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第一章:第二十六話 笑う軍師

 半兵衛に手を引かれて連れてこられたのは、どうやら陣中らしい。彼の話では近くに住む民は避難していて、小春も安全な場所に案内してくれると言っていたが……民を陣に保護しているのだろうか。


「半兵衛。どこへ行っていた」

「あ、官兵衛殿」


 上から下まで黒ずくめの男が、二人の前に立っていた。

 血の気のない白い肌。冷たい顔立ちなのに、どこか美しさを感じさせる。


「サボっていたのではないな?」

「やだな。ちゃんと働いてたよ。敵情視察」

「なんだ、その娘は」


 官兵衛と呼ばれた男は、小春に視線を向ける。


「敵の情報ではなく女を手に入れたのか」

「そうそう。捕虜にできそうな敵を探してたら未来の奥さん捕まえてきちゃった。……冗談だよ、官兵衛殿。睨まないで」

「お前の冗談に付き合っている場合ではない。戦が始まった」

「大丈夫、大丈夫」


 そう言い、半兵衛は小春を振り向く。


「あ、この陰険軍師は、小寺に仕える黒田官兵衛。見かけによらず優しいよ。で、官兵衛殿。この女の子は戦場の茂みでうずくまってたんだ。名前は……小春」

「小春だと……?」


 官兵衛の反応は、まるで小春の名前を知っているようだった。それを見て半兵衛は笑みを浮かべる。


「官兵衛殿も知ってるとおり、彼女は――織田の者だよ」


 びくりと身体が震える。半兵衛は、最初から小春のことを知っていた。知っててここへ連れてきたのだ。


「ね?ただサボってたわけじゃないでしょ?」

「……敵情視察ではなかったのか?」

「そうなんだけど、敵情視察も兼ねて茂みで寝ころがってたら戦が始まったんだよ。まあ、そのおかげでこの子を手に入れられたんだからいいじゃん」


 そして半兵衛は小春を振り向く。


「戦場で知らない人について行っちゃダメだよ。戦場じゃなくてもだけど」

「あ、あなた……嘘ついて……安全な場所に案内するって……」

「ここ安全な場所だよ。君がいたとこよりはね。だから安心して?」

「ちっとも安心できない……」

「まあとりあえずさ……服、脱いでよ」


 可愛らしい顔で半兵衛はとんでもないことを口にした。


「……は、え……っ!?」

「半兵衛……今は戦中だ。そういうことなら後にしろ」


 官兵衛が呆れ顔で溜め息を吐く。


「あ、官兵衛殿も小春も勘違いしてる。俺がそんなことするわけないじゃん」


 ムッとした半兵衛は小春の服を指差す。


「君の服、血と泥で汚れてるから着替えた方がいいんじゃないかと思って。また気持ち悪くなって吐いちゃっても知らないよ」


 嘔吐しているのを半兵衛に見られていたのだと気づいた。羞恥に何も言えずにいる小春の手を引いて、半兵衛は天幕に入っていく。


「えーと、確かこの辺にあったかな……」


 荷物をガサガサする半兵衛の後ろ姿に、小春は声をかけた。


「あの、半兵衛。私のこと知ってたの?」

「間者からの情報でね。最近織田に新しい顔が増えたって。光秀殿も加わったらしいね」

「光秀のことも知ってるの?」

「彼は元々斎藤に仕えてたんだよ。姫様の従兄で優秀な人だから、敵に回したくなかったんだけど。光秀殿だけじゃなく、ここ最近斎藤から家臣が離れていってるんだ。もう斎藤も終わりかなぁ」

「それでも、斎藤のために戦うんだね」

「まあ……俺、斎藤の軍師だからね。……あ、あった」


 立ち上がり、振り返った半兵衛の手には淡いピンクの着物があった。


「俺さ、前に龍興様から稲葉山城を奪ったことがあるんだよね。その時にこれ着て潜り込んだんだ。もう女装することないかなって思ってたんだけど、捨てないでよかった。これ着てよ」

「あ、ありがとう……」

「外にいるから、着替え終わったら声かけてよ」

「……私のこと見張らなくていいの?」

「俺、自信あるんだよね。君は逃げたりしないって」


 笑みを浮かべ、半兵衛は天幕から出ていった。


「……ばーか」


 隙さえあれば、逃げるに決まっている。半兵衛から受け取った着物に着替え、脱いだ服をたたむと、それを抱えて外を覗く。……誰もいない。天幕から出て辺りを見回すが、人っ子一人いない。

 理由はわからないが、チャンスではないだろうか。


「ばいばい、半兵衛」


 そう呟き、小春は陣を脱け出そうとしたが――


「ばいばい、なんて寂しいこと言わないでよ~」


 そんな声がしたと思った瞬間――小春は後ろから抱きしめられた。誰かは予想がつく。姿が見えなかったはずの、半兵衛だ。


「残念だなぁ。君は逃げたりしないって自信あったのに。まあそれは、俺が逃げられなくするからなんだけど」


 ぎゅーっと抱きしめてくる半兵衛が耳元で笑う。


「に、逃げないから……離してほしいんだけど……」

「ほんと?俺が手を離した瞬間、逃げちゃったりして」

「逃げないっ。本当に逃げないから!」


 半兵衛がパッと手を離して、小春は彼と向き合う。


「困るんだよね。君さ、自分の立場わかってる?織田の者が一人で敵陣にいるんだよ?味方は誰もいないし、助けも来ない。そんな状況で俺から逃げられると思った?」


 にっこりと笑う半兵衛が怖い。


「ぜ、全然思ってない――」

「ほんと?」

「……っ、すみません。本当は少しだけ逃げられるかもと思いました」

「君、正直だなぁ」


 半兵衛は吹き出し、小春の頭を撫でた。


「ごめん、ごめん。でも逃げ出すにしても、その顔で?頬に血がついてるよ」

「――半兵衛」


 冷ややかな声がしたと思ったら、水の入った桶と布巾を持った官兵衛がそこにいた。


「戯れは戦が終わってからにしろ」

「違うよ、官兵衛殿。怖がらせたから、頭撫でただけ」

「抱擁していた者が何を言う」

「見てたんだ……。あれは小春が逃げようとしたから捕まえただけだよ。ていうか、官兵衛殿。抱擁って、愛情を込めて抱きしめる意味だからね?いろいろと誤解が……」

「そんなことより、早く顔を拭いてやれ」


 官兵衛が半兵衛に向かって布巾を投げて寄越す。それを器用に受け取り、半兵衛は桶に張った水で濡らして小春の頬を撫でる。


「い、いいよっ。自分でできるし……っ」

「自分で自分の顔見れないでしょ?拭いてあげるから。年上の言うことは聞くこと」

「年上って……私と半兵衛、あんまり年変わらないと思うんだけど」

「こう見えて俺、官兵衛殿より歳上だよ」


 目の前の可愛らしい容姿の青年が、横に立つ男より年上には見えないが、彼が言うのだからそうなんだろうと特に突っ込みもせず流す。


「あんまり驚かないんだね、小春」

「え?まあ、びっくりではあるけど半兵衛が言うならそうなんだなって……」

「人を見た目で判断しないんだ。えらい、えらい」


 半兵衛は嬉しそうに小春の頭を撫でた。


「半兵衛……」

「あ、これは褒める行為。戯れじゃないから」


 呆れ顔の官兵衛に半兵衛が弁解していると、一人の兵が陣中に飛び込んできた。


「申し上げます!墨保に一夜城が完成!味方の士気が下がっています!」

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