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第3話 8年ぶりの再会


 皆が寝静まった深夜、王城の客間に元・(フレイア)の騎士団長であるウォルト=ヘルベルグが通されていた。彼を呼んだのは他でもない、ヴィクトールだ。


「ウォルト様、このような時間にご足労頂き誠に恐縮です」

「なぁに、しがない爺さんはイリア様の子守りしかする事もないからのう」


 からからと豪快に笑うウォルトは、今年で(よわい)61を数える。しかし全身から漂う覇気は全く衰えていないように見えた。

 既に退役した身分であるが、【堅盾のウォルト】の二つ名は、かつてエデンはおろかメタトロン中の猛者を震え上がらせたという。

 ヴィクトール、或いはリーシュが最強だとされる中で、短時間の勝負なら今でも彼に勝てる者は誰1人居ないとする評まである。


 (フレイア)団長の地位をヴィクトールに譲った後は、神殿騎士団長の任に就いたウォルト。

 政治を司る王宮と神事を担う神殿は互いに独立しており、難しい関係にあった。従って両者の最高軍事責任者を歴任する事など極めて異例で、しかも本人の希望だというのだから、当時は誰もがその人事に驚かされただろう。


 そして今では神殿騎士団長の座も辞し、イリア専属の護衛となっている。それには権力的な背景も理由としてあるものの、当のウォルトは今の立場に心から満足していた。


「ウォルト様にはお変わりもなく」

「前置きはよい。用件を聞こう」


 ウォルト相手に駆け引きなど一切通用しない。ヴィクトールは眉を僅かに動かしただけで、短く言葉を紡ぐ。


「こちら側も動く事にしたのです」

「ふむ、やはりの。いずれそうなるとは思っておった。お主も知っていようが、神殿側はイリア様が自ら動く」


 ウォルトにとってイリアは愛娘同然であった。その彼女が命をかけて〈下界〉に降りるのだから、側役として見守る彼の苦悩は計り知れない。


「……どうでしょう、ウォルト様。ひとつ王宮と神殿で手を組むと言うのは。同じ目的を持つ者同士、バラバラに動くこともありますまい」

「異論は無い。が、お主が自ら出向く訳ではなかろう。(フレイア)は誰を遣わす? 【炎槍のセシリア】か? それとも──」

「〈魔壊のリーシュ〉です」

「……何じゃと?」


 その名を聞いた瞬間、穏やかに会話をしていたウォルトの表情に初めて翳りが見えた。


 確かにリーシュの腕は立つ。しかも、今となっては師匠であるヴィクトールを凌ぐ程となっている。

 だが彼の物騒な二つ名は諸刃の剣(・・・・)。ヴィクトールの真意を悟ったウォルトは目を細めると小さく笑みを零した。


「やれやれ、ワシにもう1人の子守りをしろと言うのじゃな」

「あれを制御出来るのは、お師匠(・・・)様をおいて他には考えられません」

「やめい。その呼び名は背中がむず痒くなるわい。まぁ……神殿側も強い護衛を貰えるなら文句も言うまいが」

「では──」

「いいんじゃな?」


 鋭く、ウォルトはヴィクトールが言うべき言葉をそのまま返した。ヴィクトールは表情ひとつ変えず、かつての上官であり師でもあった男の目を見つめ返す。


「万一の場合、ワシがこの手にかける事になるやもしれんのだぞ。お主の愛弟子を」

「構いません。その為の要請です」

「……ふん、お主は相変わらずじゃのう」


 その一言で話は纏まった。ヴィクトールはローボードの上に準備していた透明なグラスと秘蔵の酒をウォルトに差し出す。

 酒好きの彼がにやりと顔を綻ばせたのを確認し、ヴィクトールも口元を僅かに緩めた。


 その夜、2人は8年ぶりに酒をかわす。たわいもない話から誰かに聞かれるとまずい内情に至るまで──どれだけ月日が流れようと、彼らの間に築かれた信頼は些かも揺らぐ事はなかったようだ。



────



「爺や、それは本当なの!?」


 巫女の塔にて、珍しくイリアの嬉々とした声が響く。


 救国の巫女としてナターシャが課した厳しい修行に明け暮れ、気がつけば23歳の誕生日もとうに過ぎてしまっていた。


 過分なまでに衣食住が確保された環境ではあったが、彼女は神殿から一歩も出ることを許されない。

 変わらない街並みを塔の窓から見下ろしては、ただ溜め息を吐く毎日。それが間もなく終わろうとしているのだ。


「リーシュと一緒に居られるのね! ああ〜、早く会いたい」

「あと2日間の辛抱ですぞ。あちらも準備を整えていることでしょう」


 その名を聞いた瞬間から、イリアの頭はリーシュの事で満たされ、ウォルトの言葉など全く聞こえてはいなかった。


(何とか外に出る方法は無いかなあ……)


