8月13日(水)お盆の夜に
僕が事故物件に住み始めて、もう半年になる。
いわゆる心理的痂疲アリ、ってやつだ。
入居前の告知義務があるらしいけど、知らなければナシと一緒なので詳細は聞いてない。
駅近の1DK築十年、家賃は相場の半額近く。
そして霊現象的なやつは一度も起きてない。
会社からの家賃補助もあって、貯金は順調に増えていく。
もう、よいことしかない。
そんな8月13日、お盆のことだった。
実家は電車で一時間半の絶妙な距離なので、日帰りでお墓参りを済ませてきた。
無限に出てくる食べ物と、親戚連中の「彼女いるの?」攻撃からどうにか逃げ出し、帰宅してすぐベッドに倒れ込むように眠ったその深夜。
「…………!?」
詳しく思い出せないけどめちゃくちゃ理不尽な夢を見て、目が覚める。体が動かない。
──金縛りだ。
この部屋に来てから、何度か経験している。
睡眠中に脳だけが目覚めて体は眠ったままの状態、医学的には「睡眠麻痺」と呼ぶ。要するにただの生理現象だ。
初金縛りのとき怯えながらChatGPTに尋ねたら、冷静にそう教えてくれた。事故物件は関係ない。
ちなみに金縛り中に霊現象に遭ったりするのは「入眠時幻覚」といって、夢のなかの出来事と現実の区別が付かなくなる生理現象。事故物件は関係ない。
うん、これもChatGPTが冷静に教えてくれた。
だからベッドの傍らに立って、無表情で僕のほうを見ている彼女──仄白く発光して向こう側が透けて見える浴衣姿の女の子も、幽霊じゃなくただの幻覚だ。
年齢は女子高生か、もう少し上くらいだろう。透けてるけどきっと黒髪のロングヘアに、整っているものの幸薄めな困り顔。
矛盾した表現かも知れないけど「未亡人感の漂う美少女」みたいな? その雰囲気と浴衣の相乗効果たるや、凄まじいものがある。
──ぶっちゃけ、めちゃくちゃ好みのタイプだ。
そりゃあそうか。これ僕の夢だしな。
何にしたって、こんな美少女と二人きりの機会はそうそうない。金縛りをいいことにガン見してしまおう。
「…………」
「…………」
じいいいっ。彼女も無言でこっちを見ている。
「…………」
「…………」
見詰め合う二人。彼女は無表情のままで、眼差しは何かを諦めたように哀しげだ。見ていると、その哀しみの中に吸い込まれそうになる。
「…………」
「…………」
いやあ、それにしても見れば見るほど。
「……かわいい……」
いつの間にか金縛りが解けていて、心の声が漏れてしまった。
「…………!?」
彼女は目を見開いて、周囲をきょろきょろと見回す。それから自分の顔を指さして、声に出さずに「わたし?」と口を動かしてから首を傾げた。
「うん。他に誰もいないよ」
おもしれえ夢だなと思いつつ、ベッドから起きあがる。ほんのりピンク色に発光する頬を、隠すように両手添える彼女。おいおい可愛すぎる。
──あれ、でもそういえば。
彼女の顔と数センチの距離で見つめ合いながら、ふと僕は気付いた。
金縛りが解けた時点で、入眠時幻覚も消えるはずではないかということに。だとしたら、いま僕の目の前で恥じらっている美少女は、つまり。
「……幽……霊……?」
僕の言葉に、彼女は一瞬きょとん顔してから、また自分を指さして「わたし?」と口を動かし首を傾げた。
「うん」
ぎこちなく、ゆっくりうなずいた僕に、彼女は寂しげに目を伏せてうなずき返す。そしてまた声に出さず、自分の顔を指さして、ゆっくり口を動かした。
「こわい?」
心臓がめちゃくちゃに高鳴っている。
目の前に本物の幽霊がいるのだから、当たり前だ。そして、それがめちゃくちゃ好みの女の子なのだから、なおさらだ。
「……うん。こわくて、かわいい」
僕の正直な答えを聞いた彼女は、困り顔をさらに困らせながら、輪郭を空中に滲ませ消えていく。
最後に微かに動いた唇は、たぶんこう言ってた。
「また、あした」