36 ゴルド・ベアボーン
ゴルド・ベアボーンは裕福な家庭に生まれた。
父親は敏腕弁護士。母親は名家のお嬢様。住んでいる場所はタワーマンション。
何不自由ない、幸せな家庭だった。
――表向きは、だ。
幸せな家庭が続いたのは、ゴルドが四歳の頃までだった。
その頃になると、父親が中々帰って来なくなった。
本人は仕事で忙しいと言っているが、外で他の女を作っているのはなんとなく察せられた。
子供のゴルドでさえ疑うのだ。妻の母親が知らない訳がない。
「ねぇ、どうして!? どうして女なんか作ったの!?」
「五月蠅い!! 女は黙っていればいいんだ!!」
母親が父親に問い詰めると、怒鳴り声と共に夫婦の仲が終わってしまった。
それでも、世間体を気にして離婚することはなかった。
父親は他に部屋を借り、家に帰ってくることはない。完全なる別居状態だった。
母親は精神を病んでしまった。
それまでも、父親と仲が良くないことをタワーマンションのママ友にチクチク追及され居心地が悪くストレスを抱えていたが、喧嘩をきっかけにプツリと糸が切れ、死人のような顔を浮かべるようになる。
幸せな家庭が、一瞬でぶち壊れてしまった。
「ママ、ボクがいるよ。ボクがいるから!!」
「ゴルド……もうママにはあなたしかいないわ。ゴルドはママを見捨てないでね」
ゴルドは母親を元気づけようとするが、狂った状態が元に戻ることはなかった。
そればかりかどんどん塞ぎ込むようになり、家事も何もしなくなってしまう。
それでもゴルドは諦めず母親を元気にさせようとするが、それは余計だったのかもしれない。
母親のことを見捨てていれさえすれば、最低最悪な悲劇が生まれることはなかったのだ。
「ママ、ボク一人でご飯作ってみたんだ。食べてみてよ」
「うるさい!!」
「うわぁ!?」
「あなたまで私をいらないって言いたいの!? ねぇ、そうなんでしょ!?」
「ち、違うよ!! ママに元気になって欲しくて!!」
一生懸命作った料理を払い除けられ、母親に胸倉を掴みかかれてしまう。
そのまま押し倒されると、パチンと頬を叩かれた。
さらに母親は近くにあったナイフで、ゴルドの身体を切り裂いた。
「痛い、痛いよママ」
「悪いことする子はママがお仕置きしなくちゃ」
「ひっ――」
母親の瞳は狂気に孕んでいた。
どす黒く、引き摺りこまれそうな深い闇。
その眼光を向けられたゴルドは、生まれて初めて死を体感する。
「痛いぃぃ!! 痛いよママぁぁああ!!」
「アハハ、アハハはぁぁ!!」
それから母親は、狂ったようにゴルドの身体を切り刻む。
しかしふと正気に戻ると、涙を流しながらゴルドの身体を抱き締めた。
「ごめんなさい、ごめんなさいゴルド!! 私が馬鹿だった、お願い許して!!」
「だ……大丈夫だよ、ママ。僕は大丈夫だから……」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
それからというものの、母親は徐々に精神を回復し、表にも出るようになった。
笑顔を見せるようになったし、ママ友達ともお茶会を開いたりするようになる。
だがその反面、ゴルドは自由を失ってしまった。
学校が終わったらすぐに帰宅しなければならないし、友達と遊んだりできないし、習い事もやってはいけない。
母親の側に居なくてはならないのだ。
そして、ストレスの捌け口となってしまう。
「あの女共、夫が夫がって五月蠅いのよ!! あんなケダモノなんか必要ないでしょ!!」
「ママ、痛い……痛いよ」
「ああゴルド……ごめんなさい。ママを許して、愛してるわ」
「うん……僕も痛いよ」
母親はストレスが溜まると、ナイフでゴルドの身体を切りつけていた。
それこそが、母親が安定する唯一の方法であるからだ。
それがもう、十年間。
ゴルドが十四歳になるまで、ずっと行われている。
ゴルドの身体は、服で見えないところが斬傷だらけであった。
余りにも無残で痛々しい姿である。
それは十五歳の誕生日の日だった。
母親がご馳走を作ってくれるからと、ゴルドはハイスクールから一直線に帰宅する。
「ただいま……あれ、反応がない」
いつもなら帰ってきた瞬間にすっ飛んで出迎えてくるのに、今回はそれがなかった。
怪訝そうな表情を浮かべながらリビングへのドアを開けて中に入ると、衝撃の光景が目に入ってくる。
「ママ……パパ!!」
「んんんんんん!!」
「来ちゃダメゴルド!!」
久しく見ていなかった父親と母親が、何故か椅子に縛られている。
一体何が起きているんだと困惑していると、首筋に冷たいものが触れ、身体に電流が流れた。
電気ショックを受けたゴルドは、ばたりと気絶してしまう。
「ん……んん」