 リーシュが(フレイア)の騎士になったことは聞いている。何とかしてエデン北部にあるというその宿舎に行く方法は無いものかと、イリアは真剣な面持ちで思案を巡らせた。

 しかし彼女は土地勘が全く無い上に、極度の方向音痴である。たとえ外に出られた所で、1人では到底辿り着くことは叶わないだろう。


 8年も待ったのだからあと2日くらい──とも思うのだが、一度考え出すとどうにも止められなくなった、

 イリアは窓に身を寄せるが、そこは20メートル程もある高さ。飛び降りる事も出来ず、かといってこの部屋から出るにはウォルトの目を盗まなくてはいけない。


「爺や。私、お買い物に行きたい」

「なりませぬ。必要な物はこちらでご用意致します故」

「ええ〜。だって、自分で選びたい物もあるじゃない? 爺やは男の人だから、そういうの分かんないんだよ」

「む……しかしですな。ワシはこれから会合が」


 何だかんだと、ウォルトはイリアに甘い。治安のいいエデンとはいえ、巫女のイリアを1人で出歩かせる訳にはいかなかった。


「やはり駄目です。神殿騎士の護衛も無く外に出るなど」

「そう、神殿騎士が一緒ならいいのね?」

「むむ……」


 ある企みを思いついたイリアは、ウォルトの言葉尻を取り上げて悪戯っ子のように微笑む。



 善は急げとばかりに、3歳年下の神殿騎士ロディを部屋に呼び、町まで付き添いを依頼した。

 イリアが〈下界〉に降りる事は周知されているので、その準備の為だと言われれば、ロディも疑う事なく二つ返事で付き添いを了承する。


 渋るウォルトに手を振り、8年振りに神殿の外へ出たイリアは大きく伸びをした。鼻から大きく息を吸い込み、外の風を全身で堪能する。

 そして早速くるりと背後を振り返り、その様子を微笑ましく見守っていたロディへ視線を向けた。


「ねえ、ロディ。私、(フレイア)の騎士様に会いたいの。宿舎まで案内して?」


 イリアは「騙してごめんなさい」と、ロディの手を両手でそっと握りしめた。

 憧れの巫女と2人きり、そして鼻腔を擽る甘い花のような香り。──思わず誘惑に負けそうになったロディは、ふるふると首を左右に振る。


「そ、それはダメですイリア様! 神殿騎士と王宮騎士にあまり接点はありませんし、何よりそんな遠くまで……」

「お願い、ロディ。一生のお願いよ」


 神殿騎士として仕える彼が一途に慕うイリアから、「貴方しか頼る人がいないの」とまで甘えられたのだ。ロディは簡単に折れた。


「はぁ……わかりました。ですが、宿舎はダメです。僕がご案内出来るのは(フレイア)の騎士が視察で通る場所までですよ」

「ありがとう! 大好き、ロディっ」


 イリアはきゃあと喜びの声を上げ、ロディに抱きつく。無邪気なイリアに理性を試されながらも、彼は何とかそれに耐えてみせた。



────



 神殿騎士達は、王宮の騎士達が町を視察に来る時間を全て把握している。それは非常事態が起きた時に滞りなく連携する為だ。


「リーシュ殿は大体いつもこの時刻に視察と、物資の調達に来ております。もしお会い出来なければ諦めて帰りましょう?」

「うんっ!」


 瞳を輝かせるイリアは期待に満ちた笑みを返し、その場でしゃがむ。

 久しぶりに会う彼は、どんな風に成長しているだろうか。脳裏に記憶しているリーシュは、神殿騎士に刃向かいボロボロになった18歳の姿で時が止まっている。


 風の噂によると、彼は金色の髪を腰まで伸ばして蒼を基盤とした格好をしているとか。(フレイア)は赤を基盤としている分、一眼で違いも分かる筈。


 まだ会ってもいないのに、心臓の鼓動が早まる。何て声をかけたら良いのだろうか。久しぶり……違う。これから一緒によろしくね?


