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第一章:第七話 再会⑤

 小春は徳川の陣を目指した。月は高く、木々を白く照らしていた。夜風は弱く、木々の葉が微かに鳴る。

 ぽん、と軽い音がした。鞠がふわりと上がり、月明かりをかすめる。義元が一人で蹴鞠をしていた。灯も持たず、ただ月の下で。

 鞠は静かに宙を舞い、また彼の足元へ戻る。


「そち、我の蹴鞠る様を見に来たのかの?」

「え。あー、そうです……」


 断れずに頷くと、義元は目を輝かせて鞠を蹴った。


「そうかそうか。では、雅に蹴鞠って見せるの」


 妙なのに捕まってしまった。しかし逆らうわけにもいかず、小春は静かに義元が蹴鞠るのを眺めていた。


「ほんと蹴鞠が好きなんだね」


 昼間戦をしていた総大将とは思えないのほほんとした雰囲気に小春は呆れた。


「ねぇ。今日の戦はどうだったの?」

「戦は嫌いじゃ。そんな話……したくないの」

「じゃあ、戦やめればいいじゃん」

「……戦をやめればよい、か」


  義元がふいに鞠を軽く受け止めた。月明かりの中で、鞠が静かに止まる。


「そちは優しいの」

 

 くすっと笑い、小春を見る。


「だがな、戦は“起こす”ものではない。止められぬものよ」


 声が、少し低い。小春は思わず息を呑んだ。いつもの柔らかな義元とは、どこか違う。

 夜の空気が、ゆっくりと重くなる。まるで見えぬものに押されるような圧迫感があった。


「戦をやめるわけにはいかぬ。乱世を鎮めるには、誰かが勝たねばならぬのじゃ」


 鞠が夜気を裂いて宙へ上がる。ぽん。白い月の下で、弧を描く。


「人は弱い。群れれば争い、散れば滅ぶ。ゆえに――強き者のもとに集わせるしかない」


 義元は小春に背を向けた。表情は見えない。だが、その背中はどこか遠く――まるで別の人間のように感じられた。空気が、微かに震えている。 


「我はな、争いが好きなのではない。争いを終わらせるために……我は勝つ」


 そこにいたのは、いつもののほほんとした義元ではない。今川家を背負う、戦国大名だった。

 鞠が落ちてくる。義元はそれを軽く受け、また空へ返した。


「我が勝てば、この乱世も少しは静かになろうて」


 鞠はまた、夜空へと舞い上がる。その姿はどこまでも優雅で、戦を前にした男には見えなかった。


「義元……?」


 恐る恐る名前を呼ぶ。振り向いた義元の顔には、いつものにこやかな笑みが浮かんでいた。


「我が負けることはない。まだ、時は我にある」


 ぽん。また鞠が夜へ上がる。小春はその軌道を目で追い、落ちてくる鞠を軽く受け止める。


「……嘘つき」


 ぽつりと呟いて、鞠を義元へ返した。


「義元、戦の話したじゃん」


 義元が一瞬、目を瞬かせる。だがすぐに、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。


「おや、そうであったかの」

「そうだよ」


 小春は笑う。


「でもさ」


 鞠をぽん、と蹴り上げる。


「戦が嫌いって言ったの、本当でしょ?」


 夜空に上がった鞠が、月の前を横切る。義元はそれを見上げたまま、何も答えない。


「それでいいと思うよ」


 小春は言う。


「戦が好きな人が天下取ったら、ずっと戦になるじゃん」


 鞠が落ちてくる。義元が静かに受け止める。小春はくすっと笑った。


「だから義元は向いてると思う。天下人」


 義元は、ほんのわずかに目を細めた。義元が最後に蹴った鞠。それが夜の空気を裂いて、小春の足元に転がる。それを拾い、少し考えてから、義元に向かって軽く蹴り返す。

 義元は受け止める。少し驚いた顔をしたが、でもすぐ笑う。


「ほう……そち、蹴鞠ができるかの」

「少しだけ」

「では覚えておくがよい」


 義元はいつものように笑みを浮かべている。だがその目の奥には、静かな重みがあった。


「蹴鞠とはの、落とさぬように繋ぐものじゃ」


 義元は空を見ながら言う。


「国も同じよ。誰か一人が持つものではない。次へ、次へと渡していくものじゃ」


 そして軽く鞠を蹴る。


「落とせば終わる。だから皆、必死で蹴るのじゃ」


 再び足元に転がってきた鞠を小春は拾う。その時、義元が言った。


「それは、そちに預けよう」

「え?」

「我が持っておるより、そちのほうが似合うておる」

「でも、これ義元のじゃ……」


 義元は空を見上げる。月。そして静かに言う。


「いずれ分かる」


 いつもの調子で。深い意味などないように。

 義元はまた空へ鞠を蹴り上げた。高く、高く――月へ届きそうなほど高く。そんな義元を見て、のほほんとしたこの雅な男は、実は顔に似合わず恐ろしい者なのかもしれないと小春は思った。


「そち、もう遅いから帰られよ。我はまだしばらくここで蹴鞠るの」


 小春は無意識に夜空を見上げる。月は静かに輝いていた。まるで、この先に起こることなど知らないかのように。

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