農ダンジョンの罠
「これは……どういうことだ?」
パーティリーダーの戦士、ホアキンがこぼした言葉は一行の全員が抱いた疑問だった。
石造りの薄暗い通路に、僅かに黴臭い湿った空気。ダンジョンとしてはよくあるものだが。
「こ、ここってちゃんと16階よね? いきなり20階に跳ばされたりしてないわよね?」
エルフの魔術師、サリフユーリアの耳がへにゃりと垂れ下がる。
彼女の不安には理由がある。
『食神の迷宮』と呼ばれ、主に農作物が手に入るこのダンジョンは、屋外―畑や牧場―状の階が4層続いた後に倉庫のような迷宮階があるという構造になっている……15階まではそうなっていたのだ。(ちなみにダンジョン内に異常に広い空間があるのは珍しいことではない)
「それは無いよ。転移があれば不自然に空気が揺らぐし、臭いだって変わるし。気づかないわけがないっしょ」
ハーフリングのスカウト、ウォルナッツが床や壁を調べる横で、知識神の神官、ラハールが無地の羊皮紙を鞄から取り出す。
「念のためにチェックしましょう。『偉大なる知識神アルチーブよ、願わくば、我らの足跡を我が前に顕したまえ。《地図記録》』」
祈りに応え、淡い光に包まれた羊皮紙に焦げ跡のような線で簡素な地図が描かれていく。
「……うん、転移陣の表記も不自然な断絶も無いですね。ここは16階で間違いないです」
「だから言ったっしょ。とりあえず罠や仕掛けの類も無いみたいだけど、リーダー、どうする?」
「ギルドに新エリアの報告をするにしても、もう少し情報が欲しい。とりあえず進んでみよう」
油断したわけではなかった。だが、予想外の状況に戸惑い、隙ができていたのは確かだった。
ホアキンの目の前で、突然サリフユーリアの上半身が赤く染まる。
血、ではない。
天井から落ちてきた半透明の粘液がサリフユーリアの頭から肩迄を覆い、その中に拳より二回りほど大きな球体が浮かんでいる。
「スライム!? ナッツ、松明を!」
「駄目です! 赤いからファイアスライムかもしれない!」
ラハールの言葉にウォルナッツの動きが止まる。
もしそうなら、熱に耐性がある上に可燃性の体液を纏っているからだ。
(クソっ、どうする?)
サリフユーリアは咄嗟に目を閉じ、息も止めているようだが、時間の余裕は無い。
スライムの弱点は核だ。今はその周りの粘液も少なくなっているが、武器を振るうには顔が近すぎる。
「ラハール、ナッツ、ユーリの体を押さえてくれ!」
叫んで、右手を引く。拳を作るのではなく、五指を揃え真っ直ぐに伸ばして。
二人がサリフユーリアにしがみついたのを確認して、
「っ!」
手刀をスライムに突き込み、その核を掴む。
「ぅおおおおっ!」
そして、そのまま力任せにサリフユーリアから引き剥がす。
ずるり、と、スライムが右腕を這い上る。既に手甲の留め具は粘液に覆われ、外すことは出来ない。
左手で腰の後ろからダガーを引き抜き、核に突き立てる。が、短い刃は粘液に阻まれ、致命傷には至らない。
と、感じたのはよく嗅ぎ慣れた、しかし此処では場違いな匂い。まさかと思いつつ、ダガーの刀身に舌を這わせて確信する。
「ナッツ、ユーリ、火だ! 大丈夫、ファイアスライムじゃない。コイツは、ワインのスライムだ!」
「いや~、実に良い階だった!」
上機嫌で17階への階段を降りるホアキンの顔は僅かに赤らんで、近づけば酒精の匂いも嗅ぎとれるだろう。
「モンスターもお宝も酒尽くし! 次来る時は荷物持ちを雇わないといかんな!」
そして後ろに続く三人は呆れ顔。
「コレさえなければいいリーダーなんだけれどねえ……」
「僕、酒樽ごと持って帰るって言い出すんじゃないかってハラハラしましたよ」
