第五十二話「希鋼鉄闘姫(レアスティアナ)」
第五十二話「希鋼鉄闘姫」
「もし傷モノになって創さんに抱いて貰えなくなったらどうしてくれるのかしら?」
「……」
「何百年も待ったのよ?この想い、何百年も経ってしまった……」
赤い瞳を細めて――
「現在もね、心の何処かで彼を憎む自分がいる……一族を鏖にされた恨み、彼にその矛先を向けるのがお門違いだとよく解っていても、それでも尚、ね、ふふふ……」
赤い紅の口元を愉悦に歪ませて――
「斎木 創もずっと苦しんでいるの?自分の”せい”だって、ずっと憎んでる?……無力だった自分を……あはっ!私もそう、自分の無力を彼の”せい”にして憎んで、そんなだから、そうじゃ無い事をよく知る自分を蔑んで……あはは」
長い髪を三つ編みにしてクルクルと輪っかに後頭部で纏めた髪型と、見目麗しき顔立ちの美女は、そう独り語って得体の知れない快楽に身を委ねていた。
「……きさま……いったい」
二本の曲刀を手にした勇剣士、浅黒い肌と痩せた身体で細く鋭い眼をしたズゥィアブン=ヤーヴは、自分を置いてきぼりに独り快楽の海に沈む女に困惑していた。
「でも、素敵だと思わない?お互いが持つ劣等感、罪悪感……憎しみ……それがね、ぐちゃぐちゃに……混ざり合ったらそれはきっと……」
「赫鋼の騎士っ!!貴様の戯れ事に付き合っている暇など無いっ!」
ヤーヴはとうとう堪忍袋の緒が切れ、二本の曲刀を手に踏み込んでいたっ!
ヒュッヒュオン!
瞬く間に間は無くなり、熟練の勇剣士が双剣は、またも奇妙な軌跡で格闘士の女を襲う!
「……変わるのよ……きっと」
バシュッ!
迎え撃つ格闘士、レアスティアナもそれに応じて拳を放つ!
「笑止!見えぬ我が剣を忘れた……」
ガコォォッ!
「ぐがっ!」
瞬間、ヤーヴの顔が台詞途中で歪み、左手に握っていた曲刀がクルクルと宙に舞って後背にガランガランと派手な音と共に落下した。
「ぐっ……な、なんだ……と!?」
被弾した左肘をダラリと下げて、ヨロヨロと後退するズゥィアブン=ヤーヴ。
対して――
格闘士の女は打ち込んだ拳を突き出したまま、追撃もせずに微笑っていた。
「…………辺境の剣技?そんなの二、三度も見れば充分でしょう?」
「ぐっ!……き、さま……」
胸と腰に軽装鎧を装備した、身体のラインが解るピッタリとした服装の格闘士。
両腕には肘から拳までを覆う”拳防具”、両足には膝から臑を守る鉄甲の臑当を装備した上位職業である”打撃闘王”は、薄い笑みを浮かべたまま、ヤーヴが体勢を立て直すまでの一部始終を余裕で見送る。
――先程の一瞬の攻防で何が起こったのか?
それはヤーヴにも理解出来た。
今までと同様に身に修めた剣技で挑んだヤーヴの双剣を、
男が繰り出す、真っ先に肘が前に出る、真に奇妙、奇異な辺境の剣技を……
肘と体の影に、腕の形に沿って曲がった刀身が完全に隠蔽され、刹那に空間と同化する”絶縁強化硝子製”の刃が繰り出される前に……
肘打ちのように折りたたんだ肘が前に出てくるのを目掛けて先に拳で打ち砕いたのだ!
「ぐぬぅぅっ!!」
多分、骨が砕けたであろう左肘を庇いながら、足元に転がった片割れの魔剣、”双頭獣牙の曲刀”を拾い上げ、ヤーヴはそれを感覚の無いだろう左手に無理矢理に握り込む。
「お互いがね、心に同じ傷を刻む者同士がね……私が彼に向ける憎しみと、彼が私に向ける同情と……ふふふ……お互いに刻まれた後悔や自己嫌悪という葛藤は、狂おしくも惨めで切なくて……そして、そしてね……」
女は再び愉悦に浸り、快楽の海に沈む。
「……」
ズゥィアブン=ヤーヴは思う。
これは”狂人”であると。
「そして……だから……」
女は独り語りを続けながら、勇剣士の左肘を砕いた拳をスッと降ろす。
「……ぬぅぅ」
これは、相反する感情の波に魅入られた正気の狂気であると。
「だから、だからこそ燃え上がるのよっ!!蕩ける様に抱き合って、燃えるように激しく愛し合うっ!!お互いの感情が、不満が、同情が、憎悪が、殺意が……それがほんとにもう……ぐちゃぐちゃのどろどろに溶け合って、愛し合うほどに二人は融合するの!それが、それこそが私が創さんに望む愛情の……愛のかたちっ!!」
そして女は拳を解いた両腕を大きく開いて、狂おしく愛する者を抱くように”ぎゅう!”っと自身を目一杯に抱きしめたのだ!
