村人Aになるということ
私は歩いている。自分の足で一歩一歩。爽やかな風吹きぬける木立の中の一本道を、パジャマ姿で。
「靴を用意してくれたなら、服も欲しかったなあ。欲しかったなあああ」
前を行く雄太郎の背中にむかってじめっとした声を出したら、返事が後ろから返ってきた。
「忘れたんだよ」
そら、そうだろうな。可愛い系、もとい、彰くんの回答は実にシンプルで気持ちが良い。だが、しかし。
「逆ならまだしも服の方を忘れる? 私がしっかりパジャマで寝る派だったからいいけど、これが素敵なネグリジェで寝る派とか香水だけを着て寝る派だったら取り返しのつかない失敗だよ」
まさかラッキースケベを期待して忘れてきたのではあるまいな。ちろっと振り返ると彰くんは「わざとじゃないよ」と返してきた。心を読まれたか。怖いな、異世界。しばらく胸の内で般若心経でも唱えていようか。
「まあ、そう怒るな。ヒカリはちゃんとした服を着ているんだから問題ない」
「昼日中に外に出る場合には、これはちゃんとした服ではありません」
とりなす雄太郎に言い返して、見えないだろうが舌も出しておく。二十歳を過ぎた女性にとって寝起きそのままの姿で外を歩かされることが、どれ程の苦痛か分かるまい。いつか思い知らせてやりたい。
「まあ、村に着くまでは俺らの他の人間には会わねえだろうし、着いたらすぐ何とかしてやるから我慢してくれよ。お迎えがあっただけでもラッキーなんだぜ」
真横を歩いていたチャラ系、もとい、たっちゃんが再びとりなす。舌を出していたのを見られたか。ちなみに、たっちゃんと名乗られて「タッチか!」と返した私は悪くないと思う。その場で達也ではなく龍臣という名前だと教えてくれた。
「まあ、確かに靴とお迎えには感謝してるけど。靴があるなら服まであと一歩だったじゃーん」
贅沢といわれてもやっぱり、よれたスウェットで人目に触れるのは辛い。まだ、そのくらいの羞恥心はあるんだよ。
さて、すっかり馴染んだ雰囲気の彼らだが、実は女神が日本村から呼び出したお迎えであるらしい。女神は自由自在に場所を移動できるそうで、あの不吉な石の棺に日本人が納められたのを見てすぐに日本村に飛んでいき、彼らを連れて戻ってきたわけだ。そんな便利なことができるなら、私が今、爽やかな散歩を楽しんでいる理由は何なんだ、ということになるのだが、女神はお忙しいようで移動中に「あ、誰か呼んでる」とのたまうと我々を放り出してどっかにいってしまったのである。それでも下ろされた場所は日本村のすぐ近くだそうで、私たちは昼下がりの散歩がてら村を目指しているというわけだ。
せっかく時間があるので、知りたいことは聞いてみよう。
「何とかするって、どんな服があるの? 買わないといけないの? 私、見ての通り無一文なんだけどどうすりゃいいの? ていうか、住む場所は? 明日からの生活は? お金はどうやって稼ぐの? 税金は発生するの? 病気したらお医者さんある? あ、そうそう。元の場所には帰れるの?」
「「龍臣」」
雄太郎と彰くんは、揃ってたっちゃんの名前を呼んだ。さすがに男同士ではたっちゃんと呼ばないらしい。
「えーと、なんだっけ? 服は、けっこう何でもある。いや、あった。だな。世界始めちまったからなあ。もうフリースとかは無理かもな。ウィンドブレーカーも無理っぽいな。なんだ、綿とか毛とかそういう天然っぽいもんなら大丈夫だろう」
明らかに押し付けられたのに、嫌な顔一つせずに答えてくれるたっちゃんは優しい子だ。チャラっぽいけど根は良い奴に違いない。それにしても最初からひっかかりがありすぎてかぎ裂きになりそうな、その回答はなんだ。世界始めちゃったからなあ、ってどういうことよ。
「世界始めると、できなくなることがあるわけ?」
「そりゃあ、そうだ。女神が言ってたろ。世界としてのルールを決めるって。異世界感を出すために、こう、元の世界でみんなが異世界といえば想像するような感じにまとめようとしてんだよ。だから化繊っての? あれは無し。あーだからスニーカーもなくなるんだよなあ。超不便じゃん」
「だから近未来設定にした方が良いって言ったのにー」
彰君は近未来支持派だったのか。そうやって論戦を戦わせたんだな、原住民役の異世界トリッパー達は。暇だったのかな。
