第三十四話
一見普通の料理屋に見えるその店の一室にて、カイルア王国王子であるオリバーは側近らと共に、今回の話をする相手を待っていた。
「オリバー王子、本当に・・・聖女が自ら来るのでしょうか。」
オリバーの側近であるジャックは心配げな表情を浮かべている。
「罠・・・の可能性の方が高いと思うのですが。」
ジャックのその言葉に、オリバーは安心しろと言わんばかりに肩を叩くと言った。
「我らの聖女が、騙すわけがないだろう。」
何の根拠もないその発言に、何故か皆がそうだなというように息をつく。
彼らの中ではヴィオレッタはすでに聖女化されており、自分達を救ってくれる主となっているのである。
その時であった。
部屋の戸を叩く音がし、厳つい男の声が響いた。
「聖女ヴィオレッタ様をおつれした。」
皆が立ち上がり、そしてオリバーが声を出す。
「どうぞお入りください。」
扉が開き、最初に見えたのはかなり巨体の男であった。恐らくかなりの手だれであろう。顔はフードを深くかぶり見えないが、その雰囲気からして只者ではない。
そして、そんな男の後ろからフードをかぶった小柄な女性が部屋へと入ってきた。
オリバーは緊張した面持ちで息をつくと、言った。
「聖女ヴィオレッタ様でしょうか。どうか、ご尊顔を見せてはいただけないでしょうか。」
ただの公爵令嬢に、敵国とはいえカイルア王国王子が丁寧に言葉を連ねるなど本来ならばありえない行為である。
女性はゆっくりとフードを取った。
美しい絹糸のような髪がはらりと揺れる。
その大きな瞳はまるで宝石のようであり、肌は初雪のように白いが頬はほんのりと桃色に染まっている。
あまりの美しさにその場にいた者達皆が固まった。
そんな様子を、ヴィオレッタは内心にやりとほくそ笑んでいた。
父親からの手紙を読んだ後、ヴィオレッタはすぐに内々にアンナと合流を果たし、そしてアンナと共にこの儚くも凛とした聖女のような姿を演出したのである。
妖精姫と名高いヴィオレッタがアンナと共に本気を出せば、敵国の王子だろうと何だろうと、美しさで黙らせることは他愛のないことであった。
だがバッセンは最初にその姿を見た時には同様のあまり作戦中止を願った。こんなヴィオレッタを見せれば火に油、さらに自分の国へと連れて帰りたくなるではないかと言ったが、ヴィオレッタは首を横に振った。
絶対に作戦は成功させるとヴィオレッタが自信満々にそういうからこそバッセンはしぶしぶ頷き、顔が見えないように護衛として一緒に来たのである。
ヴィオレッタは外面はあくまでも美しき清らかな聖女と偽って、オリバーに美しくカテーシーを行った。
「本日は私のお願いを聞いて下さいましてありがとうございます。私は公爵家令嬢ヴィオレッタと申します。」
「あぁ。聖女ヴィオレッタ様。そのように畏まらないで下さい。私たちの方こそ、聖女様からのお手紙をもらった時には心が躍る思いでした。こうしてお目にかかれて嬉しいです。連絡を受けてすぐにバッセン辺境伯の砦への襲撃もやめましたし、ちゃんと皆には大人しくしているよう伝えています。」
実際には砦は傷一つつけられることなく、カイルア王国側を見事に退けたのだがその事にはオリバーは触れない様子であった。
「ありがとうございます。」
「いえ。私たちの目的は、父王を王座より引きずり落とし、そして貴方様を我が国にお連れする事です。ですので、貴方からの手紙はありがたいことだったのです。」
ヴィオレッタが微笑むと、その場にいた者達皆が息を飲んだ。
本当に美しいのである。
絵本の中から出てきたのではないかと思えるその姿は、触れるのすらも畏れ多いように感じる。
「カイルア王国の国王陛下は・・・どうなさっているのです?」
「こちらで拘束しています。自国に帰ったのちに、国民の前で愚かなる王の裁きを行う予定です。」
なるほど、行方不明となっていたがすでに捕えていたのかとヴィオレッタは納得すると、震える声と潤んだ瞳でオリバーを見つめた。
