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第2話 紅涙のイリア

 リーシュが旅立ちを決めた3日前。エデン西方のクレセント大神殿で、最初の動きがあった。


 神々からの啓示を受けるべく、祈りを捧げる

時読みの巫女(シャーマン)】こと、ナターシャ=マグリアス。彼女は今、5年前から途絶えている〈対話〉の再開を試みていた。


 彼らにとっての神とは、遊戯(ゲーム)創造主(クリエイター)に他ならない。よってここでの神事とは本来、遊戯(それ)に関わる補助機能全般を指す。

 作られた命による越権行為──だが結局、それも一方的な呼び掛けに終わり、弱々しく肩を落とすナターシャ。

 この時、やはり創造主はもう何処にも居ないのだという事実だけが冷たく確定した。


 姿は見えぬ、声も聞こえぬ。神が気安い存在ではなくなったことで、ここが現実世界に近づいたと評するのは皮肉が過ぎるだろうか。

 神の居ない世界。季節が歩みを止めた幻想の舞台。全てが混沌とする中、絶望が希望を圧倒する未来。


 先が見えない──それは時読みの巫女にとって、死の宣告を受けたに等しかった。それでも短く息を吐くと、ナターシャは顔を上げ(めし)いた目を侍女へと向ける。


「イリアを、ここへ」


 短いその言葉と共に、喧騒が広がる神殿内部。いよいよ神殿としての決断が下されるのだ。

 世界の行く末をその耳で拝聴するべく、神殿内は通常の倍では利かぬ人々で溢れ返っていた。警護に就く神殿騎士たちが厳しく目を光らせている。


 聴衆の面前へと進み出たナターシャの表情に、もう迷いの色は無い。


「鎮まれ、未来を憂う神の子たちよ。現在、世界は忌むべき敵によって混沌の極致にある。だが我々には、確かな希望もある」


 言葉が切れたタイミングで、神官に片手を引かれるもう一人の巫女が姿を現した。

 引き摺らないよう白いローブの裾を持ち上げ、大広間の中央まで進んだ所で立ち止まると、彼女は凛とした佇まいで真っ直ぐに前を見つめる。


招かれざる者(アウトサイダー)に終焉を(もたら)す〈神剣〉、イリア=マグリアスである。彼女に神の、そして皆の祝福を!」


 敢えて「神」の存在を強調し、一際大きく声を響かせたナターシャの紹介に合わせ、巫女は恭しく頭を下げた。


 彼女はイリア=マグリアス。付けられた二つ名は【紅涙のイリア】。

 季節感のない世界ながら、先日23歳の誕生日を迎えたばかり。穏やかな淡い碧の瞳は清涼な海を想わせる透明感を放ち、整った顔立ちは少し幼さも残す。

 肩を少し過ぎたあたりまで伸ばした髪は灰色だ。彼女に近寄るだけで可憐な花のような香りが鼻腔を(くすぐ)るのは、決して気のせいではないだろう。

 そして見る者全てに癒しを与える天使のような微笑み。通常身に纏っている質素な絹のローブをドレスに変えるだけで、恐らく他のどのプリンセスをも凌ぐ美しさを秘めている。


 イリアは産まれて間もない頃、招かれざる者(アウトサイダー)に両親を殺された孤児である。それにより、自身の本当の名すら知らない。


 今を遡ること8年前のある日、〈神の啓示〉を受けたナターシャにより、彼女は何の前触れもなくここへ連れて来られた。

 ナターシャと同じ姓を与えられた彼女は、神託に従い、〈救国の巫女〉として生きることを半ば強制されたのだ。


 救国の巫女──それは文字通り国を救う巫女を意味する。組織上はナターシャや大神官より上、最高位の存在であり、メタトロンの王でさえ彼女を「イリア様」と呼び敬う。

 イリアを呼び捨てにできるのは、自分の娘同然に育てたナターシャの他には、幼馴染であるリーシュのみ。


 勿論、それには歴とした理由がある。彼女がその役割を果たすために払う代償が──命なのだ。


 神託によると、イリアはある条件を満たせばプレイヤーだけが扱える武器〈神剣〉となる。そしてそれだけが、全ての招かれざる者(アウトサイダー)を滅ぼすことを可能にするとされていた。

 但し一度〈神剣〉に姿を変えれば、彼女はもう二度と人に戻ることはない。


 突然舞い降りた自らの運命を呪い、イリアは毎晩のように泣いた。しかし、彼女の暖かい人柄に魅せられた周囲の人間が同じように涙を流していたと知り、ぴたりと泣かなくなった。

 世界の、そして全ての人々のために泣き、涙を枯らした巫女。もはや泣いても紅い血の他に頬を伝うものはないだろう──そんな悲哀が、いつしか〈紅涙〉と呼ばれる由縁となったのである。


 この状況を打破すべく、大神殿が彼女へ下した方針は非情であった。あくまでも神託を第一義とし、プレイヤーを探す旅に送り出そうというのだ。


 イリアの役割は何も〈神剣〉と化すことだけではない。プレイヤーと行動を共にし、その成長を助け導く。そのために大神殿の巫女や神官にのみ継承される、難度の高い治癒魔法も修めた。

 尤も、国王勢力と同様、彼らにもプレイヤーの足取りは掴めていない。年齢、性別はおろか、彼、または彼女が人間であるかどうかさえも不明。

 

 それは「さすがにイリアが動けばプレイヤーも」という考えに基づく決定であるものの、ただの希望的観測であって根拠などない。


 ナターシャによる紹介が終わった後、イリアの周りには自然と人だかりが出来ていた。皆が口々にイリアの運命を嘆き、嗚咽を漏らしている。


「何故イリア様なのじゃ。こんな老いぼれの命で良いなら、幾らでも差し出すものを」

「そんな顔しないで、ハンスさん。私は最高に格好いい剣になるつもりなんだから。平和な世界になって、いつか息子さんのお店に置いてもらえたら、いい値をつけてもらえるかしら」


 重苦しい空気を払拭しようと自然な笑みを浮かべるイリアだったが、その冗談に口角を上げる者など皆無であった。

 だがイリアも、決して無理ばかりしているわけではない。寧ろ少しだけ、気分が高揚している。



『いつか聖騎士に、神殿騎士になって、俺がお前を守ってやる。だから、待ってろ──』



 泣き叫ぶイリアが半ば強制的に神殿へ連れて行かれたあの日。散々に暴れ回った挙げ句、神殿騎士2人に両肩を取り押さえられた少年が叫んだ言葉。

 

 イリアには強い予感があった。いや、確信と言っていいかもしれない。彼がその約束を果たす時が、すぐそこまで来ている。


 それだけで少し心が落ち着き、ざわめき、また落ち着く。目を閉じると、今でもはっきりとその顔を思い出すことができる。


 危機に瀕した世界。まして、自らの死と引き換えにしか手に入らないとされる平和。

 そんな状況下でさえも、イリアは高鳴る鼓動を抑えることができないでいた。


 8年ぶりとなるリーシュとの再会に。

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