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第一章:第ニ話 誓いの丘

 信長は町を抜けてわき道に逸れた。一体どこへ行くつもりだと訊いても、完全に無視される。


「突然付き合わせてごめんね」


 傾斜を登りながら、小春は藤吉郎に言った。


「どこか行く途中だったんじゃないの?」

「いや、時間はある。侍になるために家を出てきたとこなんさ」

「一人旅?危ないよ、まだ子どもなのに」

「もう十三になるから大丈夫じゃ」


 この時代の人は逞しいなと小春は感心しつつ、竹千代の手を引いて信長を追った。やがて頂上の拓けた場所に出る。


「すごい、絶景……」


 見いってしまうほどの凄まじい夕焼け。眼下に広がる田んぼの稲穂は赤く染まり、燃え上がるように輝いている。ちらほらと家があるものの、地平線まで見渡せ、それがずっと続いていた。


「遠江国はあの辺やろか……」


 藤吉郎がぽつりと言った。


「遠江国?」

「わしはそこへ行くんさ。そんで、今川に仕官して侍になる」

「今川って……」

「竹千代が元々人質に送られるはずだったところ、ぞ」


 信長がそう会話に入ってくる。なんとなく予感がして竹千代を見れば、彼は悲しそうな目で地平線の先を見つめていた。


「ほんとあんたは余計なことしか言えないんだから!」

「事実ぞ……」


 信長の頬を思いっきり引っ張るが、彼は特に悪びれた様子もなく平然としていた。


「信長の頬を抓るとは、うぬは命知らずな奴よ」

「あ、そう。げんこつの方がよかった?」


 織田信長は強烈なカリスマ性を持つ冷徹な独裁者というイメージを抱く人は多いが、彼は小春の知る歴史上の偉人ではない。ただの口の悪い子どもだ。これがどうあの織田信長になるのか、気にはなる。

 会話もなく、四人は景色を眺めていた。戦国時代といえば乱世なのだろうが、こんなのどかな風景を見ていると、とてもそうは思えない。

 しかし竹千代がここにいることが、乱世の証だった。


「早く平和になればいいのにね」

「へいわって?」


 呟いた小春に、竹千代が訊ねる。


「んー、平和っていうのは……」

「泰平の世」


 小春の言葉の先を信長が言う。


「そう、それよ。泰平の世になれば、みんなが笑って幸せに暮らせるの。戦もないし、竹千代みたいにお母さんと離ればなれになったり人質にされることも……」


 そこまで言って、しまった、と小春は口を噤んだ。竹千代は俯き、今にも泣きそうな表情をしていた。


「……うぬは馬鹿か」


 信長から突っ込みが入る。あれほど信長に注意していたのに、自分がうっかり余計なことを口にしてしまうとは。


「ご、ごめんっ。竹千代……」


 堪えていたようだが、ついに我慢できずに竹千代の目から涙が流れた。一度零れると後はもう止めどなく溢れ出る。

 信長は冷ややかな視線を小春に送った。助けてくれる気はないようだ。突然のことで藤吉郎もおろおろしており、小春はどうしたものかと頭を悩ませる。

 ふと思いだし、小春はポケットのペンケースから新品の消しゴムを取り出した。

 油性ペンで黒く塗りつぶした星を描き、カッターナイフでそれを真ん中から半分に切る。


「はい、どうぞ」

「なあに……?」

「お守りだよ。助けてほしい時にお願いすれば、どんな窮地からも救ってくれるの」


 きょとんとした顔をして、竹千代は消ゴムを受け取ると、不思議そうにそれを見つめる。涙は自然と止まっていた。小さい子をあやすのは任せなさい、とばかりに、どう?と信長を得意気に見る。

