第三十九話「勇者”榛葉 零王主” 其の壱」(改訂版)
第三十九話「勇者”榛葉 零王主” 其の壱」
もう何年も前――
ユクラシア大陸、六大公国の一つであるオベルアイゼル公国のとある場所にて――
「この剣をくれ!」
古ぼけた木製のカウンター越し、店内に展示してあった一振りの両刃剣を手に持った男が店主に声をかけた。
「は、はい……」
如何にも気弱そうな年若い店主は、商品を受け取って精算を……
「おっと、ちょっとこれ、ヘコみがあるなぁ……三割引でどうだ?」
店主の少年がそれを受け取ろうとした瞬間、客であろう体格のしっかりした筋肉質の男は両刃剣をひょいと掲げてニヤけ面になった。
「……」
気弱そうな少年はそれを見上げる。
ヘコみ……といっても鞘の表面、それも先の隅っこに爪の先程の歪みが少しあるだけ。
中古品である両刃剣の、それも刀身でなく鞘の隅のヘコみ……
どう考えても法外な交渉だ。
「良いよなぁ?俺は常連だしな!な!?」
男はそう言いながらも剣は頭上に、顔はカウンター越しの少年の間近に近づけて睨み付け、明らかな恫喝の態度を見せる。
「は、はい……」
少年の弱々しい黒い瞳は床を見て、そしてか細い声でそう応じていた。
「よぉぉし!なら買ってやる、ほら!」
男は古びたカウンター上に銀貨二枚と数枚の銅貨を投げ捨てるように放り出し、脅し取ったばかりの両刃剣を肩に担いで店を出て行った。
「…………」
残された少年は床にまで散らばった硬貨を拾い集めてから項垂れる。
――二万五千ゼクル……
支払われた代価は三割引どころか半額にも満たない。
「はぁ……」
溜息を吐いた少年は、鬱な表情で再び店のカウンター備え付けの席に座ったのだった。
――彼の名は、榛葉 零王主
異世界から転移してきてから約半年と少し……
六大公国の一つであるオベルアイゼル公国の首都オベルデン。
その中央通りを一本入った裏通りにある寂れた”武器店”を営む十四歳の少年だった。
「相変わらず不景気な顔してるのね、零王主くん」
「!?」
突然声をかけられ、少年……零王主は驚いて顔を上げた。
「おはよう、調子は……いつも通りみたいね」
いつの間にか、気配もさせずに店のカウンター越しに少年の顔を覗き込んでいたのは一人の少女。
いや……女性。
歳の頃は十七、八から二十代後半……と、見方によってはヤケに幼く見えたり、時には大人びて見えたりという不思議な少女。
フェリシダーデ・カレド=ウィズマイスターだった。
「フェリシダーデ……」
零王主は暫し呆けてフェリシダーデの顔に見とれる。
「いつもいつも、なんで零王主くんは言いなりなの?貴方、もの凄く強いのに、ほんと意気地が無いのねぇ」
呆れ顔で聞いてくる少女の見た目は、榛葉 零王主にとって毎回そうなるほどだ。
肩まであるウェーブのかかった赤毛と、同じく赤い瞳。
冒険者と思えないほどに白い肌と華奢な体格。
緋色の肩当と胸当てを装備する下は……
白い魔導着をアレンジした膝丈ワンピースという上衣で、下衣はスラリとした脚にピッタリフィットした赤いレギンスのような格好に、多少ヒールのあるお洒落な革製編み上げブーツ。
名前から貴族の出自だろうが、娯楽で”冒険者”なんて危険な商売をしているのだろうか?
