白い結婚は二度目なので、好きにさせていただきます
わたくしが二度目の白い結婚をいたしましたのは、戦争の足音が近づいてきている、暗い時代のことでございました。
すでに年齢も二二歳となっておりましたので、うんと年上の、訳ありのお方のところにしか嫁げないだろうと思っておりました。
ですから、再婚相手が十八歳だと聞いた時には、たいそう驚きました。わたくしと四つしか年齢の差のないお方など、なにかの間違いなのではないかと思ったくらいでございます。
お父様が教えてくださったお話によりますと、この縁談を持ち込んできたのは、再婚相手の養父であるオルランド・イプリル公爵閣下だそうでした。
公爵家が格下の子爵家に縁談を持ち込む、しかも、相手は出戻り女。これは大変な訳アリのお相手だろうと思いました。
オルランド様は、亡き兄夫婦の子であるアダン様のお相手に、領地経営ができる女性をお望みだったそうです。
わたくしは一度目の白い結婚の時に、傾いていた元夫の領地を立て直しており、その噂がオルランド様のお耳に届いたそうでした。
お父様は公爵家と姻戚関係になれることを、たいそう喜んでおいででした。継母と妹も、わたくしの新しい門出をニヤニヤしながら祝ってくださいました。
わたくしはこの世に居場所などございません。決められた嫁ぎ先に行くのみの、悲しい身の上なのでございます。
「お前を愛することはない! 私にはアーガスト男爵令嬢のエレーヌがいるのだ!」
わたくしを初めて見たアダン様は、そう叫ばれると、イプリル公爵家の領地館の応接室から出ていかれました。
前の夫と結婚した時は、初夜の寝室で同じ言葉を聞かされました。お相手の女性は、もちろん別の方でしたよ。
エレーヌ嬢のことは、オルランド様から事前に聞かされておりました。アダン様はエレーヌ嬢がお好きですが、アダン様もエレーヌ嬢も、領地経営ができないそうなのです。
オルランド様は領地経営を前面に押し出しておられますが、領地経営だけなら領地経営の専門家でも雇ったら良いのではないかと思います。
先ほどのアダン様の表情や振る舞いを見る限り、アダン様は領地経営どころか、貴族としての務め全般ができそうもありません。オルランド様は、アダン様とエレーヌ嬢では、イプリル公爵家を維持していかれないと考えたのでしょう。
わたくしはすでに、書類上ではアダン様の妻となっております。
わたくしは一度目の白い結婚で、元夫の代わりに貴族の務めを果たしておりました。オルランド様はそんなわたくしを、どうしてもアダン様の妻にしたかったのでしょう。
まったく身勝手な話でございます。
「私は間違っていたのだろうか……」
オルランド様はつぶやかれると、ハンカチで口を押えて咳き込み始めました。
わたくしはオルランド様が素早く懐に隠したハンカチに、血がべっとりとついていたのを見逃しませんでした。
オルランド様はお医者様から、不治の病により後数年の命だと言われているそうなのです。亡き兄夫婦の一人息子であるアダン様を残し、天に召されるのです。
アダン様もオルランド様のご病気はご存知なのですから、態度を改めたら良いと思うのですが……。
世の中、なかなか思うようにならないものでございます。
「ロザンナ嬢、申し訳ありません……」
この美しい金髪と青い瞳の公爵閣下は、十八歳の時に、流行り病でお兄様とその奥方様を亡くされて、爵位を継ぐと共に、当時十歳のアダン様を引き取られたそうです。
オルランド様は今、まだ二六歳で、わたくしと四つしか歳が違いません。歳の離れた兄の一人息子を引き取り、なんとか領地経営をしながら、病と闘っておられます。
アダン様も、オルランド様と同じく金髪に青い瞳をされています。ですが、アダン様はあの態度です。わたくしにはアダン様が、オルランド様と同じように美しいとは、まったく思えませんでした。
「アダンにはなんとか言い聞かせますので、どうかこらえてください……」
オルランド様は公爵閣下であられるのに、子爵令嬢のわたくしに詫びてくださいました。
「お前とは白い結婚だ!」
わざわざ戻ってきたアダン様が、ドアを開け放って、わたくしに怒鳴りました。
白い結婚なら慣れておりますので、勝手になさったら良いのです。
