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002.廃墟をうろつく魔物たち

 午後五時半ごろ、日差しは暑くもなく強くもない。なんだか空が少し暗くなった気がする。


 雲脚は早くも矢の如く流れて行く。

 道がますます暗くなり、そろそろ曇り空になりそうだ。


 都合が悪いなあ……


 北の森に入ってからもう十五分が経つ。日没の時間が迫ってくるのを感じた柚希は、足を速めた。


 生い茂る森の中、わずかな道の痕跡があって、その道を辿り……迷子にならないよう、ただ祈るだけ。


 風もなく、虫の鳴き声だけが聞こえる木々のまばらなところに入った。湿り気を帯びた草むらを歩くと、ズボンの下部分は水分を吸収し、湿っぽくなり、ずっしりとしていた。


 もうちょっと歩いていくと、地形が扇状に広がっていて、先の草むら地帯は、草が人の身長よりも背が高いせいで視線が遮られて前は見えないが、今は見えるようになった。

 風が急に舞い始め、土埃にやられて柚希は目を伏せる。


 陽の光が柚希の正面を照らす。


 目を開けると、柚希の前にあるのは、古い建築物の群れだった。

 それは、崖っぷちに建っていた廃墟。


 こう見ると、楽指村とはまったく変わらない建物だが、廃墟と呼ばれていた時点で、やはり住んでいるのはあの魔法使い以外誰もいないのだろうか。


 村は狭くて、住居は十軒も達していないように見える。

 鬱蒼とした森の中の、孤絶した世界、それは美しくて、どこか神秘的なものを感じた。

 こういうのは憧れだった。


 でも、楽指村とこちらの廃墟のどちらを選んで住むというのなら、柚希はきっと楽指の方を選ぶ。

 廃墟では、やはり問題が多すぎる。


 こんなところに住むようなやつは、世捨て人気取りのやつくらいしかいないと思う。

 世捨て人とは言えど、格付けするならこれでは上位には上がれないのである。

 いわば「小隠は陵藪(りょうそう)に隠れ、大隠は朝市に隠る」ってことだ。


 森の道は明らかに獣道だった。

 魔物は見当たらないものの、つい気を許して警戒心を忘れていた。


 そんな無防備に森の道を歩くのは感心しかねる、が、ここに人が住んでいるということは、住める場所でもあるから、つまりそんなに危険じゃないと柚希は思っていた。


 ◯


 誰かにつけられている気がする。


 あの緑の化け物だ。


 しかも二匹いる。


 真っ黒のその目はぎろぎろと光ってこっちを見ている。

 眼球は白い部分がない。

 真っ黒。

 ネズミみたい。


 魔物二匹は後ろ足で立ち上がり、胸の前で両手をぶら下げる。


 水辺に見たあの魔物と同じ種類の魔物だと見受けられる。


 どこからついてきたのかよく分からない。

 攻撃をしてきたらどう対応するのか、それも考えていなかった。


 二匹魔物が、獲物を見る目で柚希をじっと観察する。


 自分の足音と呼吸音だけが聞こえる。

 廃墟の中には、ぞっとするほど静かだった。


 柚希は二匹の魔物を一瞥した後、勝手にしろというように、自分は廃墟に入る。


 出入り口のところに、また二匹の魔物が現れた。


 まるでだるまさんがころんだゲームをやっているように、柚希がその二匹の魔物の方へ首をめぐらせると、駆け足が瞬間に止まるのだった。

 見る寸前の行動も目にとらえられるのだから、だるまさんがころんだゲームでは、あいつらは負けることになるのだけれど、ここではそんなルールは通用しない。

 獲物を前にして捕食のチャンスをうかがう藪の中の虎みたい。


 いつでも襲い掛かってきそうな姿勢だった。

 後ろを見ているうちに、前の二匹もこうして、近づいてくるのだろう。


「……なんだ、こいつらは」

 人の命を奪う危険性は、森の見えないところにずっとひそんでいる

 だけど現代生まれの柚希にはそれは知らない。

 思いも寄らなかった。


 目の前の魔物は、種族によって身体が人間よりも小さい。しかし四匹となると、こっちの方は分が悪い。

 逃げるしかない。


 四匹の魔物に視線を送り、柚希は、なるべくやつらを刺激しないように右の方へゆっくりと去っていく。

 角のところに、柚希は街道を曲がって急に走った。


 走った。

 走った。

 だが、柚希は生来、身体が普通の人よりも弱く、激しい運動はまったくできないのだ。


 それは、走るだけでも命を落とす可能性すらあるほど、病弱だった。


 そのせいで、三年間も体育の授業が見学の繰り返しで、クラスのみんなに笑われたこともある。


 しかし、柚希は今、走る以外の選択肢はなかった。


 後ろには、魔物が四匹ついてくることが分かる。


 ぱたぱたぱたぱた。足音が五つ聞こえる。


 自分の足音と、魔物の足音。


 緊張で後ろを振り向くことができない。


 どうしようもなく走っていたが、追い付かれるのは時間の問題だ。


 体力が一際弱く、走れる距離も、精々二百メートルだった柚希は……


 ぱくっ。

 つっ……。


 心臓が痛い。


 世界が一瞬の間に、真っ暗闇に落ちていた。


 夜になったわけではない。視線が勝手に暗くなっていただけだった。


 もう、体力が尽きたのか。

 くそ!! まだ二分も経ていないのに、そんなにすぐ疲れ切ってしまうわけあるか! もっと頑張らないと、ここで死ぬぞ。


 え? 死ぬ?


 自分の死を予感すると、現実感が急に襲ってくる。

 異世界でもファンタジーでもない、この現実感。


 柚希の頭に浮かんだのは、血だまりの直中に倒れて死んでいる自分の姿だった。


 死んだらどうなる? 相手に食べられる?

 そう言えば、相手は人喰いの化け物だと、武器屋のおじさんも言っていたような気がする。


「こ、このー!」

 柚希は走るのを止めて、路傍の石を手に取り、後ろの魔物に投げる。

 その投石攻撃は、直撃されたら痛いだけじゃ済まない。

 それは、柚希の全力の攻撃だった。

 自分の身体の弱さを、その嘆きを、攻撃と化して柚希は残った最後の力を振り絞る。

 死んでたまるか!


 だが、命をかけた投石攻撃は、魔物は軽く躱して、また柚希の方へ追っていく。


 躱された。

 もうだめだ。


 息が荒くなった柚希は逃げるように、少し後ずさった後、後ろを向く。

 その時、自分の目の前に現れたのは、もう一匹の魔物だった。

 どこからともなく現れた五匹目の魔物は、柚希の後ろの退路を塞いだ。


 鬼気迫るその魔物は、他の魔物と違って、ナイフは持っている。


 それは何年も使っていた、赤錆びだらけのナイフだった。


 前の四匹の魔物より身長は低めだが、速度は速い。気付いた時に、その魔物はすでに至近距離に来ている。


 ? あいつらは、ナイフも持てるのか!

