第六十三話「斎木 創」
第六十三話「斎木 創」
ガザザザザ……
「……」
ガリッ!ガリリリィィ!!
――三百と十二年……いや、十一年前だったか?
「……」
斎木 創は山間にある”掘っ立て小屋の中”で無力に佇んでいた。
ガザザザザ……
三畳ほどしか無い半ば倒壊しかけた木製の小屋は多分……”元”人家ではなくて樵か猟師の休憩所、若しくは作業小屋だったと思われる。
ギリ!ガリィ!
「……」
「……」
古木の壁を外部からガリガリと引っ掻き続ける爪の音が外から引っ切り無しに聞こえる薄暗闇の中で、俺の前には負傷した男が柱に背を預けて項垂れていた。
「…………四方を囲まれたか、万事休すだな」
全身に決して軽くない傷を負った男は暫く後に吐き出すように呟いた。
俺がこの異世界に放り出されて最初に心を開いた男。
奴隷だった俺をベルデレン公国の牢獄から助け出してくれた男。
その男の一団に加わった俺は、俺達は、勇者によって広く公募された魔神討伐隊という仕事を受けてオベルアイゼル公国にまで足を運んだが……結果はこれだ。
ガリリリィィ!!
腐りかけた木の壁は外圧で撓み、もう幾らも持ちそうに無い。
「わ、悪かったな、ハジメ、俺の我が儘でこんな仕事受けちまったばっかりに……」
柱に力なくもたれ掛かった男は、俺の所属するチームのリーダーだ。
何時になくこの仕事に拘ったリーダーだったが仕事の内容は悲惨なモノだった。
――当時オベルアイゼル公国の北に本拠を構えていた魔神王
”鋼鉄喰らいの魔神王”とその眷属達。
当代の”勇者”は公国からの依頼を受け、”鋼鉄喰らいの魔神王”討伐を開始した。
公国軍数万とその為に集められた傭兵部隊が凡そ千五百、俺達はその傭兵部隊に参加したわけで……
だが蓋を開けてみると”それ”は酷い”戦”だった。
勇者による強襲を成功させるために、魔神王の眷属達を引き離して鋼鉄喰らいの魔神王を孤立させる……
そう言う作戦のため、傭兵達は詳しい説明も無しに”囮”に利用されたのだ。
百を超える魔神級の悪魔人族と数千の魔物達、そういう狂気の相手を一手に背負わされた傭兵達と冒険者達の戦いの地は当然の如く虐殺場と化した。
阿鼻叫喚の地獄……
”数”でも”個々の能力”でも遙かに及ばない戦力差では、戦場が地獄と化すのは当然の摂理だった。
そして――
”山中の掘っ立て小屋”までなんとか逃げ延びた俺とリーダーだったが、辿り着くまでに仲間は全員……
「こうなったら俺が囮になって正面から飛び出すから、ハジメはその隙に裏から……」
息も切れ切れにそう言うリーダーに対して俺は首を横に振った。
「今更だろ?そんな事で逃げられるとは思えない。それにどうせ逃げるならリーダーの方が……」
「いや俺はいい、俺はもう”ここまで”でいい」
俺の言葉を遮ってリーダーはそう言うと血が滲んで震える足のまま、柱に預けていた体を起こす。
「リーダー!」
「ハジメ……俺はな……」
フラつくリーダーを支えた俺の手を握り、男は続ける。
「”大罪犯”なんだ」
――深刻な表情……
何時もペラペラと、どうでも良い話題を振りまき楽しそうに笑っていた男。
いきなり異世界に放り出された俺を絶望の中から這い出させてくれた希望……
非合法な奴隷市場を潰した冒険者チームのリーダーは、助け出された後も変わらず無愛想で無口と言うのも憚られるような俺に、何時も笑って話しかけてくるお気楽で奇特な男だった。
――その男が初めて見せる沈痛な面持ち
「……」
俺は一瞬、外の緊急事態を忘れて息を呑む。
「俺はな、ベルデレンの生まれで、生き抜くためにガキの頃から盗み、脅し、暴力に……果ては殺人にまで手を染めまくって生きてきた」
「……」
話を聞く俺は終始無言だった。
彼の柄に無い真剣さがそうさせた。
「大人になった俺はそんな”肥溜め”から出て世界中を傭兵として渡り歩いた。小競り合いから国同士の大戦まで金になるなら何でもござれって生き方でな」
「…………」
――さして珍しくもない
当時の俺はそう思いながらリーダーの話を聞いていた。
俺もこの世界に来て直ぐに奴隷として売られたのだ。
読み書きさえ満足に出来ない、言葉も話せない俺は、いきなり底辺の中で人生を過ごしたから、今更の話であったのだ。
「戦争で人を殺して金を得て、その戦争で占領した村々で略奪を行い、金、食い物、命を奪い女を抱いた……つまりはだ、”肥溜め”から抜け出ても、やはりクソはクソだったってわけだ」
お気楽、お人好しリーダーが俺に見せたことの無い自虐的な笑み。
「だが……あんたは……俺を助けてくれた」
――さして珍しくも無い
そういう話だったはずが、俺は意図せずにささやかなる反論を口にしていた。
――それはきっと……
年甲斐も無く何時も少年のようにキラキラした瞳を持つこの男の、俺を救ってくれたリーダーの……そういう彼の瞳が汚泥に染まりゆくのを我慢できなかったからだろう。
「はは、それはなぁ……」
だが、リーダーはそんな俺に自嘲気味に笑いかけたまま続ける。
「傭兵とは言え、軍規違反の常習犯だった俺はとうとう年貢の納め時……在る時に勇者の支援という仕事で略奪を行った俺達ごろつき連中は勇者の手によって捕らえられ、そして処刑されるはずだったんだが……何故か俺だけは命を奪われなかった」
「…………」
「その時の勇者の……仲間の女?名前は忘れたが、その女が俺を一目見てこう言ったんだよ」
――勇者の仲間……女?
