第一章:第二十五話 血の洗礼
着物を脱ぎ、小春はみんなが言う“珍妙な服"に着替えた。脚を出す短いズボンに、薄い上着。着物に慣れてきたとはいえ、やはりこちらの方が動きやすい。
「そんな薄着で大丈夫なのかい?」
陣の奥から出てきた小春を見て、慶次が驚く。
「鎧はどうしたんだ?」
「重いとかえって動けないもん。こっちの方が動きやすいの」
「おい、小春。これ」
準備を整えた小春に、利家は腰の刀を抜くと、何でもないことのように小春へ差し出した。
「うえっ……本物!?」
「当たり前だろ。木刀で戦えると思ってるのか」
「いや、それは思ってないけど……本当に戦わなきゃいけないんだね……」
「叔父御。小春のお守りは任せてもらおうか」
「おう!俺は信長様にまだ許されたわけじゃないからな。小春のことはお前に任せたぜ、慶次」
――帰参を許されていないのに、戦にはしっかり参加するらしい。
「信長様はな、倒れてる奴は拾わねぇ。立ってる奴を前に出す御方だ」
周囲では兵たちが鎧を締め、槍を担ぎ、慌ただしく行き交っている。その音を聞いていると、さっき渡された刀の重みがやけに現実味を帯びてきた。
不安そうな顔をする小春に、利家が言う。
「……ほら、慶次も付いてるし、いつものようにやりゃあ大丈夫だ」
そう言って、ぽんと軽く小春の肩を叩いた。
「うん……そっか、そうだよね」
慶次が肩をすくめる。
「普段は知らぬ顔してるがな」
小春が首を傾げる。
「昔は叔父御、信長様のお気に入りだったんだぜ」
「お気に入り?」
慶次は少しだけ考えるような顔をして、にやりと笑った。
「まあ……そういう意味でな」
「そういう意味?」
「仲良いっていうか……まあ、いろいろだ」
「いろいろ?」
慶次は声を潜めるでもなく言った。
「男色ってやつだ」
小春は目を丸くした。
「え!?そういう意味の仲!?」
慶次が腹を抱えて笑う。
「珍しくねえよ。武士の世界じゃ割と普通だ」
「へぇ……」
小春は妙に感心してしまった。
利家が眉をしかめる。
「慶次、余計なこと言うな」
「いいじゃねぇか」
慶次は笑いながら肩をすくめる。
小春は少し考えてから、こくりと頷いた。
(なるほど)
だから利家は、あそこまで信長を信じているのかもしれない。
知らぬ顔をしていても、見ていないわけではない。
倒れた者は拾わない。だが、立ち続ける者は決して見逃さない。
――織田信長とは、そういう人なのだ。
小春は手の中の刀を見つめた。
ずしりと重い。だが、不思議と怖さはさっきより薄れている。
――いつもの特訓と同じだ。
相手が誰であれ、やることは変わらない。利家と慶次を相手にしてきたのだ。なんとかなるだろう。
そう思いながら、小春は慶次と共に陣を出た。
――正直、甘く見ていた。
「さて、派手に舞うか!」
「え、あ、うん……っ」
慶次がそう声をあげて走り出すのと一緒に、小春も駆けた。
目の前から、武装した兵の群れが迫ってくる。その手にそれぞれ刀や槍が握られていることに気づき、思わず足が止まる。引き返したかったが、それは叶わなかった。
横からも後ろからも武装した味方が迫ってくる。彼らは足を止める小春を追い越していき、向かってくる軍勢に突撃した。刹那、刃が交わる激しい音があちこちでする。それを小春はどこか遠くの出来事のように聞いていた。やがて一人、また一人と倒れていく。鉄の臭いが鼻を掠め、小春は我に返った。
倒れた者は皆、身体から血を流していた。斬られている――
目の前で繰り広げられる光景に立ちすくむ小春に、一人の兵が刀を構えて近づいてきた。刀を振り上げる相手を見て、とっさに身体が反応した。振り下ろされた刀を小春も刀で受け止める。いつも利家とやっている流れだ。稽古は身体に染み付いていたらしく、難なく受け止めることができた。
しかし、違ったのはこの後だ。刀を交えたまま、じりじりと兵が迫ってきた――押されている。おかしい。いつもならそのまま睨み合いが続くのに、力が入らない。
――違う。いつものあれは稽古であり、利家も慶次も小春に合わせて手加減していたのだ。
それが今、ようやく分かった。
「小春っ」
腕が限界だ。そのまま押し切られると覚悟した瞬間、慶次が小春を呼びながら走ってきた。そして――
「……え……?」
慶次の刀が、兵を貫く。刃は鎧の隙間から深く突き刺さった。そのまま横に薙ぎ払い、兵の身体は鮮血を吹き出しながら飛んで地面に倒れた。
小春の顔や服に血が飛び散った。辺りは鉄の臭いが酷くて気持ち悪いぐらいなのに、誰ひとり気にも止めていない。慶次の刀には血がべったり付いているが、当の本人は平然としていた。頭がくらくらする。吐き気が波のように押し寄せてきた。
「小春!?」
限界だ。堪えきれずに吐き出す。口に広がる気持ち悪さと喉の違和感にむせて咳き込み、小春はその場に膝をついた。
「おいおい、大丈夫か!?」
慶次が声をかけるが、えずくのを止められない。そんな小春を抱きかかえ、慶次は茂みに隠れた。
「大丈夫かい?」
慶次が背中をさすってくれるが、またえずく。目から涙が流れた。
「しばらく休みな。後で迎えに来る」
「……ッ、嫌!」
その場を離れようとした慶次の服を、小春は思わず掴んだ。こんなところに一人置いていかないでほしい。
「やはり、お姫さんには荷が重すぎたかねえ……」
やれやれ、と慶次は自身の服を掴む小春の手を離させる。
「――そこでじっとしてな」
「っ、慶次……!」
茂みを飛び越え、慶次は戦の中に戻って行った。
刃を交え合う音、人々の叫び声、鉄の臭い――それらを感じながら、小春はその場にうずくまった。
戦を甘く見ていた。戦うなんて嫌だな。怖いな。くらいにしか思っていなかった。怖いどころではない、地獄だ。この時代の人にとって、これが普通で日常茶飯事なんだ。平和でのほほんと生活してきた自分には想像もできないことだった。
「ねえ。そこの人」
不意に声をかけられ、背筋に寒気が走る。敵かと振り返れば、中性的であどけない顔立ちの青年がそこにいた。
「あー、女の子か……首でも取って手柄にしようかと思ったんだけど」
見かけない顔だ。織田の者ではないようだが……だとしたら敵兵ということになる。
「戦場に取り残されちゃうなんて、災難だね」
「あ……あなたは、違うの……?」
「俺?俺はこう見えても武将だよ。逃げ遅れたわけじゃないから」
明るい声、にっこり笑う彼を見ていると、ここが戦場だと忘れてしまいそうになる。
「近くの民はみんな避難してるよ。よかったら俺が安全な場所まで案内しようか?」
青年は小春に手を差し出す。見知らぬ、敵かもしれない彼だが、小春を民だと思っているらしい。保護してくれると言っているし、何よりこの血なまぐさい場所から早く離れたかった。
「とりあえずさ、名前教えてよ」
「……小春です」
「へえ……小春ね。俺は竹中半兵衛。よろしく」
半兵衛の手を取った小春に、彼は人懐っこい笑みを見せる。
「よし。それじゃあ行こっか。……安全な場所へ」
半兵衛の口元に浮かんだ含み笑いに、小春は気づかなかった。




