世界、始めました。
「ぱんぱかぱーん。おめでとうございます。十万人目の異世界トリッパーでーす」
異世界トリッパー。はいはい。知っています。知っていますよ、知っている人は知っているけど、知らない人は絶対知らないその単語。寝ている間や、なんやかんやに急に不思議の国に連れて行かれる奴ですよね。トリップとか平和な単語使っといて、結構な確率で片道切符のアレですよね。そりゃあもう脳電だか電脳だか暇さえあればパソコンとゲーム機と仲良くしていましたもの、知っておりますよ。
それが何ですって? 十万人目。私が。へえ。
どうして。
うん。確かにその手のお話に出会うたびに「いやいや、私だったらそこで自分を召喚した謎の魔術師にときめかないわ」とか、「居丈高だった王子様がデレたくらいで許しませんよ」とか言いました。心の中ではっきりと。ですが、何だっていうんです? そのくらい、読者全員やってたでしょう? それを私だけに体験させて「そんなに言うなら、お前ちょっとやってみろよ」という、そういうことですか。聞こえていたんですか。心の声。じゃあ、今から心の中で土下座するから許してもらえませんか。心の中だからどんなアクロバティックな土下座も可能ですから。やれとおっしゃるならやりましょう。
ふむ。そういうことではないようだ。目を閉じて額に汗が滲むほど集中して謝ってみたけど、再び目を開けば先ほどと寸分違わぬこの状況。もう遅いのか。謝ったって許してやらねえよ、と。困ったな。別に異世界トリップ、羨ましかったわけじゃないんだけどな。いや、確かに寝る前に思いました。明日もバイトかと思って鬱々としながら、ああ、もう違う世界に飛び出して行ってしまいたい。そう思いました。でもさあ、それとこれとは違うじゃん。目が覚めたらお布団じゃなくて石の棺みたいなのに入れられてるとかファンタジーじゃないじゃん。完全にホラーじゃん。
「おー、びっくりすると思考停止型。やっぱり日本出身者はこっちが多いなあ。いきなりFワード叫んで暴れたりしねえな」
「おーい。しっかりー。君、最後の仕掛け人だから勉強してもらうこといっぱいあるんだよ。気を確かにもって」
目の前で手をひらひら。これは何本に見えるかって二本だよ。見えてるよ。あれだけテレビに噛り付いていたけど目はいいのよ。
そんなことより、ここはどこよ。異世界トリップといえば中世ヨーロッパ的不思議の世界が王道だけど、中華的世界観も皆無ではないし、ゲームの中に入っちゃうのもあったよね。乙女ゲーとかだったらどうしよう。高校三年間終わった後の世界観が見えなさ過ぎて怖い。すでに二十歳を過ぎている私の役どころはどうなっちゃうの? モブ1とかまでわざわざトリップさせませんよね。ていうか石の棺に入れませんよね、モブ1。シナリオに厚みがつきすぎですよね。そうですよ。
あ、やだ。嫌なことに気がついちゃった。ちょとねえ、この薄暗い感じ。そして棺。挑戦したけど挫折したゲームにちょっと似てない? 嫌だ、やめてよ。ゲーム途中で放り出した呪いとか止めてよ。元気いっぱいのゾンビ達に襲い掛かられるあの世界だけは勘弁して。
「困ったねえ。体が異世界トリップ、心がもっとトリップなんちゃってー」
スパーンと良い音がしました。誰? 学校のお客様用スリッパ持ってる人。ちょっと後でスリッパ卓球やろうぜ。
「はい、いい加減に自分を取り戻してー? 私たち本当に時間がないのよ」
頬を思いっきり引っ張られて覚醒した。容赦ねえ。可愛い顔してこの娘容赦ないわ。
「はい。すみません。取り乱しました」
「あなた、日本から来たのよね? とりあえず日本村に行って面倒見てもらってちょうだいね」
棺にしか思えない縁起の悪いところから私を引っ張り出しながら、やたらと可愛らしい顔立ちの少女はにこにこ笑う。
「日本村、ですと?」
「そうよー。あなたの国からのトリッパーがたくさんいるから馴染みやすいと思うわ。雄太郎さん、よろしくね?」
金髪碧眼のビスクドールのような美少女が、流暢な日本語で雄太郎さんと呼ぶ。違和感。すごい違和感。
「女神、日本村ではない。倭の国だ」
「あ、雄太郎、ずりいぞ。女神、違うよ、ジパングだ。黄金の国ジパング」
「江戸村はなんで駄目なのさ」
声をかけられた男の子たちが騒いでいる。こっちは見るからに日本人という風体だ。雄太郎が一番いかつい。あとはチャラ系と可愛い系か。これで全員美形なら乙女ゲーの線で確定だけど、なんというか、全員、普通。親近感がもてて有難いけど、ふっつー。
「もう。約束の十万人目が来たんだから、名前を決めないといけないわよ。結局どうするの?」
女神と呼ばれた美少女が三人に向かって首を傾げて見せる。この人、モノホンの女神様なのかな。あだ名だったら美貌と相まってなんだかえげつないな。
「もう女神に決めてもらおうよ」
可愛い系が早々に匙を投げる。他の二人も異論ないのか、じっと女神を見つめた。そして当の女神様は私を振り返った。
「じゃあ、あなたに決めてもらおうかな。最後の一人になっちゃったから、自分の好きにできることがほとんどないし、可哀想だもんね」
「え? 最後の一人?」
そう言えば、さっきも誰か言ってたな。最後の仕掛け人って。何それ。最後の仕事人?
