第十九話「依代」前編(改訂版)
第十九話「依代」前編
「…………っ」
――やわらかい……温かい……これは……
俺の視界は再び光を取り込んで明るくなってゆく。
――柔らかくて温かくて……そして”ふさふさ”だ
「……」
そう、俺の記憶が確かなら……これは……
死の直前と同じ状況ならこの感触は……
「ふふっ……ふふふっ」
思わず緩む口元。
俺は後頭部の下の至福の感触を余すこと無く堪能すべく……
ぐりぐりぐりぐり……
――おおぅ!やわやわ!ふさふさ!
「ん……ふさふさ?」
頭をグリグリと押しつけていた俺はある違和感に気づく。
――マリアベルってこんなに毛深かったっけ?
「……」
いいや、そんなわけが無い!
乙女の柔肌はいつだってツルツルのスベスベなんだからっ!!
モフモフ!
俺はそっと手を伸ばし触れてみる。
――ならこれは……?
「あふぅっ……やめてほしいでガス……あ、主っ……」
――っ!?
ガッ!
「おおぅっ!?」
視界が完全に戻り、星明かりの元でも完全に状況を把握した俺は跳ね起きると、即座に後頭部の下にあった”それ”を鷲掴んで――
そして……
バシュゥゥーー!!
「うっうはぁぁぁっーーあ、あるじぃぃーーー!!」
大きく振りかぶって出来るだけ彼方に投げ捨てたのだ!!
ひゅるるるるぅぅーーーーーーーー
ーーーーガンッ!…………ドサリッ
そして”それ”は一本の木に直撃して落ちる。
「ひ、非道い仕打ちでガスよぉぉ……主さまぁ……」
”それ”は……
茶色い獣は……頭に見事な拳大のたんこぶを作って此方を涙目で見ていた。
「お、おまえに……」
「!?」
涙目で抗議する獣に俺は……
「お・ま・え・にぃっ!!”高級寝具”からのっ!”桃源郷”からのっ!ムフフな目覚めを奪われた俺の気持ちが分かるかぁっ!!いや!!解るまいぃぃっっーー!!」
全泣きで逆ギレしていた。
「う、うわっ……な、泣いてるんでガスか?……主様……うわぁぁ……」
そして、”たんこぶ化狸”はちょっと引き気味だった。
大の大人が膝枕を取り上げられたくらいで全泣きしながら駄々をこねる。
確かに……確かに見苦しいことこの上ない……ないが……
「ああ泣いてるともっ!泣いてるがどうしたっ!美少女の太ももだぞっ!”ぷにぷに”で”ふわふわ”で甘くて良い香りがして、ちょっとエッチな気分に浸れるぅぅ……う……ぐすっ、わぁぁーーんっ!」
――そんなの関係あるかぁぁ!!
俺は感情を留めることをしなかった。
「う、うわぁ……この主……予想の遙か斜め上を行く馬鹿でガスよぉ……」
”たんこぶ化狸”は完全に諦めた目で俺を見ていたのだった。
「あ……あの……はじめく……」
「あぁぁーーあぁっ!!こんな事ならあんなカッコつけて死ぬんじゃなかったぁーー!あぁーー損したっ!死に損だよっ!くそっ!太ももっ!美少女の太ももと合法にスキンシップ!いや、あわよくば、ちょっとくらい違法でも、お尻とか触っても許されるかも……かもなっ!……そんな美味しい状況をおまえはぁっ!」
ガンッ!
「がはっ!」
一瞬、俺の目の前は真っ暗になり、後頭部に鈍痛が走った。
「い、痛い……」
痛みに頭を押さえながら振り向いた俺の背後には――
「はじめくん……貴方って男性は……」
そこには、蒼き髪を瞬く星光に輝かせた”とびきりの美少女”……
その冷たい瞳があった。
「う……あ……ア、アラベスカ……さん?」
――うぅ……こんな……こんな、ばつの悪い事ってあるか?
化狸の枕で俺はてっきり……マリアベルはこの場にはもういないと思ってだな……
「ね、アッシが言った通りでガシょっ!?奥様。この主様は奥様がそんな心配するようなタマじゃないでガスって!ほんと頭の中は真っピンクの桃色バカ……」
――おぉーーい化狸っ!貴様、言うに事欠いて主に対してその言いよう……
「…………」
「いえ……あの……その……」
向けられるマリアベルの冷たい瞳に必死に左右に首をブンブン振る俺だが……
「お、お尻を触るとかいうのは別に願望でだな……実際は怖くてでき無いから安心を……」
「はじめくん……」
”はぁっ”と手で白いおでこを押さえる蒼い髪の美少女。
「いやいや、このバカ主様は……それではフォローにもなってないでガスよ」
「う……しまっ……って、この化狸!お前は主に対してバカバカ言いやがって、どういう了見だっ!」
「い、言ってないでガスよ、バカなんて滅相も無いでガス」
咄嗟に機転の利くナイスな俺は、話を全力で逸らすべく僕の狸に矛先を向ける。
「いや、言っただろ、二回も!てめぇ!」
「うわっ!細かいでガス、おバカな上に細かい男ってどうなんでガスかねぇ!?」
「あのね、はじめくん……あの……」
「テメェ!この、クソ狸っ!」
「はじめくんっ!!」
――っ!?
エキサイトする俺と化狸の間に割って入った蒼き竜の少女……
その少女に俺は……
「う……はい……そ……その……ごめんなさい」
俺は完全にビビりつつも、たった今、そうやって誤魔化そうとしたことを素直に謝ろうとしていた。
「…………アベル」
――えっ?はっ?
