嫉妬する黒い獣
ドワーフって本当にすごい。ステージにもなる長椅子製作はたった二日で終了した。その間、うちのお店に泊まり込んでトンテンカンテン。目の前でドワーフの仕事ぶりが見えるというので、集落の皆も興味津々で入れ代わり立ち代わり覗きにきた。いや、それでね。本当にすごいの。まず、第一に早い。のこぎり一往復であんなにぐんぐん木が切れるなんて有り得ないことよ。近くにいた近所のおじさん達に確認したもの。人間がいくら日曜大工に精を出してもあんなのこぎり裁きは無理ですって。早い上に、正確。鼻歌交じりにガンガン材木を切っていくのに、組み合わせるとピタッと嵌る。さらに組み合わさった材木に刻む彫刻がもう大胆かつ繊細で、とにかく芸術的。
「トオルー、ねえ。こっちもお願いしていいかしら?」
「あー?またか、ヒカリ」
「お願い!ご飯大盛りにするから!」
いえねえ、目の前にこんなすごい職人さんがいたら色々頼みたくなっちゃうじゃない。ガタついていたテーブルや椅子を直してもらったり、締めるのにコツが必要だった裏口の立てつけを直してもらったり。ああ、助かっちゃう。頼もしい。ちょっと好きになっちゃいそうだわ。
「トオル―、わりいんだけどうちの便所の扉も」
「トオル―、牛が畦に嵌っちまった。ケツ押してやってくんねえか」
もちろん、トオルに甘えているのは私だけではない。職人の腕ではなく、牛のお尻を押すだけの力仕事まで。そして優しいトオルは出来る限りそれに応えてくれるのだ。おかげで本日もサツキの集落にご宿泊いただくことになってしまった。夕食後、お客さんがはけた後でトオルはせっせと自分の寝床を準備している。
「ねえ、バス無しでお家に帰るのにどのくらい時間がかかるの?」
明日いい具合に雨が降ってくれたらいいけれど、そうじゃなければ歩いて帰らなきゃいけない。山奥のおうちに帰るには時間がかかるだろうなあ。足短いしなあ。
「二日くらいかなあ」
「え、じゃあ一晩野宿?」
「うーん、この体のままなら夜通し歩くくらい平気だから徹夜で二日かな」
「うへえ、ドワーフってタフなんだねえ。ていうか、この身体のままならってことは、変われるの? 何かに変身できるの?」
ちょっと、聞いてないよ。変身できる生物がこんなに身近にいたなんて。見たい。変身するところ見たい。
「いや、いわゆる人型にもなれるんだけど。一歩の歩幅が広がっても体力が持たなくて歩き続けられなくなるから結局遅くなるんだよなあ」
「人型、見たい! みたいです! トオル先生」
おおっと?可愛らしさ本人比三割増しでお願いしてみたんだけど、その複雑そのものの表情は何かな?両手をグーにして顎の下に持って行った古典的ぶりっこポーズがお気に召さなかったのかな? トオルはこういうの好きそうだと思ったのに。
「すまん。ヒカリちゃん。人型は他所のもんには見せないって約束してんだ。勘弁して」
ドワーフの掟のようなものかしら。ううん、それじゃあ我儘は言えないかなあ。きっと何かちゃんとした理由があって秘めてることなんだろうし。もしかするとあの女神のトンデモ創世記と関係あるかもしれないし。駄目だよねえ。うん、きっと駄目なんだよねえ。
「・・・手だけ、とかでも駄目?」
「そんな都合よくは変えられねえよ」
翌朝、朝ごはんのおにぎりを余計に作ってトオルに持たせるお弁当に仕上げていると外でフギャーという声がした。うん、間違いない。大きな生き物の鳴き声だ。今日は霧雨だってのに、バスかなあ。
