第一章:第十七話 針と想い
今日も昼下がりの庭で、小春は木刀を握っていた。向かいに立つのはもちろん利家 。
「構えろ」
「さっきから構えてるって」
「甘ぇ」
利家の槍が振り下ろされる。小春は慌てて木刀を差し出し、どうにか受け止めた。びり、と腕に衝撃が走る。
「痛っ!」
「今のは防げた」
「無理!」
「おーおー、派手にやっとるのう」
庭の入口から呆れた声がした。振り向くと、腕を組んだ秀吉が立っている。
「またそんな乱暴な稽古しとるんか、利家」
利家は眉を顰める。
「乱暴じゃねぇ」
「十分乱暴じゃ」
秀吉は小春を見る。
「小春、手見せてみ」
小春は差し出す。少し赤くなっている。
秀吉は眉を顰めた。
「ほれ見ろ」
「それくらいで文句言うな」
「女の子じゃぞ」
「だからどうした」
軽く溜め息を吐き、秀吉が言った。
「わしが教える」
「お前が?」
利家が笑った。
「サルに槍は無理だろ」
「できるわい!」
秀吉は地面の槍を拾う。
「見とれ」
構える。振る。次の瞬間――槍は見事に秀吉の手を離れ、あらぬ方向へ飛んでいった。
「危なっ!」
小春が叫ぶ。利家が頭を抱えた。
「ほら見ろ」
秀吉は咳払いした。
「今のは調子が悪かっただけじゃ」
「調子の問題じゃねぇ」
小春は笑いをこらえる。その様子を見て、利家が言った。
「ほら見ろ、秀吉」
「何が」
「小春は俺の稽古の方がいいと思ってる」
「それはない」
「おい」
秀吉が胸を張る。
「小春はわしの方が優しいと思っとる」
小春は少し考えた。
「それはそう」
利家が睨む。
「甘やかすだけだろ」
「それの何が悪い」
秀吉は言い返す。
「戦場に出すわけじゃないんじゃ」
「出ることもある」
「ないと思う」
小春がぽつりと言う。
「さて、続きやるか」
「まだやるの!?無理!」
「戦場じゃ、無理なんて言ってられねぇぞ」
「戦場に行く予定ないんだけど」
「あってからじゃ遅ぇ」
利家の槍が再び構えられる。
「え、ちょっと待っ――」
小春の抗議もむなしく、稽古は再開された。
▽ ▽ ▽
「あー、最悪だ……」
上着を抱えて、小春は廊下をとぼとぼ歩いていた。木刀の打ち合いの最中、引っ掛けて穴をあけてしまったのだ。
「お気に入りだったのに……」
思わず溜め息をつく。
「なにを溜め息など吐いておる」
低い声が横から飛んできた。障子は全開で、その向こうに勝家が腕を組んで座っていた。
「溜め息も吐きたくなるよ。服に穴あいちゃったんだもん……」
小春が上着を見せると、勝家はじっと見つめた。
「……貸してみろ」
「え?」
部屋に上がり、上着を渡す。勝家は脇に置いてあった裁縫道具を取り、針に糸を通した。迷いのない手つきで布を縫っていく。
「すごーい!」
小春は思わず身を乗り出した。
「料理に裁縫は得意でな」
「お嫁さんにほしい!」
勝家の手がぴたりと止まる。ゆっくり小春を見る。
「……お主こそ、男がそう言うおなごにならねばならぬぞ」
再び針を動かす。
「裁縫はできるのか?」
「全然……」
勝家は呆れたように息を吐いた。
「利家がなかなか見込みがあると言っておったが」
「それ武芸の話!」
「同じことよ」
淡々と返される。
「体が動くなら、それは才だ」
小春は少し考えた。確かに、最初の頃よりは体が動く。馬に乗れば尻が痛かったのも、今は慣れた。
「確かに……」
「お主は武将の才があるのかもしれぬな」
「うーん、その才はいらないかなぁ」
将来武将になって戦に出陣するわけでもあるまいし、と苦笑いを浮かべる。
勝家は小さく鼻で笑った。
「黙して才を磨け。でなければ誰もお主を娶らぬぞ」
「武将の才で結婚できるのか……」
「織田の姫として、いずれお主にも輿入れの話が来る」
針を抜きながら言う。
「お市様も……」
そこで言葉が止まった。ほんの一瞬。勝家の視線が遠くへ向く。小春はそれに気づいた。
「市がどうかしたの?」
勝家は針を布に刺したまま、少し黙った。
「……聞いておらぬか」
静かな声。
「輿入れの話が進んでおる」
「もしかして……浅井長政?」
市の夫になる人といえば、彼だ。勝家はゆっくり頷く。
「近江の大名らしい」
縫い終わった上着を整えながら続ける。
「お市様の輿入れにより、織田と浅井は同盟を結ぶ」
少しだけ声が低くなる。
「殿は長政にかなり期待しておるようだ」
その時、小春は見た。勝家の表情に、ほんの一瞬だけ浮かんだ影を。痛みのようなもの。
「同盟と言えば」
勝家は話題を変えるように言った。
「今、徳川の者が訪ねて来ておる」
「そうなの?」
「今川から独立した徳川と、織田は同盟を結ぶだろう」
そして言う。
「殿が会うておる頃だな」
「家康かな」
小春は上着を受け取った。
「ありがとう!私、ちょっと挨拶に行ってくるね」
「……走るな」
勝家が言う。
「廊下で転ぶぞ」
「はーい!」
小春は廊下を駆けていった。ぱたぱたと足音が遠ざかる。その背中を見送りながら、勝家は小さく呟く。
「……騒がしい娘よ」
部屋に静けさが戻る。勝家は縫い終えた針を見つめた。そして、ぽつりと呟く。
「……お市様」
声は小さく、誰にも聞こえない。
しばらくして、針をしまった。
「……仕方あるまい」
そう言って立ち上がった。