 などと驚愕する柚希。

 だが、考えることより、反応で柚希は真っ先に、手で頭をかばった。

 魔物はもう柚希の方へジャンプしてきたのだ。


 柚希は、反応で手でかばってしまう。


 そんな勢いで切りかかってくる相手にその行動は、手が切り落とされても文句の言えない行動だった。

 武器を持つ相手であれば、手でかばうより、躱す方が正解だった。


 そんな相手と対峙する状況は初めてで、経験不足のせいで、誤った行動を取ってしまったのだろう。


 これはもう観念すると思い、柚希は歯を食いしばって目を閉じる。


 その時のことだった。

 柚希は、後ろからため息の声が聞こえた。


 誰かが、後ろの建物の上に立っていて、この状況を見守っている。


 そして、柚希の後ろ襟が掴まれる。

 すごい力で引きずられ、柚希は、後ろの地面に尻餅をついて倒れた。


「わああ!!」

 何が起こっているのかすぐには理解できない柚希は、情けなく奇声を上げるのだった。


 避けられることは想定していないようで、切りかかってくるその魔物は、慣性でバスケットボールの如く顔が地面に激突し、そして跳ね上がり、また二回目の着地をした。


 柚希は首を巡らせて、後ろへ振り向く。


 そこに颯爽と立っているのは、柚希と同じくらい年齢の、一人の少女だった。


 白Tシャツ、濃い色の短パン、子供用のサンダル。


 ツーサイドアップ風にまとめられた水色の髪、そしてまるで夜明け前の空みたいな濃い色の瞳に、柚希はつい見惚れてしまう。


 彼女は柚希の前に出て、引っ込んでなさいと言わんばかりに、柚希を下がらせる。


 手に持っているのは、黒い木の棒のような魔法の杖。


「魍魎の群れを連れ回して、一体どうしたいのです? まったくとんだ迷惑ではございませんの。自殺したいなら他のところにしてくださいのです」


「だ、だれ?」

 柚希は少女をじっと見詰める。

「話は後なのです」


 廃村の中の魔物は、音を聞き付けてやってきた。


 急に現れた女の子に、四匹の魔物は敵意を剥き出しつつも、警戒を怠ることなく相手を睨む。

 やつらは警戒心が強い。一人で森に入った暢気な柚希とはまったく違う。


 それも当たり前のことだ。

 廃墟と楽指の村の距離はそれほど遠くない。元の世界では、家から神社までの距離で、かなり近かった。


 現代社会に生きている柚希は、そんな距離で歩くだけで、命の危機になることはまったく考えられないのだ。


 そういう先入観を持ってしまった柚希は、異世界を甘く見ていた。

 だが魔物たちは、この世界はどれほど危険なのかは知っている。だから腕力や技量が劣っていても、警戒心は柚希よりもまさっている。


「があ?」

 足音が聞こえた魔物四匹は、後ろを振り向く。


 角の後ろに現れたのは、五匹目の魔物。

 いや、六匹目、七匹目、八匹目、九匹目……


 廃墟の魔物たちは、こちらへ寄せてくる。


 後ろへ振り向く魔物は、もう一度視線を柚希の方に向けると、今回は不気味な笑顔を作った。


 そうだ。もう警戒する必要はない。だって、これからは一方的な虐殺だ。


 少女一人が現れたって、これほどの圧倒的な魔物の数では、勝てるはずがないと、魔物たちは思った。


 しかし、女の子は、まったく動じることはなかった。


 杖を手にして、綺麗なカーブを描く彼女は、魔力を操縦し、術式を編み始める。

