003.魔法使いの家
路地裏を抜けた先、倒壊した建築物に囲まれていた空き地があった。
空き地の中央には、雑草の群れに覆われていた井戸がある。
井戸の端には、水を汲むための桶があり、そこには苔も生えていないので、時々その井戸を利用して水を汲んでいると見受けられる。
ただ、井戸の前に、一つのものがわざとらしく置いてあった。
とはいえ、そのものは結構の高さもあって、かなり目立つ。
それは、ドアか?
廃墟の民居のドアは、ことごとく風化して、使えなくなるものの方が多かった。
しかしそのドアは、保存状態が良すぎたというか、それは疑う余地もない新品だった。
余計に廃墟の不気味さを醸し出しているそのものが、目に入った途端、危険物かと思った柚希は足を止める。
やはり魔物の件で尾を引いていたせいか、柚希もかなりナーバスになっている。
ドアの後ろには部屋がない、ただドアだけがそこに立っている。
不自然と言えば不自然だが。
部屋のついていないドアは、果たしてドアと呼べるのだろうか。
少女は鍵を取り出して、そのドアの錠前に差し込む。
部屋のないドアを開けようとする、それは何の真似だ?
そう思うとすぐ、彼女はドアを開けた。
驚くべきか、扉の向こうには、完全なる別の世界があった。
外には見えないけれど、扉の中にはちゃんと空間がある。
「びしょ濡れなのです。はやく中に入るのです」
「わ、分かった……」
彼女の後に続いて、柚希はおずおずしながら、謎の空間に入った。
奇妙なドアではあるが、気になっても今はそれ所じゃないから、詳細の仕組みは聞かなかった。
ドアの中の部屋は、彼女の部屋だということだけが分かればそれでいい。
彼女はぬるりとした水色の髪を絞り、水分を抜く。
柚希の方では、犬が水を払うように、ばたばたばたと頭を振る。
「ちょ……、雨水をまき散らさないのです! 野生動物か貴方は!?」
「ご、ごめん……」
「ほら、タオルです。それで身体を拭いてください」
「……ありがと…」
柚希は相手からタオルを受け取り、濡れた髪を拭く。
「怪我はしてないのです? ふむ、死なずに済むんだから幸運だと思いなさいな」
「ありがとう、た、助けてくれて……」
「そうね。私が貴方を助けたのですわ。貴方だけなら、今はすでに魍魎たちに殺されたに違いありませんのです。感謝しなさいのです。でもそれだけは言うは……」
「……」
「貴方、バカですの?」
「バ、バカ…?」
「あんなところにうろついたら、死んじゃいますわよ。異能も使えないやつは、危険度LV2以上のエリアに入る場合は、他の異能者と同行することはお決まりなのです。それは常識なのですっ」
「村は近くにあるから、す、すぐに帰れると思って……、だから、ちょっと判断のミスというか……。あの、フ…フロネシス人の魔法使いを探しているんだ。よかったら教えてくれないか?」
「ふん、人探しか。有り体に言えば、貴方の探しているフロネシス人は私なのです。旧楽指迹には私以外誰も住んでいないから」
きっぱりと言って、彼女はカフェテーブルに行き、そこの一人掛けのソファに座る。
「私は葉桜美羽、で、貴方は?」
「ぼく、ぼくは…丘野柚希」
「柚希か、ふむ。私に用があるから一人で来たのですか柚希?」
急に下の名前が呼ばれて、柚希はびくっと顔を起こした。
下の名前で柚希を呼んでいる人間は、この世には一人しかいない。
その人は、柚希と小さい頃からずっと一緒にいる幼馴染だ。
彼女は柚希の友達の一人で、友達と言えばそれもたったのその一人だ。
柚希と友達になりたい人がいるのなら、その人はきっと宇宙人にも友達になれるのだろう。
陰キャで背も低くて、身体も弱い柚希は、友達は一人しかいない。
柚希の幼馴染では、『変な人』というより、『特殊な人』と言った方がいいか。
特殊だから、柚希と友達にもなれた。
まあ、下の名前で呼ばれたから、下の名前で呼び返すのも礼儀だろう。
「用などは、その……別に…ないんだけど、美羽は、ずっとここに住んでいるのか?」
柚希は引き出しやすいところから問う。
「馴れ馴れしく下の名前で呼ばないのです!」
美羽はつんつんして言った。
「こっちはだめなのか?!!」
「あいにくなのです。私は友達が三千人もいますから、貴方と同じ丘野という名字の友人がちょうど一人いますわ。丘野と呼ぶのなら、区別するには丘野Aと丘野Bで呼ぶのだけれど、それでいいかしら?」
