第十七話「一欠片」前編(改訂版)
第十七話「一欠片」前編
「そこだぁーーっ!!」
俺は焼け爛れ、大気に触れるだけで全身激痛の走る”黒焦げ出来損無いハンバーグ”の如き体に鞭を打って手を伸ばす!
ピキキィ!!
途端、意識に反して指先が痙攣をおこす!
――それがどうした!?……指が二度と開かなくてもいい
ググッ!
そんな気概で無理矢理に指先まで意識を通して短剣の柄を握り直す俺。
「うっ……はぁ……ぜぇ……」
皮膚表面の殆どを焼かれて呼吸もままならない!
――ぜぇ、はぁ……だから……それがどうした!?
ならもう呼吸はいいと、どうせそう長く持たないなら酸素なんて不要だと俺は呼吸も捨てる。
「……」
半ば潰れた両目では視界も怪しく……
――呪術導士は目の前だ!なんの不都合がある?
「どっせぇぇーーーーいっ!!」
”瀕死の重傷”を無視して、俺は既に目と鼻の先の呪術導士に襲い掛かった!
短剣スキルにある”閃光突き”……
その名の通り一瞬で間合いを詰める最速の突きだ!
「むぉぉっ!?なんだとぉぉ!!」
呪文詠唱中の術者は捨て身の俺に反応できずに棒立ちだった。
――こ、こだ!ここしか……無い!!
バキャァァ!
確かな手応え!
裂傷だらけの右手で握った俺の短剣の切っ先は、呪術導士の陰気な灰色ローブ下にある、人体ではあり得ない感触を突き砕いていた。
「き、貴様っ!?」
一瞬、自身の死に怯えた呪術導士ヒューダイン=デルモッドは意表を突かれ窪んだ目を見開く。
――ブワァァァッ!!
同時にローブの下から幾つもの光が溢れ出て、それは大気に霧散した。
間違い無い、これは魔物支配の”希少魔法具”……
それを破壊した事による現象だ。
魔法具に織り込まれ縛られていた魔力が自然界に強制還元されたため起こる光景だ。
「なっ!?」
パラパラと幾つもの金属片が地面に落ち、ヒューダインは間抜けな顔で固まっていた。
「ぐぅ……くっ、まだだ……」
余命の無い俺……
無駄に出来ない一刀を、先ずはあの”霜の巨人”封じに使い、成功した俺。
だが、未だヒューダインは健在、あの黒い霧も……だ。
「ぐぅおぉぉぉーー!も、もういっちょう!!……し、心臓っ!!」
俺は仕切り直して、奴との距離をゼロで維持したまま敵の心臓めがけて再び短剣を振り上げる!
「ひっ!!」
無様に引き攣るエロジジイの皺クチャ顔。
明らかに限界を超えた満身創痍の身体を奮い起こし、俺は……
俺は、今度こそ終わりに……
ピキピキッ
「うっぐあっ!……がふぁっ!!」
俺はそこで大量のドス黒い血を吐き出していた。
全身をスッポリ覆ったといえる暗黒の呪いに、毛穴という毛穴から体内に侵入し、複雑に絡みついた呪いに犯された結果が最悪のタイミングで表れたのだ!
「ごふぅっ!……がはっ、がはっ……」
臓腑から噎せ上がって地面に吐き散らばった血の色は見たことも無いくらいにドス黒く、それが尋常な状態で無い事が誰の目にも一目で解った。
「はじめくんっ!!」
「ぬっ!?…………お、おぉぉっ!!馬鹿め!そうだ、我が呪いに抗えるはずが無いわ!!間抜けぇぇ」
俺が救いたい少女の悲痛な声が響き、至近で引き攣っていた皺クチャ顔は安堵の色を経て今度は一気に破顔する。
ボタッ……ボタ……
幾つかの肉片が……
振り上げた腕の皮膚が俺の腕から焼けただれ肉を伴って剥がれ落ち、肘と二の腕の筋が引きちぎれそうに軋んで神経に電流を走らせる!
「う……うぉぉぉっ!!」
――だが怯まない!
陰湿な呪術導士にトドメを刺す機会は……
――ココしか無いっ!
「ひゅぅぅだいぃぃんーーーーっ!!」
俺は再び魂を込めて刃を振るう!
振り上げた切っ先を絶対に、ヒューダインの心臓に突き立てるために!
「くっ!ひぃぃぃっ!!止めろぉぉっ!!」
――っ!
「が……は……ぐ……ぐはっ……が…………が……」
しかし俺の身体は。
短剣を振り上げたままの満身創痍な俺の身体は……
「っ…………」
――
―
VTRの停止ボタンが押されたかのように、突然その場で張り付き……
その直後に俺の本体は……
人体を支える屋台骨である背骨が消え失せてしまったかのように――
ドサッ!
為す術無く、そのまま崩れ落ちて地面に潰れた。
「…………がはっ」
伏した全身と地面との接触面にヤケに冷たい感触を味わいながら……
「…………」
俺の全身の感覚は、焼ける様な激痛と共に死んで行く。
「は、はじめくんっ!!」
「お?おぉっ!ハハハァァーーッ!驚かせおって!この雑魚がっ!」
少女の声を打ち消して、呪術導士ヒューダイン・デルモッドの安堵しきった高笑いが響く。
「フ、フハハハッ!我が大成せし偉大なる魔導!大呪殺の贄となったかぁ!」
「……………………」
手足の感覚が……身を焼いていた激痛から、俺は次第に解放されて……
「っ……ぅ……」
五感を消失してゆくことによる自然麻酔……それは生物が神から授かった、死の直前に味わう苦痛からの僅かばかりの救済。
「…………う」
燃え尽きた末の、無へと誘われる”ある意味”心地よい感覚に身を委ね……
「はじめくんっ!!やだっ!だめだよっ!はじめくんっ!はじめぇぇっ!!」
「……………………っ!」
――ダ、ダメだ、駄目だ!……”まだ”駄目だ!
