8月30日(土)②宝の持ち腐れ
「おじゃましまーす」
土曜の夕刻。もはや勝手知ったるとばかりに、三度目の訪問の原田さんはずかずかと部屋に踏み込んできた。しかも、これから海外旅行にでも出かける勢いのキャリーバックを持ち込んで、どんと床に置く。
「それは……?」
「お祓い本気装備一式、実家から持ってきた」
作戦決行は、日付変わって午前二時──霊の力が強まるとされるその時間、この世とあの世の位相が最も近づくのだという。それは裏を返せば、こっち側から霊に干渉する力もいちばん強くなる……ことになるらしい。試しにchatGPTに聞いてみたところ「興味深い説ですね」と言われた。
「はいこれ、ぜんぶ貼って」
キャリーバッグの中から手渡されたのは、見たことのない両の分厚いお札の束と、貼り付け位置をミリ単位で詳細に示した見取り図と、ダイソーのくまさん顔型巻尺。
「私が手伝ってもいいけど、男の子の寝室っていろいろ見られたくないものもあるんでしょ?」
「お……おう……任せて……」
そんなもの無いとは言い切れないので、おとなしく従うことにする。
「ま、夏澄にはとっくにバレてるかも知れないけど」
にやりと笑う原田さん。くっ、夏澄さんのリアクションが見れないから実際どうなのか判断できない。これまでの人生で、こんなにも「霊感がほしい」と思ったことはない。
──とにかく、黙々とお札を寝室の壁に貼る。四方にだいたい十枚ずつ、三段階の高さで交互に並べる感じ。これが霊道をずらすための指針になるらしい。
交差している霊道を上下にずらして立体交差させ、霊の衝突を防ぐことで霊溜の発生を回避する。こんなにも、理屈は分かるけど意味がわからない日本語が他にあるだろうか。
「よし、これで最後……」
なんだかんだで一時間以上は掛かってしまった。
「あっ、まだこっち来ちゃダメ!」
引き戸を開けて居間に戻ろうとすると、原田さんの鋭い声に制止される。
「え!?」
間に合わずちょっと開けてしまった瞬間、目に飛び込んできたのは──白装束を着て、鮮やかな緋色の袴の帯を締める途中の原田さんだった。
「ごっごめん!」
慌てて戸を閉める。だっだいじょうぶ、見えてない見えてない。というか着替えるならそう言っておいて欲しい。危険すぎる。
などと脳内でぐるぐる考えていると、わざとらしい咳払いが聞こえて「もう大丈夫」と許可が出た。
ゆっくり戸を開けて、覗き込むように居間に顔を出す僕。
そこに、巫女装束をまとった原田さんが立っている。
「いやあ、着替えるって言ったら覗きたくなるかと思って」
「そっそんなわけ…………ないって」
「ふうん。いま、なんだか間がありましたね」
髪を下ろしてひとまとめにした彼女は、もはや眩しいどころか神々しくて、目を逸らせずに見惚れてしまう。
「ちなみに高野くん、真横で夏澄が『見すぎじゃない?』ってめっちゃ不機嫌な顔してるよ」
「いっ!? ごっごめん! ほら原田さんの巫女姿とかレアだから、つい……」
真横にいるらしい夏澄さんに向かって、つい両手を合わせて謝りそうになり、寸前で止める。
「……おっと危ない……拝むのはNGだった……」
「ん? どういうこと?」
原田さんが怪訝な表情で問いかけてくる。
「え? 下手に拝んだりしちゃうとこう、成仏させちゃったりするんじゃ?」
「いやいや、ちょっとやそっとじゃそんな……なあに夏澄? え、なにそれ……」
夏澄さんが何か話したようで、近寄ってきた原田さんが僕を頭のてっぺんから隅々まで舐めるように凝視する。ちょっと恥ずかしい。
「なるほど……高野くんって霊感ないくせに、基礎霊力がやたら強いのね……だからこの部屋の影響もほとんど受けてなさそうなのか。……鈍感なだけだと思ってた」
「……え?」
なんだか微妙に失礼なことを言われてる気がする。
「宝の持ち腐れってやつね。優しくて気づかいできてモテる素養あるくせに、卑屈で鈍感だからぜんぜんモテない誰かさんみたいな。だいたい気づかいできるくせに鈍感ってどういうことなの」
畳みかけてディスられたようなそうでもないような。というか誰かさんが僕のことだとしたら、本人を本人で例えるのおかしくない?
「ちょっと夏澄、笑いすぎだって! さすがにかわいそうでしょ」
とか言いつつ、こらえ切れずに自分も噴き出す原田さん。抗議しようと思ったけど、まあ夏澄さんが笑ってくれてるならよしとするか。しかし僕がモテる……じゃなくて、基礎霊力が強いとかいうのは本当の話……?
「──まあ、いざとなったら頼らせてもらうね、高野くん」
急に真剣な表情で、まっすぐ目を見て言われたから、僕はうなずくしかなかった。
※ラストスパート変則更新中!8/31(日)も複数話投稿予定。