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第一章:第三十一話 覚悟

 陣の端には利家と慶次がいた。勝手にいなくなったことを謝らなければと二人に近づく。

 声をかけるのを躊躇っていると、慶次が小春に気づき、軽く手をあげた。


「無事だったかい、小春」

「う、うん……」

「姿が見えないから心配したぜ」

「勝手に動き回るなよ。慶次がついてる意味がねえ」

「ごめんなさい……」


 その時だった。周囲の空気が、ふっと静まる。ざわついていた兵の声が、波が引くように遠のいた。

 小春は振り向く。そこに、信長が立っていた。


「利家」


 短く名を呼ぶ。


「戻れ」


 それだけだった。だが、その一言で全てが決まった。

 利家は深く頭を下げる。


「はっ」


 顔を上げた利家の視線が、小春へ向く。

 そして、ふっと口元を緩めた。


「ほらな」


 利家は肩をすくめた。


「言ったろ。殿は見てるって」


 小春は少しだけ笑った。


「最初から分かってたよ」


 利家が一瞬きょとんとする。

 そして――吹き出した。


「お前、可愛げねぇな」


 その声は、どこか楽しそうだった。

 その時、信長がもう一度口を開いた。


「前田家の家督は、うぬに継がせる」


 一瞬、空気が止まる。

 利家も慶次も、返事が遅れた。


「……前田家は、慶次が継ぐはずの家です」


 利家がそう言うと、信長はわずかに眉を動かす。


「聞こえなかったか」


 静かな声だった。


「前田家は利家が継げ」


 それだけ言うと、信長はもう興味を失ったように踵を返す。誰も止めない。命令は、すでに下されたのだから。

 信長の背が遠ざかる。しばらく誰も口を開かなかった。


「……おめでとう、叔父御」


 先に口を開いたのは慶次だった。

 いつものように笑っている。

 だがその笑顔を見て、小春はほんの少しだけ胸がざわついた。

 利家が小さく息を吐く。


「……悪りぃな」


 その声は低く、いつもより少しだけ重かった。


「俺は気楽な方が性に合ってる」


 慶次は笑う。


「前田家当主なんざ肩が凝る。はなから願い下げだ」


 小春は、ふと視線を落とす。

 さっきまで軽口を叩いていた空気が、ほんの少しだけ変わっている気がした。

 胸の奥に、言葉にならない引っかかりが残る。小春はそっと踵を返した。


「ちょっと用事、思い出した」


 誰に言うでもなく呟き、その場を離れる。


 小春は信長のいる天幕を訪れた。


「信長、お邪魔するよ?」


 断りをいれて中に入ると、彼はそこにいた。


「ねぇ、さっきの前田家の家督の話だけど……」

「うぬは利家の当主に反対か?」

「そうじゃないけど、もともと当主は慶次だったんでしょ?ちゃんと二人の気持ちを聞いた?相手の気持ちを無視してるようじゃダメなんだからね」

「……そうか」


 その返答からして小春の言うことを聞く気はないようだ。


「あんたって子は……」

「立っている者を選んだ。此度の利家の働き、見事であった。ゆえに褒美として家督を継ぐように命じた」

「慶次は見事じゃなかったって?」

「慶次は途中で前線から退いた。戦どころではなくなっていたようだが……何か理由を知っておるか?」

「さあ?何も知らな――」


 言いかけて、ふと思い出す。慶次が小春を探していたことを。

 戦どころではなくなっていたのは、小春を探し回っていたため。だから前線から退いた。


「慶次の働きはいつも見事よ。だが此度の利家の働きはさらに見事。前田家の家督を継がせたいほどに……な」


 信長にそう思わせるほど、利家は活躍したのだろう。逆に慶次は前線から退いて、いつもどおりの力を発揮できなかった。そこが信長の評価に影響を与えたのかもしれない。

 だけど、慶次に前線を退く選択をさせたのは――


「私の、せい……?」


 もし、小春がいなければ。

 慶次は戦場を離れなかったかもしれない。

 利家がここまで目立つこともなかったかもしれない。

 そして、信長が家督を利家に継がせようと思うことも――


 利家の言うとおり、信長は“見ていた”んだ。

