第一章:第二十一話 運命への反逆
走りながら、小春は決意を固めた。信長と長政の決裂を止める。運命を――変える。
長政の生死を歪めてしまうことになるが、義元の時とは事情が違う。長政が生きても誰も不幸にならない。むしろ歴史どおりになった方が信長も困るし市も悲しむ。長政が生きる未来が実現したら、幸せは続く。それに……
「やっぱり私は、みんなに――二人に笑顔でいてほしい」
光秀は言っていた。ここに存在する時点で、すでに存在しない者ではないと。小春は今、確かにここで生きているのだから。それなら今を大切にしよう、そのために行動しようと決めた。
信長と長政が決裂したきっかけは、朝倉家を攻めないと約束していたのに、それを破って朝倉家に攻め入ったからだ。
信長の性格を考えると、上洛に従わない朝倉を攻めないなんてことはない。止めるのは難しい。それなら、長政だ。寝返らないように、彼を見ていればいい。信長を討つ考えがよぎらないように、言葉をかければいい。
ただ小春はずっと小谷城にいるわけにはいかない。誰かに協力を仰ぎたいところだが……
一番に浮かんだのは、先ほど知り合った大谷吉継。不穏な何かを察知していたし、頭も良さそうで話が通じそうだ。しかし彼は秀吉の家臣で、秀吉から市のことを頼まれている。
そんな吉継に協力を求めると、秀吉に伝わる可能性がある。豊臣秀吉は歴史に名を残す。そんな者にこちらの事情を知られては、小春のことが歴史に残り、未来に伝わるかもしれない。それでは小春が未来に戻った時、おかしなことになる。
運命を変えるにしても、それで泰平の世を目指す妨げになってはいけない。歴史どおりなら泰平の世は訪れることが決まっている。ならばその未来は変えずに、それまでの辿る道を変えて泰平の世を築くのが理想だ。
「取るに足らない身分の下っ端中の下っ端、歴史に名前を残さないような存在してたのかすらわからない人がいいね。そういう人だと歴史を気にせず行動できるし」
誰かいないかと歩き回っていると、木陰で座っている一人の人物がいた。錫色の髪に涼やかな切れ目。精悍で凛々しい雰囲気の男だった。
「誰だ、あんた?」
見ていると、男は小春に気づいて顔を上げた。
「私は小春。織田信長の、娘だよ」
「姫様でしたか、それはご無礼を……!」
「うわっ。いいから、頭上げて!」
「いえ、私は一介の士に過ぎません。手ぬぐいのような使い捨ての下級武士ですので」
「使い捨てって……自分を卑下しすぎだよ」
平伏する彼を慌てて止める。下級武士、ということは彼は浅井家臣の中でも下っ端だ。いきなり求めていた人材を見つけてしまった。ここで会ったのも運命だと思い、小春は話を持ち掛けた。
「それより、あなたに折り入って頼みたいことがあるんだけど」
「手ぬぐいのような私にですか……?」
「だから自分を卑下しすぎ。下級武士だからいいの。あなたにしか頼めないこと。他言無用、内密にお願いね」
「私にできることがあれば、何なりと力になります。それで、その内容とは……?」
「うん。私ね……未来から来たの」
言った瞬間、男は不審げに目を細めて小春を見た。
「……あれ。信じてない?」
「当たり前です」
男が即答する。やはり突然はまずかったか。
「冗談ならその辺にして頂きたいのですが」
「もう、冗談でこんな話しないよ」
「仮に今の話が真実だとして、信じる証拠は?」
「証拠……か……」
証明できそうな物は清洲城に置いてきた。こんなことならスマートフォンだけでも持ち歩いておけばよかった。
めげずに小春は続きを話す。夜の虹のこと。時空を超えたこと。自分の身に起きた今までの経緯を説明した。
「……信じられんな」
一通り話を聞き終えた男は一言そう言った。
「本当か?」
「こんな嘘つかないよ」
「まあ、あんたが俺に嘘をついても得することはないわけだが……どうした?」
「いや、敬語じゃなくなったと思って。一人称も俺になったし。あ、全然いいんだけどね。敬語遣われるの慣れないから」
「未来から来たという話が本当なら、あんたは織田の姫じゃないだろ。長政様とお市様の姪でもない。偽りの姫を敬う必要があるか?」
「ううん、そうだね。自然体で接してくれる方がいい」
「それで?話が逸れたが、俺に頼みってのは?その未来から来たという話と関係あるのか?」
そして小春は本題である長政のことを彼に話す。
「長政様を見張るだと?」
「彼が変な気を起こしそうになったら、止めてほしいの」
「何を言っている」
「未来では、歴史がそう伝わってる。信長と長政は決裂するの」
「あり得んな。お市様を娶って幸せ絶頂な長政様が織田に反旗を翻すなど」
微塵も信じていないらしい彼は、重要なことを口にする。
「そもそも俺程度の低い身分の者が、長政様に意見具申できる立場にない」
「あ、そうか。そうだよね……人選間違ったかな。取るに足らない身分の下っ端中の下っ端でいるのかいないのかわからない存在の手ぬぐいみたいな使い捨ての下級武士の言葉に、長政が聞く耳持つはずないか」
「おい、そこまで言うな」
「え?自分で手ぬぐいみたいな使い捨ての下級武士だって言ったじゃん」
「それは言ったが、そこまでは言っていない。……俺は必ずのし上がる」
そして男は一度だけ、小春の目をまっすぐ見た。
「……仕方ない、手を貸してやる」
「ほんと!?」
「だが、俺はあんたの話を信じたわけじゃない。未来から来たとか長政様が織田に反旗を翻すとか、正直あんたが俺をからかっているか、でなければ異常者だと思っている。すべては俺自身の目で見て判断する。まあ、何かあったら報せてやらんこともない。あんたが長政様とお市様を思う気持ちは本当のようだからな」
「うん、十分だよ。話し聞いてくれてありがとね。とりあえずよろしく」
小春は笑顔で男に言う。
「下級武士の俺に何ができるかってことだがな」
「のし上がるんじゃなかったの?まあ、個人的にはそのまま下級武士でいてくれた方がいいんだけど」
「なぜだ?」
「歴史に名前が残らないじゃん。だから実はこんなすごいことやってました、ってことも、未来には伝わらないから。その方が都合いいし」
「あんた……見てろ、俺は必ず――」
「のし上がる、でしょ。いろいろ期待してるよ」
「そのつもりだ。――期待していろ」
不敵な笑みを見せる彼に向かって、小春も笑みを浮かべる。
――この時、小春はまだ知らない。
目の前にいるこの下級武士が、後に戦国大名・藤堂高虎と呼ばれる男になることを。




