8月29日(金)② たねあかし
ひとめ惚れだと思った幽霊は、なんのことはない、中学時代の初恋の人だった。
それから僕は、たくさん自分のあの後のことを彼女──夏澄さんに話した。
勢いでちゃん付けで呼びはしたものの、やっぱりなんだか恥ずかしくなったので、さん付けにさせてもらった。彼女は少し不満げだったけど了承してくれた。
話しているうち、気付くと頬を涙が伝っていた。記憶の底に封じ込めたけど、僕は知っていた。あれはちょうど大学に通い始めたころ、母親がどこかで聞いて来たらしい。
「実の同級生でほら、大学病院に入院してた子いたじゃない。先月、亡くなったんだって」と、しめやかなトーンではあったけど、息子の初恋の人とは知らずに電話口で教えてくれた。
あのときも、嗚咽も何もなく涙だけが頬を伝っていた。
夏澄さんはそんな僕を困り顔で見詰めながら、そっと頬の涙を拭ってくれた。指先はすり抜けたけど、それは些細なことだった。
「──良かった」
そうして昼。社食で「きのう食べなかったぶん」と大盛りのカツ丼をがっつきながら、原田さんは目に涙を浮かべて言った。
「ちなみに高野くん鈍いからぜんぶ話しておくけど」
反論の余地もない。おとなしく耳を傾ける。
「そもそも夏澄が高野くんを好きだったんだよ」
「……え……」
驚くとともに、夏祭りの夜のことを十年越しで納得する。だから原田さんは僕に、夏澄さんのエスコートを任じたのか。
「でも、なんで僕なんか」
「あのとき私、言った気がするけど」
「え?」
「あの子が体調悪そうなとき、いつも私にこそっと知らせてきたよね。あの子が教室移動で階段のぼるとき、気付くといつも近くにいたでしょ」
「そう……だっけ……」
「私はクラス委員でみんなを見なきゃだったし、あとまあ割とガサツだったから、おかげですごく助かってた」
「それはたしかに……」
「うん?」
「そ、ソンナコトナイヨ……」
「とにかく、男子でいちばん優しいのは高野くんだった。まあ、きみにとっては当たり前のことなんだろうけどね。……だから、ほんとは私だって……」
そこで彼女は再びカツ丼をむしゃむしゃと愛らしい唇に運ぶ。
「はー、さっくさくなのに味がしみてて、卵の半熟っぷりも絶妙でほんと最高。ごちそうさま」
ご飯粒ひとつ残っていない丼に、手を合わせる。今日はカツ丼にすればよかったと、肉野菜炒めを前に後悔する僕だった。晩ご飯は松のやにしよう。
「……とにかくね。あのとき、夏澄はもう転校するの決まってたから。告白しろって言ったんだけどね、やっぱり自分が元気になってからじゃないと、高野くんは優しいから断るのがたいへんだと思う……って言ってた。あの子もね、優しすぎるから」
空の丼にぽつりと、彼女の目から雫が落ちる。周囲の反応は、もうどうでもよかった。あとで適当な理由を付けておけばいい。
「あんまり言うと怒られるから、このへんにしとく。ただね、あの子はすごく頑張ったの。それは、きみのおかげなんだと思うよ」
「うん。ありがとう、教えてくれて」
「……だから高野くんの部屋であの子を見たとき私、なんか驚きとか嬉しさとか感情がわけわかんなくなっちゃって」
そして彼女はゆっくりと、視線を僕の背後に向ける。
「ここからが、いちばん大事な話なんだけど」
「よくないもののこと?」
「うん。あの子はね、お盆のお墓参りの時に高野くんのそれを見て、放っておけなくて実家に帰らずこっちに憑いてきちゃったんだよ。きみを、守るためにね」
「そうだったのか……」
それがきっと、僕の前の住人を衰弱死させた何かなのだろう。
新月は霊の力が強まるとも言う。彼女があの時期に姿を消したのは、守ることに集中するためだったのかも知れない。
「だからね。明日、こんどこそ高野くんの部屋を祓います。私と夏澄で、きみを守る」
──言い切る彼女の瞳は、強い決意に満ちていた。