 誰が立っているか。誰が情に流されたか。誰が家督を背負うに相応しいか――


 頭をフル回転させて記憶を思い起こす。戦国時代に関わるまで、詳しく歴史を知らなかった小春は、織田信長の辿った道と歴史の節目になるような戦ぐらいしか知らない。


 それでも覚えていることがある。

 前田家の当主は――利家。そして後に、豊臣政権を支える大大名となる。

 秀吉の死後、利家は諸大名の抑え役となり――その死をきっかけに均衡が崩れ、やがて関ヶ原へ。


 そこまでは知っていた。だが、どうして利家が家督を継いだのか。そこまでは、考えたことがなかった。

 確か、慶次は養子だったはずだ。兄に実子がおらず、身体も弱かった。だから利家が家督を継いだ。そう、思っていた。けれど。


 小春の身体が震える。歴史は、変わっていない。利家が前田家を継ぐ未来も、変わっていない。

 それでも――理由が違う。本当なら、別の形で決まったはずのことが。自分のせいで動いてしまった。


 利家の人生も。

 慶次の人生も。

 ――自分が、触れてしまった。 


 信長が、小春を見下ろしていた。


「うぬは何を恐れておる?」


 不意に問われ、小春は顔を上げた。


「え?」

「顔に書いてある」


 信長は腕を組む。


「利家の家督が気に入らぬのではあるまい」


 小春の胸がどきりと鳴る。


「うぬが恐れておるのは――」


 信長は静かに言った。


「己が何かを変えてしまった、ということだろう」


 小春は言葉を失った。

 信長は、ふっと笑う。


「くだらぬ」


 あまりにあっさりと言う。


「え……?」

「この世とはそういうものだ」


 信長は淡々と言う。


「人が動き、情が絡み、結果が変わる」

「それを戦と呼ぶ」


 小春をまっすぐ見た。


「それを恐れておるなら、泰平など見ておれぬ」

「それとも」


 信長の目が、わずかに鋭くなる。


「うぬは己を、そこまで大きな存在だと思うておるのか?」


 小春はゆっくり息を吐いた。胸の奥の重さが、ほんの少しだけ軽くなる。

 そして天幕を飛び出して利家と慶次を探した。


「利家!慶次!」


 帰り支度をしていた二人を見つけ、小春は叫んだ。


「私、もっと強くなりたいっ。強くなるから……」


 信長は小春が戦場に立つことを望んだ。自分の言うことを絶対に聞かせたい信長だが、それでも本気で嫌だ無理だと拒むことはできたはずなのに。なんとなく流れで参戦した。


 甘かった。軽く見ていた。

 皆、必死なのに。


 その結果が今回だ。戦場に立つ以上、怯えて震えている場合ではない。覚悟を決めなければならなかったのだ。


 それでも敵とはいえ人を殺したくない。殺されたくもない。でも、せめて自分の足でしっかり立っていられるように。強くならなければ。


「だから……また稽古、お願いします」


 怖い。怖いけれど。それでも。目を逸らしていい理由にはならない。

 この時代で出会ってしまった人たちを、見なかったことにはできないのだから。


「大した覚悟だぜ、お姫さん」


 頭を下げた小春に、慶次の声が降ってくる。


「今回みたいなのは二度とごめんだぜ」

「ああ。みっちりしごいてやるから覚悟しやがれ。立派な武将に育ててやるからよ」

「うん……っ!」


 覚悟を決め、その意思を伝えた小春に、三人は決意を改める。その空気を壊したのは妖艶な声だった。


「武の稽古もいいけど、こっちの稽古も始めないとね」

「うわっ。濃姫……!勝家まで一緒にどうしたの?」

「小春の珍妙な服は、洗って干してある」

「わあ、ありがとう」

「後ほどほつれを直すとしよう」

「ほんと助かる、勝家!」

「なに言ってるの、小春。あなたが直すのよ」


 当然だ、と言うような顔をする濃姫と勝家は、さらに続ける。


「勝家に裁縫を習いなさい。料理も一通り作れるようになること。いいわね?」

「お主を織田の名に恥じぬ立派な姫に育て上げる。覚悟せい!」

「うえぇ……それはご遠慮願いたい……」

「戦より大変そう……」


 苦々しい顔をした小春を見て、皆に笑いが巻き起こった。

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