07 転校生
「んん……ふわぁ」
目を覚ました優真は、両手を上げて身体を伸ばす。
こんなに快眠したのは久しぶりだった。
いつも恐い夢を見たり、寝覚めが悪かったりするのだが、今日は起きることなくぐっすり眠れた。
「おはようユーマ。よく眠れたかい」
誰かに声をかけられる。
え? と驚いて声の方を向くと、目の前に羊の悪魔が一人で立っていた。
(そっか……シキがいたんだっけ)
これまで一人きりだった優真は、朝起きた時に誰かが近くにいるのは久しぶりなことだった。
なので挨拶されたことに驚いてしまったのだ。
シキの姿を確認し、昨日の出来事は夢でもまやかしでもないんだと実感する。
悪魔との契約も、他の契約者との戦いも全て現実だったのだ。
「おはよう、シキ。そうなんだ、なんだか今日はよく眠れたんだよ。いつもは悪い夢を見るんだけどね」
「へぇ、それはよかったね」
「うん。ちょっと待っててね、すぐに朝ご飯の準備するから」
「私も何か手伝おうか?」
「ううん、シキはゆっくりしててよ」
そう言って、優真はベッドから起き上がって行動する。
顔を洗って歯を磨くと、キッチンに立つ。
オーブントースターでパンを焼いている間に、ソーセージと卵をフライパンで焼き始める。
塩コショウと味を足して、昨日作ってあった残りのサラダを用意する。
チンっと焼き終わったパンを取り出し、上に苺のジャムを塗りたくる。
皿にソーセージと目玉焼きをよそい、食卓に持っていった。
「う~ん、いい香りだ。これはなんていう料理なんだい?」
「料理といえるほどでもないよ。パンを焼いたのと、目玉焼きとソーセージを簡単に焼いただけだから」
「それでも美味しそうだ」
いただきます。
そう言って、二人は朝食を食べていく。
シキは何を食べても美味しいと言ってくれて、優真は恥ずかしがるが嬉しそうだった。
朝食を食べ終わると、優真は学校に行く準備を始める。
学生服を着ようとするのだが、そこである事に気付いた。
「あぁ~~!!」
「どうしたんだい? そんなに大きな声を出して」
「それが……学生服が穴だらけなんだ」
「あらら……」
穴だらけの学生服を広げ、シキに見せる優真。
そういえば昨日、横峯に銃弾を浴びせられていたのを思い出す。
悪魔と契約した優真は身体能力が向上してから身体は無事だったものの、学生服はそうでもなかったらしい。
「どうしよう……これじゃあ学校に着ていけないよ」
穴だらけの学生服を見て困っている優真に、シキは「貸してごらん」と学生服を受け取る。
骨の手で穴が空いたところをそっと滑らすと、なんと元に戻ってしまった。
「ええ!? なに今の。どうやったの!?」
「悪魔の力で復元したんだよ。どうだい、凄いだろう?」
お茶目な声音で聞いてくる悪魔に、優真は興奮したようにぶんぶんと顔を振る。
「凄い、凄いよシキ! ありがとう!!」
「ふっふっふ、喜んでもらえてよかったよ」
「凄いな~シキは、まるで魔法使いみたいだ」
気絶している横峯を中に浮かばせた時にも思ったが、シキは悪魔というより魔法使いみたいな力を持っている。
感動しながら学生服に袖を通し、優真はバックを背負った。
「学校に行くけど、シキも来る?」
「昨日のところだろう? 人間がどんな風に学んでいるか見てみたいから、私も一緒に行ってもいいかな?」
「うん! 全然いいよ!! 一緒に行こう!!」
という事で、シキと一緒に登校することになった。
友達(同級生ではないが)と一緒に登校するのが初めての優真は、いつになく心の中ではしゃいでいた。
因みに、シキの姿は一般人に見えていないらしい。
同じ悪魔か契約した人間にしか悪魔を見ることはできないそうだ。
それは優真にとって都合が良い。
シキのような大柄で羊の骸骨の頭の格好といういかにも怪しい姿を見たら、一般人は恐がってしまうだろう。
最悪通報されてしまうかもしれない。
『ィィィ……ぁ』
「――っ」
歩いている最中、視界に穢れが映りこんでくる。
家の塀の上に、小さくどろっとした穢れがいた。
「どうしたんだい?」