「トオル、バス呼べるの?」
お弁当を待っているはずのトオルを振り返ったら、いない。そして扉が開いている。箸が床に転がっている。飛び出したな?呼び止めないとバスが通り過ぎちゃうのかしら。折角来たんなら乗りたいよねえ。
「トオル―、バスに乗るんでもお弁当は持って行きなよ。ほら好きでしょ、甘露煮」
カラン、コロン。下駄をつっかけて表に出ると、見覚えのない生き物がいました。
「え?」
巨大な生き物の鼻先にだらりとぶら下がっているトオル。体を張ってお店を守ってくれたのね、あなたの犠牲は忘れないわ。ありがとう、トオル。って。動いてるな。生きてる。
「うん、うん。だからちょっと用事を頼まれて帰りが遅くなっただけだって。ちょうど今から帰るとこだったよ。本当だよ。信じてくれよ」
ぶら下がったまま何か必死で説得している。お知り合い?その、なんだろう。真黒な、毛むくじゃらで巨大な四足歩行の生物と。犬っぽいんだけど、あまりにも大きすぎるんだよね。それに何より、首が、トオルがぶら下がっている首の他に、もう一個ある。一つの首についている両目はしっかりトオルを見ているのに、もう一つの頭についている目はきょろきょろと周りを見回していて、あ、目があった。
「あ、どうもー。おはようございますう」
「シャーッ!」
ひい、凄まれた! 腕一本くらいありそうな牙剥いて凄まれると、すっごく、怖い。
「こら! 誰彼かまわず威嚇するな!」
ぽん、と鼻先から飛び降りたトオルが私と巨大な犬の間に入ってくれる。頼もしい。小さなおじいさんなのに、トオル。
「あれー? 珍しいお客さんが来てるねえ」
呑気な声でやってきたのは彰くんだ。え、あなたもお知り合い?
「おはよう、トオル、ヒカリ。久しぶりだね、クーちゃん」
巨大な生き物に触れてにこにこしている。クーちゃんというらしいその生き物は彰くんには牙を剥いたりしなかった。なんだ、彰くんのお友達か。
「クーちゃんが山を下りてくるなんて。そんなにトオルが心配だったの?」
クーちゃんはきゅーんと可愛い声をあげた。ぶっとい足でうちの家を囲んでる柵踏み抜いてくれといて、今更きゅーんなんて鳴いたって許してやらないんだから。尻尾をしょぼくれさせたって、許さないんだからね!
「ねえ、トオル。そろそろ事情を説明してくれないかしら」
「そうよ、そうよ。説明してよ。わけわかんないわよ」
おや。誰かが私に同調してくれている。やっぱり誰が見ても混沌とした状況よねえ。あなたも、そう思うでしょう?ぽふ。
・・・・ぽふ?
「あれ、クーちゃんさん? いつの間に私の隣に? しかも若干小さくなられたような」
下ろした手がちょうど黒い獣の頭に乗っかった。今やクーちゃんは普通の大型犬サイズだ。
「細かいことはいいのよ。トオル! 私とこのつるぺた女とどっちをとるって言うのよ。はっきりしなさいよ!」
「だから誤解なんだって。信じてくれよ、クロ子」
駄目だ。展開が早すぎて頭から煙が出そうだぞ。こんなとき、こんなときには。
「助けて、たっちゃん!」
「いつもいつも都合よく俺がいると思うなよ」
そんなこと言いながらどこからともなく現れてくれるのがたっちゃんの素晴らしいところよ。本当は精霊さんなんじゃないかしら。で、いつからいたの? この状況は何なの?ていうかクロ子って何?
