第4話 最適化という名の奇跡
昨日、カシアンが言っていた「魔物の活発化」。
それが何を意味するか――脳内に残るリゼットの断片的な知識と、前世の経験が嫌な音を立てて噛み合った。
この世界の結界術は、魔力炉を動力源にしている。
(魔物が来る=屋敷を守る結界の出力が上がる=大元の魔力炉に負荷が集中する)
リゼットの記憶の断片を辿れば、この屋敷の防衛はすべて地下の魔力炉に依存している。
『ステータス画面』を呼び出す
【屋敷全体・魔力伝導率:72%(各所で漏電中)】
【結界の安定度:警告(継ぎはぎの応急処置状態)】
【想定整備時間:3時間以上(カシアンの徹夜確定)】
(……やっぱり。放置したら爆発して、私のふかふかの布団もろとも屋敷が消し飛ぶわ。そんな未来、認めるわけがない!)
「少し風に当たりたいの」
アンにそう告げ、私はふらつく足を叱咤して記憶を辿りながら地下への階段を降りた。
魔法なんて使えないはず。
自分に何ができるかもわからない。
だが、この『画面』が見える私なら、せめて異常箇所の特定くらいはできるはずだ。
地下は、過酷な現場特有の重く淀んだ空気に満ちている。
「……特定の人間に依存しすぎた構造の極致ね」
唸りを上げる巨大な魔力炉の前に立つ。
ステータス画面に通知が現れる
【外部デバイス:魔力制御炉を検知。……接続しますか?】
(え、これ……外部機器として認識できるの?)
肯定した瞬間。
私の目の前に、光の板が形成されていく。
前世で使い慣れたキーボードを完璧に再現された。
(そうか、このステータス画面が、私の思考を読み取って『最も得意な入力形式』を仮想的に用意してくれたんだわ!)
目の前には、濁流のような魔力。
その中に流れる幾千もの光の線。
これが、この世界の『理』
「……なるほど。これなら、私のやり方で書けるわ」
タタタタン、タン。
指先が空を叩くたび、魔力の奔流が整然とした秩序へと書き換えられていく。
ブラインドタッチでキーボードを叩き、迷いなく『理』を組み替える。
【調整完了:4分32秒】
パチン、と最後の一打を空中で弾いた、その時。
「……何をしている」
背後から、凍りつくような低い声が響いた。
振り返ると、そこには鎧姿のカシアンと、数人の部下たちが立ち尽くしていた。
「……安定している……? 魔石の交換もなしに……その身一つで……」
カシアンの声が、震えている。
やり遂げた安堵感とともに、急激な倦怠感が私を襲った。
視界がぐらりと揺れる。
(……ああ、やっぱり。今の体には、この程度の運動でも……負荷が強すぎたみたい……)
「……ごめんなさい。……少し、疲れ……」
最後まで言い切る前に、膝から崩れ落ちる。
床に激突する前に、カシアンの逞しい腕が、折れそうな私の体を抱きとめた。
「これほど……命を削るような真似を……っ!」
カシアンが駆け寄り、私を抱き寄せた。
強く、けれど壊れ物を扱うように。
「……もう二度と、無茶はするな。……頼む、リゼット」
震える声。
抱きしめる腕の熱さに反して、私の意識は急速に遠のいていく。
(違うの……ただの、深刻な運動不足……なの……)
カシアン視点
魔力炉の前に立つリゼットの姿に、カシアンは背筋が凍るのを感じた。
部屋の中央、リゼットが凛と立っていた。
彼女は祈ることもなく、ただ何かを見上げるように、細い指先を空中で鋭く動かしている。
「……奥様? なぜここに」
呼びかけようとした部下の声を、カシアンが手で制した。
彼女の指先が虚空を叩くたび、整然とした秩序を持って、見たこともない緻密な光の文様が現れては消えていく。
それは、カシアンが知るどんな「魔法」とも違っていた。
「……美しすぎる」
部下の一人が、うわ言のように漏らした。
やがてリゼットは満足げに、指先で空間を弾いた。
瞬間、魔力炉からは異音が消え、新雪が降り積もった後のような研ぎ澄まされた魔力が部屋を満たした。
リゼットの体がふらり……と揺れる。
カシアンは反射的に駆け出し、彼女の細い肩を抱きとめた。
彼女の顔色は紙のように白く、その瞳には光が乏しい。
――やはり、何の代償もなしに、あんな所業ができるわけがないのだ。
彼は抱きしめる腕に力を込める。
その目にはリゼットが、自らの命を薪としてくべ、領民を救う「気高き聖女」にしか見えていなかった。
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魔法兵長バルト視点
カシアンの背後で、領内随一の使い手であるバルトは、自身の常識が崩壊する音を聞いていた。
(馬鹿な。呪文の詠唱も、触媒の魔石もなしに、素手で魔力炉をねじ伏せただと……!?)
彼女の指先から溢れるのは、まるで生き物のように躍動する光の幾何学。
最後に、奥様が仕上げのように空中の一点を強く叩いた。
その瞬間、耳障りな唸りを上げていた魔力炉が一瞬で深い眠りについたかのような静寂に包まれる。
(……ありえない。あんな、デタラメなことが……)
俺たちが数人がかりで数時間かけても、爆発を数分先延ばしにするのが精一杯だったというのに。
バルトは恐怖に近い敬虔さを感じ、その場に跪きそうになった。
(一体どれほどの代償を支払えば、あのような『神の指先』が手に入るというのだ……)
カシアン様の腕の中で、今にも消え入りそうに微笑む奥様。
その姿は、かつて存在した伝説の法理の聖女のようだった。