しかし少女の顔は晴れなかった。
「……」
というか、俺の謝罪がまるで彼女の求めるモノとは見当違いだと言っているような瞳……
「だから!”アラベスカさん”じゃなくて!……その、マリアベルって呼ぶって……言っ……てた……くせに…………ばか」
尻すぼみになる台詞と共に、恥ずかしげに頬を染め、実に絵になる美少女がそこに居た。
――おっ、おおっ!!
彼女の健気にも勇気を振り絞った台詞を聞いて……
その場の俺と化狸は醜い争いを忘れ、暫し、うら若い乙女に見蕩れる。
――
―
それから……
俺はマリアベルの口から現在の俺達が置かれた状況の説明を受けたのだった。
「なるほど……”霜の巨人”はひとしきり暴れ廻り、そこの岩山を二つばかり粉砕した挙げ句に森の中へと消えて行ったと」
改めて、地ベタに腰を下ろした俺を囲むようにして、同様に腰を下ろした”蒼き竜の美姫”マリアベル・バラーシュ=アラベスカ嬢と、どうでも良い”茶色毛玉”は、ウンウンと頷く。
例の”霜の巨人”は、魔物支配の”希少魔法具”が破壊された事により、一旦は混乱で手当たり次第暴れたが次第に自我を取り戻して去って行ったと言うことだ。
「その後にマリアベルは単独で、呪術導士ヒューダイン・デルモッドの潜んでいた坑道遺跡を探りに行ったが、そこには何も無かったって訳か?」
死んでいた間の確認を続ける俺に、目前の一人と一匹は同様に頷く。
「……」
――しかし、なんて危ないことをするんだ、いくらあの呪術導士を倒したといっても、まだ何が潜んでいるかも知れないのに……
「?」
ジッと蒼き髪と瞳が美しい少女の顔を覗き込む俺に、彼女は不思議そうな瞳を返す。
「うっ」
――メッチャかわいい……じゃなくて!なんて危ない事をしたんだ!
と喉元まで出かかった俺だが、取りあえずそれは呑み込んだ。
「はじめくん?」
――てか、復活して傷も完全に癒えたが中々目を覚まさない俺を、この毛玉に任せてって所がなんか非常に悲しい……
決して”THE HIZAMAKURA”がどうとかじゃない。
そう、”THE HIZAMAKURA”をもうちょっと堪能したかったとか別に……
「はあぁぁぁぁっ!!THE HIZAMAKURAのサービス期間はもう終了したのかぁぁっ!」
「いや!主っ!口に出てますって!思ってる事、全部お口に出ちゃってますでガスよぉぉっ!!」
――おおっ!?しまった!
化狸の指摘に思わず目前の少女を見る俺。
「……………………ばか」
蒼き竜の美少女は、その薄氷の如き肌を朱に染めて俯いてしまっていた。
――うわぉぅ……気まずい、色々と……けど……めちゃカワユイ!!
「…………」
「…………」
――いや、やっぱ気まずい……
例えば……
”生まれ変わったら必ず貴方と……”
”ああ、必ず……愛している”
なんてクサイ言葉を交わして、電車の窓硝子越しにロマンティックな接吻、直後にジリリリリリィィ!と発車のベルが鳴り響いて男を乗せた電車は出て行く……
が!!
そのまま駅に居てもしょうが無い女が後の電車で家路へと向かうが、それが快速で、男の各駅停車にすっかり追いついてしまい、なんか適当な田舎駅で窓ごしに並んでしまったりして……
”…………”
女は特に興味も無い車中の広告を端から端まで熟読し、
”……む……むにゃむにゃ”
男は只管、寝たふりを続ける……
みたいな?
そんなショボい感じだ。
「…………はぅ」
「…………うぅ」
これは、”再挑戦権獲得”という蘇生の特殊スキルを所持する俺のみが味わう、特有の気恥ずかしさと違和感だろう。
「と、とにかく!もう一度”坑道遺跡”へ行くか……今度は二人でな」
俺は気恥ずかしさを振り払ってそう言った。
彼女に対して現在の俺は死ぬ前とは違う……はずだ。
それは勿論俺も同じで……
二人の関係は俺が死ぬ前とは少しだけ……少しだけ変わったと信じたい。
ザッ!
俺は立ち上がる。
――とりあえず今のところ”手掛かり”は”坑道遺跡”にしかないからな
「うん……そうね」
それを受けて、蒼き竜の美姫……
マリアベル・バラーシュ=アラベスカも頷いて立ち上がったのだった。
「いやいやいや!!主っ!三人!三人でガスよっ!!」
なんだか茶色い毛玉が、無駄に気合いの入った顔で立ち上がってVサインを俺達に向けていた。
「心機一転!気合い入れて”二人”で行くぞ!マリアベル!」
「あっ!主?主さまぁっ!!……さんに……ふ、二人と一匹で……ガスよねぇ?」
ガビーン!とショックに固まった化狸だが、ガン無視を決め込んだ俺に縋り付き、些か譲歩した案で懇願していた。
「あ、あるじさまぁぁ……」
「は、はじめくん……えと、”一匹”も連れて行ってあげよう、ね?」
「…………」
俺は周囲を見回した後、心優しい美少女の言を受け入れて渋々と頷いた。
「わかった。俺とマリアベルの二人と……」
「応、でガスッ!!」
「クルムヒルトの一匹でいくぞ!」
「あっ!?あるじぃぃぃーーーーひぃぃーーん!!」
歩き出す俺達の後を、茶色毛玉は半泣きでついてくるのだった。
「ひぐっ!ひっくっ!グスス……」
――ええい!うっとぉしいっ!!
第十九話「依代」前編 END