 魔力の転換によって、杖の縁と前端が、氷のような粒子が集約し、凝固して、形となる。

 元の杖が、氷の剣に変換する。


 剣の柄は、掴みやすさを兼ねて杖よりも太くて平たい。それが魔法の杖ならば掴みにくいではないか?

 しかし、彼女の掴んだ剣を観察すると、柄の部分も氷に覆われていて、柄の形になっている。


 氷の魔法を使う魔法使いは、もちろん寒気に襲われることはあり得ない。

 凍傷されることを防ぐために、魔法的な工夫は最初からしている。だから、掴んでいる柄の部分は氷だとしても、寒さを感じることはない。


 研ぎ澄まされた氷の剣は、鏡のように曇り空と魔物と二人の姿を映す。


 彼女は二メートルも飛びあがり、目の前の魔物を切り散らす。

 まずは一匹。


 そして左右の魔物の方へ飛んでいき、超高速の斬撃を繰り出す。


 凄まじい速度で敵を一匹ずつ倒していく。

 包囲網はいとも簡単に突破される。敵は、彼女の一撃ですら、耐えることができなかった。


「す、すごい」

 柚希は立ちすくみ、思わず唸った。


 魔法の杖を持っている彼女は、最初は魔法使いと思っていた。しかし彼女はただの魔法使いではなく、剣士でもある。


 切り倒された魔物は、屍体がその場に残ってはいなかった。

 倒された魔物は、まるで紙屑が焼いた後、炭化したもののように、身体が黒い塵埃になって霧散する。


 彼女はあの魔物のことを、魍魎と称している。


 魍魎。

 あの緑の化け物の名前は、魍魎だったのか。


 魔物の種族名を知らなった柚希は、あまり聞いたことのない名前でどういう漢字か当てようとする。


 魍魎の群れが彼女の勢いに押されて、引き潮のように後ろへ後退する。


 構わず二三歩で敵と距離を縮む彼女は、流暢な動きで魍魎を次々と倒していく。


 あっけなく倒す。

 チャンバラごっこをやっているみたいで、戦闘は、あまりにもつまらなかった。


「がああああ!」

 魍魎の怪声が周辺に鳴り響く。


 逃げ惑う魍魎たちを見て、彼女は氷剣の魔法を解く。

 氷剣が、再び魔法の杖の形に戻る。


 戦闘状態を解くと、彼女は杖を収める。

 そして、柚希に向き直る。


「貴方、何をしに来たのです?」

「……」

「村の子供じゃないみたいなのです」

「え、あ、はい」

 戦闘があっという間に終わったので、反応が遅いか柚希はまだぼうっとしている。


「どこから来たのです?」

「どこ、と言われても……」

 まさか自分は他の世界から来たとか、そんなこと言えるはずがない。そんなことを言ったって、信じてもらえるわけがないのだ。


「……まあいいのです。――」


(『鑑定』)


 少女の目の中に、奇妙な光が現れた。

 それは一瞬の出来事だった。


 ぱちぱち……

 彼女は目を瞬かせる。

 困っているというか、悩んでいるというか、彼女はそういう表情をしている。しかし、彼女は何も言わなかった。


 ぴたっと、石でも落ちたと思われてしまうほどの雨音が聞こえた。


 曇り空が雨空になり、雨滴が、槍の如く、空から降ってくる。

 ざわめく雨の音が、ますますにぎやかになる。


「こっちへ来なさいのです」

 言うなり、彼女は慌ただしく路地裏に入る。


 柚希は彼女の後ろをついていく。体力がないので走らない。彼女も柚希を気遣ってくれて、速度を緩める。



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