(ちょっとね、穢れが目に入ったんだ)
頭の中でシキに伝える。
他人にシキは見えないので、普通に喋ってしまうと変な目でしまうからだ。
「穢れか……流石に気配が小さ過ぎて私には感じ取れないな。大変だね、小さな穢れすら見えてしまうなんて」
(うん……もう慣れたけどね)
あれぐらいの穢れなら、町中にしょっちゅう見掛ける。
なので優真は、野良猫や鳥と同じように思っていた。気持ち悪いことに変わりはないが、あの程度で一々反応したら気が持たない。
見えていないふりをすれば特に害はないので、いつも素通りしていた。
「あのピカピカ光っている物はなんていうんだい?」
(あれは信号機っていって、青になったら進んで赤になると止まらなくちゃいけないんだ)
「なるほどねぇ、人間は面白いものを作るね。ではあれは?」
(ああ、あれはね――)
登校しながら、シキと他愛ない会話をする優真。
会話の内容は主に、町中にある物についてだ。
悪魔のシキは人界のある物に興味があるらしく、目に付いた物を次々と質問していく。
そんな風に話していると、気付けば学校に辿り着いていた。
「へぇ、中はこんな風になっているんだね。魔界の学校と似ているよ」
(えっ、魔界にも学校があるの?)
『あるよ。学習することは大分違うだろうけど、悪魔も学校で勉強しているんだよ』
悪魔も学校で勉強したりするのか。
シキ曰く、幼い悪魔が学校に通っているらしい。
抱いていたイメージと全然違う。学校という概念もないと優真は思っていた。
ガララとドアを開け、2-5に入る。
例の如く、教室にいる生徒達は誰も彼に反応しない。それどころか、侮蔑の眼差しを向ける生徒も見られた。
それが気にかかったシキは、優真にこう尋ねる。
「ユーマには友達がいないのかい?」
その質問に優真はぴくっと身体を反応させ、鞄から教材を出しながら脳内で答える。
(そうだね……僕は友達を作っちゃいけないんだ。僕の近くにいると、皆が不幸になっちゃうからさ)
「それは穢れの影響で?」
(うん……)
優真は頭の中で、穢れについて今まで起きたことをかいつまんで説明する。
幼い頃は、穢れに話しかけていたりした。
すると穢れは優真に近寄るようになってしまう。
誰にも見えない何かと会話をしている優真を両親や周囲の人間は不気味がってしまい、拒絶されるようになる。
さらに、優真の周囲で物音がしたり物が倒れたりと不可解な現象が起きたり、体調を崩してしまう者も現れ始めた。
それに耐えられず父親は離婚して逃げ、母親は一人で優真を育ててくれたが、いつしか気が狂ってしまい、最後にはベランダから飛び降りて自殺してしまった。
優真の近くにいる人は不幸になってしまう。
だから優真はなるべく人と関わらないようにしていた。
友達も欲しいし、誰かと関わりたいけれど、繋がりをもつ訳にはいかなかったのだ。
優真の身の上話を聞いたシキは、彼の頭にそっと手を置き、優しく撫でる。
「大変だったろう。でももう大丈夫、ユーマにはもう私がいるからね」
(うん、ありがとう)
暖かい言葉をかけられて喜ぶ優真だったが、あっと何かに気付いてシキに問いかける。
(シキは大丈夫? 具合が悪くなったりしてない?)
シキに契約者になってくれと言われたことが嬉しくてすっかり忘れていたが、シキにも穢れによる影響があるんじゃないか。
そんな彼の心配を、シキは一笑した。
「はっはっは、私は大丈夫さ。穢れの影響を受けるのは、霊力が低い人間だけだよ。悪魔にはなんの影響もないから、心配する必要はないさ」
(そっか……それなら良かった)
「だからユーマは、何も気にせず私と友達でいていいんだよ」
そう言ってくれるシキに、ユーマは心の底から感謝する。
そんな時だった。シキの横から、一人の生徒が声をかけてくる。
「おはよう、榊君!」
「えっ、ぁぅ……」
挨拶をしてきたのは朝比奈 小春だった。
突然クラスの人気者である彼女に声をかけられ、優真はキョドってしまう。
そんな二人を横目に、シキは何かに気付いた。
「この女の子、高い霊力だね」
(えっ、そうなの?)
