第一章:第十二話 桶狭間の戦い④
小春はとある崖の上にいた。
濃姫や市と戦場に来たものの、小春に戦う術はなく、足手まといだった。濃姫から信長の娘として地獄を見ておきなさいと言われ、安全だと思われる場所でその様を見ていた。
ここからは桶狭間を一望できる。ざっと見た戦の様子はわかるが、誰が誰かまで顔がわからない。人影が倒れるときっと討ち死にしたんだろうなとは思うが、悲惨な光景なはずのに距離があってまるで動く模型を見ているようだった。
地獄であるはずなのに、何も感じられない。なんとも場違いで呑気な心境だった。しかし状況がわからない分、心配である。みんなは無事だろうか――
もう少しよく見える場所を探して動き回っていると、同じように戦を眺めている者たちがいた。
一人は細身だが、弱さは感じない。研ぎ澄まされた刃のような体つき。美しい黒髪は低い位置で緩く結ばれていたが、完全な黒ではない。夜の奥に沈んだような、深い紫がわずかに混ざっている。
もう一人は細くしなやかな体つきだった。肌は白く、戦場にいる男の色ではない。血の気が薄く、夜の光の中ではむしろ青白く見える。ふわっとした銀髪は光を受けるたびに淡く輝くが、よく見るとその奥に紫が混ざっている。風に揺れるたび、夜の闇を溶かしたような色がちらりと覗いた。
二人の腰にはそれぞれ刀を携えており、小春に気づくと振り返った。
「えーと、あなたたちは参戦しなくていいの?」
「私は、織田にも今川にも属していませんので」
「そうそう。俺様もどっちの味方でもないもんね~」
「ふーん。見てるだけか」
「お嬢ちゃんは参戦しなくていいのか?ほれほれ、早く行かねば終わってしまうぞ~」
「私が戦えるように見える?」
それを聞いて、銀髪の男は顔を顰めた。
「戦えぬとは……実につまらん」
「ならばなぜ、あなたはこのような場所に……?」
「母上に地獄を見ているように言われたので」
「ほお!お嬢ちゃんの母は面白いではないか。俺様、惚れちゃいそ~」
「あー……それはオススメできない。いろんな意味で」
濃姫のような女を相手にできるのは、信長しかいないだろう。
「ところで、あなたたちは?」
「申し遅れました。私は明智光秀と申します」
「俺様は松永久秀だ」
どちらも知っている。織田信長についての本に載っていた偉人だ。それぞれ信長に謀反を起こした二人――光秀の方は信長の死の原因である。でもそれはまだ先の話。謀反の共通点はあるが、それ以外は雰囲気も言動も違う彼らが一緒にいるのは、なんとも奇妙だった。
「あなたの名は?」
「私は小春っていいます」
「小春、か。つまらん、実につまらん」
「何がよ」
「言葉どおりの意味だ」
「だから何が!どの辺が!?」
「むっふふう、怒るお前はなかなか面白いな〜」
小春は久秀をシラッとした目で見た。
「久秀のツボがわからない……」
それからしばらく三人で戦を見ていた。やがて人が一ヶ所に集まり、引いていく。
「……終わったようだ」
「どっちが勝ったの?」
「織田が勝とうが今川が勝とうが興味はない。ただ……」
久秀は戦場ではなく、空を見上げた。
「この戦で、戦国の運命が動きだす」
「どういう意味?」
「俺様はな、天文から運命を読み取ることができるのだ」
「あんたは占い師か何かなの……?」
「お嬢ちゃんの運命も読み取るぞ~。何か悩みがあったら言ってみろ」
「ほんと?私、彼氏が欲しいんだけど、いつできる?」
「かれしとはなんだ?」
久秀の言葉に一瞬ぽかんとするが、すぐに言葉の意味が通じていないのだとわかった。
「え、えーと、恋仲になる人がいないんだけど、できるかな?」
「ずばり言う。……無理だ!」
うひゃひゃひゃ~と楽しそうに笑い声を上げる久秀に小春はムッとした。
「えー!それなんとかならないの?」
「運命を歪めることは許さん」
「だからその運命を変えたいんだけど」
「安心しろ。恋仲になる者はできぬが、結婚はできる。天がそう告げておる。未来の夫は案外近くにおるかもな」
小春は思わず辺りを見回した。そして目の前にいる二人を見る。
黒髪で端正な顔立ちの、落ち着いた雰囲気で知的そうな男。その隣には、銀髪で骨格の線がすっと通った、どこか人形めいた美しさの男。
小春は二人を交互に見比べた。もう一度見た。さらにもう一度。そして真顔で言った。
「久秀だけはないかな」
「俺様もお前だけはない」
久秀はニヤりと笑う。しかしすぐに表情を改めた。
「まあ、冗談はさておき……」
「どこからが冗談だったの!?」
「――お前はここに存在しない人間よ」
その言葉に、どきり、と心臓の鼓動が大きくなった。
「お前のせいで天下の運命が歪む。それは今この時を生きる奴ら――強いては俺様の運命を歪めることになるかもしれん……それだけは絶対に許さん!早く元いた場所へ去れ!」
「久秀殿、いきなり何を言いだすのです!?」
「俺様はほんとのこと言っただけだもんね~」
「あなたという人は……」
悪びれる様子もない久秀に光秀が呆れて溜め息を吐く。
「小春殿。お気になさらず。あなたは確かにここに存在しています」
「う、うん……」
光秀は優しくそう言うが、小春の体の中には異様な緊張が満ち溢れる。それを知ってか知らずか、久秀は小春を見た。
「天下がどう転ぼうと俺様の知ったことではない。だがな――俺様の運命には指一本触れるな。俺様の生き様は、俺様が決める」