「アダン、よく見ろ! お美しい方だぞ!」
オルランド様がアダン様に叫びました。
「どこがだよ!?」
「美しい蜂蜜色の髪、菫の花のような紫の瞳、薔薇色の頬と唇! 整った顔立ち! 体形だって申し分ない! なにが不満なのだ!?」
わたくしはこのように褒められたのは、人生で初めてでございました。顔が熱くなるのを感じ、胸を押さえてうつむきました。
「どこにでもいる貴族の女だ! エレーヌの茶色の髪と目が気に入らないのか! この差別主義者め!」
これが自分を育ててくれて、爵位を譲ろうとしてくれている、病で余命いくばくもない叔父に対する態度なのでしょうか……。
「そうではない! なぜわからないのだ!?」
アダン様の頭が、お悪いからなのではないですかね……、と申し上げたら、オルランド様は泣くでしょうか……。
オルランド様を泣かせるのは心苦しいです。ご自分が亡き後、アダン様がなんとかやっていかれるよう、精一杯お考えになった結果がこれなのですもの……。
アダン様があまりにも酷すぎて、オルランド様がお気の毒です。
もはやオルランド様を恨む気持ちにもなれません……。
アダン様は上等な絨毯に唾を吐くと、「エレーヌのところに行く!」と言い残して走り去っていかれました。
オルランド様……、八年もあったのですから、さすがにもうちょっと、アダン様を躾けていただかなくては困ります……。
それからのわたくしの暮らしは、白い結婚をしているにしては、良いものでありました。
まともな温かい食事が、三食ちゃんと出るのです! 部屋も屋根裏部屋や納屋ではありません! 使用人のような真似もしないで良いのです!
すごくないですか!? 普通は雑草だのカビたパンだのを食べますよね!? 普通に公爵夫人が暮らすような部屋がもらえるとか! 掃除や洗濯も使用人がやってくれるとか! 白い結婚にしては、待遇が良すぎじゃないですか!?
オルランド様がいてくれて良かったです!
アダン様だけだったら、普通の白い結婚らしい暮らしになっていたことでしょう。
世の中は、ついに国王陛下が隣国を討つことをお決めになり、貴族の子弟も跡継ぎ以外は出征することが決まりました。
その隣国では、怪しげな宗教が流行っているそうでした。『夜空の彼方から円盤なる乗り物で降臨した』とかいう謎の男が、怪しい術を用いて、国王から平民に至るまで、多くの者を熱心な信徒に変えているというのです。
先日も、その隣国の周辺国が併呑されたため、国王陛下はこの国の民を守るべく、親征をお決めになったそうなのです。
オルランド様の跡継ぎであるアダン様は、もちろん出征などなさいません。
アダン様はエレーヌ嬢に会ったり、貴族学園時代の友人と飲み歩いたり、カードゲームに興じたり、狩りに行かれたり……。
遊び歩くのもいい加減にしろよ、などと言ったら、いけないでしょうか……。
わたくしはオルランド様と執事から、日々、領地について教えていただいておりました。
その日も、わたくしは乗馬服姿で自ら馬に乗り、オルランド様と共に領地を見てまわりました。
イプリル公爵家の領地は、平民などが着る服に使う、綿花を栽培しております。領民たちは、重労働をしているというのに、とても生き生きとしていました。彼らは、わたくしたちに気づくと、仕事の手を止めて挨拶をしてくれました。
領民たちを、やさしく見つめるオルランド様……。
オルランド様は素晴らしい領主であり、尊敬できるお方です。
わたくしは心から、オルランド様を立派なお方だと思っております。
ええ、それだけでございます。それ以上の気持ちなど……。
わたくしとオルランド様は屋敷に戻ると、おしゃべりしながら自ら馬を引き、馬小屋に行きました。わたくしもオルランド様も、愛馬をかわいがっているのでございます。
「やだぁ!」
オルランド様が馬小屋の扉を開けると、女性の悲鳴が聞こえました。
「おい、開けるなと言っただろう!」
アダン様の怒鳴り声もいたしました。
オルランド様は蒼白な顔をして、わたくしにご自分の馬の手綱を渡すと、使用人を呼びに行かれました。
それからしばらくして、馬小屋からはアダン様とエレーヌ嬢が、不機嫌な顔をして出てこられました。