榛葉 零王主にとって、何故か立派とは言い難い武器店を頻繁に訪れるこの少女は……簡単に言ってしまうと初恋の相手であり、今も淡い憧憬を向ける存在だった。
「貴方、レベル500越えで超常現象級の強者”機工剣士”よね?」
「……」
そしてこの”審眼”だ。
一目で相手の実力を見抜く”固有スキル”……
初めて会った時、既に零王主の実力を見抜いたこの”異世界”唯一の人物。
「なによ、相変わらず暗いわね、言いたい事があるなら……」
「フェリシダーデこそ、なんで一人で冒険者してるの?」
「!?」
密かに思いを寄せる少女の言葉が終わるのを待たずに質問する零王主。
「だってそうでしょ?一人で……特に後衛役の魔法系職業のフェリシダーデがパーティーを組まずに冒険者をするなんておかしいよ」
予てから心中にあった質問を口にする少年に、少女は赤い口元を弛めて微笑った。
「私は強いから、それに群れるのは性に合わないっていうか、ふふふ」
「……」
フェリシダーデは確かに強い。
この世界の住人はゲーム「闇の魔王達」と比べて格段に低レベルだ。
手練れといわれる冒険者でも下級職業で10レベル前後。
国を代表する猛者や魔法系職業の中でもエリートが選ばれる宮廷魔術師でさえ15レベルが良いところで20レベルに満たない。
それ故に上位職業の存在は、世界全体で見ても極めて少数だ。
なのに、この神秘的な少女は……
職業は”聖法術匠”という魔法系職業の上位職業。
神聖魔法を極めた僧侶系統であるが、”魔導士”の魔法も習得できる。
レベルは……聞いてないが、もしかすると20を超えているかも知れない。
確かに、この強さなら一人で冒険も難なく熟すだろうし、彼女以上の人材は”人間種”では六大騎士の血を引くという公王達か、若しくはそれに準じる各公国最強クラスの一握りしか無いだろう。
つまり、フェリシダーデは……在野にある人材としては破格すぎるのだった。
抑も上位職業に就くには、下級職業の地道なレベルアップと個々に存在する転職条件をクリアする必要がある。
だが、前出の様に、この世界の常識から言えば、それは殆ど成立しない条件だろう。
ならば、他の方法はというと……
特例的な方法が二つほど在るにはある。
先ず一つは、希少アイテム”開眼の宝珠”による上位互換職業への移行という不正。
このアイテムを使用した場合は、本来必要なレベルや転職条件を無視して行き成り上位職業になることが出来るが……
何しろ”開眼の宝珠”は国宝級の希少アイテムであり、世界に百も存在しない消費型アイテムであるから、それこそ国家が管理していることが殆どで、王侯貴族以外には余程のことが無い限り授与されることは無い。
もう一つの方法は、持って生まれた才能……
つまり、そういう”固有スキル”による、これまた不正だ。
名前から貴族のお嬢様であろうフェリシダーデだが、それでも国宝級の希少アイテムを授与される大貴族で、尚且つ英雄として英才教育された存在であるかといえば……疑問だ。
となると後者になるが……
”固有スキル”自体が希なスキルでもあるし、ましてや上位職業に就ける固有スキル、”天賦”となると所有者は数百万人に一人ともいわれる。
「私はねぇ、”天賦”だけが所持”固有スキル”じゃ無いのよ、超常現象級の零王主くん相手にこう言うのもなんだけど、生まれ付いての超スーパーエリートっていうのかしら?」
冗談めいてコロコロ笑う赤毛の少女は、そう……後者の部類だった。
僕みたいな”異邦人”と比べれば確かに……だけど、数百万人に一人の才能だけじゃ無くてその他の固有スキルもなんて、それはそれで充分異常だ。
「私ね、神様?いいえ、女神様にねぇ、溺愛されてるのよ」
「…………」
そして、そう言ったフェリシダーデの笑顔は何故か得体の知れぬ怖さがあった。
「え……と?」
「ふふふ」
――じょうだん?あ、ああ……冗談か
榛葉 零王主は、その時そう勝手に判断した。
「でも、やっぱり凄いよフェリシダーデは……」
榛葉 零王主はこの”異世界”に転移したとき、上位職業、”機工剣士”のレベル515だった。
所持金は一億ゼクルで、ユクラシアの言語、一般教養や歴史については頭にしっかりと入っていた。
所持アイテムが無くなっていた事を除けば、彼が攻略したオンラインゲーム「闇の魔王達」”VERSION.9のクリア時と全く同じ状態で、光りの女神?が言っていた更なる恩恵……
つまり、”勇者”としての”固有スキル”が幾つか備わってさえいたのだ。
正に無双状態、この世界で自分は主人公として思う存分に我が儘放題できるほどの異次元な能力だ。
しかし榛葉 零王主は……女神の思惑には乗らず、勇者としてでは無く所持金を手に最寄りの街で商いを始めた。
それは彼がゲーム中でも”鍛冶職”を好みスキルを磨いて、様々な武器を作っては取引に勤しむ、所謂”錬金術”を常としたプレイスタイルだったのもあるが、本当の理由は……
――現在、自分が生きるこの世界は”仮想世界”でなく”現実”なんだ……
大怪我しては取り返しの付かない後遺症を残すこともあるだろうし、なにより現実での戦闘や怪我は怖くて痛くて辛い。
――そして死は全ての終わりになるんだよね?