「ああ、落ち着け。落ち着け。彰と一緒に朝飯食いに来たんだよ。別に精霊じゃねえよ。で、この黒い犬っこはクロ子。通称クーちゃん。普段は山奥でトオルと一緒に暮らしてる、いわばトオルの嫁だ。ここ何日かトオルが無断で外泊続けてたから心配して探しに来たんだろ。大方ヒカリの家から出てくるとこでも見かけて誤解したんじゃねえの?」
さすがたっちゃん。完璧。このお犬様がトオルの奥さんってところだけが腑に落ちないけど、後は分かった。理解した。
「クロ子は、半分ドワーフで半分ケルベロスなんだよ。で、本人はこっちの姿の方が気に入ってるから普段は犬型っての?ケルベロス型で生活してるらしい。ドワーフ型になってるところ見たことあるのなんて、親とトオルくらいだろうな」
「でた、ハーフ・ケルベロス。だから首が一つ足りないんだ」
恐る恐る小型化しているクロ子さんを確認する。うん、獰猛な顔つきをしていらっしゃる。さすが魔物。
「いや、首は出そうと思えば三つ出せるらしいぞ。でも邪魔なんだって」
「はい?」
「風の抵抗がどうとか言ってた。あと六つの目の視界を統合するのに疲れるとかなんとか」
慣れたつもりだったけど、なんて、なんて邪道な世界なんだ。首を出し入れ自由だなんて。
「普段は頭一つにしてまるっきり犬みたいにしてるよ。ていうか、頭が二個の状態初めて見たわ」
「たぶん、ヒカリを威嚇するために増やしたんだと思うよ」
いつの間にか寄ってきた彰くんが笑っている。笑いごとなんだね。頭増やすのとか。
「可愛いじゃない。焼きもち焼いちゃってさ。クーちゃん、トオルにくびったけだからなあ」
今まさに、誤解が解けたのかトオルがクロ子さんに舐めまわされている。襲い掛かられているようにしかみえないけど盛大に尻尾振ってるからたぶん和解したんだろう。良かった。これ以上家を壊される前で。
「いやあ、ごめんね。びっくりさせちゃって」
くりくりお目目が二つ。ちゃんと頭を一個に戻してくれたクロ子さんは可愛い声で謝罪してくれた。顔は相変わらず凶悪だけど。
「この人が飛び出したっきり帰って来ないもんだから、てっきり他所に女でも作ってるんだと思ってかっとなっちゃって」
かっと、と言った瞬間にテーブルに大きな爪が食い込んだ。トオルの鑿より良く削れそうだわ。
「でも、まさか念願のステージを作ってたなんて。良かったわね、トオル」
「ああ、俺も嬉しくて夢中になっちゃって連絡忘れてた。心配させてごめんな、クロ子」
「本当よ、喧嘩したまま飛び出して行ったから、愛想尽かされちゃったのかと思って心配で、心配で」
「そんなわけないだろう。俺がお前と別れるなんて」
あー、不思議。毛むくじゃらのおじいさんと怖い顔の大型犬がラブラブと暑苦しい愛を語らっているはずなのに、耳が、脳が受け付けない。私、意外と保守的な人間だったのかしら。おじいさんに懐いた犬にしか見えないわ。私ももふもふしたい。
「ク、クロ子さん。その、背中に触らせていただいても宜しいでしょうか」
這いずるように忍び寄ると、トオルに撫でられてご機嫌のクロ子さんはあっさり許してくれた。
「いいわよ。驚かせちゃったし、ヒカリちゃんは女の子だしね」
「ありがとうございます! もふもふ、もふ」
うわあ、ごわごわの中にぐっと指を突っ込むと内側はふわふわ。たまらん。
「ヒカリ、犬好きだったよね」
「あの顔は見せられたもんじゃないな」
「うん、ちょっとまずいね」
聞こえない。なーんにも聞こえないもん。もっふもっふ。クロ子さん、最高です。トオルが羨ましくて仕方ないです。
「うふー、トオルはあげないわよ」
「いや、トオルじゃなくて、クロ子さんが欲しい」
「おいおい、ヒカリ。俺のクロ子は渡さないぞ」