ああ、こいつら死なないかな……、などと思ったわたくしは、淑女失格でしょうか……。
それでも残る命の短さ故、オルランド様はアダン様の行いに我慢されておりました。
毎日、毎日、アダン様に、せめて領地経営だけでも学ぶよう言っておられます。
食事の時も、アダン様が少しでも領地経営に興味を持つよう、面白おかしく領地のお話をしておられます。
オルランド様の努力は、まったく報われておりませんでしたけれど……。
ついに国王陛下は、軍隊と騎士団と帯剣貴族の皆様を引き連れて、隣国との戦争をお始めになりました。
……まさか秒で負けて、みんな帰ってくるとは思いませんでした。
なぜでしょう……。実戦経験の差とかいうものでしょうか……。
「いやー、あれは無理だわ」
オルランド様のご友人である帯剣貴族の方たちがいらして、口々に隣国についてお話をしていかれました。なんとも情けないことでございました。
わたくしどもの国は、隣国の占領下となりました。
隣国の騎士団がやってきて、我が物顔であちらこちらを見て回っておりました。
このイプリル公爵家にも、隣国の騎士団がやって来ました。隣国では『流星の騎士』などともてはやされ、教祖のような扱いをされている騎士団長もやって来ました。
オルランド様は『流星の騎士』の前でも、咳き込んで血を吐かれました。
「喉のポリープのようなものですね。お大事になさってください」
どうやら『流星の騎士』はお医者様でもあったようで、オルランド様を診察してくださいました。
隣国からは医師団なる者たちが呼び寄せられて、オルランド様や他の病人たちに、奇妙な衣装を着て『手術』なる怪しい儀式をしてくださいました。
元からの病に加え、儀式により弱ったオルランド様は、コポコポとかゴポッと音がする、液体の詰まったカプセルなる容器に、半日ほど入れられておりました。
オルランド様の不治の病は、隣国では治療法があったのでございました。
わたくしどもの国は、隣国の領地となり、平民も貴族も、国王陛下ですらも、隣国の『法律』なる決まりによって縛られることとなりました。
わたくしはその『法律』なるものが施行される前に、わたくしどもの国の決まりに基づいて、アダンとの白い結婚を解消いたしました。もしも『法律』なるものに、白い結婚の解消を禁ずる決まりがあったら大変ですもの。
アダンはわたくしとの結婚が解消されたのも知らず、今でもわたくしに向かって威張っています。
「叔父上、考えたのですが、どうせロザンナ嬢とは白い結婚なのですから、白い結婚を解消した上で、このままロザンナ嬢に領地経営をさせても同じなのでは?」
領地経営だけの問題で、わたくしと結婚させられたわけではないと、アダンはまだわかっていなかったようです。
「なにを言い出す……、アダン……」
「私はエレーヌと結婚する。帰る家のないロザンナ嬢は、この家を追い出されない。どうです? 名案でしょう!」
アダンはエレーヌを腕に抱き、得意げに言いました。
オルランド様は真っ青な顔をして、小さく咳き込まれました。オルランド様は、まだあまりしゃべることができないのです。
「だめだ……」
オルランド様は小さな声で言いました。
「えー、なんですかー? 聞こえませーん」
エレーヌがクスクス笑いました。
「ロザンナ嬢には……、こちらから頼んで来てもらったのだ……。礼を尽くすのだ……、アダン……」
まだ喉が痛いはずですのに、オルランド様は必死で反対してくださいました。
「なにが礼を尽くすだ! 帰る家のない、二度も白い結婚をした女だ! 三度目なんてないだろう! ここで我がイプリル公爵家に尽くさせてやるのだ! こちらが礼を言われる方だろう!」
アダンがわたくしの方に歩いてきて、手をふり上げました。
まだ体調の悪いオルランド様が、わたくしとアダンの間に入ってくださいました。
アダンとオルランド様は、お互いの胸元をつかんでにらみ合いました。
わたくしにとっては、それでもう充分でございました。
「アダン、白い結婚は解消したので、あなたはもう、わたくしの夫ではありません。エレーヌと共に出ておいきなさい」
わたくしはアダンとエレーヌに言いました。
こいつら、今、誰の家にいるつもりなのでしょう?
