37 罠
放課後、優真は屋上に訪れていた。
転落防止用の柵に寄りかかりながら、太陽に照らされている海をぼーっと眺めている。
心ここに在らずといった彼の姿に、隣にいるシキが心配そうに尋ねる。
「今日は特訓をしないのかい?」
「う~ん、なんだかそんな気分じゃないんだ」
「やっぱりセツナが心配かい」
「……」
無言は肯定、という事だろう。
数日前に一度深夜に帰ってきてから、再びセツナは姿をくらましてしまった。
どんなにメッセージを送っても、一向に既読がつかない。
優真はただ心配し、彼女が帰ってくるのを待つしかなかった。
(セツナ……大丈夫だよね)
もしや彼女の身に何かあったのだろうか。
既に復讐したい犯罪者を見つけて、戦ったのだろうか。
それで帰って来ないという事は、まさか殺されてしまった可能性も考えられなくもない。
考えれば考えるだけ、最悪な想像が浮かび上がってしまう。
「セツナなら大丈夫さ。私から見ても、彼女は他の契約者と比べても強いからね。そう負けることはないよ」
「そうだといいんだけど……」
シキの言う通り、セツナは強い。
それは一度戦った優真が一番よく分かっている。
結果的には勝利したが、セツナは手加減しているようだったし、もし出会い頭に全力を出されていれば敗北していたのは優真の方だっただろう。
優真が戦った契約者の中でも、セツナの実力は群を抜いている。
そんな彼女が他の契約者に負けることは考えられないが、絶対とは限らない。
現に、ここ数日行方をくらましているのだから。
セツナを心配していると、不意に屋上のドアが開く。
ビクッと肩を跳ねさせた優真が驚きながら振り向くと、そこには白衣を纏ったみすぼらしい男がいた。
「佐久間先生……」
「お~不良少年、なんだよ、最近見かけね~と思ってたらまた来やがったのか」
屋上に入ってきたのは、理科科学を担当している佐久間 宗司だった。
相変わらず髪はボサボサで、丸眼鏡がやや下にズレている。白衣はよれよれで、締まりのない格好をしていた。
彼は優真が一年生の時の担任であり、こっそり屋上の鍵を貸してくれたのも佐久間である。
「先生はどうしてここに?」
「んなもん、これだよこれ」
優真が尋ねると、佐久間は懐から煙草を取り出し、とんとんと箱を叩いて一本抜きだすと、口に咥える。
学校で堂々と煙草を吸おうとするダメ教師に、優真はジト目を送った。
「学校は禁煙ですよ」
「固いこと言うんじゃね~よ。息抜きできる場所がここぐらいしかねーんだ」
そう言って、ライターで火を吹かしながら優真の隣に歩み寄り、策に寄りかかりながら一服する。
「はぁ~生き返るわ~。んで、少年はまた何でここに来たんだ? ここ最近は見掛けなかったから、てっきり青春を謳歌してると思ったんだけどな」
「……」
佐久間の言う通り、優真はここ最近屋上に来る事はなかった。
その理由としては、放課後はセツナと鍛錬を行ったり、朝比奈や宮崎と試験勉強をしたりと忙しかったからである。
一言でいえば、充実していたのだ。
だから屋上に来ることもなかった。
口を噤んでいる優真を怪訝に思った佐久間は、わしゃわしゃと頭を掻きながらため息を溢す。
「なんかあったのか? 相談なら乗るぜ、ただし恋愛は俺の管轄外だがな」
「ねぇ先生……目の前で困っている人がいるんだけどさ、力になってあげたいんだけど、その人には何もするなって言われちゃったんだ。
こういう時って……どうすればいいのかな」
「また難しい質問するなぁ」
佐久間は煙草を吸い、上に向けて煙を吐き出すと、優真の質問にこう答える。
「困ってる人が、自分にとってどういった立ち位置なのか……じゃねぇのか」
「立ち位置……ですか?」
「簡単に言えや、どう思ってるかだよ。そいつが赤の他人だったら、強引に力になろうとしたって恩着せがましいだけだろ? だけどそいつが、少年にとって大切な人だったなら、力になろうとするのは別に悪くねぇよ。友達とか、家族とかな。
余計なお世話だって言われたらそれまでの話だが、やらないよりやる方がいいと思うぜ」
「僕にとって……大事な人」
「後は少年次第だ。少年が困ってる人をどうしても放っておけないってんなら、嫌がられても力になってやれよ。
どうせなら、やらずに後悔するよりやって後悔する方がいいんじゃねぇのか」