「やだ、トオルったら。きゃっきゃ」
一年以上触れていなかった犬の毛皮に触れて、幸せに浸っていた私は気づかなかった。すでに喫茶「草壁」の営業時間が始まっていることにも、学校から戻った清人の目を彰くんがそっと覆っていたことにも。そんな私の幸せいっぱいもふもふタイムをぶち破ってくれたのは、すっかり存在を忘れていたお客様だった。
「なんじゃあ、食べ物屋に動物なんか入れて。どうなっとるんじゃ。ほれ、犬は外に繋いでおかんか」
「姉ちゃん、ようっく手を洗うまで食べ物いじったらいかんよ。どんな虫がついてるか分からん」
そう。失礼の国のおじさんとおばさん。喧嘩途中で忘れてたよ。最近の話題はトオルでもちきりだったし、この人達見かけなかったし。なんだ。まだいたの。彰くんに成敗されちゃってなくて良かったね。でも、まだウロウロしてるなんて、彰くんとの喧嘩はどうなってるんだろう。くるっと振り返ると彰くんは肩を竦めていた。
「これは、僕が買ったつもりの喧嘩、持ってかれちゃうかもな」
そう言いながら視線が向かう先はクロ子さんで。
「ヒカリちゃん、あの無礼でちっぽけな生き物、何かしら?」
クロ子さんは声も体も震えていた。やばい。やばい予感がする。
「あ、あの人達は最近この集落に居ついている夫婦で、ええと、それ以上は良く知りません!」
「あ、そう。お友達じゃないのね?」
「はい。一ミリも親しくないのであります!」
ああ、これ以上後ろに下がれない。ぴたりと壁に背をつけて敬礼。うわー、クロ子さん肩のあたりから頭生えてきてるよ。本当だ、本当だね、たっちゃん。クロ子さん、頭三つ出せるんだね。知ってても、これは怖い。しかも一つだけ顔の向き間違ってるよ、クロ子さん。左側の頭、後ろ向いてるよう。
「そこの無礼者。誰を外へ繋いでおけと言った。ほれ、もう一度言ってみろ」
ずどん、とクロ子さんは巨大化しながら前足を失礼夫婦の前に下ろした。きっちり、爪を出した状態で。ああ、小上りが全壊。腰を抜かした二人はあわあわ言いながら壊れた畳から滑り落ちないように足掻いている。滑り落ちたら、その先にはクロ子さんの足が待ってる。これは恐怖だ。
「この私が、毎日欠かさず入浴して身綺麗に保っているこの私が、そこいらをふらつく獣と同じに見えるとは。そんな曇った目玉、もう要らないであろ。ちょうどいい、昼飯に飯にのっけて喰らってやろうか」
「ひい!」
「化け物!!」
クロ子さんがかっと三つの口を開いたところで、失礼夫婦はほうほうの体で逃げ出して行った。うーん、これはさすがにもう来ないかな。
「ああ、もう。恥ずかしい。こういうの、なるべくやりたくないから町に出ないのに」
一気に元の姿に戻ったクロ子さんは頭をトオルの腕の下に無理やりに突っ込んで蹲っている。あの堂に入った脅し、恥ずかしいんだ。目なんか爛々として、楽しくて仕方なさそうだったけどな。
「ああ、俺が悪かった。早く一緒に山に帰ろうな」
トオルさん、クロ子にはでれ甘。うん、なんか良い雰囲気出してるけど。
でもね。
「お二人?帰る前に、壊れた家の柵とかち割ってくれた小上りと、家具。きっちり直していただきますよ?」
びくっとトオルの背中が震えた。
「このままじゃ商売あがったりで、せっかく次にトオルがライブしにきてくれてもお客さん誰もいないかもしれないもの。それじゃ、困るでしょ?ねえ?」
ぴん、とクロ子さんの尻尾が上がった。
「ステージ以外も、ちゃんと直してくれるわよね?」
その後、数日に渡ってクロ子さんがパトロールを繰り返した結果、失礼な夫婦は集落から姿を消したことと、数日の休業を挟んで再開した喫茶「草壁」の内装が素晴らしくグレードアップしたことを言い添えておきたい。