「しょうがないだろう、多勢に無勢だ」
この感じは雄太郎も近未来支持派だな。まあ、日本から来た人ならよっぽどアレじゃないかぎり、ウォシュレットのない生活を強いられるとか、ウォシュレットは泣いても、トイレが水洗じゃないとか絶対嫌がるだろうしなあ。本気の中世風に世界を作りかえたい人いないだろうなあ。私もペストで死ぬのは嫌よ。
「トイレは水洗?」
大事なことなので割り込んで質問した。たっちゃんは力強く頷いてくれた。良かった。本当に良かった。頑張って戦ってくれた先輩トリッパーの皆様、ありがとう。
「テーマパークみたいなイメージだな。譲れないってところは現代風で残したからフリースは無くなったけど、トイレは水洗だし、上下水道はもちろん完備。井戸があってな」
そこまで言ってたっちゃんは「ぷふふ」と笑った。当てて見せよう。井戸型の水道なんじゃないですか。それ、完全にこれからやってくる異世界トリッパーを馬鹿にしてるな。
「いや、蛇口はさすがにない。それは俺たちも諦めた。ただ魔法のかかった井戸だから空の桶を放り込むと自動的に綺麗な水でいっぱいになって昇ってくる仕組みになってる」
「なんじゃそら。ていうか、魔法? 魔法あるの? しかも付与魔法ってこと? 魔法道具? キタ、異世界」
そうだよ、女神が空を飛べるんだから魔法が存在するに決まってるじゃない。私もできるのかしら。異世界トリップといえばチートだよねって。ちょっと待てよ。
「あれ、全員チートの場合平均点が百点になるだけで、あんまり嬉しくないってこと?」
「あー、魔法はねえ。元の世界から弾き飛ばされるほどに魔法を熱望した人にしか使えないんだよねえ。抜け道はあるけど。僕ももっと本気で魔法使いになりたいと思っておけば良かった」
なるほど。こちらで魔法使いになっている人は、あちらでは相当浮いていた感じの人々ってことね。世界から弾かれるくらい熱望ってどんだけよ。仲良くしておいたら便利そうだけど、付き合う相手には気をつけよっと。
「服は今なら無料だ。そうだよ、お前急がないとまずいな。村に着いたら大忙しだ。どんな家に住んで、どんな服や靴が欲しくて、家具は何がいいか今考えておけよ」
たっちゃんは真面目だな。さっきの私の質問をちゃんと覚えていた上に話が脱線しても戻って説明してくれる。彼とは仲良くしよう。そして無料。良い響きだ。今ならっていう限定感も、物欲を煽るね。でも無料って普通じゃないですよね。どういう仕組みよ。
「お前は原住民なんだから、生まれた時から住んでいた家やこれまでに買い揃えた服があって当たり前だろう。そういうのを今なら魔法使い達が都合してくれる。新しいトリッパーが村に来た後にやると目立つから、急いで準備しろよ」
「はあ。村人Aに相応しい状態にするまでは面倒見てくれるのね」
有難い。有難い。無料万歳。すごい御殿とか要求してみようかな。
いや、待てよ?
「そうすると、最初から村人Aになる予定ではない次からのトリッパーはどうなっちゃうわけ?」
「親切な人に巡り合って都合してもらうしかないだろうな」
雄太郎がぽんと答えた。
「え。あの不吉な棺から一人で外に出て、誰かに会うまで一人ぼっちってこと?」
それは不幸だ。発狂する人も出るかもしれませんよ。だって、あそこ一人で目覚めたら結構怖いよ。石の棺桶に巨大な石版がある薄暗い部屋。石版には読めない文字が大量に彫られてて雰囲気あるけど、悪い雰囲気なんだよね。
「異世界トリッパーご案内業でも始める奴がいれば、一人か二人、招きの部屋に常駐させるんじゃねえか。出世払いで服と靴と地図くらい渡してやってな」
「出世して払うかなあ」
「命の恩人だぞ、払うだろうよ。魔法使いを巻き込めば逃亡防止もできるだろうし」
「おー、龍臣意外と賢い。それ儲かりそう。僕やろうかな」
「魔法使いは誰を誘うんだよ」
話が脱線している。脱線しているけれども、分かったのは十万人目と十万一人目では待遇が全く違うということだ。良かった。私、十万人目で本当に良かった。混乱して涙目で右往左往するところを、生温かい目で見られながらもいきなり将来の借金を背負わされる側じゃなくて良かった。原住民認定万歳。私は生温かい目で眺める側の人間に滑り込めたわ。
「ヒカリ、家族はどうする?」