「CDのA面とB面みたいに人を呼ぶな! それに友達の数多くないか?! とんでもない嘘をつくじゃないよ!」
「バレてしまったか」
「いや、バレるかバレないかという問題じゃないだろ、あんな嘘!」
「仕方ありませんのです。では丘野01号、とにかくある意味で無知な貴方に説明する必要があるのですわ」
「急にロボットの序列みたいになったんじゃねえよ!」
「私の友達は丘野00号の初作機で、貴方は次作の試作品なのです。試作品だからバグだらけなのです。捨てちゃいましょう」
「ぼくの扱いひどくない?!」
「一々突っ込んでくるのはうるさいのです! 貴方は私と同じフロネシス人なのですよ柚希さん。日本ギャグもちゃんと受け流しといてくださいな」
いや、ギャグなら突っ込んだ方が礼儀作法なもんだろう。
それに、バグや試作機などの単語がこの世界に存在するのか? 魔法の世界のロボットは、存在するだけでも罪だ。ファンタジーの面白味がこんな場違いなものを入れたせいで完全に無駄になってしまう。
蹴っ飛ばすぶっ飛ばす吹き飛ばすだ。
だからやめろ!
どうしてロボットの話が出てくるんだ? ああもう、聞きたくない聞きたくない聞きたくない!
それはともあれ。
何か、妙なことを言っていた気がする。
「日本?」
「日本なのです」
彼女は重ねて言った。
「えっと、美羽はぼくと同じフロネシス人って言わなかった? それはつまり、ぼくもフロネシス人なのか? あの……もしかして、フロネシス人って……」
「フロネシス人は、異世界転移者や転生者を指す言葉なのです」
美羽は言った。
唖然とする柚希。
転移者はフロネシス人?
楽指の武器屋のおっさんから聞いたその言葉は、当時それは異世界の一つの人種だと思っていた。
まさか異世界の別の人種ではなく、さらに上での区別の言葉だった。
「私も転移者ですから、私も貴方と同じフロネシス人なのですわ、ラルトンの怨霊、丘野01号」
「なんだその変な通り名は?! 初対面の人に通り名を付けるな。それに、ラルトンはどこの地名だよ」
「ちなみに、貴方と同じ名字を持つ友達がいるというのは、嘘なのです」
「嘘なのかよ!!」
心証を悪くするのが目的か。しかし憎めないやつだな。言動の印象がまったく悪くならない。ここは褒めるべきか。
「あの、み…美羽も日本から来たんじゃないか、じゃあ、どこに住んでいるのか?」
「同じ町の人は、異世界でも同じ場所に転移されるのです。つまり私と柚希さんは、同じ日本人で、同じ町の出身なのですわ」
美羽は解釈する。
転移するのは自分だけだと思っていたが、その言い方では、まさか他の転移者が?
ということは、柚希は、集団転移の被害者の一人ってことか?
過程はどうであれ、こういう次元的災害が起こって、実際にも被害者(柚希)が出ていて、冗談話も冗談じゃなくなっているから、これからのことは考えないといけない。
でも何百人も転移災害に遭うことはさすがにないと思う。
「同じ町に住んでいるのか。へえ~。じゃあ、美羽の家は、町のどの辺にあるんだ?」
同じ町と言っても、その範囲も広いから、聞かなければやっぱりどこに住んでいるのかは分からない。
同郷人がいるのなら、心強い。
「異世界にいるのに、元の世界のことを聞くのは無粋だと思わないのです? 柚希さん」
しかし、美羽は教えてくれなかった。
笑顔で柚希の方を見る美羽は、何とも言えない威圧感がある。
その笑顔はちょっと怖い。
「……気に障ったら…ごめん。うん~、ぼくも、そう思うよ」
元の世界のことは、確かに今はそんなに重要じゃないか。
柚希もそんなに元の世界が好きじゃなかったし。
両親が死んで、家にはおばさんとその息子が住み着いている。
血のつながりがあるかどうかも疑わしいその二人と一緒に暮らすことは、あまりにも辛かった。
「えっと、柚希でいいよ。さん付けとか、そんな改まった呼び方では、逆に照れてしまう……」
「そう? じゃあ、これからはよろしくお願いするのです。柚希」
彼女は自信の満ちた笑みを浮かべた。
美羽のところに来て、実は二つの用件がある。
うまくいけば魔法を教えるかもしれないと、
何か有用な情報を引き出すためだ。
そうなんだが、聞きたいことが山ほどあるのに、いざという時、どこから聞こうか悩んでしまう。
「この部屋は、綺麗だよな。なんでここに住んでいるんだ?」
いやいや、そんなどうでもいいことを聞いてどうするんだ?