当代の勇者と言えば、あのインチキ女神によって異世界へ送り込まれた俺を……殺した男だ。
そしてその仲間の女……
俺は思い出したくも無い記憶を辿る。
その勇者、そして自らの優位性を確保するために、現在俺達を騙し討ちのような形で窮地に追いやっている勇者のことを……
――
「なんで?っていうか、どこから?急に人間が割って入って来たんだ?」
男は軽装の西洋鎧に両刃の西洋剣……
それはまるでファンタジー世界の住人そのものの格好ではあるが、話した言葉は日本語で、そいつの容姿もまんま見慣れた日本人だった。
「まぁ良いか?こいつが勝手に現れたんだし、戦いに犠牲はつきものだ。それに俺は勇者様だぞ、こんな謎の一般人一匹、魔神を倒した功績に比べたら全然問題ナッシングだ!」
――ぐ……うぅ……ざっけん……な……
巫山戯た女神擬きに、行き成りこの異世界に送り込まれた俺は……
地面に這い蹲り、既に意識も途切れ途切れでどんな状況かもハッキリとは解らない状態だったが、その男の横暴さは理解出来た。
「そんな事より”シャルロット”……さっさとこの場所を”浄化”してくれよ。本命の魔神に復活されちゃ二度手間で面倒臭いだろ」
俺を串刺しにした男は平然とまったく焦るわけでも無く、瀕死の俺でも聞き取れるくらいにハッキリとそう言って仲間に何かを促したのだ。
「……Sim.Um amigo」
そして若い女の声……
完全に地面に突っ伏した俺にはその姿を窺い知ることは不可能だったが、それは確かに若い女の声で、問題は……
その女の言葉は先程の男と違い、全く意味不明の言語だと言う事だ。
「じゃ頼むぜ、シャルロット」
――そ……んな……こと……ぐっ……は……はぁ……
だが何よりもコイツらのやろうとしている事が……多分、俺にはヤバイ!
「Luz sagrada!!」
――ちょっ……まっ……って……
激痛に苦しむ虫の息な俺の耳に聞こえた理解不能言語……歌?いやこれは、呪文詠唱……
シュオォォーーン!
「ぐはっ!」
若い女の意味不明言語が終息すると同時に、如何にも”聖なる光ですよ!”と憚り無く主張する強烈な光りに、死にかけの俺の眼が眩んで……
…………………………………………………………プッ
その時、俺の意識は完全に途絶えたのだった。
――
「勇者の仲間の……女」
――あの時の女……たしか”シャルロット”と呼ばれていたか?
予期せず聞いた”俺の過去との奇異な繋がり”に、思わず”始まりの記憶”を手繰り寄せた俺。
「そうだ、勇者の仲間……名前は忘れたが、その女が俺を一目見てこう言った」
――”貴方の罪は既に断罪されている……心核に刻まれた病魔という試練、それを克服するには行った悪行を越える善行を施すしかないわ”
「とな……」
「…………」
俺はまた黙った。
――犯した悪行を越える善行?
「ははっ、笑えるだろ?生まれついての悪であった俺に、善行を行えと……」
リーダーはまたも自虐的に笑ってから続ける。
「なんでも”その女”は、病魔とその因果を見抜く”特殊固有スキル”持ちだそうで、俺の場合は神に与えられし試練だとかなんとか……で、残りの寿命は数年で、善行が悪行を越えない場合はこの世の全ての苦痛を味わい狂い死ぬらしい。まぁ……呪いみたいなものか?」
「…………」
――そんな……”固有スキル”が存在るのか?
