第二十一話「蛇竜姫と勇者」(改訂版)
第二十一話「蛇竜姫と勇者」
――ニヴルヘイルダム竜王国
伝説の六大騎士の末裔、カウル・フレスベ=モンドリア公王が治めるフレストラント公国と、それに敵対する小国群連合の代表国、ガレイシャ小国に国境を接する地に、その竜の王国はあった。
人間の国々と領地を分かつ要衝には”カラドボルグ城塞都市”という竜王国屈指の要塞が聳え、数世紀に渡って侵入者を阻んでいる。
そして、カラドボルグ城塞都市がある”カツェン・ラーゲン”地方領は、竜王国王弟にして竜王国”三竜将”筆頭であるブレズベル・カッツェ=アラベスカ公爵が治める地でもあった。
城塞都市中央に構える白と黄金の彩られた煌びやかな宮殿は権威の象徴。
そして、支配者の居城が最奥部には……
表層の華やかさとは正反対の暗き闇の深淵に誘うが如き玉座の間が存在した。
「……」
黒曜石で造られた玉座には独りの小柄な少女が座り……
そこから見渡せる広間に並び立つ何本もの柱は、どれも人の手では抱ききれない程の直径で、どれほどの高さがあるのか見当もつかない天井へと向かって伸びていた。
――ズズズ……ズズッ
その柱の一本に巻き付いた黒くて長い影が……
――ズズゥゥ!
鎌首を擡げるように持ち上がり、それは人の体を成した。
「どうなったのかしら?」
玉座に座した少女。
見るからに高級なドレスに身を包んだ小ぶりで年若い少女。
長いクセのある黒い巻き髪と、お揃いの黒瑪瑙の瞳が美しい少女。
その少女は……
ニヴルヘイルダム竜王国支配者、閻竜王の弟にして竜王国の第二権力者、ブレズベル・カッツェ=アラベスカ公爵令嬢のツェツィーリエ・レーヴァテイン=アラベスカ嬢であった。
「話しなさい」
彼女は王女であるマリアベル・バラーシュ=アラベスカの従妹でひとつ年下の十六歳。
見た目は十三、四歳にも見える、幼い顔立ちの少女だが、胸の発育は頗る良いようで、美しいレースで飾られたドレスの胸元が今にもはち切れそうである。
また、弱冠十六歳という年齢で、父であるブレズベル公爵からレーヴァテイン領を移譲され、竜王国史上最年少で伯爵位を授与された超エリート、領地を持つ貴族、レーヴァテイン伯爵でもあった。
「ヒュ……ダイン……シンダ……シッパ……イ……」
長くて黒い影……体を成した上半身は、大きさこそ人の倍ほどもあるが姿形は人間の女性であり、その瞳には全くと言って良いほど生気が無い。
また、下半身は、未だ蛇の如く幾重にも柱に巻き付いた影のまま……
そんな黒い影から顕現した異形は、カタコトで少女に告げる。
「…………」
上半身は人間の女、下半身は蛇……
つまりは”蛇女”である部下から報告を聞いた少女は浮かぬ顔で玉座に座したまま、そっと黒瑪瑙の瞳を手中に存在する、”ある”魔法具に移す。
――少女の小さな掌にもすっぽり収まる”鍵の束”
幾つもの鉄製の鍵が知恵の輪のように絡み合った魔法具。
それは上位の魔物さえも支配することが出来るという希少魔法具であった。
「四日前に、この”第四主天使の拘束具”に異変があった……つまり、”あの男”に渡した一部、”鉄鎖枷”がなんらかの理由で破壊されたのではと予想はしていましたわ……でも」
ツェツィーリエの黒瑪瑙の瞳は思案に暗く怪しく光る。
「あの呪術導士はともかく、”霜の巨人”を打ち倒す力は、あの方達にあるようには見えませんでしたわ……」
「あの”勇者殺し”が?……まさか、あんな軽薄そうで見るからに無能が……」
「なら?……なら何方が?お従姉さまっ!?」
ガチャッ!
鉄製の希少魔法具が音を立てて石床に落ちる。
「…………」
「それこそ、まさかですわ……本来の能力を発揮する月の周期も整っていない……いいえ、たとえ本来の能力があっても……たかが……たかが”氷雪竜”如き……ごときが……」
暗い玉座の間で、唯独り少女は問答を繰り返す。
「ありえない……そうですわっ!”氷雪竜”如き、例え”三血の一竜”であろうとマリアベルごときがっ!!」
――”真の竜”に”蛇竜”が如き紛い物が勝てる通りが無い……
「っ!!」
ドドォォーーン!!
その瞬間、玉座の対面、一本の柱が彼女の魔力で木っ端微塵に砕け散っていた!
「くっ!はぁはぁ……はぁ……」
パラパラ……
居城の暗い一室で、
舞い上がる粉塵の中で……
黒い巻き髪と黒瑪瑙の瞳が美しい少女は、抑えきれぬほど昂った感情のまま、両方の小さい手の平を血の気が引くほど強く握りしめていた。
「……くっ……くっは……ふふふ……あはは……」
そして、震える背中で少女は笑い声を漏らす。
おかしくなってしまったかのように、可愛らしい造りの顔を歪めて”蛇竜姫”を嗤う。
突然頭に響いた声の主は……
自分自身。
そんなことは解っている……
何度も何度も何度も経験した事だ。
――卑屈な劣等感……これはそういう類いのモノだ
竜人族の祖は三種類の竜から成り立つ。
暗黒竜、氷雪竜、黄金竜の三種……所謂、”三血の竜”だ。
そして、その一段下に他の竜種が並び立つ。
蛇竜は……正にその序列であった。
マリアベル・バラーシュ=アラベスカと違い、両親が”三血の竜”で無い、ツェツィーリエ・レーヴァテイン=アラベスカ。
彼女の父親は閻竜王の弟、暗黒竜であるが、母親は貴族ではあるものの、血筋は”蛇竜”
黒瑪瑙の瞳を持つ少女の劣等感は、それが全てだった。
「忌忌しい忌忌しい忌忌しい忌忌しい忌忌しい…………」
暗い部屋で、暗い瞳で、ブツブツと唱え続ける黒髪巻き毛の少女。
「忌忌しい忌忌しい忌忌し…………」
「よぉっ!蛇のお嬢さん、どうだ調子は?」
――っ!?