安易にやり直しが出来ないこの”現実”で、たとえ反則級の強さを所持していても、万が一があるかもしれない。
第一、本当に戦ったことなど無い、平和呆けな国の唯の学生である自分が……
そういう恐怖と自信の無さから、榛葉 零王主は剣を取る事はしなかったのだ。
――学校と同じだ……現実の暴力はいやだ……
――殴られるのは何時だって僕なんだ……
彼がオンラインゲーム「闇の魔王達」にはまった理由。
学校では常にいじめられっ子だった零王主は、仮想世界にこそ居場所を求めたのだ。
――そんな自分が”現実”で殺し合いなんて出来るはずも無い!
”榛葉 零王主”はそうして、”異世界”でも殻に閉じこもったのだった。
「……どうしたの?」
急に黙り込んだ零王主の顔をカウンター越しに覗き込む赤毛の少女に榛葉 零王主は何でも無いとゆっくり頭を左右に振った。
「そう?……ああそうだ!」
怪訝そうな顔で頷いたフェリシダーデだが、直ぐに表情をパッと変えて大声を出す。
「あのね、今日は”面白いモノ”を持ってきたのよ」
「…………」
そう言うが早いか、フェリシダーデは持っていた大きめの頭陀袋の中からなにやらゴソゴソと漁り――
――ガタン!
年若い店主の前に少し乱暴にそれを置いた。
「”罪深き底なしの迷宮”でね、たまたま手に入れたんだけど……」
「…………」
嬉々として語り始める赤毛の少女を前に、零王主はカウンターテーブルを我が物顔に占拠する”腕装備型円形小盾”に視線が釘付けになっていた。
「でね、曰くありげな品だし、ちゃんとした鑑定するのも高そうだしで、武器職人のあなたに譲ってあげようと思っ…………零王主くん?どうしたの?」
「…………これって」
「うん、あげるわ零王主くんに」
赤毛の”聖法術匠”、フェリシダーデ・カレド=ウィズマイスターが笑った。
「これって、武具ランク9!伝説級武具だよっ!!」
それはもう伝説級、神話級と呼ばれる代物で……
伝説の勇者や魔王が所持する程の”聖剣”や”魔剣”を指す。
武器職人を商っていても、噂にしか聞いたことの無いレベルの武具を前に興奮する、弱虫で卑屈な若い”異邦人”、”勇者たり得る”はずの榛葉 零王主を前に……
「そうなんだぁ?ふふふ…………へぇ、それならそうだなぁ……」
初々しい赤い瞳の処女は、
魔女のような阿婆擦れた赤い瞳の艶女は、
妖艶な唇を真っ赤な舌先でチロリと舐める。
「ちょっとした”交換条件”しちゃおうか?」
第三十九話「勇者”榛葉 零王主” 其の壱」 END