「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい……か」
佐久間の言葉を頭の中で反芻する。
セツナは言った。
これは自分の復讐だから、優真には関係ないと。だから放っておいてくれと。
そう突き放されて、自分は何もすることができなかった。
だけど、それでもやっぱり優真はセツナの力になりたい。
苦しんでいる彼女の、力になってあげたかった。
答えは出た。
ずっともやもやしていた頭が、すっと開けた気がする。
そんな優真の顔を見て佐久間は嬉しそうに微笑むと、煙草を携帯灰皿に仕舞って懐に入れる。
「俺みたいなダメ教師が言えるのはここまでだ。まぁ、頑張んな」
「ありがとうございます、先生」
踵を返して立ち去っていく佐久間の背中に感謝を告げる。
優真の表情には、先ほどまでの憂いが消えていた。
「答えが出たようだね」
「うん、先生のお蔭でね」
「どうするんだい?」
「セツナを探しに行く。シキ、手伝ってくれるかい?」
シキを見上げながら頼むと、彼は「勿論さ」と頷いた。
早速行動しようとした瞬間だった。
不意に、スマホからメッセージ音が鳴り響く。
ポケットからスマホ取り出して画面を除き込むと、優真は驚愕に目を見開いた。
「こ、これは――!?」
メッセージが送られてきたのはセツナからだった。
画像が送られてきており、それを拡大すると、痛々しい姿のセツナが縄で椅子に縛られている。
「セツナ!? ど、どうして……」
突然送られてきた画像に困惑していると、新たなメッセージが送られてくる。
そこに書かれている内容は、このような内容だった。
『この女を助けたくば、午後七時にこの場所に来い。こなければこの女を殺す』
メッセージの内容を読んだ優真は、狼狽しながらシキを見上げた。
「シキ……これって……セツナだよね?」
「ああ、間違いなく彼女だろうね。恐らく犯罪者である契約者を見つけて、戦いに挑んだけど負けたんだろう」
「そんなッ、だったらすぐに助けに行かなくちゃ!!」
慌てるように踵を返そうとした優真の肩を掴み、シキが制止させる。
「待つんだユーマ。これは明らかに罠だよ、君を誘き出す為のね」
「それは……ッ」
「このまま行ったらユーマは殺されるかもしれない。相手はセツナを負かす程の実力者だ。それに契約者が何人いるかも分からない。そんな所にのこのこと出向いたら、死ぬかもしれないんだよ」
シキの言うことは正しい。
これは優真を誘き寄せる罠だ。
わざわざセツナを生かし、画像を送ってきたのは優真を動揺させる為だろう。
このまま指定された場所に行けば、待ち構えられている契約者に襲われるのは必須。
そして殺されるだろう。
「分かってる……分かってるさッ。それでも……僕はッ」
身体を震わせ、ぎゅっと拳を握る優真。
罠に飛び込むという事も、それがどれだけ危険なことであるかも分かっている。
でも……それでも、このままセツナを見殺しにはできない。
優真にとって、セツナはもう大事な人なんだ。
だから――、
「ごめん……シキ。シキが心配してくれるのは分かってるんだ。でも、セツナを放っておくことはできない。僕はセツナを助けに行くよ」
覚悟を抱いた瞳で、真っすぐにシキを見つめる。
決意を表明した優真に、シキは感慨深そうに瞳を閉じた。
(最初に出会った頃よりも、随分成長したね)
初めて優真と出会った時のことを思い出す。
あの時の彼には生きる気力もなく、おどおどして、頼りないように感じられた。
だがここ最近は、こんなに良い目をするぐらい大きく成長している。
それがどんなに嬉しいことか。
その理由も、セツナを助けたいといった、誰かの為のもの。
優真の根本である、誰かを想う優しさの上でのものだ。
横にそれず、歪まず、真っすぐに成長している。
シキは優真の頭の上に優しく骨の手を置くと、こう告げた。
「分かったよ。セツナを助けに行こう。勿論、二人でね」
「シキ! ありがとう!」
「うん、ただやはり一人で行くのは不利だ。間に合うか分からないけど、一応彼にも声をかけてみようか」
シキにそう助言され、優真はある人物に連絡をつける。
そして、急いでセツナが囚われているであろう場所に向かったのだった。
「待っててセツナ、僕が必ず助けるから!!」