「良かった・・・実は母の代よりカイルア王国の国王陛下から求められるようになり…恐ろしく思っていたのです。」
微かに震える様子のヴィオレッタに、オリバーは歩み寄るとその前に跪き、その手を恐る恐ると言った様子で握った。
「我が父が申し訳ございません。ですが、もう震える必要はありません。貴方は私がお守りいたします。」
横に控えていたバッセンは今すぐにでもオリバーの腕を叩き落としたい衝動をどうにか抑え、ヴィオレッタとオリバーのやり取りを見守る。
ヴィオレッタは、そっとオリバーの手をほどくと、静かな声で言った。
「申し訳ございません。」
「え?」
「私はこの国から離れられないのです。」
「そ、それはどうしてですか!」
ヴィオレッタは儚げに微笑みを浮かべると、静かに言った。
「私はこの国の精霊に愛され、聖女の力を得ているのです。ですから…この国を離れればその力は失われ、精霊を裏切ったことで死を迎えるでしょう。」
「な!なんと!」
ヴィオレッタの口から出まかせの言葉に、その場は騒然とした。
だが、この一世一代の大嘘をヴィオレッタは貫き通すと決めて言った。
「その代り、オリバー様に加護を差し上げます。」
「え?」
「この加護はオリバー様が国のためにと励み、そして仲間を大切にし、争いのない王国を築けるよう頑張ればきっと力になるでしょう。私にできる事はこれくらいなのですが…。」
ヴィオレッタのその言葉にその場にいた者たちは目を見開きオリバーの返答を待つ。
オリバーはしばらく思案した後に、口を開いた。
「私によろしいのですか?」
「貴方様ならばきっと良き王になれるでしょう。」
そう言うと、その場にいた者たちも同意するように声を上げた。
「聖女様の折り紙つきだ!」
「オリバー様!貴方ならきっと良き王になる!」
「我らも誠心誠意貴方につき従います!」
その言葉に、オリバーは瞳を潤ませた。
「皆・・・ありがとう。聖女様、加護を、いただけるでしょうか。」
「はい。」
ヴィオレッタは跪くオリバーの額に手を当てると、言葉を連ねた。
『カイルア王国オリバーに平穏なる王国を築けるよう加護を授ける。』
次の瞬間、部屋に薄らと煙が立ち込め、明るくなると小さな可愛らしい子ども達が踊り歌いながら現れた。そして美しい花々を部屋いっぱいにまき散らしながら駆け抜ける。
『祝福を!精霊の祝福を!加護を!平和を!』
可愛らしい歌声は響き、どこからか美しい音楽まで聞こえる。
まるで夢のような空間に、カイルア王国の物達は目を丸くした。
そして最後に閃光が走ったかと思うと、全てが消え、現実が戻ってくる。
呆然とそれを見ていたオリバーは目を丸くしてヴィオレッタを見た。
「ふふふ。精霊達もよろこんでいますね。」
カイルア王国の物達はひれ伏すようにヴィオレッタを崇め、そしてオリバーを先頭にして自国へと帰って行ったのであった。
それをヴィオレッタとバッセンは見送ると、ふふふっとこらえきれないように笑った。
「本当に上手くいくとは!」
バッセンはフードを脱ぎ捨てると腹を抱えて笑った。
ヴィオレッタも先ほどまで張り付けていた外面を消すと同じように笑い声を上げる。
「本当に!ふふふ!子ども達や皆のおかげね!」
「わーい。僕達上手だった?」
「へへへ。」
「やったぁ。」
料理屋の中からヴィオレッタとバッセンが仕込んでいた人々が姿を現した。
美しい歌声担当の者達、光を発生させる道具を作った者達、音楽を奏でた者達、皆が満足げに笑みを浮かべている。
「いやぁ、本当に上手くいって良かった。」
「ははは!だが、こうも信じやすくて大丈夫かな。」
「そうだな。だが、ヴィオレッタ様の加護があるから大丈夫だろう!」
皆が笑い声を上げ、そして歓声を上げた。
「聖女ヴィオレッタ様万歳!」
その言葉にまた皆笑うのであった。
実の所子どもの人数が多くなっていたり、誰も仕掛で煙など使っていないという謎があったり、そのことに誰も気づいていないのであった。