背後から能天気な声をかけられた少女は、ギラリと光を放つ黒瑪瑙の双眼を、声のした方角へと向けた。
「おぉっ怖っ!機嫌悪いようだなぁ……はははっ!」
百戦錬磨の戦士でさえ背筋が凍りつくような蛇竜姫の邪眼。
殺意の暴走した魔の瞳を向けられても、全く臆すること無く笑う男が玉座の間の入り口に立っていた。
「…………貴方でしたの……ふんっ」
そして、その姿を確認した黒瑪瑙の瞳を持つ少女は、明らかに面白く無さそうに吐き捨てた。
「なんだ?みてくれだけで中身はこんな陰気くさい”蛇の城”まで態々”勇者様”が足を運んでやったのにその言い草は?」
どう見ても十代半ばという黒髪の若い剣士の男は、玉座の間にある柱をペタペタと無遠慮になで回しながら戯けた態度でそう応える。
「…………不快だわ、貴方」
長いクセのある黒い巻き髪の少女が呟くと同時に薄暗闇にユラリと光る黒瑪瑙の瞳。
「シャァァーーッ!!」
途端に、柱の一本に巻き付いた”蛇女”が鋭い牙を剥き出しにして男を威嚇する。
「なんだぁ?鬱陶しいな”蛇女”、間怠っこしいからかかって来いよっ!」
黒髪の剣士は途端にヘラヘラとした態度を急変させて、柱の”蛇女”に近づき……
ガッ!
「ギャッ!!」
喉元を鷲掴んだ。
「ギャ……ギャッ!…………グゥゥ……」
バギャァッ!
骨が砕ける嫌な音と供に”蛇女”の首はポッキリとあらぬ方向へ曲がって落ちる。
「ふん、”蛇女”が……勇者様の手を煩わせんじゃねぇよ」
黒髪の剣士は嫌悪感を露骨に出した表情でそう吐き捨て、再び少女に向き合った。
「で、話の続きだが……どうした?」
そしてその一部始終を冷徹に見届けていた黒瑪瑙の瞳が美しい美少女の顔を覗き込んで、悪気も無くそう問う。
「そうやって……”カラドボルグ宮殿”にも踏み込んできたのでしょう?無粋な」
ツェツィーリエ・レーヴァテイン=アラベスカは配下の魔物が惨殺されたことなどにはその可愛らしい眉をイチミリも動かさない。
だが、毎度毎度こうやって乗り込んでくる……
配下の兵士を塵屑のようにあしらってズカズカと城主のもとへ単身乗り込んでくる男に、彼女はウンザリしていた。
「魔物なんて不燃ゴミはこうするのが一番じゃね?ってか、毎回毎回、回りくどい手続きなんてやってられるかよ、”魔物達”頭悪いから待たされてキレそうになんだよ」
「…………」
正規の手続きを経ずに、毎回領主の部屋にズカズカと踏み込んでくる理由がこれだ。
そして目の前で”蛇女”を縊り殺した男の態度が”キレて”なくてなんだと言うのか。
ツェツィーリエは眉を顰めながらも今は我慢する。
――人間如きに我慢する
――自身が居城を穢される
彼女にとってそれは耐えがたいことであるが、相手が相手だ。
それにこの”無頼漢窮まる勇者”には、まだ利用価値がある。
そう心で念じて、ツェツィーリエはその場を堪えた。
「そうそう、”蛇竜姫”さぁ、この国を手に入れたいんだろ?で、ついでに邪魔でいけ好かない”お従姉さま”を消し去りたい……だったよな?」
「…………」
男の不躾な言いように口元を引きつらせそうになるツェツィーリエだが、彼女はそれもなんとか我慢して答えた。
「順番が逆ですわ、一番邪魔なのは”お従姉さま”……その次に」
「ああ、わかったわかった……って、劣等感ってのも大変だな、まぁ滅茶苦茶美人で血統も超一級品、王位継承権一位と来ちゃあ、お嬢ちゃんも焦るってか?はははっ」
「…………」
限界だ……
此方の忍耐上限を簡単に越えてくるこの男の不快感は……
ツェツィーリエは我慢に我慢を重ねていた白い掌を男の方へ翳し、最早この無礼な男との決別を決意していた。
「そうそう、それについて良い方法が浮かんだんだよ、簡単にその”マリアベル”とやらを捕まえて処分できる方法がな!」
――っ!!
が、長いクセのある黒い巻き髪と黒瑪瑙の瞳の少女は、不意に放たれた相手の言葉で、その動作を止めていた。
「……方法?」
「ああ、そうだ。凄く簡単で確実な方法だ!」
つい、興味を引かれて男を見据える少女の黒瑪瑙の瞳に、勇者を名乗る無頼な黒髪の剣士はニヤリと歪んだ笑みを浮かべていたのだった。
第二十一話「蛇竜姫と勇者」END