面白いからここに住むとかいうに決まっているじゃないか。
「部屋は綺麗? 言葉の綾だとしても、目を閉じながら言うことではありませんよ柚希。目を閉じながら、貴方は綺麗ですねとか、喧嘩を売っているとしか思わないのですっ!」
「目を閉じているって、ぼく、そんなひどいことをしていたか?」
目を閉じていないが、美羽の言っていることは、そういう直接的な指摘ではないと思う。
談話するのに忙しく、周囲の環境を確認することもろくにできなかった。
こいつとの対話は重労働みたいな言い方になったが、それについては謝る。柚希は今は疲れている。美羽の住む部屋はどんな感じなのかなど気付く暇もなかった。
だからと言って確認もしないでただ褒め言葉を述べるのは、しらばくれるのと同じ性質の悪い態度ではないか。
「すまん美羽、ただの言い回しだ。気にしないでくれ」
それに関しては謝ろう。
柚希はその不思議な空間を見て回る。
そして彼女はどうして柚希の発言を指摘するのか。部屋を見てそれも分かっていた。
豪奢な私室の中には、上品なものがいっぱいある。
装飾用の調度品から、絵画などの芸術品まで贅沢に置いてある。
それだけなら、たしかに西洋古典絵画に描いたような綺麗な部屋ではあるが……
しかし、あろうことか、その部屋は相当に乱れている。
乱雑などというレベルではない。その狼藉はまるで殺人現場のような有様だった。
所々に置いてあるカートンの箱。本棚が倒されて何百冊の本が片付くこともなく、そこら辺に堆く積み上げられている。ベッドの上にあった黄色い何かの破片。よく見るとそれはひどく破壊されたバイオリンの破片だった。何があったかよく分からないが、なぜかクッションの上に料理用のナイフが刺し込まれている。かなぐり捨てられたパジャマと下着。角の壁には、何か顔料的なものが、ぱーと花火のように投げられた痕跡があって、今ではカビが生えて、名状しがたい粘液になっている……
ひどい有様だ。
この屋敷は呪われた屋敷なのか?
「何? 女の子の部屋をじろじろ見ないでくださいな! ……、きゃあ~、家事ができないことがバレてしまいますのです!」
きゃあきゃあと叫ぶ美羽。
元気がいいなあこいつ。
幼馴染が部屋に遊びに来た時、柚希はまず十分待ってくださいと告げて、部屋をあらかた片付けてから入らせるのに、美羽は一秒の片付けもなく柚希を部屋に入らせた。
何だこの惨状、柚希なら恥ずかしすぎて喋れなくなるかもしれない。
「女の子の部屋よりヤクザの部屋だな! お前、ここに住んでいて胸苦しくなる時はないか? 殺人現場だから死霊が出るぞ!」
柚希はさらに畳み掛ける。
「人の部屋を事故物件みたいにいうじゃありませんよ」
「……、まあ、すまなかったね」
同い年だと、ついつい気を許して饒舌になってしまう柚希は、緊張を解いたら、なんだか口達者な性格になっていた。
「冗談ですから謝らないでくださいな~。では質問の話に戻りますのです。なぜ廃墟に住んでいるという話なのですか?」
「確かに話は逸らしたよね、でも、それは好きだから住んでいるではないか」
「そうじゃないのです。私だけではなく、異能を持つ人は、町や村での暮らしは、どうしても慣れないものがあるのです」
「それは……、もしかして、異能力者ボイコット? 鼻つまみものにされて、異端審問とか魔女狩りとかに遭わされるのを避けたいから、人の集まるところに行きたくないとか?」
「何勝手に原因を捏造するのですっ? 想像力が豊かですね柚希。小説でも書いたら?」
急に毒舌になった彼女。
「そ…そうじゃないのか?」
「現代社会に魔女狩りなどありえないのですっ!」
「現代社会って、異世界の文明はどのくらい発展したのかも分からないよ。そんなタブーや信仰的なものがないと言い切れるのか?」
「電気まで発展したのですわ。パソコンが発明された時代までには至らないが、百二十年前のヨーロッパみたいな感じなのです」
まさか、電気があるのか?