「そうだね。優真ほどとまではいかないけど、他の人間よりは秀でたものだよ」
(へぇ……朝比奈さんが……じゃあもしかしたら、朝比奈さんも契約者になる可能性もあったりするの? ほら、霊力が高いほうが悪魔の力を引き出せるって言ってたよね)
優真の問いに、シキは「それはないね」と即答する。
(えっどうして?)
「霊力には正と負、二つの性質があるんだけど、悪魔の力に適しているのは負の霊力が強い人間なんだ。彼女の霊力は正だから、悪魔“からは”目をつけられないと思うよ」
へぇ……と心の中で納得する。
という事は、自分は負の霊力なんだろう。
まぁそれはそうだろう。穢れみたいなものを見えるし、周りを不幸にしかしないし、これで正の霊力だって言われる方がおかしい。
そこで優真は、一つ腑に落ちたことがある。
それは、“朝比奈から溢れている暖かい光”の正体は、正の霊力に関係しているのかもしれない、と。
初めて彼女を目にした時、優真は思わず二度見してしまった。
何故なら朝比奈の身体が、淡く光り輝いているからだ。
それは決して嫌な光ではなく、暖かい光。
穢れとは違う、極まれに見掛ける“光”と似た感じがするのだ。
優真が朝比奈だけは名前と顔を把握していた理由も、身体が光っているというインパクトがあるからだった。
「ねえユーマ、この学校で穢れを見たことはあるかい」
(う~ん、そういえばないかもしれない)
「それはもしかたら、彼女のお蔭かもしれないね。これほどの高い正の霊力がいたら、穢れも近づいてこないだろうから」
シキの考えに、優真は相槌をうつ。
言われてみれば、学校で穢れを見た覚えは一度もなかった。
だから優真は学校に来れていたのだが、偶然ではなく、朝比奈の力のお蔭なのかもしれない。
それが事実なら、優真は彼女に感謝するしかない。
朝比奈がいることで、優真はまともな(本人にとって)学校生活を送れているのだから。
「お~い、榊君聞いている?」
「えっあ、なに?」
顔の前で手をひらひらさせてくる朝比奈に、優真は戸惑ってしまう。
彼女はふくれた顔をすると、
「もう、やっぱり聞いてなかったんだね。ぼ~としてるし、誰もいないとこ見たりして変だったよ」
「ご、ごめん……えっと、何の話……かな?」
「さっき聞いた話なんだけどね――」
「おいお前等! 大ニュースだ! 聞いて驚け、さっき職員室でちらっと聞こえたんだけど、このクラスに転校生が来るぞ!! それもめっちゃ可愛い外国人だ!!」
朝比奈の話を遮るように、一人の生徒が勢いよく教室に入ってきて叫んだ。
その話の内容に、クラスの生徒達は爆弾が破裂したかのように盛り上がる。
「えええええええ!?」
「転校生きたああああああああああああ!!」
「それって本当なの!? 冗談じゃなくて!?」
「マジもマジ、超マジだって、しかとこの目で見たんだって」
「おーい、何を騒いでるんだよ。もうホームルームが始まるぞ、席につけ」
担任の教師がやってきて、男子生徒に注意する。
他の生徒が、教師に尋ねた。
「ねぇ先生、このクラスに転校生が来るんですか!?」
「なんだよ、もう知ってたのか。驚かせようと思ったのに」
やっぱり来るんだ!
教師のお墨付きを得たことで、クラスの生徒達は更にテンションが上がってしまう。
そこを注意され、クラスの生徒達はワクワクした顔で席についた。優真と話していた朝比奈も、少し残念そうな顔を浮かべて席に戻る。
「入ってきていいぞ」
教師が廊下に向かって告げると、少女が教室に入ってくる。
その少女は教壇の前にまでくると、チョークを持って黒板に何かを書く。
黒板に書かれた文字は「セツナ・神代・アニストン」。
書き終えた少女はチョークを置き、ぱっぱと粉を落とすと、くるりと翻ってこう告げたのだった。
「アタシはセツナ。セツナ・神代・アニストン。よろしくね」
本日夜にもう一話更新予定です!