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第一章:第二十話 祝言の影

 市の輿入れする日が決まった。嫁迎えの儀も終わり、出立の朝。行列式に同行するよう信長から命じられた小春は準備を整えて出発した。

 尾張から近江は遠い。嫁げば、次にいつ会えるかもわからない。最後の見送りはしたいと思っていた小春は信長の話を受けた。きっと話がなくても、ついて行きたいと自分から言ったかもしれない。

 門火を焚いて送り出されてから数日が経った。無事に小谷城に到着し、婚礼の儀が執り行われる。


「市。おめでとう」

「ありがとうございます、小春」

「長政様って、すごく素敵な人だね」


 白無垢を着た市は、眩しいほど綺麗だった。彼女の隣に座る浅井長政は、優しく誠実さが滲む顔立ちで、まるでおとぎ話に登場する王子様のようなかっこいい男だった。


「私も長政様みたいな人と結婚したいなぁ」

「小春もいつか良い方と巡り会えますよ」

「あはは……私は高望みできるような見た目じゃないから」

「そんなことはないぞ」


 話が聞こえたのか、長政が小春と市の会話に参加する。


「小春も十分可愛らしいと私は思う。なんといっても市の姪だからな」

「そうですね。お兄様とお義姉様の娘ですもの。きっと小春の夫になるのは素晴らしい方でしょう」

「血が繋がってたら自信持てるんだけどねー」


 祝いの席は進み、浅井方も織田方も双方が盛り上がっている。みんな嬉しそうで、その中心にいる長政と市は本当に幸せそうだ。

 そんな二人を見ていると、胸が苦しくなる。

 理由はわかっている。

 ずっと忘れていた――いや、無意識に目を背けていた事実。


 後に浅井は織田と決裂。長政は自害し、浅井家は滅亡。そうして幸せは終わるのだ。


 この状況を目の当たりにすると、そんなことは嘘なのではないか、小春の知る歴史は偽りなのではないかと思ってしまう。それほどまでにみんなが笑顔で、市の門出を見送った信長も表情は変わらずだったが、その眼差しは暖かかったのを小春は知っている。

 ふと、あの男の言葉が脳裏をよぎる。


“お前のせいで天下の運命が歪む”。


 久秀の言うことはわかる。歴史に干渉して、ねじ曲げてはいけない。

 義元の件は、結果的に信長に手を貸すことになったのだが、歴史を変えたわけではない。


 それでもわからなくなる。悲しい結末を知っていて何もしないのは、駄目なのではないか。歴史に干渉して運命を変えることはもちろんいけないことだろうが、ただ、長政と市の笑顔を見ていると思う。二人にはずっと笑っていてほしい。


 小春はこっそり部屋を抜け出した。城を出て、庭をぶらぶら歩いていると、秀吉が腕を組んで空を見ていた。


「はぁ〜……お市様も嫁がれたか……」


 大きなため息が落ちた。


「はぁ〜……」

「なにそのため息」


 小春は思わず笑う。


「市、きれいだったよね」

「きれいどころの話じゃないわい」


 秀吉は遠くを見ながら、うっとりした顔になる。


「はぁ〜……ほんに、惚れ惚れするくらいじゃ……」


 小春は横目で見る。少しだけ、じとっと。


「……ねえ」

「なんじゃ」

「秀吉、あなた市のこと好きなの?」


 秀吉はぱちぱちと瞬きをした。


「好き?」

「その反応なに」

「いや、だってお市様かわいいし」


 あまりにも自然に言うので、小春は眉をひそめる。


「浮気したってねねに怒られるよ」


 秀吉は慌てて手を振った。


「いやいやいや、それとこれとは別じゃ!」

「どこが」

「これはな、ほれ……」


 秀吉は腕を組んで、うーんと考える。


「目の保養じゃ」


 小春は思わず吹き出した。


「それ絶対ねねに言ったら怒られるやつ」

「だから言わんわい」


 はぁ、と息を吐いて、ふと秀吉の顔が真面目になる。


「しかしのう……織田を離れて、お市様も寂しかろう」

「うん」

「わしゃ心配なんじゃ」


 その言葉は、さっきまでの軽い調子とは少し違っていた。小春は少しだけ驚いて、秀吉を見る。


「……優しいじゃん」

「当たり前じゃ。お市様じゃぞ」


 秀吉は腕を組んだまま、頷いた。


「だからな。小谷城に一人、置いていくことにした」

「え?」

「家臣をじゃ」


 小春は目を丸くする。


「いやいやいや、なにそれ」

「見守り役じゃ」

「それ完全に間者じゃん」

「違うわい」

「絶対違わない」


 秀吉は肩をすくめる。


「まあ、ついでに浅井の様子も分かるしの」

「ほら」

「しかし一番はお市様じゃ」


 小春は呆れて息をついた。


「……で、その家臣って誰?」


 秀吉は少し誇らしげに答える。


「なかなか頭の切れる男での」

「へえ」

「名を大谷吉継と言う」


 秀吉は少し得意げに言った。


「まだ若いがな。人を見る目はある男じゃ。こういう男は……いずれ、でかいことをする」


 小春は首を傾げる。


「そんなにすごい人なの?」


 秀吉は軽く肩をすくめた。


「分からん」

「分からんのかい」

「じゃがな」


 秀吉は少しだけ真面目な顔になった。


「人はいつ、どこで役に立つか分からん。だから、縁は残しておくものじゃ」


 小春は黙る。秀吉はまた軽い顔に戻った。


「それに、お市様の近くにおればわしも少し安心じゃ」


 ニヤッと笑う秀吉に小春はため息をついた。


「結局それじゃん」


 その時。背後から声がかかる。


「秀吉様。こんなところでどうかされましたか?」


 身長と声色から男だとわかった。髪を低い位置で団子に結い、残りは背中まで流れるほど長い。物腰は柔らかく、鼻筋はスッと通っており、切れ長の目は知的でオトナな印象を受ける。


「ちょうどいいところへ来た!小春。この者が大谷吉継じゃ。吉継、この姫は信長様のご息女、小春という」

「小春です。はじめまして」

「大谷吉継と申します」


 微笑んだ顔はとてもキレイで、小春は思わず見惚れた。


「ところで、長政様とお市様の祝いで皆が盛り上がっていますが、行かなくてよろしいのですか?」

「おっ。そうか。ちょっと戻るわ」


 そう言って秀吉は立ち去った。


「姫様はよろしいのですか?」

「あなたこそ参加しなくていいの?」

「取るに足らない身分ですので。あなたはお市様の姪御様ですが……」

「そうなんだけど……二人を見てたら辛くなって」

「と申しますと?」

「いつまでも幸せは続かないって知ってるから」


 吉継の目が僅かに見開かれる。


「驚きました。あなたは先見の目をお持ちなのですね」

「え?」

「実は……私もそう感じています。今は確かに幸せでしょうが、嫌な予感がするのです。二人を取り巻く悲劇的な何かを……」


 驚いたのは小春の方だ。現時点で信長と長政が敵対する素振りはないはずなのに、吉継は感じている――

 彼は小春の視線に気づき、ハッとして膝をついた。


「軽はずみな発言、申し訳ございません。姫様の叔母上に関わること、あなたの心情を思えば……」

「いいよ、堅いしゃべり方しなくて」


 慌てて頭を下げる吉継を見て、小春は思わず苦笑した。自分より年上だろうに、こんなに丁寧にされると落ち着かない。


「吉継……私の代わりに長政様と叔母上のこと、お願いね」


 そう言うと、小春は走ってその場を後にした。

 吉継は、その背をしばらく見つめていた。

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