色あせないメモリー
僕と美佳は海に来ていた。僕たち二人の目の前には寄せては返す波があり、ゆっくりとした時間が流れている。
僕たちは二人とも地元の横浜にある会社で働いていて、休日を利用し、春の湘南海岸を見に来ていた。
「慎吾」
「何?」
「あたしが飲み物買ってこようか?」
「ああ、頼むよ」
「何がいい?」
「じゃあ、俺はポカリスエット」
「分かった」
美佳が頷き、近くの自販機まで走る。
僕は海辺に座り込んで、春の海をじっと見つめていた。大勢の人で賑わう夏の前とあってか、人は少ない。
ふっと靴を脱いで裸足になり、海まで走って水に浸かってみた。冷たい感触が伝わってきて、僕はすぐに水から上がった。
ジーンズの裾を捲くって、元いた場所へと戻る。
自販機から歩いてきた美佳が、
「慎吾」
と僕の名を呼んだ。
「どうした?」
「飲み物買ってきたわよ。はい、缶入りのポカリスエット」
「ああ、ありがとう」
僕がそう返事し、美佳から受け取ったポカリスエットの缶のプルトップを捻り開け、呷る。
冷たい液体が喉を通る感覚は何とも言えない。喉が乾いていた僕は夢中で飲んだ。
そして立ち上がり、飲み終わった空き缶を捨てに自販機脇のゴミ箱まで行った。
缶を捨て、美佳がいるところへと戻る。
美佳はミニボトル入りの冷たいミルクティーを飲んでいた。口からは牛乳と紅茶が混じった匂いが漂ってくる。
僕が何気に海を眺めていると、美佳がミルクティーを飲み終わり、キャップをして、
「人少ないわね」
と言った。
「ああ。海水浴場は夏じゃないと盛り上がらないからな」
僕がそう言い、軽く息をつく。
昼過ぎだった。僕たちはさっき、近くのコンビニで買ったおにぎりとパンで昼食を済ませていた。
美佳は唇に軽くグロスを塗って、春夏用のファンデを散らしていた。元々メイクは薄めなのだ。
僕が、
「美佳」
と呼ぶと、
「何?」
と返事が返ってきた。
「今日ここに来たことは、二人の大切な思い出にしような」
僕がそう言い、頷いてみせた。
美佳も、
「そうね。思い出は決して色あせないから」
と言って、次の瞬間、僕の耳元で、
「キス……しない?」
と囁いた。
「ああ」
僕が頷き、美佳を抱き寄せ、彼女の唇に自分のそれをそっと重ね合わせる。
僕たちは成熟した大人同士だったので、互いが抱く愛情を確かめ合えるようなディープなキスをした。
唇と唇が重なり合い、互いの口の中の潤いや熱が移される。
やがて僕は自分の唇をそっと離し、
「ずっと一緒にいような」
と言って、再び美佳を抱き寄せた。
抱き寄せられた方の美佳が、
「あたしもずっとずっと一緒にいたい」
と言い、僕の大きな肩に自分の頭を凭せ掛けた。
再び二人でゆっくりと海を眺め出す。
早春の海は綺麗だった。天気は快晴で青い空が広がり、白雲が遠く青空の彼方まで棚引いていて、鮮やかな緑が生い茂っている。
僕は不意に、持ってきていたリュックからミネラルウオーターのペットボトルを取り出し、キャップを捻って呷った。
ゴクリゴクリ……。
喉が鳴り、僕は熱い砂地に水が吸い込まれるように水を飲んだ。
そしてミネラルウオーターを飲み終えると、息をつき、ペットボトルを仕舞い込んで美佳を抱く。
その日。
僕たちは夕方まで人の少ないビーチにいた。
沈んでいく雄大な日を背に、僕たちは誓いのキスを交し合う。
口付けが終わり、互いのおでことおでこを合わせた僕たちは、運転してきていた車へと戻った。
その夜は車中泊だった。僕は運転席、美佳は助手席にそれぞれ座り、シートを倒して横になった。
興奮のためか、僕はなかなか寝付けない。仕方がないので車を出て、一人夜空の星を眺める。
春の星座に見入っていると、背後に温かい感覚を感じた。
振り返ると、眠っていたはずの美佳がそこにいて、僕を抱いていた。
「……あたしも眠れないの」
美佳がそう呟き、僕を背後から抱きすくめる手を強くした。
僕が、
「今夜は二人きりでこうやって過ごそう」
と言い、風や波が凪いで静かになった浜辺で抱き合いながら、朝を待った。
抱擁が終わり、二人で朝までいろんなことを語り合っていると、やがて太陽が東の空から昇り始める。僕たちはその頃眠気が差し始めて、車へと戻った。
その日の昼まで僕たちは車の中で眠り、眠りから覚めると起き出して、横浜まで向かった。
気付けのコーヒーを一杯飲んだ僕は、車を運転しながら、高速道路へと入っていく。
ハイウエイを走っていると、生温い風が吹いてくる。
僕たちは吹き付けてくる南風に煽られながら、横浜を目指した。
僕と美佳はそれから付き合い続け、その年の夏に入籍した。
僕も美佳も一緒になることで互いに満たされ合うことを知っていた。
二人の新婚生活は横浜の1LDKのマンションで始まった。
僕たちの結婚生活は忙しさからか多少のずれがあったものの、幸せそのものだった。
僕が美佳から妊娠の事実を聞き知ったのは、その年の十一月だった。
美佳が産休を取り、僕が美佳や生まれてくる子供のために、仕事に一層精を出したのは言うまでもない。
(了)