 イリアが悶々と悩んでいる間に、横から貴婦人の黄色い声が上がる。ふっと顔を上げると鮮やかな金髪を風に靡かせる青年が視界に入った。

 彼の服装は蒼色に輝く軽装鎧。赤を基調とする(フレイア)の中で、一際目立つその風貌はリーシュしかいない──のだが、たとえ同じ格好をしていたとしても、イリアにはすぐに分かっただろう。


「……リーシュっ!!」


 イリアはその場から立ち上がり、彼の名を呼ぶ。

 リーシュがその声に驚きの視線を向けた時、彼女は矢のように胸に飛び込んでいた。灰色の髪を見下ろし、リーシュが「まさか……」と声を震わせる。


「イリア……なのか?」


 他の誰でもあり得ないと知りつつ、確かめる為に紡がれたその名。それにイリアは顔を上げられないまま、ただコクコクと頷く。

 その反応に少しだけ目尻を柔らかくしたリーシュは彼女をマントで包み込み、その姿を隠すように人通りのない道へと足を向けた。


 2人きりになった所で、マントの中からイリアをそっと解放する。リーシュは両手でイリアの頰に手を添えると、沸き起こる感情を抑えて静かに声を漏らした。


「イリア……どうして?」

「どうしても会いたくなって。無理言って抜け出してきちゃった」

「はは……変わらないな、そういうとこ。元気にしてたか?」

「うん! でも何が何だか分からないうちに、こんなことになっちゃって……」


 リーシュは少しずつ言葉尻が弱くなっていくイリアを優しく抱き締めた。

 突然奪われた日常。愛しい人との別れ。事情を知って尚、納得など出来てはいないが、どうにか気持ちの整理だけはついている。

 2人にとってこの8年とは、そんな月日だった。


「リーシュは……元気?」


 恥ずかしくてなかなか顔が上げられない。頰に添えられた手が熱い気がする。

 イリアの心臓は早鐘を打ち過ぎて、今にも倒れてしまいそうだった。


「ああ、この通りな。やっと……イリアに会えた」


 堪えていた息を吐き出しながら、リーシュはイリアを抱く力を強める。触れ合う体温の高さから、その想いまで伝わってくるようだ。


 街まで出た甲斐があった……このまま全ての時が止まってしまえばいい。そう願うのはいけない事なのだろうか。

 8年前から全く変わらないこの想いも──。


「リーシュ、私……」

「──イリア様、探しましたよ」


 2人きりの甘い空気を壊したのは、神殿騎士団長のアラン=レイナルドだ。短く刈りそろえられた金色の髪に萌黄色(もえぎいろ)の瞳を持つ。

 まだ23歳と若いが、貴族の家名でその地位を手に入れた男である。


「ロディから聞きました。勝手に街へ降りるなど。しかも王宮の騎士と密会なんて……」


 リーシュを一瞥した彼は眉間に皺を刻むと、強引にイリアを引き剥がした。それに私欲を感じたリーシュは、目を鋭く尖らせる。


「誰だよ、お前」

「無礼な、知らないはずが無いだろう。神殿騎士団長のアラン=レイナルドだ。悪いがここまで、イリア様は連れ帰る」

「ああ、あの貴族のボンボンか。興味無さすぎて忘れてた」


 わざと挑発するようなその口ぶりに、アランの形良い眉が吊り上がりさらに皺が刻まれていく。


「ふん……口の悪い(フレイア)の人間め。幼馴染だからと言って、今や救国の巫女たるイリア様と、変わらず懇意に出来るとは思わない事だな」


 アランは唇をきつく噛み締めながら、左の腰に携えていた細身の剣(レイピア)に手をかける。


「前々から気に入らなかったんだ。お前のような野蛮そうな騎士が(フレイア)に居るってことも」

「へぇ、いいのか? 3秒もかからないぜ?」

「くっ……」


 リーシュがエデン最強の騎士だと噂される事は、アランも承知している。威圧するつもりが逆に圧倒され、彼は悔しげに剣を引いた。

 僅かに怯えるイリアに視線を向けたアランは、彼女を安心させるべく努めて笑顔を作る。


「さあ、神殿に帰りますよ、イリア様」

「もう少しだけ、リーシュと一緒にいたい」

「我儘も大概にして下さい。ナターシャ様に言いつけますよ」

「…………」


 親のように育ててくれるナターシャの名前を出されると、イリアもそれ以上は言えなかった。項垂れたままアランに手を引かれる。


「イリア」


 リーシュに名を呼ばれて再び顔を上げ、イリアは彼の双眸を見つめた。茶褐色の瞳は穏やかに細められ、その口が「待ってろ」と小さく動く。

 イリアは満面の笑みを彼に向けると、ようやく前を向いて神殿へと歩き出した。


「イリア様はもう少し立場を(わきま)えて……」

「ごめんなさい、でもこれで我慢できるもの」


 ウォルトの小言も気にならないくらい、イリアの気分は高揚していた。久しぶりに感じたリーシュの熱い温もりに力強い腕。そして何1つ変わらない、甘く名前を囁く声。


 もう一度彼の感触を思い出すかのように、イリアは瞳を伏せて大好きな彼を想う。

 いつもと変わらない夜が明けていく中、イリアは8年振りに幸せな眠りへとついた。

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