わたくし、白い結婚は二度目でございます。
一度目の白い結婚も、死なずに乗り越えた猛者ですのよ?
甘く見てもらいたくないですわ。
「誰に向かって口をきいているのだ!」
「あなたこそ、誰に向かって口をきいているの?」
アダンとエレーヌが目を丸くして、わたくしを見てきます。
オルランド様の顔色も、さらに白くなられました。
「オルランド様はご病気ですので、わたくしが『法律』の施行前に、爵位を受け継いでおきました。あなた方は今、イプリル女公爵の前に立っているのですよ?」
領地経営には、この国の決まりに関する知識が必要です。
わたくしは努力して、この国の決まりをたくさん覚えました。
白い結婚を解消するのも、爵位を受け継ぐのも、この国の決まりに沿って行われるのです。
わたくしにできないはずがありません。
日々、遊び暮らしていたアダンとエレーヌには、直ちに我が領地から出ていってもらいましょう。
わたくしはオルランド様と違って、やさしくありませんのでね。
速やかに、遅滞なく、なんて言いません。
――直ちに、でございます。
「白い結婚を解消した上に、爵位を受け継いだ!? そんなことが許されるのか!?」
「そうなのでしょうね。わたくしはもう、あなたの妻ではありませんし、イプリル女公爵ですもの」
わたくしは執事に命じて、役所から発行された書類を持ってこさせました。
アダンとオルランド様は、二人で書類を確認し始めました。
「クソッ、本当なのかよ!」
「なんということだ……」
どうやらお二人にも、わたくしが本当のことを言っていると、わかっていただけたようでございます。
「アダン、もう廃嫡手続きもしたので、あなたはこの家の跡継ぎでもないわ。平民として王都あたりで暮らしたらいかが?」
わたくしが提案すると、アダンとエレーヌの顔が、オルランド様よりも白くなりました。
「そんな……、叔父上!」
今になってオルランド様に頼っても、もう遅いですわ!
「アダン……、エレーヌ嬢……、出ていけ……。二度と戻るな……。やり直す機会なら……、何度もあった……」
オルランド様のアダンへの育児を批判する者も、きっといるでしょう。わたくしだって、もうちょっとなんとかならなかったのかな、と思いますもの。
ですが、オルランド様が十八歳で、十歳の子供の養父になってから八年。オルランド様も、オルランド様なりに精一杯、がんばってこられたのだろうとも思うのです。
「自分たちで出ていかないならば、イプリル女公爵の名において役人を呼びますわよ」
わたくしは執事をちらりと見ました。
アダンとエレーヌは、わたくしが本気だとわかったのでしょう。
黙って屋敷から去っていきました。
エレーヌの実家の男爵家もあるのです。二人もさすがに、どこかで野垂れ死にしたりはしないでしょう。
「ロザンナ嬢……、私が……、私が……、あなたを不幸に……、してしまった……。ずっと……、申し訳ないと……思っていた……」
オルランド様がわたくしの前でひざまずきました。
わたくしはオルランド様から爵位を奪い取りはしましたが、オルランド様を憎んだことはございません。
「ここを……出ていく前に……、私自身への……、けじめを……、つけさせてほしい……」
オルランド様はわたくしの手をとり、わたくしを見上げました。
オルランド様の目はかすかに潤み、まるで青い宝石のような美しさでございました。
「ロザンナ嬢に……、この身と……、我が愛……、すべてを捧げたい……。どうか……、我が妻に……」
これ以上、オルランド様にご無理はさせられません。
隣国……、いえ、今は自国のお医者様も、あまりしゃべらないようにと言っておられましたもの。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
わたくしはオルランド様の手を引いて立っていただきました。
わたくしが笑いかけると、オルランド様の白かった顔が、今度は真っ赤に染まりました。
わたくしの三度目の結婚は、もう白くないようでございます。