「ぐ……!歪んだ愛情か……ふん、そんな”傷の舐め合い”に何の意味がある、過去の負債は負債、只それだけでしか無い」
女の力の籠もった主張は、終焉の国で幾つもの理不尽と共に生きたズゥィアブン=ヤーヴにとっては到底理解など出来ない感情であった。
――グッ!ググ……
その間もヤーヴは腰紐を解き、それで握力の無い左手に握った曲刀を何重にも縛り付けて二度と離れぬように固定していた。
「”傷の舐め合い”……そうよ、私の傷を!あの男性の傷をっ!お互いに舐め合えるのはお互いだけっ!創さんだけ!」
だが、レアスティアナにとって目前の男の声など気にする価値も無い。
「この狂人がっ!」
女が無防備に叫んだ瞬間、ヤーヴの足は地面を蹴る!
「……雷撃」
バチィバチィ!バシュッ!
レアスティアナはそれを充分に見定めてから、如何にも興味薄く、適当に魔法による遠距離攻撃を放った。
ヒュオン!
バチバチィィ!
前回と同様に、ヤーヴは健在な右手に握った”双頭獣牙の曲刀”の魔法付与結界で、それを弾く!
「殺ったっ!」
そして直ぐに間合いに詰め寄り、振り上げたままの曲刀を女の首に狙いを定め、振り下ろ……
「超・電気……雷撃反転」
バシュ!!
シュォォーーーーン!!
「なっ!?なんだと!?」
レアスティアナが呟いたと同時に、魔剣に弾かれて明後日の方向へと飛び去っていた雷撃魔法は停止、反転し、まるで糸で手繰り寄せられたかのようにそこから舞い戻って、曲刀を振り上げたヤーヴの後背から迫っていた!
「バカなっ!なぜ消えていない!」
バチバチバチィィィィィーー!!
「くっ!」
紙一重で後背からの電撃を仰け反って躱したヤーヴだが……
ブォッ!
「なっ!?くっ!!」
ガシィィン!
今度は目の前で突然背中を向けた格闘士女の回し蹴りを受けて蹌踉めいていた!
バチバチバチィィィィィ!!
「ぬぅぅっ!!」
此れも帯電した回し蹴り!
それを……
”雷系の攻撃を無効にする”双頭獣牙の曲刀”の魔法付与結界で受けるズゥィアブン=ヤーヴだが、受けた刀身がさっきまでと違う反応を示している事に気づく!
――これは!!”双頭獣牙の曲刀”の透明な刀身が……
「超・電気竜巻蹴り」
ガシィィン!
バチバチバチィィィィィ!!
「ぬぅぅっ!!」
考える暇もなく、二度目の回し蹴り!
ヤーヴはまたも右手に握った曲刀で受けるが……
その違和感……雷系の攻撃を無効にするはずの”双頭獣牙の曲刀”の刀身が……
あろう事か、雷の威力と熱で赤黒く熱せられて変色していたのだ!
バチバチバチィィィィィ!!
「ぬぅぅ!な、なぜだ……なぜ……このっ!」
相手の電撃蹴りを右手の剣で受けながら……
ブンッ!
意志の通らない折れた肘、左手に縛られた曲刀を肩の反動で振り子のように振り切って、鞭の如く撓らせた凶器としてレアスティアナの顔面に打ち込むベルデレンの勇剣士っ!!
――これを躱した瞬間、僅かに意識が逸れるはずだ!
ズゥィアブン=ヤーヴはその瞬間にこそ勝機が在ると信じた。
――右腕の曲刀で受けている蹴りを渾身の力で弾き、狂心の魔神が心臓に突き立てるっ!!
そういうイメージを頭に描いたヤーヴであったが!!
ガキンッ!!
「なっ!?」
しかしその女は、ズゥィアブン=ヤーヴ渾身の”撓らせた凶器”を躱す動作さえせずに、顔面で真面に受け、あろう事か激突した剣はいとも容易く折れて飛んで行く!
「超・電気回転蹴り!」
グルン!
そして間髪入れずに回転蹴り!
ガシィィン!
バチバチバチィィィィィ!!
ガシィィン!
バチバチバチィィィィィ!!
ガシィィン!
バチバチバチィィィィィ!!
駒のように回転して放たれる旋風脚の連続蹴りは!
雷の魔力を帯びた蹴りは!
蹴る度に輝度を増して……
バチバチバチィィィィィ!!
最後には白い光りの”タツマキ”と成るっ!!
