第5話:二度寝のための『後方支援』
この辺境伯領は、構造的に終わっている。
普通、領主の屋敷というものは
安全な後方に建てられる。
だが、ここは違う。
屋敷の地下にある「魔力炉」が
領地全域を覆う巨大な防衛結界の発生源なのだ。
つまり、この屋敷そのものが「巨大な防衛拠点」。
ここを落とされれば領地は即壊滅。
最前線の砦のすぐ裏に、要塞のような屋敷を建てるという
正気とは思えないブラック構造になっている。
――ウゥゥゥゥン。
低く重い警鐘が、領地全体に響き渡った。
「奥様! 第一防壁が突破されました!
モンスターが外郭に侵入しています!
すぐに避難を!」
アンの声は震えていた。
その背後で、もう一人のメイドが無言で扉を押さえている。
二十代半ばほどの、無表情な女性。
感情を表に出さず、状況だけを冷静に見ている――ジャネットだ。
(……は? モンスター? 私のゴールデンタイム(二度寝)に不法侵入?)
私の視界に、真っ赤な警告がポップアップされる。
【緊急事態:防衛戦が発生しました】
【現状:砦が陥落寸前。モンスターが屋敷の庭まで侵入】
【予測:屋敷が破壊され、あなたの安眠拠点が消滅】
【結果:強制的にホームレス】
「…………ふざけんな。再就職なんて死んでもお断りよ」
私は怯えているふりをしながら、バルコニーの隙間から外を覗いた。
正門前。そこが最終防衛線だ。
カシアン率いる騎士団が、満身創痍で剣を構えている。
「死守せよ! ここを抜かれれば、リゼットに
魔力炉に被害が出る!」
(……あー、やっぱり)
騎士たちの動きは鈍い。
連日の戦闘で完全に疲弊している。
(過労死ライン突破済み。集中力低下。
反応速度ガタ落ち。
これ、末期の現場と同じじゃない)
このままでは
私の快適な引きこもり生活を守る屋敷が物理的に崩壊する。
「……アン。少しだけ、外の様子が気になって……
怖くて、じっとしていられなくて……」
「奥様!? 危険です!」
アンが慌てて止める。
一方でジャネットは、何も言わずに一歩前へ出て
私とバルコニー、そして外の戦況を静かに見比べていた。
「大丈夫ですわ。旦那様の背中を……信じておりますから」
(※本音:運用があまりにボロボロなので
リモート支援に入ります)
私はふらふらとバルコニーへ出た。
背後で、ジャネットの視線を感じる。
(……見られてるわね。でも、今は仕方ない)
私は脳内で、広域の**設計図**を展開する。
まずは、騎士たちの剣に**自動命中補正**を上書き
さらに、地面の摩擦係数を一時的に調整し
モンスターの足元だけを“滑りやすく”書き換える。
袖の中で、指先を高速で弾く
それは、誰にも見えない不可視の**術式構築**。
「……いっけぇ!」
私が小さく願う(エンターキーを叩く)と同時に
世界は私の意図した通りに動き出した。
その瞬間、戦場が書き換えられた。
「なっ……!? 剣が、吸い込まれるように急所に……!」
「モンスターが勝手に転ぶぞ! 今だ!」
騎士団が息を吹き返す。
最小限の動きで、魔物を次々と討ち取っていく。
カシアンが、ふと屋敷を見上げた。
バルコニーで儚げに祈る(※実際は演算中の)
私を見て、彼の瞳が大きく見開かれる。
「リゼット……君が、祈ってくれているのか……!」
(違う。今、必死に裏方作業してるの)
数分後。
戦いは終わった。
私は「ふぅ……」と息をつき、力尽きたように身を崩す。
「……奥様」
低く、落ち着いた声。
振り返ると、ジャネットが私の手元を見ていた。
正確には――指先を。
「今の……祈りにしては、随分と指の動きが忙しそうでしたね」
(……やっぱり見てた)
「え……? 怖くて、震えていただけよ?」
「そうですか」
一瞬の沈黙。
ジャネットは微かに首を傾げる。
「震えながら、空中に複数の
複雑な術式を展開していたように見えましたが……。
私の見間違いでしょうか」
笑っていない目。
【警告:隠蔽工作に失敗の恐れ】
【ジャネットの不信感:上昇】
「……疲れましたわ。少し、休ませてちょうだい」
「……はい。ごゆっくり。お疲れ様でした……『名軍師』様」
その一言が、妙に重く響いた。
私は逃げるように布団へ潜り込む。
(やばい……急ぎすぎた。ログ消去が甘かったわね)
だが、私はまだ知らない。
カシアンが「妻の祈りが奇跡を起こした」と確信し、
「こんな力があるなら、絶対に守らなければ」
と使命感をさらに暴走させていることを。
そして――
部屋を出たジャネットが、小さく口元を緩めて呟いたことを。
「……面白いですね。あの“何もできない”はずの夫人」




