002.クロードとケリー
若様が詰め所に訪ねてこられた。儂は後門守衛長といっても大殿の護衛として動くことが多かったから、親しく若様にお会いし話をするのも…一年振りかの?
しかしまぁ、守役のケリーも少しは若様に大殿の若かりし頃の話をしとけば良いものを。確かに大殿も「国を起こした後の話はしてもよいが、国を興すまでの…国を興す経緯は余程の興味を示さぬ限りは流布された話以外は捨て於けい」と仰ったおかげで、未だに噂が沸いて出ては消えを繰り返している。おかげで国のまだ短い歴史の中でも国興しは伝説のような扱いだ。大殿は国興しを決断したころからご自分の過去の話を皆の前ではしなくなった。儂とケリーには思い出話をよくしてくれてたが。
大殿が国興しの大業を成就せしめたのが御年34歳の時。若殿は大殿が32の時のお子であるし、若様は大殿が63の時にお生まれになった初孫様じゃ。そして身罷られた今年は76歳。
儂も今年で64歳。飢饉の年、8歳で大殿に拾われてから56年もたったのか。長くもあり短くもあり。
最後となった二ヵ月前のお忍びでの国内巡視。国内といっても町が三つと村が八つだけのこの王国だが。周辺国家は我が国より少し大きい南の帝国以外は都市国家に囲まれている平和な王国だから大殿と儂の二人、のんびりと物見遊山気分での旅の空。
あの時大殿が仰った言葉は…今考えるとご自分の寿命を感じていたのだろうか。「国は興せても子の育てには失敗したの。リックにはお前も目を掛けてやってくれい」と、若様の事を気にかけておられた。
さてさて、儂の残り少ない人生、大殿の遺命と思ってケリーと共に若様に捧げるかの。どうせ大殿に拾ってもらった人生だから…
◇◇◇
後右楼二階にある侍従長室のドアをノックの音が響く。秘書官による誰何を聞きながらも東宮侍従長ジョン・ケリーは執務机を前にして書類を眺めつつ物思いにふけっていた。
手元にあるのは本日現時点までの若様の行動記録だ。良くも悪くも。
深夜、大殿が身罷られてから今まで、悲しむ暇もなく王国としての式典の準備や外交上の彼是、新たな国の初めての出来事。大殿が率先して国としての準備を進めて来てはいたが、やはりいざ事が起きると足らずが大きい。
若様には大殿の指示通りに式典以外は自由にお過ごしいただく事とし、ご様子は陰供より報告が上がってきている。
実際、若様に手をかけずに済む分、表事に東宮の人員を投入出来た事は幸いだった。
今日の若様の行動は、どう考えても我らに配慮しすぎではないか。手を掛けられたのは現在訪問中のクロードのだけか。折角の自由な時間なのだから、後先考えずに子供としての行動をされても良いのだがな。
暫しのやり取りの後、秘書官に伴われて兵が執務室に入室してきた。ケリーは素早く肩記章に目をやり、兵が後門守衛であることを確認した。
「東宮侍従長殿、後門守衛長よりのご伝言です。『雛鳥は荒野を渡れる強さを持っているか?』以上」
静かに書類を伏せ、兵を眺めやる。
伝令に出すとしては若すぎる兵だ。徴募兵であれば守衛には回されないことを考えると、十五の成人後すぐに職業軍人の道を選んだのだろう。細身であるが気の強そうな面構え。後門守衛長ロバート・クロードの兵の好みにも合致している。クロードは守衛長とは名ばかりに大殿のお供で不在がちだが…在中時も任務を副長に任せっぱなしで新兵教練所から釣り上げたとみえる。
しかしあやつはいつもながら解りにくい問い掛けをする…しかし、若様を雛鳥扱いとはな。
「クロードの伝言はそれだけか?」
「はい、いいえ。東宮侍従長殿のご返答により二種類のご伝言を預かっております。ご返答を頂けない限り次のご伝言はお伝え出来ません!」
直立不動のまま、目線を宙に据えて答える少年を眺めながら、やはりクロード好みの兵だと納得する。と同時に悪戯心も沸いてくる。
「雛鳥は自分の翼を知らない」
さて、少年よ、どう受け取るかな?
少年兵は眉間に皺を寄せ、どちらの伝言を伝えるかを必死に考えているようだ。暫しの沈黙の後、何かを思い付いたかのように愁眉を開いた少年兵は、
「本日守衛長退勤後、奥の間にて雛鳥の巣立ちの準備を行うそうであります!」
「そなたは先程の返答をどのように解釈したのかな?」
「はい、東宮侍従長殿は明確に否定されませんでしたので!」
「因みに、無理だと答えたらどの様な伝言だったのかな?」
「はい!自分は忘れましたので守衛長殿にお聞きください!」
少年兵は直立不動であるが視線はさまよい滝のような汗を流している。ケリーは少し弄りすぎたと反省しながら声をかけた。
「任務ご苦労。守衛長には『了解した。報告は随時行う様に』と伝えてほしい」
「はっ、了解しました。お時間を頂き有り難うございます」
クロードよ、お前の退勤時間はもう過ぎてるじゃないかな?