「happy Birthday Lucky₋boy」
目を覚ますと、怪しげな男がテーブルに足を組んで座っていた。
黒いスーツを身に纏い、白い覆面を被った怪しげな男。
その男が、パチパチと拍手しながら声をかけてくる。
「な……なんだお前は!?」
「声が大きいなぁ。ちょっと静かにしてくれないかい」
肩を竦めながらそう告げると、覆面の男はナイフを父親の肩に突き刺した。
「んんんんんんん!!」
「パパぁ!! う、動かない!?」
ナイフを刺され悶絶する父親を助けようとするが、身体がビクとも動かない。
今になって気付いたが、両親と同じように自分も縄で縛られ椅子に固定されている。
これでは二人を助けることができない。
「何がしたいんだ!? 何でこんなことするんだよ!!」
「私はね、他人の幸せを自分の手で壊して、その様子をただ眺めていたいんだよ」
ぞわっと、全身が粟立った。
冗談で言っているようには感じられない。この覆面男は、本当にそう思っている。
たった一言だけで、骨の髄まで狂っていると理解できた。
「さぁ、ショーを始めようか」
「やめろぉぉおおおおおお!!」
それから覆面の男は、両親とゴルドの反応を愉しむかのようにナイフで両親を斬りつけた。
そして最後には、首筋を切り裂き殺してしまったのだ。
「愉しかったよ。ありがとう、ゴルド」
「く、くはは、くはははははははは!!」
「ん?」
突然狂ったように嗤い声を上げるゴルドに、覆面の男は、首を傾げる。
大切な両親が目の前で殺されて狂ったのかと思われたが、そうではなかった。
――ゴルドはもう既に、狂っていた。
「くははははははは!! やっと、やっと解放された!! 僕は自由だぁああ!!」
「おや、これはどういう事かな?」
「誰だかわからないけど、ありがとう。パパとママを殺してくれてさ。お蔭でスッキリしたよ!!」
「君は両親が殺されて悲しくないのかい?」
「悲しくなる訳がないだろう!! むしろ清々したさ!! その男はもうずっと家に居なくて、血が繋がっているだけの赤の他人だ。
そしてママはずっと僕を苦しめてきた。僕の服を切り裂いて見てみるがいいさ!!」
ゴルドに言われた通り、覆面の男は彼に近付きナイフで服を縦に切り裂く。
すると見えたのは、斬傷で刻まれた惨い身体だった。
その身体を見て全てを察した覆面の男は、頭をポリポリと掻いてため息を吐く。
「はぁ……僕としたことが、調査不足だったな。父親はまだしも、母親の方は愛していると思っていたけど」
「愛していたさ、殺したくらいにね!! だけどできなかった。できなかったんだよ!!
けど、僕の代わりに貴方がクズ共を殺してくれた。本当にありがとう」
「はっはっは、これは一杯食わされたね。うん、決めた。君にしよう」
「はっ?」
「私は近々引退しようと思っていてね、私の後継者を探そうと思っていたんだ。世界を恐怖に染め上げる、ジャック・ザ・リッパーの後継者をね」
「信じられない……貴方があのジャック・ザ・リッパーなんですか?」
「そうだよ。私がジャック・ザ・リッパーだ。さぁどうするゴルド君、このまま平穏な日々に戻るのか。それとも私の後を継ぐのか、決めるのは君だ」
「……」
「私はね、君にはその才能があると思うんだよ。私と同じ、悪の才能がね」
「なります……ジャック・ザ・リッパーになります!!」
「ありがとう。共にジャック・ザ・リッパーの名を世界に知らしめようじゃないか」
◇◆◇
それからゴルドは、覆面の男――ジャックに指示され、数々の凶悪犯罪を行った。
指示は直接ではなく、全て電子メッセージで行われる。
犯罪を起こす度に、ゴルドは生きる実感を得られた。
そして名実ともに、ゴルドはジャック・ザ・リッパーとなったのだ。
「この女は殺さねぇのかい?」
上級悪魔のイフリートが問いかけると、そのパートナーであるゴルドはセツナのスマホ画面を眺めながら口角を上げる。
「ああ、こいつにはまだ利用価値がある。テメエの言うシキって悪魔のパートナーを誘き寄せる餌と、愉しいショーを開く為にな」
あの時とは違う。
ママに身体を切り刻まれていた、ナヨくて情けないゴルドは死んだ。
身体も大きくなり、身体に刻まれた傷跡は全てタトゥーで塗り潰した。
今はゴルドではなく、ジャック・ザ・リッパーだ。
「おいメアリ、お前も大人しくしておけよ」
「言われなくても分かってるわよ~」
セツナの近くにいるメアリに、イフリートが警告する。
こちらの情報をシキに渡される訳にはいかないので、この場に留まらせていた。
縄で椅子に縛られて気絶しているセツナを見つめながら、ゴルドは邪悪な笑みを浮かべる。
「さぁ、来いよ。殺してやるから」
本日夜にもう一話更新予定です!




