ろくでなしと糞ガキ
「何を見てやがる」
戦が終わって夕陽に染まり始めた荒れ野には、色んな連中が集まる。
目玉をつつく烏、屍肉を喰らう犬ころ。
そして、鎧や刀にたかる人間。
皆、ろくでなしばかりだ。
弱った者、死んだ者から盗むことしかできない、ろくでなし。
俺も、今はその一人だった。
「おい、何を見てやがる」
首のない武者の屍に腰を下ろしたまま、俺は横を向いた。
男か女かも分からない童が、こっちを見つめて立っていた。
泥まみれのボロ布姿だが、棒きれ一つ手にしていない。
だが、目ばかりがぎらぎらと光っている。
さしずめ、ろくでなし見習いというところだ。
「斬られたいか、糞ガキ」
剥ぎ取った太刀を抜き身で持ち上げ、俺は声を張り上げた。
不思議なもので、刀というやつは手にしているだけで強くなった気分になる。
なにより、握っている時だけ気持ちが昔に戻るように感じるのだ。
滅んだ武家で、郎党をやっていたあの頃に。
この一年ですっかり頬に張り付いた醜いにやつきが、少しだけひくついた。
「それ」
「ああ?」
「それ」
荒れ野によく通る声が耳をくすぐり、俺に何ごとかを考えさせた。
それ。それとは何だ。
「それ、ちょうだい」
「ん…ああ…」
ガキの細い指が、俺の足元を指す。
先ほど拾った、血まみれの干し飯だ。
兵士の屍の懐に入っていた。食う前に戦が始まったらしい。
拾ったはいいが、真っ赤に汚れていて食う気にもなれずに持ち歩いていた。
「…けっ」
俺が干し飯を投げてよこすと、ガキは何も言わずに食べ始めた。
歯を立てて噛み、むせながらも口の中におさめていく。
飯を持ち上げている腕はたやすく手折れそうなほどに、細い。
「もう一つ、ちょうだい」
「……」
赤い米粒のこびりついた指が、また俺の足元を指す。
屍からかすめた干し飯が、まだもう一つあった。
どうせ食いやしない盗み物だ。惜しむこともなかった。
「あぐ…あぐ…」
俺が投げ渡した瞬間に、ガキは口に入れて貪っていく。
目は握った飯だけを見つめ、まるでこちらを警戒していない。
なぜか、犬に似ていると思った。
ろくでなしに落ちたその日まで、飼っていた犬に。
気性が荒く大喰らいで、だがよく懐いた犬だった。
拾って育て、仲間に自慢し、一緒に落ち延び、去年の飢饉で食った。
「食ったら失せろ」
太刀を握る手を緩め、俺は言った。
だが、食い終えたガキは立ち去らない。
赤く染まった口元を腕で拭い、またぎらついた目で俺を見つめてくる。
ガァガァと、頭の上でカラスが啼いた。
野良犬も遠巻きにガキを見ている。
屍に飽きたのか、新鮮な肉に惹かれたようだ。
「聞こえねぇのか、失せろと言ったんだ」
いらだちが募り、舌打ちと共に低い声が出た。
なぜか気に入らなかった。
痩せた手足で、しっかりと立っているガキが。
血だらけの飯を腹に突っ込み、それでも目が光っているガキが。
「まだ何か欲しいのか」
「それ」
「あ?」
「刀、ちょうだい」
差された指に、俺は握った太刀を見た。
ただの鈍らだ。どこの戦場にも転がっている。
激しく打ち合ったらしい刀身は刃こぼれがひどく、少し曲がっていた。
「もらってどうするってんだ」
「使う」
「何に?犬でも斬るつもりか?」
「違う」
「なら俺か、やめとけ糞ガキ。お前じゃ」
「違う」
気づけば、ガキはすぐ傍まで寄って来ていた。
ボサボサの髪の間から、真っすぐな眼差しが俺を突き刺してくる。
「武士になる」
無性に腹が立った。
血まみれの飯を食う乞食が。汚い糞ガキが。
俺は声を荒げて腰を上げ、刀を振りかぶった。
「飯も服も銭も、いっぱい欲しい」
ガキは一歩も下がらず声だけを張り、俺に挑んできた。
手が震える。喉が渇く。鼻の奥がツンとした。
「だから、武士になる」
輝く目は俺ではなく、その背後の焼けた空を見ていた。
頭が真っ白になった。
殺して食った飼い犬の顔だけが浮かんで、すぐに消えた。
「っ、勝手にしろ」
刀を地面に突き刺し、俺は踵を返した。
逃げるようにその場を走り去った。
走って走って荒れ野を抜けて林に入り、それでも走った。
一度も振り返れなかった。
涙があふれて、止まらなかった。
……
…
…
数年後。
俺はろくでなしをやめ、それでも戦場にいた。
「聞いたかおい。明日の攻め手に備えて、兵の数を増やすってよ」
「そりゃいい、楽になる。上手くやれば、恩賞貰えるかもしれねぇ。どっかの郎党入りだって」
「ばか、お前には無理だ腰抜けが」
「なにを、歯抜けの間抜け面」
「明日には落ちるぞ、敵方の城も」
焚火に当たってまどろむ俺の横で、同僚達が盛んに話をしていた。
怪しい噂に、勝手な期待。
どこの戦場でも見飽きたやりとりだ。
俺は太刀を抱え直し、胴具を腹と足で挟み込むようにして丸まった。
雇われの根無し草が戦の手前でやることは、寝ることしかないのだ。
「来た来た来た、増援の兵だ」
「本当かよ、吹かしじゃなかったのか」
「ずいぶん早いな。将は誰だ?」
「おい新品持ってる奴いるぞ、夜の内に盗っておくか」
野営の陣中が慌ただしく動き始める。
出迎えが半数に、物見気分が半数だ。
同僚は全員出ていき、焚火の前には俺一人になった。
俺はゆっくりと身体を横たえ、火の温もりを独り占めした。
半刻ほどして、小さな足音が一つ焚火へ帰ってきた。
だが、横になった俺の後ろで止まり、腰を下ろすでもなく立ったままだ。
「おい、何を見てやがる」
頭だけで振り返り、俺は目を見張った。
思わず飛び起きれば、目の前に干し飯が差し出される。
「これ」
若い兵の腰には刀が二本差されていた。
一本は俺と同じ支給品。
もう一本は、抜き身の曲がった太刀だった。
「これ、あげる」
差し出された干し飯は、とても白かった。
終わり。
続きません。