第九話
あの二人ともが気を失うと言う事件から数日後、バッセンは執務室でもう何十回目かのため息をついた。
さすがにバッセンの仕事を手伝っていたロアムも、何度も何度もあからさまにため息をつかれるものだから声を掛けずにはいられなくなり、バッセンに声をかけた。
「一体、どうしたんだよ。」
バッセンは、ロアムを恨みがましく見た後に言った。
「ヴィオレッタ嬢に、まだ謝っていないんだ。」
その言葉に、ロアムは一体何を謝るのだと思考を巡らせた後に、あぁ、あの気を失ったことについてかと思い当たるとため息をついた。
「まだ話をしていないのか?」
「あぁ。いや、一言は、すまなかったとは伝えたが、あれだけで、あの・・・美しい人と・・・その・・一緒のベッドで横たわったことは・・・許されるはずもないだろう。」
野獣のような容貌の男が、ぼそぼそとした口調で顔を赤らめながら話をする姿に、ロアムは顔を引きつらせると言った。
「俺の前では、その姿やめてくれ。ヴィオレッタ嬢ならば喜ぶだろうがな。はぁ、なら、デートにでも誘ったらどうだ?」
「え?」
目を丸くするバッセンに、ロアムは本当はあまり口出しはしたくないのだがと頭にアンナの鋭い視線がよぎりながらも言った。
「花束でも買って、一緒に出掛けませんかって、誘ってみればいいだろう?女性は買い物が好きだし、そこで先日の非礼の詫びとして何かプレゼントしてはどうだ?」
その言葉に、バッセンは瞳を輝かせたのだが、一瞬にして死んだ魚のような目に戻ると言った。
「お前のような色男に誘われれば喜ぶだろうが・・・俺に誘われて・・・喜ぶわけがない。」
何故そんなに自己肯定感が低いのだと数度目のため息をつきながらロアムは言った。
「大丈夫だろうよ。そら、その為にまずは書類仕事を午前中で済ませるぞ。今日は午後からも予定が入っているが、頑張れば、明日一日くらい休めるだろう?」
ロアムはそう言うと、てきぱきと書類を片付け始め、バッセンは尊敬のまなざしでロアムを見た。
「お前が居てくれて良かったよ。」
「はいはい。そう思うなら、幸せになってくれよ。俺は、アンナ嬢に睨まれたくない。」
バッセンはにこにことしながら仕事を進め、そしてロアムの協力もあってその日のうちに仕事を片付けることが出来た。
翌日、一日休みをもらったバッセンは早朝に花屋に出かけると、花屋が開くまでしばらく街並みを見つめながら待っていた。
恐らく花屋はまだ開く時間ではない。
だが、開店準備をしていた花屋の店主は鋭い眼光の辺境伯が、何故か、自ら、自分の花屋に来て並んでいるのを見て慌てて開店をしたのであった。
「えっと、今日はどのようなお花を?」
「そう・・・だな・・・」
しばらくの間、いや、小一時間ほどであろう。バッセンは花を、鋭い、恐ろしい眼光で見つめ続けた。
花にしてみれば、恐怖の時間だったであろう。
ヴィオレッタは、何故か朝食に現れなかったバッセンの事を心配しながら庭でお茶を飲んでいたのだが、門の所から大量の花が歩いてくるのが見えて目を丸くした。
「アンナ。見て。花が歩いているわ。」
アンナも少し驚いた様子で、だが、すぐに理解すると苦笑を浮かべて言った。
「お嬢様、あれは花束を抱きかかえた人ですよ。」
「え?」
花はヴィオレッタ目指してずんずんと歩いてくると、ヴィオレッタの前でぴたりと止まって言った。
「おはよう。ヴィオレッタ嬢。」
「え?バッセン様?!お、おはようございます。」
しばらくの間、沈黙が落ちてヴィオレッタはドキドキとしながら花を見つめた。
もしかして、だが、もしかするとこの花は自分へのプレゼントであろうかと、ヴィオレッタはドキドキと心臓を高鳴らせながら期待してしまう。
だが、よくよく見てみればその巨大な花束は、色合いも種類もバラバラであり、ちょっとした違和感をヴィオレッタに与えた。
バッセンは、ヴィオレッタにその巨大な花束を手渡すと、少し顔を赤らめ、そして困ったように眉を八の字にすると言った。
「悩んだんだ。・・・だが、俺は、貴方が好きな花も、好きな色も、何一つ知らなくて・・・その・・・だから花屋にある全部の種類と色をもらってきた。その、どの花と、何色が好きだ?」
きゅーーーーーーーん!!!!!!
花に埋もれたヴィオレッタは気を失ってしまいそうになるのを、どうにか踏ん張って堪えると、内心で身悶えた。
何なのだこの人は。
その巨体で、その鋭い眼光で花を選ぼうとしてくれたのか。
きっと花屋にいる貴方はとっても可愛らしかったでしょうね。
もう!
もう!
言ってくれたら絶対にその姿を覗きに行ったのに。
ヴィオレッタは花をぎゅーっとつぶれないように抱きしめると、花の中からバッセンを見上げて言った。
「バッセン様から頂いた花でしたら、私はどれも、どの色でも、全部好きですわ。」
きゅーーーーーん!!!!
バッセンからの視点で言えば、花に埋もれたヴィオレッタは、まさに花の妖精のようであり可憐なその姿と、その優しい言葉に、バッセンの心は大きく高鳴るのであった。
「わぁ。様子を見に来てみれば、何あれ。」
ロアムはバッセンとヴィオレッタの間に流れる甘い雰囲気にアンナの横で砂糖を吐きそうになった。
「ロアム様の入れ知恵でしたか。」
「え?あぁ、花をプレゼントしてデートに誘ってみればとは言ったけれど、これも余計なお世話だった?」
怒られるのではとドキドキとしていたロアムだったが、アンナは微かに笑みを浮かべて首を横に振った。
「お嬢様の笑顔が見れたので、よしとします。あの事件以来、少しばかりぎくしゃくしましたので、ちょうど良かったです。」
アンナの笑みにロアムはくぎ付けになりながら、嬉しそうな姿に、口元が緩んだ。
「そ・・う。なら、良かったよ。」