 信長は静かに竹千代のそばに寄り、小さな手の中にある消ゴムを見て、一言。


「ただのゴミ、ぞ……」

「そういうこと言わないの!ゴミじゃないし!消ゴム――あ、いや、お守りだから!」

「ありがと!お守り、大事にする!」


 竹千代は大切そうに両手で消ゴムを包み込み、小春に笑顔を向けた。


「信長も竹千代の可愛さ見習ったら?」

「今更、ぞ……」

「だよねー」


 口の減らないこの彼が竹千代のように可愛らしい笑顔を振りまいたところで、今更可愛いと思うことはない。


「でも、泰平の世にするには流れを変えないとね」

「流れ……?」

「今のままじゃ、何も変わらないと思う。なんかこう、乱世の流れをずばーんと打ち破るようなやつ?」

「……ならば、信長が打ち破ろう、ぞ」


 その横顔に覇者の顔を見た気がした。頼もしくて、だけど恐ろしく感じて小春は信長から視線を逸らす。


「そ、そういえば、今川領って遠いのかな。気をつけて行きなよ、藤吉郎」

「わしは必ず仕官して侍になる。泰平のために働くんさ」

「うん。みんなが笑って幸せに暮らせる世を目指してね。乱世を打ち破るだけじゃダメなんだから。泰平の世に導かないと」

「そうじゃな。その時は、小春も手伝ってくれんか?」


 決意に燃える彼を見て、藤吉郎を手伝うよ、と約束した。


「信長には何もなし、か」

「え、なに?信長も何か手伝ってほしいことあるの?それとも消ゴム欲しかった?」

「いらぬ」

「ほんと可愛くないな」


 口約束や子ども騙しのような手は、信長ぐらいの年頃には通用しない。具体的な何かが欲しいのだ。


「じゃあ、私が三つ信長の願いを聞いてあげる」


 小春の提案に信長は驚いた顔をした。


「あ、でも私にできることだけね。死ぬとか犯罪とかそういうのはなしね」

「三つ……」

「ん?三つじゃ少ない?」

「信長には十分、ぞ」


 そう言って笑った信長の顔は、どことなく嬉しそうだった。そんな彼を見ていると、竹千代がくいっと小春の服の裾を引っ張る。


「どうしたの?」

「小春殿。その……たいへいのよになれば、悲しいことはなくなりますか?小春殿もたいへいのよを望んでおりますか?」

「もちろん。みんなが幸せな世の中だよ。ずっと続けばいいのにね」

「では、ずっとたいへいにします!」

「うぬが、か?無理ぞ……」

「こら!小さい子の夢を否定しないの!」


 また余計なことを言った信長の頬に手を伸ばすが、さらりとかわされた。


「頑張ってね、竹千代」

「うん!」

「まあ、歴史を見れば乱世の流れを変えて、泰平に導き、その泰平を維持するのは大変だけどね。でも、なんか三人ならできそうかもって思っちゃう」


 まだまだ子どもの彼らだけど、この先とんでもないことをやってのけるんじゃないだろうか。なぜかそう思えてしまうから不思議だ。


「何を言うとる。お前さんも一緒じゃ。

わしらで泰平の世を作るんさ!」

「小春殿も一緒、皆で目指しましょうぞ」

「信長と共に駆けよ……」


 思わず小春は息を呑んだ。彼らの周囲には、特別な空気が揺らめいているようだった。人並みじゃない何かが、確かにそこにあった。


「うん……わかった。その時は付き合うよ、最後まで」


 小春はそう言って、夕焼けに染まる大地を静かに眺めた。 


「乱世を打ち破るのは信長よ」

「ほんなら、わしが泰平のために働く!」

「私は、たいへいのよを守ります!」

「なんか同盟みたいだね」

「同盟……」

「ならば“泰平同盟”ぞ」


 四人は顔を見合わせた。

 夕焼けに染まる丘の上で、子どもたちの小さな約束が交わされる。

 乱世を打ち破り、泰平の世を作る――

 そんな大きな夢を語るには、まだ幼すぎる四人だった。


「ここいい場所だね。誓いの丘って感じ」

「安直ぞ」

「ええ名前や!」

「誓いの丘!」


 まだ誰も知らない。

 彼らがやがて乱世の歴史を大きく動かすことになることを。

 そして――この何気ない約束が、長い年月を越えて彼らを結び続けることを。


 天文十九年。

 これが――小春と戦国三英傑との、すべての始まりだった。

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