「うっおぉぉぉぉっっ!!」
高電圧の連続蹴りを受け続けた”双頭獣牙の曲刀”の刀身は赤黒く変色し、そして……
パァァァーーーーンッ!!
破裂して、同時に所有者に落雷の様な電撃が走る!
「うぐあぁぁぁぁーーーー!!」
ドサッ
「…………」
ガクリと、両膝を落とした勇剣士に、
ブォッ!
間髪入れずに剣を破壊した廻し蹴りが飛ぶ!
「がふっ!」
懺悔する様に両方の膝を床に着いた男の首に女の後ろ回し蹴り……その脹ら脛部分が咽に宛がわれた位置で停止していた。
「…………」
左肘は砕け、右半身は黒焦げ、そして意識は……
――ぐっ……これ……は……
だが、ズゥィアブン=ヤーヴなる男はその半死状態でも不幸中の幸いと思った。
何故こうなったのかは解らぬ……が、蹴りが柔らかい脹ら脛部分だったのは僥倖だ。
踵なら今頃咽が潰れて……
「ぐはっ!」
そんな甘すぎる考えを始めた脳は直ぐに悲鳴を上げていた。
ギリ……
ヤーヴの咽を捉えたレアスティアナの蹴り脚は、そのまま標的の首を巻き込む形で膝が折れ曲がり……
「ぐっ……はぁぁっ!!」
鎌首の様にくの字に挟んで締め上げ始めたのだ!
ギリリリ……
「はぅっ!はっ……」
ギリギリと締め上げられ、特徴であった細い眼を見開いた男の浅黒い肌は見る間に青白く変色してゆく。
ギギギ……
「ぐぁぁ……はっ」
「ふふふ、あのね、解ったでしょうけど……貴方のあの”魔剣”程度をへし折るのはとても簡単、私硬いから……ふふふ」
女の紅い唇は男の首を片脚で締め上げたまま、薄らと綻んでいた。
「けどね……貴方、随分と自分の剣、”絶縁強化硝子製”だったかしら?あと、雷系無効の結界?ふふふ……そんなものね、”より強い力”の前には全くの無力なんだって、ふふふ……強い力の前ではどれだけ無意味な存在か……教えてあげようと思ってね?」
ギリギリ……
「はっ……はっ、はっ……」
女が説明する最中も、酸素を求めるヤーヴの口は金魚のようにパクパクと忙しなく開閉する。
――より強い力……
想定以上の強力な魔力による攻撃で魔剣の結界は崩壊し、
桁違いの電圧と熱で”絶縁体”は構造破壊され炭化して”伝導体”へと変貌した。
これは……
理不尽なまでの”強者”に対する、希鋼鉄闘姫のひとつの”結論”なのかも知れなかった。
「ぜ、絶縁……破壊?……はっ……はっ……」
「…………ふっ」
酸素を欲し、最早死人のような顔色の男からやっと出た言葉に、女は答えずに……
――グギャッ!
「がはっ!」
力を込めて一気にへし折っ……否!
ドシュッ!
骨が砕ける異音と同時に別たれ天井へと飛び立つ頭!
ヒュッーー!
それはまるで、祝事の時のシャンパンが栓のように、
射出され――
ドンッ!
夜空という漆黒のカンバスに咲く祭りの花火のように、
勢いのまま高い天井に激突して鮮血の花を散らして――
ドンッ!、ゴロゴロ……
そして、廃棄された塵屑の如きに床に転がった。
レアスティアナの脚で絡め取られた男の首は折れたのでは無く、金属硬化した凶器によって刈り取られ雑草の如く切断されたのだ。
「…………」
レアスティアナは数秒の間、男の首を刈り取った状態の右足を高々と上げたまま片足立ちだったが……
やがてそれを降ろして床に転がった男の首を拾う。
「”コレ”で創さん、喜んでくれるかしら?良くやったって私を抱いてくれるかしら……」
そして、そんな独り言を呟いたあとで……
――
「ないわ……こんな”雑魚の首”じゃ……ね」
ドシャ!
そう言って、天井と床にぶつかって潰れた男の頭を雑に投げ捨てた。
――
「あ、あのーー?」
そこで部屋の片隅から遠慮がちに顔を出した人物から声がかかる。
「えっと……脱出用通路、必要なかったですか?」
それは、図体だけは中々にデカい長毛犬……では無くて犬頭人兵士。
もしもの場合の脱出補助を担当するパニャン=デコルテであった。
「…………」
「えと……どうします?」
レアスティアナの表情から感情は薄められ、”見目麗しき顔立ちながら表情乏しい美女”
の顔に戻る。
「…………」
「……あの?」
そして、暫し考えた後で何事も無かったかのようにこう言ったのだ。
「そうだね、せっかく用意してくれたんだし、使おうかな?」
第五十二話「希鋼鉄闘姫」END