

 気力だけでどうにか耐え続けているとディオンの唇が微かに動いた。


「ふっ……」


 ディオンの呼吸に気がついたルイがパッと唇を離す。

 そこに朝日が昇り、周囲が明るくなってきた。


「え?」


 陽射しに照らされたディオンの顔から呪いの模様が消えている。


「まさか……」


 その声に応えるように琥珀の瞳がゆっくりと開く。


「……どうした?」


 どこか気怠そうな声がルイの頬を撫でる。

 ディオンの意識が回復したことに喜びながらルイが叫んだ。


「呪いが消えたんですよ!」

「へ?」


 ルイがディオンの腕を持ち上げる。

 琥珀の瞳に映ったのは、呪いの模様がない腕。


「まさか……」


 ディオンが上半身を起こしながら唖然と自分の腕を見つめる。

 そこで何かに気がついたようにルイが目を大きくしてディオンの胸元へ手を伸ばした。


「失礼します!」


 そのまま勢いよく騎士服の胸元を破る。

 すると、心臓から肩と腹にまで伸びる呪いの模様があった。


「ダメでしたか」


 ガクンと項垂れるルイ。

 一方で、それを見たディオンが驚く。


「呪いが縮んだ!? あれだけの魔法を使ったのに!? なんでだ!?」


 たしかに強大な魔法を使って呪いの模様は全身まで伸びた。それがここまで縮んだ理由として思いつくのは……

 ルイがポツリと呟く。


「もしかして、キスが?」

「え?」


 丸くなった琥珀の瞳をルイが覗き込む。


「思い当たる行為はそれしかありません」

「い、いや、だが……」


 逃げるように体を引くディオンの胸に白い指が触れる。


「キスだけでこれだけ模様が縮むなら……もっとしたら、どうなるのでしょう?」


 色香を含んだルイの声音にディオンの顔が沸騰したように赤くなる。


「するな! しなくていい!」


 慌てるディオンの胸を白い指の腹で優しく撫でながら蒼玉の瞳が細くなる。


「そうですね。続きは、また今度……」


 事切れたように白髪がバタンと倒れた。

 突然のことにディオンが慌ててルイの体を抱き上げる。


「おい、しっかりしろ!」


 大きく胸が上下してしっかり呼吸をする。

 そのことにディオンは安堵した。


「……よかった」


 逞しい腕の中で気絶しているルイの表情はどこか笑っているようにも見えた。



~※~



 少年は幼い頃より物事への興味や執着がなかった。

 常に淡々としていて、勉強も運動も魔法も少し習っただけで人の倍以上できる。その度に大人たちから驚かれ、天才だともてはやされ、生きることに飽きていた。


 それが、魔獣の襲来で一変した。


 その時に助けられた騎士に一目惚れした少年は青年となり、自分の代わりに呪いを受けた騎士の解呪に奮闘する日々。



 そして、ルイは今日も今日とてディオンの呪いを解くべく奇行を重ねていた――――――



 ある日の夕方、騎士宿舎に大量の虫の標本が届いた。

 差出人は社交界で大注目されている侯爵家の跡継ぎであるルイ・セリノフォト。つまり、この標本はディオン宛てということになる。


「いや、これどうしろっていうんだ?」


 ディオンが赤茶の髪をかきむしっていると、耳慣れた低い声が近づいてきた。


「届きましたか」

「平然な顔して、届きましたか、じゃねぇよ! どういうつもりだ!? 新手の嫌がらせか!?」

「いえ、宝石や装飾品(アクセサリー)には興味がないと思いまして」


 想定外の言葉にディオンの勢いが削がれる。


「たしかに宝石には興味ないな」

「ですので、貴重な虫の収集物(コレクション)贈り(プレゼント)ました」

「俺はガキじゃねぇ!」


 たしかに子どもの頃は虫取りに夢中になって採集していた時期もある。だが、今はそんな年齢ではないし、虫を見て楽しむ趣味もない。

 そんなディオンの考えなど気づいていないのか、ルイが蒼玉の瞳を細めて訊ねた。


「で、恋をしましたか?」


 粉雪のような白髪を揺らして浮かべる極上の微笑み。

 その美麗さは女性だけでなく、男も虜にする破壊力があり、これで指輪を差し出されていればすべての人が頷き、はいと答えていただろう。

 ただ、そこにあるのは大量の虫の標本で。


「しねぇよ!」


 断言したディオンにルイが眉尻をさげながらもどこか嬉しそうに口元を緩め、さりげなくディオンに身を寄せた。

 逞しい腰に腕を絡め、厚い胸板の感触が伝わるほど体を密着させる。そのまま、甘えるように赤茶の髪に鼻を埋めればスモーキーな香りがルイの心を満たしていく。


 少し前まではこれだけ近づく前にディオンは逃げていた。

 それが、最近は肌が触れる距離まで近づくことを許されるようになり、お互いの温もりを感じられるように。


 ルイがそのことに喜びを感じていると、ディオンがおずおずと訊ねた。


「どうした? 何かあったのか?」


 目元を少しだけ赤くして見上げてくる琥珀の瞳にはどことなく艶っぽく、ルイの性欲を刺激するには十分で。


「恋をしなかったなら、キス以上のことを……」


 誘うような甘い声をディオンがスッパリと切る。


「絶対、しないからな!」


 そう断言しながらも、どこか恥ずかしそうな顔はあともう一押しという雰囲気で。


 そんな二人のやり取りを運悪く見てしまった騎士隊員たちが砂を吐いていた。他所でやれ! と言いたいがルイが騎士隊に多額の寄付をしているため、下手に注意することもできず。

 何も見なかったことにして、そそくさと立ち去る騎士隊員たち。



 ディオンの呪いが解ける日はそう遠くなさそうだ。



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