金儲けの話に夢中になったたっちゃんと彰くんは並んで協力者の選定に移っている。魔法使いの候補者は次々駄目だしを食らっているので、やはり魔法使いというのはアレな人物が多いらしい。
「え? 家族はどうするってどういう意味?」
雄太郎さん、説明が足りないです。連れて来られるの、うちの両親? でも、彼ら異世界トリップなんて知らないだろうし、困っちゃうんじゃないかなあ。
「村人が全員一人暮らしなんて異常だろう。既にこちらに来て長く、結婚して子供もいる家庭もあるが、やはり独身者が多いからな。それらしく見える年齢の組み合わせで一緒に暮らして、家族としている人たちもいるんだ。まあ、でも、ヒカリの場合は時間がないから同居したいような相手を選んでいる暇がないか」
なるほど。トリッパー同士の疑似家族ですか。結構いろんな年齢の人が飛んでくるんだなあ。二十歳そこそこの私が独身で子供がいなくても変じゃないけど、親か兄弟は欲しいなあ。そうじゃないと、若くして親をなくした設定の村人Aになるわけでしょう。寂しい気がする。でも見知らぬおじさんと二人暮らしとか、絶対無理。というか、ダメ、絶対。おばさんでも気が合わないと同居は辛いよなあ。若い女の子が一番楽なんだけどなあ。
「村に戻って、まだ家族を確定させていない連中に会ってみるか」
「うん。一人は寂しいけど、変な人と家族になるのは勘弁だわ」
その後つらつら話したところ、女神の世界の始まり宣言は行われたものの、次のトリッパー、彼らは第一異世界人と呼んでいるが、に遭遇するまでは猶予期間として職業や家族構成などを決めていける期間としているらしい。ソフトランディングだ。助かった。そうじゃなきゃ、私は孤児で文無しの村人A確定だった。ありがとう。先輩異世界トリッパー達。あんたたち、本当にいろいろよく考えてくれたよ。
「村までもう少しだな」
だんだんと木立の木がまばらになってきた。運動不足の足にはかなり辛かったけど、誰かにおんぶされる醜態をさらすことなく村に着きそうで安心した。誰かっていうか、このメンバー構成だと雄太郎さんが力仕事担当だと思うんだけど、いくら背中が広くても初対面の人に背負われるのは抵抗があります。見かけによらず頭脳労働担当らしいたっちゃんは、私の質問に根気よく答えてくれて、村についてからすることも大体わかった。要するに村人Aの設定作りだ。一人の人間としての歴史を全部作るのだ。やだ、ちょっと楽しそう。年齢少しくらい若返らせようかな。二十歳って言っても誰も分かんなくない? うっへっへ。十九歳っていうのはやり過ぎ感あるけど、二十歳は許される気がする。やっちゃおうかな。やってもいいかな。
「で、最後の質問だけどなあ。元の世界に戻れるかってやつ。戻れないぞ。お前はもうこの世界の原住民で確定されたから戻る先はない」
へ?
たっちゃん、たっちゃん、龍臣さん。今、なんとおっしゃいました。戻れない。戻れないとおっしゃいましたか。そんな。片道切符こそが王道異世界トリップとはいえ、今、ここで起きてることってぶっちゃけ超邪道じゃん。いいじゃん、最初の十万人だけはこっそり帰れる設定にしといたって。古参の村人だけの秘密の儀式とかいってさ。そうじゃないと、そうじゃないと。私、一生お父さんにもお母さんにも会えないじゃないか。実家のハチとマルと権之助と豆太郎にも会えないじゃないか。それは困るよ。ただのアルバイトだったからコンビニのシフトに穴開けるくらいすぐ埋まるし、安アパートの引き払いも辛くないし、会えないと困る恋人もいないけど。お父さんとお母さんとハチとマルと権之助と豆太郎は困るよ。
「でも、もう確定しちゃったからなあ」
涙目で詰め寄る私を見下ろしてたっちゃんはぽりぽりと頭を掻いた。
先輩異世界トリッパーの馬鹿。これまでの感謝を返せ。なんでこの一番大事なところを押さえておかないんだ。トイレを水洗で維持するよりも、家族のもとに帰る方が大事に決まってるだろうが。
「元の世界で叶わない夢を見た人ばかりが集められた世界だからな。戻りたくない奴が多くても当然だろう」
雄太郎の大きな背中は、俺も帰りたくないと雄弁に語っていた。
世界を飛び越してしまうほどの強い思いで見た夢が、ここでなら叶って、戻れば叶わない。そうか。戻りたくないか。
なんて、誰が納得するか馬鹿野郎! もう一回、女神出せ、女神!