少なくとも俺は今まで聞いたことが無い。
抑も……”神の試練?”そんなもの自体、聞いたことも無い。
「変な顔するなってハジメ、当時の俺もそんな顔だったよ……けどな、固有スキルってのは千差万別、そんな”とんでも”スキルがあっても不思議じゃ無いだろ?」
「…………」
――確かに……
俺の持つ二つの固有スキルを考えてもそれは……有り得ない話じゃ無い。
が……そんな”試練持ちの男”に、そんな”スキル持ちの女”がたまたま出会い……
――なんだか都合が良すぎる話だ
「兎も角そういうわけで……俺がお前を助けたのはそういう自分の都合のための一環で、気にすることも無いし、俺もそろそろ疲れた」
「リ、リーダー?」
そう言うとリーダーはそのまま掘っ立て小屋の入口付近にヨロヨロと歩いて行く。
「てなワケでな……俺は死ぬわ、はは……後は宜しく逃げてくれ!」
「ちょっ!リ、リーダーっ!!」
バタンッ!
止める間は無かった。
あっという間に、まるで怪我人と思えぬ素早さでボロい木の扉を開け放った男は、大型犬ほどの鉄の牙と爪を持った魔獣の只中へ……
ガウッ!ガウッ!
ガリリリィィ!!
俺達二人が立て籠もっていた掘っ立て小屋を包囲していた”鉄牙獣”が数十匹と密集する只中へと勢いよく飛び込んで、派手に立ち回り、そして襤褸切れのように引き裂かれて……
そのまま引きずり回され、あっという間に群がる鉄牙獣達の恰好の玩具となった。
「くっ!」
俺には既に選択肢は無い!
ガコンッ!
恩人の無惨な死にショックを受けている暇も、身を犠牲にして助けられた事に悲しんだり感謝したりする暇も無く、俺は小屋の反対側の壁を蹴破って飛びだした!
――はぁはぁはぁはぁ……
走る!
「はぁはぁ……う……はぁ……」
一切振り返らずに、引き裂かれる恩人に一瞥もくれずに反対方向へと走り続ける!
気づかれたら、追いつかれたら終わりだ。
俺にはあの数の魔獣達を相手に出来る術は無い!
「はぁはぁはぁはぁ!」
肺に空気が個体となって押し込まれる様な苦痛の中、俺は走り続ける!
必死に!無様に!
それでも命を繋ぐために!
俺は……っ!?
ガコォォッ!
「ぐっ!……はぁ」
だが俺は、必死に走る反対方向へと吹っ飛んでいた。
数メートル以上は宙を舞い、土煙を上げて地面と激突し、ゴロゴロと転がって仰向けでへたばった。
「…………」
――蹴られた?……正面から?
遁走する俺は、瞬間で現れた正面の人影に蹴り飛ばされ、為す術無く転がっていたのだ。
「う……ぁ……」
ダメージだろう。
直ぐには四肢に力が入らない。
「逃げられると思っているの……この下衆な人間種」
冷たい赤い瞳が横たわる俺を見下ろしていた。
「…………ぁ……ぁぁ」
長い髪を三つ編みにしてクルクルと輪っかに後頭部で纏めた髪型と見目麗しき顔立ちの美女。
――そ、そうか……魔獣だけじゃな……眷属もいたっけ?……はは
胸と腰に軽装鎧を装備した身体のラインが解るピッタリとした服装で、両腕には肘から拳までを覆う”拳防具”、両足には膝から臑を守る鉄甲の臑当を装備した”格闘士”の女。
「……」
冷たい氷の表情で、赤い瞳の女は俺に歩み寄り、そしてトドメを刺さんと拳を振り上げる。
――なんだ……これ……
転移直後、意味も解らないままに”勇者”に殺され、
そして今度は、同じその”勇者”にまんまと利用されて、奴の”囮”として死ぬ……
――なんだ……この理不尽さ?
俺は今、正に振り下ろされんとする拳を前に、言い切れぬ不満に顔が歪んでいた。
「死よ、人間種」
「まてよ、魔神さん!」
俺は両手を万歳してその女を見上げ――叫ぶ!
「……」
正体不明の魔神女は拳を虚空に、そんな俺を冷たい瞳のまま見下ろしていた。
「お、俺と組まないか?俺は”異邦人”……つまりは勇者と同じ……」
その時の俺は、顔だけで無く心も歪み……
いや、それが俺の……
「い、言っておくがなぁ……”勇者”を殺せるのは俺だけだ……ぞ」
異世界で初めて自主的に選んだ斎木 創の”人生”だった。
第六十三話「斎木 創」 END