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8月21日(木)後悔のナポリタン

 連休明けの一週間、本来ならおそろしく長く感じそうなものだけど、かすみさんのおかげで毎日が楽しく過ぎていく。


 昨夜(と言っても日付は今日の二時だけど)は、一昨日の火球からの流れでスマホで動画を見て盛り上がった。

 盛岡の動物園で今月から公開されたというピューマの赤ちゃんの可愛さに『かわいい』を連呼するかすみさんが一番可愛かった。

 なんだかすごくカップルっぽいことをしている気がする。


 ──おかげで毎日寝るのが三時過ぎになってしまい、寝不足ではある。


 懸案の心理的瑕疵に関する管理会社からの書面は、仕事帰りにはアパートの玄関にある集合ポストに投函されていた。手に取って見ると切手が貼られてない。わざわざ投函に来たということだろうか。


「あの、すみません。高野(たかの)さん、ですよね?」


 突然に声を掛けられて振り向くと、知らない女性が立っていた。僕よりいくらか年上だろう。すらりとした長身のパンツスーツ、ボブヘアにメガネの大人な知的美人。

 彼女は僕が手にした封書に目を向けつつ、名刺を差し出した。


「こちらの管理を担当しております、中村と申します」


 先日電話で話した、管理会社の中村さんだった。


「あの、もしお時間よろしければ、少しご説明させていただけませんか?」



 ◇ ◇ ◇



 食べログでナポリタンが絶品という情報も仕入れていたものの、なんだか敷居が高い気がして前を通り過ぎるだけだった近所の老舗喫茶店。そこのテーブル席で僕は、初対面の年上女性と向き合っていた。


「基本的には、そこに書いてある通りです」


 彼女に促されて封書から取り出した書面には、心理的痂疲の内容が記されていた。

 先日、例の事故物件情報サイトで見たのとほぼ同じ。

 五年前、住人だった四十代の男性と連絡が取れず、親族が管理会社の立ち合いで合鍵を使って入室したところ、ベッドで亡くなっていた。事件性はなく、死因は不詳だがおそらく衰弱死、冬場のため腐敗なども見られず特殊清掃なし。


「衰弱死……?」

「本当に、眠ってるようなお顔で。お部屋の中もきれいに整頓されていて」

「もしかして、管理会社の立ち合いって……」

「私です。入社して、はじめて担当したアパートでした」


 けっこうな事実を淡々と話す、クールビューティ中村。


「それで、ここからは本来は開示の必要がないので、口頭でのみお伝えするのですが」

「……はい……?」

「その前の入居者さんも、ほぼ同じような状況で亡くなったらしいんです。当時の担当者はもう退職済みで詳細はわからないんですが」

「……え!?」


 思考が停止して、少し遅れて意味を理解できた。つまり、僕の前の入居者が二人とも、衰弱死したということか。なんだか、すごくやばい気がする。それならあの安さも納得だ。


「それで、先日ご連絡いただいたときに、もしかして何かその……変なこととか、あったんじゃないかって」


 彼女は下を向く。言葉が少し、震えて聞こえた。


「心配になって。前のときも、ちょっと変な音がするとか相談は受けてたけど、家鳴りかも知れませんねえなんて、私あんまりちゃんと向き合わなくて……そのうち、気のせいだったみたい、ごめんねって連絡あって……すごく、優しい人で……」


 すっかり涙声になっていた。テーブルのナプキンを差し出すと「ありがとうございます」と受け取った彼女は、ちーんと鼻をかむ。


「だからもし何かあったら、私なんて頼りにならないかも知れないけど、遠慮なく相談してください!」


 顔を上げた彼女は、潤んだ目で僕を見つめながら、両手を取ってぎゅっと握る。……生身の女性の、滑らかで暖かい手の感触。心臓が高鳴るけど、かすみさんの困り顔がちらついて、僕はやんわりと彼女の手を引き離した。


「あ……ごめんなさい、私……」


 我に返って自分の手をさする彼女は、耳まで真っ赤になっている。おそるべし中村さん、ギャップ萌えの権化だ。そういえば名刺の名前(フルネーム)は「中村 萌花(もえか)」だった。


「お待たせしました」


 そこでタイミングよく、柔和なお顔の老マスターが自慢のナポリタンを二皿運んできてくれた。ぶりぶりの太麺に甘めの味付けがめちゃくちゃに美味しくて、これから通おうと心に決めた。

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