「…………うっ……くっ……」
――力尽きるの……には、はや……すぎ……る
殆ど見えない俺の目には……
地面と垂直になった視界には……
「バカッ!はじめ……なんでこんな……うっ、うぅ……」
胸くそ悪い男、呪術導士ヒューダイン・デルモッドの向こうには、俺自身が”ここまでしてまで”救うことを望んだ少女が……泣いている。
――このまま……では……同じ……だ……また……誰も……すく……え……な……
「…………ぐっ…………が……が、がはぁっっ!!」
拉げた蛙の干物のようになっていた俺は、大量のドス黒い血を嘔吐した。
「はじめくんっ!!」
「ふん、中々にしぶといな……にしても、この盗賊崩れが、よりにもよって貴重な”希少魔法具”を……」
ぼやけた視界の先、転がる俺の頭上で、忌忌しげな呪術導士のしゃがれ声が響く。
「このカスがっ!只死するのか?……長らえておれば想像を絶する地獄の苦しみを味合わせてやろうものを!」
「…………」
最早そんな物騒な怒声さえ……なんだか……
俺の耳には……ずっと遠くから聞こえているようだった。
「…………」
――呪いか
俺は寸前のところで呪いに……あの大呪殺とやらに蝕まれて……
「このまま放っておいても死ぬだろうが……それでは気が収まらぬ」
呪術導士は邪悪な表情で俺を見下ろしていた。
「…………」
――俺は死ぬのか……
俺の固有スキル”再挑戦権獲得”は死んだ直後に一度だけ生き返れる。
致命傷となった傷も、それ以前の傷も完治する……が、これはどうなんだ?
生き返ったときに全身を蝕む呪いはどうなる?
いや、そもそも俺は生き返れるのか?
一番厄介な”霜の巨人”は封じた。
最低限度の仕事はしたと言える……が、
三百と二十五年の中でも経験した事の無い事態に、その状況に俺は途端に心細くなる。
俺が生き返れなければマリアベルは……
――くそっ……な……んで……こんな……下手な状況に……くそ……
”過去の俺”と同じだ。
俺は……何も変われていない。
中途半端な気持ちと実力の俺はどこまでいっても……
「ごふっ……」
それも全て自業自得……
俺はここまで、マリアベルとの真摯な交流を怠った。
俺の過去とか彼女の事情とか……
そんな諸々に対峙せず、安易な結果だけ求めようとした。
「……」
――本当に俺は全然変われていない
マリアベルの”劣等感”
斎木 創の”劣等感”
結局は俺は他人からも自分からも逃げ、そしてそんな俺に向き合ってくれる者なんて居るはずも無かった。
”俺なんか”が助けさせてもらえる命など……無いのだ。
――その結果がこのチグハグで無様な戦闘だ
自分に心底怒りを覚えながら……
「…………」
俺は残りカスのような自分が吐いた黒い血に顔の右半分を浸していた。
――もしかしたら……これが俺の最後の記憶になるの……か
「朽ちる屍は、暗き闇の眷属が欲する贄となりて……」
直ぐ頭上で僅かに聞こえる、ヒューダイン・デルモッドの呪言。
不吉な響きの詠唱は、今更刺す必要も無い俺のトドメなのか?
それとも俺を暗黒魔術の触媒に貶める儀式なのか?
「お願いっ!クルムヒルト!」
――っ!?
ピキィィーーン!
完全に諦めた俺の頭上で聞き慣れた……
涙混じりながらも、一際澄んだ声が響いていた!
「ぬぅっ!?これは”氷の礫”かっ!」
――あぁ……これはマリアベルの……俺が守ろうとした少女の……
「効かぬわっ!弱小”使い魔”如きの、こんな低級呪文が我に……おっ!おぉっ!?」
ダッ!
「竜爪っ!!」
ドスゥゥーーーー!!
「なっ!?なんだーーぐふぉぉぉっ!!」
――
―
何かが起こった……?
既に殆ど五感が怪しくなった俺の頭上で……なにが?
「……」
自身で指一本動かせない屍予備軍の俺には確認する術が無い。
「はじめくん!……はじ……」
だが俺は”なんとなく”察していたのだろう。
それはきっと――
蒼き竜の美姫、マリアベル・バラーシュ=アラベスカが……
「はじめく……」
俺が守ろうとした少女が……
自ら、あの忌忌しい根暗エロジジイ、呪術導士ヒューダイン・デルモッドを見事に討ち果たしたのだという事を。
――見たわけでも無いのになぁ……
虫の知らせというヤツか?
いや、誤用も甚だしいな。
全然違う……というか”虫の息”は俺だ。
「……」
俺はもう意識を保て……な……い
「はじめく……はじ…………………………」
――ほら、な?
しかし……
あのエロジジイも馬鹿だな。
俺に気を取られすぎだっての……
”小物”と称した俺に拘り過ぎて、”半端者”と見下したマリアベルに仕留められる。
「…………」
僅かに残った思考、薄れ行く最後の意識で俺はこう思ったのだった。
「……エロ……ジジィ……ざまぁ……みやがれ」
第十七話「一欠片」前編 END