第1話:二度寝の聖域、あるいは絶望のホワイト職場
いつも応援ありがとうございます! 読者の皆様にさらに楽しんでいただけるよう、第1話からキャラクター描写や用語を大幅にブラッシュアップすることにしました。リゼットがより人間味あふれる、ドタバタな物語に進化しています!
――あれ。
目を覚ました瞬間、最初に感じたのは「静寂」という名の違和感だった。 耳を劈くアラームも、上司からの「起きてる? 進捗どう?」という地獄の通知音もない。
(あれ? 私、今日有休だっけ。いや、そもそも私の会社に有休なんて概念、実装されてなかったはずよね?)
ぼんやりした頭で、布団の感触を確かめる。 重すぎず、軽すぎず、私という存在を全肯定してくれる、圧倒的に「高そうな」シルクの感触。私はゆっくりと目を開けた。
(え、ここ、どこ。知らない天井だわ。……っていうか、4K画質並みに天井の装飾が綺麗なんですけど)
記憶を辿る。 昨日は――残業、終電、コンビニ弁当。 三日間の徹夜の末、サーバーの不具合修正を終えてベッドに倒れ込んだ瞬間、私の意識は「強制終了」した。
(死んだ記憶はない。……ただ、限界だっただけだ。過労死? いや、あれは人生からの『ログアウト』だったのかも)
慌てて自分の手を見る。白い。細い。指も長い。 「キーボードを叩きすぎて腱鞘炎気味気味の私の指」は、どこにもない。
その時だった。 視界の端に、まるで空間に刻まれたような「光の文字」が浮かび上がった。
【現在の状況:辺境伯夫人(人生の上がり)】 【義務:なし(前任者が全放棄済み)】 【権利:一生、布団の中でダラダラ過ごせる】
(え、何これ。私にだけ見える魔法のガイドブック?)
「お目覚めでございますか、奥様」
落ち着いた声に、反射的に肩が跳ねた。 「ひゃいっ!?」 変な声が出た。驚きすぎてシーツに足を絡ませ、私はベッドの上で盛大に転がった。
「わ、わわっ、おふとんが……おふとんが私を離してくれない……っ!」
ジタバタとあがく私を、二十代後半くらいの姿勢の良すぎるメイドさんが、驚愕の表情で見つめている。
「お、奥様……? 大丈夫でございますか?」
(死にたい。初対面のメイドさんの前で、お布団ロールケーキになってしまったわ……)
私は顔を真っ赤にしながら、這々の体でシーツから脱出した。 情報を整理しろ。私は社畜だ。トラブル解決は得意なはず。
(知らない豪華な部屋。知らない美形の体。そして――誰も、私に働けと言ってこない!)
胸の奥に、じわっと熱い感情が湧いてきた。
(勝ったわ。ついに勝ったのよ、人生に!)
私は、シルクの布団を愛おしく引き寄せる。 貴族。夫人。既婚。つまり……働かなくていい、ニートのポジション! あぁ、神様、前世の残業代をこういう形で払ってくれるなんて!
「ありがとうございます。今日は……穏やかに過ごせそうですわ」 (※本音:一生この布団と添い遂げる予定なので、一歩も動くつもりはありません。本日のタスクは『二度寝』のみです)
メイド……ジャネットは、どこか痛々しいものを見るような目で一礼し、部屋を出ていった。 再び訪れた静寂。私はふかふかの枕に頭を沈め、天井を見上げた。
(……それにしても、静かすぎるわね)
辺境伯の屋敷なら、騎士の訓練の声とか、活気のある音が聞こえてきてもいいはずなのに。 私は起き上がり、姿見を覗き込んだ。
「…誰、これ」
鏡の中にいたのは、驚くほど透き通った肌に、銀糸のような髪を持つ美女だった。 だが、その目はひどく虚ろで、頬もこけている。前世の私が「三日徹夜した後の顔」にそっくりだ。
目の前の空間に、再び光の文字が走る。
【リゼット・フォン・バウムガルト】 【状態:生気が空っぽです。周囲からは『いつ死んでもおかしくない儚い夫人』と思われています】
(なるほど。この体、体力がマイナスなのね。道理でジャネットが腫れ物に触るような扱いだったわけだわ)
私は部屋の中を見渡した。 調度は豪華だ。だが、よく見ると棚の隅に薄っすらと埃が積もっている。花瓶の花も、少しだけ萎れている。
「……お掃除が間に合ってない?」
社畜として修羅場を潜り抜けてきた私の目は、小さな「不備」を見逃さない。 普通、主人の寝室に埃が残っているなんてありえない。人員が足りていないのか、それとも現場が混乱しているのか。
その時、廊下から微かに声が聞こえた。
「……おい、聞いたか? また北の『魔力炉』が止まったらしい」 「勘弁してくれ、これで三日連続だぞ。……旦那様も、昨夜から一睡もしてないって話だ」
(魔力炉? 一睡もしてない……?)
脳裏に、デスマーチ真っ最中の自分の姿が過った。 深夜三時、目の下にクマを作り、コーヒーを流し込みながら「まだバグが取れない……」と呟いていた、あの地獄。
(……いけない。私はもう引退したの。現場の苦労なんて、もう関係ない……はず。そうよ、関係ないわ!)
私は首を振り、再び布団を被った。 だが、窓から差し込む朝日の眩しさが、どこか工場の非常灯のように見えて、私の安眠を少しだけ邪魔していた。




