プロローグ
「良いかローエン。何度も言い聞かすが、お主には才能というものがこれっぽっちもありゃせん。じゃが、それは決して“魔術”が扱えぬという意味ではないのじゃぞ。魔術とはそもそも――ってこらローエン、何を居眠りしとるのじゃ!」
夏だというのに暑苦しい恰好をした爺に拳骨を落とされ、俺は眠りから目を覚ます。とても長い夢を見ていたような気分だが、爺の声がいい感じに子守歌になっていたのは、あまり受け入れたくない事実だ。出来れば綺麗なお姉さんの子守歌を聞きたいと心底願う15歳の少年である。
“偉大なる魔導士”と謳われる伝説の魔術師に引き取られて早十年。残り少ない寿命を俺の為に費やすこの爺さんが何を考えているかは知らないが、俺はずっと魔術について学んできている。
最初の頃は、俺の誰にも言っていない秘密である“転生者”である事が功を制し、年齢に似合わない知能で天才じゃね、と思われていたのだが、俺には“魔法”や“魔術”の才が一切ない事に気づいたのが、十年前の事だ。
結構な家柄に生まれらしいのだが、はんば捨てられるような形で俺はこの爺さんに引き取られた。
爺さんの口癖は『才がなくとも魔術は扱える』だ。
「痛っ……、何すんだよ」
「何するじゃないわバカ弟子! せっかく儂が稽古を付けとるというのに、居眠りするとは何事じゃ! というかこの状況で眠れるとかどんだけ器用なんじゃお主は! 儂は驚きで心臓が止まりそうじゃわい!」
何を大げさな事を言っているのだろうか、この耄碌爺は。
とはいえ、寝ぼけていたので忘れていたのだが、俺は現在指一つで全体重を支え、逆立ちをしている状態だった事を思い出す。魔術や魔法の才がない分、爺に体術を叩き込まれているのでこういった事は、前世の俺の肉体よりも筋肉量が比べ物にならないので割と簡単だ。
「ったく、何という弟子じゃ。儂が偉大なる魔導士と呼ばれてから、このような弟子は初めてじゃわい」
「その台詞はもう聞き飽きたぜ師匠」
多分何万回も聞いている。
「それよりも師匠、久しぶりに稽古を付けると言っていたが、またどこかへ行くのか?」
「む? ……ふむ、そうじゃな。ローエン、お主はここ十年で、どれだけの魔術を扱えるようになったのじゃ?」
指一本の逆立ちを継続したまま、爺さんの質問について答える。魔術に関しては、爺さんからあらゆる知識を叩き込まれている。それが使えるかどうかは全く別問題だが、知識量に関しては結構なものだと自負している。
「言うまでもないぜ師匠。ゼロだ!」
「どこで威張っとるんじゃお主は……」
あきれ顔をする爺さんだが、正確にはゼロではない。才能が一切なくとも魔術を扱える方法は知っている。その技術は遥か昔に廃れた方法だが、俺はそれを再現してみせた。まぁ、正確には爺さんが数多く研究している内の一つを、勝手に引き継いだだけなので、バレたら何を言われるか分からないので教えていない。
「ローエンよ、お主は分かっておらぬのかもしれぬが、儂ももう高齢じゃ」
それは言われるまでもなく、見た目に十分現れてますよ師匠。
「じゃから若いお主を育てるには、少々厳しい歳じゃ。老後は静かに暮らしたいと願うのは、それほど悪い事でもなかろう?」
「ん? まぁ、そりゃそうだが……」
「そこでじゃ! 儂がここ数日、出かけておったのは当然知っておるな?」
確かに師匠は、ここ数日――1週間程外出していた。爺が何処かへ出かけるのは珍しくないし、最近はそれも頻繁だったのであまり気にもしていなかった。そういえば今日は、久方振りになる師匠との稽古だった事を思い出す。
勿体ぶるような爺に、少々の苛立ちを感じる。
「実はじゃな、儂の古い知人に、“魔術学園”の運営に携わっている者がおるんじゃが、その者にローエン、お主の入学の推薦をしておいたのじゃ」
「……はぁ?!」
爺の言葉に、流石に驚きを隠せない。動揺してしまったからか、バランスを崩して頭から崩れ落ちそうになり、寸前の所で地面に手をつき、その反動で空中を一回転し、爺と向き合う。
「正気か師匠? これも言うまでもないが、俺を学園に推薦だって?」
魔術学園。その名のとおり、魔術を専門とした教育機関の事だ。俺が知る学校とは異なり、基本的には入学している生徒、それを教える教師たちは多かれ少なかれ、魔術を扱える事が前提になっている。
魔術を扱えない俺には無縁の話と思い、異世界といえば学校は定番だろう――という思いを押し殺していたのだが、ここにきてまさかの展開だ。
「もちろんじゃよ。当然、お主は儂の姓――ウェルミストを名乗るんじゃ。儂の名誉など気にする必要はないが、儂の弟子である事は誇りとせよ。何度も言うようじゃが、才のあるなしが魔術師としての優劣を決めるのではない。そもそも魔術とは――」
爺の長話を聞き流しながら、俺は考え込んでいた。
あの事故から一転して、忙しなくなってしまった俺の二度目の人生。転生という俺自身が想定できるはずもない事を経験して、そして家族に見捨てられる形で爺さんに拾われ、俺は十年の月日が過ぎて十五歳になった。
偉大なる魔導士と呼ばれる老人――ヴォン・ウェルミストの弟子である俺――ローエン・ウェルミストの伝説が始まるのは、ここからだ(といいな)。