「この世界には異世界からトリップしてきた人とその子供しかいないの。それでね、トリッパーが十万人揃ったら、そろそろ世界始めましょうかって言っていたところなのよ。うふふ。あなたが十万人目だから、これで今日から世界を始められるわ」
「はい?」
世界、始めます?
だめだ。だめだ。おかしいぞ。世の異世界トリッパーは強靭な精神力と驚くべき理解力で事態に対応していたというのに、私にはちっとも分からない。世界って冷やし中華みたいに店主のさじ加減で始めたり終わったりするものだっけ? ていうか、女神様、この世界にはトリップしてきた人しかいないっておっしゃいませんでした? この世界の原住民はどうしたの?
「この世界は空っぽだったの。神様がね、みんなの願いを叶えるために作ったんじゃないかなーって思ってる。そこにね、元の世界では叶えられない夢を抱いてしまった人を連れてきて、ここで叶えさせてあげるっていう救済の場所ね」
「叶わぬ夢をみてしまった人が、十万人ここに連れてこられたと」
痛々しい人間の集団だな。私もか。私もそのうちの一人なのか。うわあ、落ち込むわあ。
「そうそう。そういうことよ。原住民っていうのはいないの」
落ち込む私を気にした風もなく女神はにっこり笑った。
「でも、せっかくトリップしたのに、その先に世界がないんじゃつまらないでしょう? だから、ちょうど十万人目のあなたまでをこの世界の原住民ってことにして、それで、今日から世界を始めちゃうというわけ」
分かった? って感じで見つめられても、それは無理というものですよ、女神様。現時点でこの世界にいる異世界トリッパー十万人全員に嘘をつかせようというわけ? トリップ先に世界らしい世界がないとつまらないから、これからやってくるトリッパーのために十万人(と、その子供たち)に嘘をつかせるだと? そんなこと、できっこない。
「私がはじめますって言ったら始まっちゃうから。どう頑張っても自分が異世界から来たってことを十万一人目以降のトリッパーには教えられなくするし、世界として決まってないとおかしいことはある程度決めちゃうし。創世記もみんなで考えてあるのよ?」
嬉々としていらっしゃる女神様。女神っていうくらいだからすごいことができるらしい。教えられなくするってなんだ。記憶でも消すのか。ブレインウォッシング。怖い。
「次に来る奴にとってはお前は生まれた時からこの世界にいるこの世界の住民だ。俺たちは飛行機なんて見たことないし、日本やアメリカなんて国も知らないことになるんだ。その分、これから覚えてもらうこの世界の常識がたくさんある。次がいつ来るか分からないから、急ぐぞ」
「いやいやいや」
思わず突っ込んだ。雄太郎さんや。
「じゃあ、日本村って名前、絶対ダメじゃん」
ついでに倭の国もジパングも江戸村も全部NGだ。ばれる。ネタ元がばれる。そう言うと、女神がチッチッチと指を振った。
「どうやっても、元の世界に似ちゃうのよ。当たり前じゃない? それしか知らないんだから。だからパラレルワールド設定? っていうことで行こうと思ってるの。あなたも外に出れば分かると思うけど、もう町の造りとか、文字とか、そっくりなんだから仕方ないわよ」
熟考されているのか、いないのかよく分からない。いや、村の名前の妥当性云々よりも、自分のおかれた状況が未だによくわからない。そうだよ、村の名前なんてどうでもいいよ。結局、ここ、どこよ。
「名前、ちゃっちゃと決めちゃってちょうだい。決まってないの日本村だけなのよ? そろそろ世界の始まりを確定させるから」
発言の意味が分からないが、村の名前をちゃっちゃと決めるのは賛成だ。
「日本村でいいと思います」
即答すると、男性三人はたいそう不満げだったが、女神は軽く「おっけー」と親指を立てて見せた。
「じゃあ、世界地図も原住民も確定したことだし、世界はじめまーす」
明るい声と共に、どこかで「ぱんぱかぱーん」という無責任なファンファーレが鳴った。
世界の始まりに居合わせた幸福な十万人目の異世界トリッパー。今日から新世界の日本村で原住民として異世界生活はじめます。