柚希は美羽の部屋に電気みたいな製品を探す。
頭上には、ファンタジー世界でしか見たことのない魔法のランプがあった。
「そうなのか? ちなみにその発光のやつ、あれは魔法的な道具じゃないのか?」
ファンタジーアニメもそのような道具が出てくるので、一応それは知っている。
「あれは魔水晶を使った魔道具です」
なるほど、魔水晶か。
「部屋には、電気製品はないのか?」
「ええ、ないのです。だって、電気が発明されても、普及されていないんだもの」
電気が存在する時代だと言っている美羽が、今度は普及されていないと言った。
「普及されていないって、どういう話なんだよ?」
「楽指の村に入ったことがあるでしょう。街灯はあったのかしら」
「そりゃ……、確かに見たことがない気がするが……」
楽指の村に行ったのは一回だけ、それでも、電柱が舗設されていないことくらい、柚希は気付いている。
「ふむ、どうやら貴方に解釈する必要があるようですね」
彼女の話では、マナは、空気中の電気エネルギーを大量に吸収する傾向があるという。
『空気中』、という表現を使ったので、もちろん生物体内の電気や、地中の電気はこのルールから外されている。
つまり、発電所から、高圧線を沿って電気を各村落や町に配分する時、電気がマナに吸収されてしまうので、高圧線を走った電流は、全部消えてしまう。
消えてしまうという言い方は、それも少し違う。正確に言うなら、マナによって、マナへと変換されてしまうという言い方の方が、正しいだろう。
もちろん発電所を村の中に建てれば解決できるが、発電所は大量な冷却水が必要だから、川や海から村まで引水するなど、人口百人未満の村のために資源と時間を費やすわけにもいかない。
ちなみに、高空のマナが薄い原因で、稲妻は吸収できない。だから、正常な稲妻も観測できるし、その音も聞こえる。
しかし、電気吸収の法則の原因で、雷魔法は存在しない。
「そのせいで、電気製品は部屋にはないのか」
「異世界と元の世界は違うのです。でも、電気がないものの、魔法という便利なものがあるから、別に生活上問題はないのですわ」
「それもそうかもしれないな」
「では本題に入ろう。実は、異能者が村や町に入りたがらない原因は、村や町には、マナがないからですわ」
「マナがない?」
「そう。マナがなければ、魔法、呪術、奇跡、陰陽術、巫術などなど、全部使えなくなるのです。異能を使うには、空気中のマナを使う必要がありますわ」
「楽指の村に行くと、魔法が使えなくなるってことか?」
「どの町でもそうです。マナ除け装置が配置されて、バリアが張られていますのです。民居区域以外の場所なら使えるが、バリアの中に入った瞬間、まったく使えなくなるのです」
マナ除け装置が配置されれば、自分は魔法使いであろうと、それもただの女の子になってしまう。
彼女はそう言った。
「つまり、ゲームの中の、戦闘禁止区域みたいなやつ?」
「そうなのです。安全のためでありながら公平のためでもあるからね、おかげで異能殺人事件も減らしましたよ。でもどうしても慣れないから、今は廃村に暮らしていますのです」
大人びた口調で、淡々と語る美羽は、水の入れたコップを手に取り、ごくりごくりと水を飲む。
安全のためという現代的な台詞が、異世界暮らしの中に聞けそうもないその台詞が、何かしら高く積みあげられた積木のようで、少しの揺れで崩れそうになるような感じがした。
誤字脱字や誤用などがあれば教えてください。
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