「それやってたら二つ名が増えてただろうね。《ドワーフ胃袋》《酔騎士》の次は《酒樽探索者》って所かな~」
はあ、と揃った溜め息三つ。
「結局、ここはお酒のエリアということなのかしら……」
不安げな表情のサリフユーリアの言葉に、思案顔のまま応えたのはラハール。
「いや、そうとは限りませんよ」
「え?」
「お、そう言うラハの見解は?」
「あくまで予想ですが、ここは加工された物のエリアなのではないかと」
「加工……って? どういう意味?」
「今まで、5階までの穀物のエリアでも、10階までの野菜と果物のエリアでも、手に入るのは収穫されたそのままの状態の物だけでしたよね」
「……言われてみれば、そうね」
「15階までの牧畜エリアでは肉が部位別に分けられてますけど、それ以上手を加えられてはいないですし」
「あー、対して酒は穀物や果物をアレコレして出来る物だ、と」
「そういうことです」
「でもそうすると、この先には何があるのかしら?」
「そうですね、野菜なら漬物、果物なら砂糖煮って所でしょうか」
「それなら、肉から腸詰とか乳からチーズとかもありそうね」
「もしそうだと、ホアキンが喜ぶねえ。酒の階とツマミの階を行ったり来たりして暮らしそうだ」
「それは……」
「無い、とは言えないわね……」
「藁人形が3体か。これだけ深い階にしては弱すぎるな」
「あくまでわかる範囲で、だけどね」
「単に穀物系の階ってだけかもしれないわよ」
「そうかもしれませんが、気をつけるに越したことはないでしょうね」
「よし、基本は俺一人で片付けるが、念のためユーリは火の、ラハールは守りの術の用意を。ナッツは入口を確保しつつ周囲の警戒を」
「わかったわ」
「了解です」
「オッケー」
「じゃあ……行くぞ」
扉を開けると同時に部屋の中に飛び込み、一番手前の相手の胴に切りつける。
その瞬間に感じる違和感。藁人形にしては手応えが重すぎる。
「気をつけろ! コイツらは藁人形じゃない!」
叫びながら下がり、距離をとる。
と、先ほど切りつけた傷口から茶色い塊のようなものがこぼれ落ちる。
ぼとり。ぼとり。ずるり。ずるり。
2個。3個。5個。10個。
粘液の糸を引きながら滴るように現れ続けるそれは、うぞうぞと蠢きながら床の上に広がっていく。
「ユーリ!」
火を、と指示を出そうとした時、ホアキンを襲ったのは強烈な悪臭。
夏場の濡れたブーツに顔を突っ込んだ時のようなそれに思わず息が止まる。
見れば、ラハールもサリフユーリアも口元を押さえて涙を浮かべている。
扉の近くにいるウォルナッツならば少しはマシかと思ったが、鋭い感覚故か悶絶寸前の有り様だ。
これは、駄目だ。
『撤退』の合図を出し、時間を稼ぐべく吐き気を堪えて剣を構える。
手前だけではなく奥2体の藁人形モドキからも、胴の藁の隙間を押し開くように茶色い塊が溢れ出し、床を多い尽くさんばかりのそれらは、もはやホアキンの足元にまで迫っていた。
「こ、コーゾーさん……それ、何ですか?」
「ん? ああ、空里さんの所からお裾分けでもらったんだけど」
「フミカさんのダンジョン……属性は確か『農』でしたっけ」
「ああ、ようやく発酵エリアが完成したからって」
「ってことは、ソレ、食べ物なんですか!?」
「でなきゃ朝食のテーブルには出さないだろ」
「えと、すみませんが、私には何か他の物を……」
「あー……ダメ?」
「はい。臭いが、ちょっと」
「美味いのになあ……納豆」
【藁苞人形】 ランクE
藁人形の亜種。戦闘時には体内からクリーピング・ナットウを排出する。
【クリーピング・ナットウ】 ランクE
這い寄る納豆。ただし一粒が拳大。打撃力は低いが臭いと粘りによる行動阻害、群体的な動きが脅威となる。
ドロップアイテム:納豆(藁苞入)