8月15日(金)また会ったね
暗い部屋、ベッドで目が覚める。今日は金縛りには遭わなかった。
仰向けに寝たまま枕もとのスマホを手に取って見ると、午前二時を回ったところ。
たしか昨日もこのくらいの時間だった気がする。
そこでふと、視界の端にぼんやり白いものが見えた。
大丈夫……本物より怖い映画を見て耐性を付けてきたじゃないか。
僕は自分に言い聞かせながら、白いものが見える横側にゆっくりと顔を向ける。
「……いッ!?」
目の前に仄白い幸薄顔があって、怖さより驚きで声が漏れてしまった。
昨日と変わらず、表情のない虚無顔に哀しげな眼差しでこちらを見る彼女は、ベッド横にしゃがみ込んで僕に目線を合わせていた。
「こっ……こんばんは。また会ったね」
ひとまず挨拶してみる。無言で小さくうなずき返す彼女。
いまの不意打ちのせいで鼓動が早まっているから、怖い映画を見て付けた耐性が役立っているのかイマイチよくわからないけど、いくらか冷静に状況を受け入れられている
改めて、ほんとに心の底から可愛い。そして幸が薄い。だからこそ可愛い。「未亡人感の漂う美少女」とは我ながらよく評したものだと思う。
「…………」
彼女が薄い唇を微かに動かしてから、小首をくいっと傾げる。たぶん昨日と同じように「こわい?」と聞いているのだろう。
「ちょっと待って」
さすがに寝たままなのは失礼な気がしたので、起き上がってベッドに腰掛ける。そういえばまたシャワーも浴びずに寝てしまったけど、Tシャツは汗臭くないだろうか。──そもそも幽霊が匂いとか感じるものなのかわからないけど。
「こわくない、と言ったら嘘になるんだと思う」
僕の右側にしゃがみ込んだまま、彼女は首をめぐらせてこっちを見上げてくる。……ちょっと待ってくれ、自分でこの位置関係にしておいてなんだけど、上目遣いの破壊力がすごい。
「でも、今日……ていうか昨日か? 耐性付けようと思ってホラーな映画を見てきたんだけどね、そっちのほうがずっと怖かったよ」
それを聞いた彼女はぽかんと口を開けて、しばらく静止する。あれ、なにかおかしなこと言ってしまっただろうか。……いやまあ「本物の幽霊の怖さに耐性を付けるために、怖い映画を見に行く」って思考は、冷静に考えるとおかしなことしかない気もしてきた。
「ええと、ごめん変な話で」
そもそも女子と二人きりで話すこと自体ほぼほぼ経験のない僕なのに、さらに幽霊だなんてハードルが高すぎたかも知れない。どうしよう、このまま出てきてくれなくなってしまったら。いや、下手したら呪われてしまって、あの映画みたいに……?
──そのとき、彼女がゆらりと立ち上がった。
落ち着きかけていた鼓動がまた早まる。座った僕の目線は彼女の透けた胸元で、透けて見えるのは僕の部屋の壁でしかないのだけど、それでも何だか悪い気がして目線を上げる。
今度はこっちが見上げた彼女の顔は、もとの困り顔に戻っていた。
その唇が、また何かの言葉の形に動く。
「……うん?」
五文字だけど「また、あした」ではなかった気がする。たぶん初めての言葉だ。
読み取れなかった僕に、困り眉をさらに寄せながら頬を仄かなピンクに発光させて、今度は一文字ずつゆっくり口の形を変えていく。
あ
り
が
と
う
「──え? ありがとう?」
深々とうなずく彼女。
今度は僕がぽかんとする番だった。いったい何に対しての感謝だろう。
「……もしかして、耐性を付けるために怖い映画を見たこと?」
もういちど、今度は小さくうなずいて、そして彼女はゆっくりと、僕のベッドの右隣に腰を下ろしていた。
──え!?
ベッドに女の子と並んで座る。心臓の高鳴りは、明らかにさっきまでとは別種類のものだった。
しかも、なんの感触もないからすぐには気付かなかったけど、ベッドについた僕の右手の小指と彼女の左手の小指は、完全に重なっていた。
どうしよう、何か言わなきゃいけない気がするけど、言葉が出ない。
隣の彼女の顔を盗み見る。なんて綺麗な横顔だろう。うつむいて、でも眼差しから哀しみが薄らいだように思えるのは、気のせいだろうか。
いや、そうだ。聞きたいことは決まってる。彼女がなぜこの部屋にいるのか、どこでどうしてどんなふうに死んでしまったのか。
……そんなの、聞けるわけがない。
静かに、時間だけが流れる。ふと、彼女がベッドから立ち上がる。
「また、あした」
そう唇を動かして、今日も彼女の姿は輪郭を滲ませて消えていった。
スマホを手に取って確かめる。時刻は、ちょうど午前二時半になったところだった。