第十八話「そう呼んでいいか?」前編(改訂版)
第十八話「そう呼んでいいか?」前編
もうどれほど前だったろうか……
俺がこの”異世界”に来て最初の三年は特に地獄だった。
当初、俺はこの世界の基本的知識どころか言語さえ真面に理解出来ず、何日も何ヶ月も彷徨って辿り着いた先が最悪の国だった。
ユクラシア大陸の南部、外れも外れ、異郷と言って差し支えない地にその国はあった。
六大公国の中でも最も荒廃した国、希望を失った者達が集う終焉の国……
古の六大騎士が一人、”終焉の騎士”イーフォ=ハーメルが建国した暗黒の国”ベルデレン公国”だ。
彼の国の治安は略無法地帯と呼べるほど劣悪で、権力や金の無い男は奴隷市場に労働力として売られ、女は娼婦として市場に並ぶ。
そして、臣民を護るべき国軍は私欲を満たすためだけに裏社会と結託していた。
身寄りの無い俺は、確たる身分を保障するものが何も無い俺は……
荒野で怪物や獣共の餌になるよりはマシと、俺同様の人生の落後者達が最後に身を寄せるという”終焉の国”を目指したのだ。
そして、辿り着いたその後は……
――元居た世界では想像も出来ないほど、非道いものだった
人権や人道主義なんて代物は欠片も無い。
到着くなり何者かに襲われ、身ぐるみを剥がれて奴隷市場にたたき売られた俺は、その後、幾度も飼い主が代わりながらも奴隷にあまんじて過ごした。
常に商品以下の扱いを受け続ける、そんな状況で数年の歳月が過ぎ……
それでもなんとか命を繋いでいた俺は、その頃には自暴自棄の極致で、廃人も同然に成り下がっていた。
――
―
「お前さぁ?行くとこ無いなら俺達と一緒に来いよ」
綺羅々と好奇心に満ちた少年の瞳をした男は、驚いたことに、塵溜に転がる屍のような俺に対し、なんとも躊躇泣く右手を差し伸べてきたのだ。
「…………」
「無愛想な奴だなぁ、荷物運びくらいは出来るだろう?」
異世界に放り込まれてどれだけ経った時だろう。
いや、時間など意味が無い。
無気力に、生気を失った奴隷はあらゆる事に無関心だ。
故に、未だ俺は”カタコト”しか言葉を話せず、読み書きも出来ない……
「よぉ、名無しくん、調子はどうだ?旅には馴れたか?」
「お前、結構、可愛い顔してるのな?どうだ好みのタイプとかあるのか?」
「今日は儲けたなぁ……みんな、飲みに行くぞぉっ!って、なに寝てんだ、名無しくんもいくぞぉぉっ!」
たとえ話せたとしても……
全く口を開く気のない俺に対して、何時もその男は、ペラペラとどうでも良い話題を振りながら楽しそうに笑っていた。
「……」
――なにがそんなに楽しいのか、会話が成立しない俺なんか相手に……
だが俺は感じていたのかも知れない。
数年間味わった絶望の中から這い出せる希望……
それを目の前のお気楽な男に。
「お前なぁ、愛想良くしろとは言わないけど、もうちょっとコミュニケーションってものをだな……」
助け出された後も変わらず無愛想で無口と言うのも憚られるような俺に、何時も呆れた様に笑って話しかけてくる男。
非合法な奴隷市場を潰した冒険者のチーム、そのリーダーの男はそういう奇特な男だった。
――そして在る時俺は遂に……
「じゃあ、次の街へいくけど……お前、忘れ物とか無いよな?」
「……………………だ」
「なんだ?あるのか?」
「…………は……はじめ……だ」
「っ!?」
俺は何年ぶりかで自分の名を口にしていた。
「……」
「……」
目を皿のように丸くする男と、暫く無言で見つめ合う俺。
――き、気まずい……俺は……
「おおおおおぉぉぉぉっ!!そうか!お前、”はじめ”っていうのか!?」
――なんだその反応は?バカじゃ……
「あははははっ!聞いたか?皆!こいつ”はじめ”っていうんだってよ!はははっ!良い名じゃないかよっ、チクショーッ!!」
「…………うっ……」
そう言ってその男は、馴れ馴れしく俺の肩に腕を回し、バンバンと背を叩いたのだった。
――
―
それからまた数年……
「今朝の飯当番は”創”だったよな……おっ!なかなか上手そうじゃねぇか」
「はじめぇ!それ食べたら今日は荷物運びの後、私が”短剣”の使い方教えて上げるから」
その頃には俺は、相変わらず無口ながらも、なんとか他のメンバーとも交流出来るようになっていた。
その時の俺は、なんとかリーダーに認められたくて……
雑用の傍らにチームメンバーに鍛えて貰い、この世界の言葉も常識も教わった。
――さらに時は流れ
やがて俺はチームの中にはいなかった”盗賊”の職業を取得した。
直接戦闘はほどほどだが、小賢しい罠や、すばしこさ、回避能力などには優れている。
ゲームの”闇の魔王達”では見向きもしなかった職業だったが、俺には結構、性に合っていると思った。
いいや、それよりもなによりも、”闇の魔王達”では……ゲームでは……
いや、前の世界では……欲しいとも感じなかった他人、煩わしいだけの人間関係……
態々現実逃避して引き籠もった俺が、ゲームの中でさえ何が悲しくて他人と関わり合わなきゃならないのか……
それ故、ソロプレイヤーだった俺。
そんな考えが俺の中で少しずつ変わっていく感覚。
俺はそれを好ましく感じる様になっていたのだ。
――色々な依頼をこなす日々……
――様々な冒険……命のやり取りが日常での支え合い
俺にとってそれは、生きるために必死な毎日だったが、今にして思えば、同時に充実した日々でもあったのだろう。
――
―
そう……あの”依頼”が入るまでは……
「…………」
と、とにかく俺は!
それからも様々な冒険者達とチームを組み、そして……
――そのどれもが最後には”全滅”した
「……」
俺を除いて……
俺の持つ奇妙な固有スキル、”再挑戦権獲得”のおかげで?
いいや……これはスキルなんかじゃ無い。
これは最早”呪い”だ。
他の転移勇者のような反則級な能力を持たない俺が、唯唯、仲間を目の前で失い続ける……無力さを無限に思い知らされ続ける……何百年もの呪い……
――
―
「…………っ!」
半分閉じられた薄い瞼越しに差し込む、いつの間にか朱く染まる世界。
「…………」
黄昏の光を蒼き光糸の煌めきに変えて、蒼き髪の美少女は俺の顔を覗き込んでいた。
「頼む、殺してくれ……」
彼女の膝の上で仰向けに横たわった俺を、上から見据える蒼石青藍の双瞳が、俺の口から出た言葉の衝撃を受けて……
「っ!!」
大きく動揺して揺れていた。
第十八話「そう呼んでいいか?」前編 END