XVII となり
自分が連続であること
二秒前の自分を自分と、
胸を張って言うことが、
虚勢ではない理由がどこにあるのか
古代の中国の蝶の如く、
いまの自分はすでに死に絶えた自分が見た夢であって、
世界の夢に内包される関数の下に生きる我々。
を否定するのは難しい
あるいはこうだ
この世界現象が、
複数の時間軸に縁取られる時空間にあるとして、
少なくとも十の次元を固定した偏微分において、
刻一刻と発散する世界の時間断面が「現在の世界」である
世界は断面であるから、
1単位前の世界とは連続だろう
つまり僕とは僕である。
しかしいかにも平面に過ぎないから、
接点こそ持て、
交わることはない
つまり僕とは完全な僕ではない
にもかかわらず僕を僕だと認識するのは、
意識までもが固定されているからである。
すなわち超世界はほぼ次元を無数に持ち、
そもそも次元の唯一性を超えているのかもしれない
世界の唯一性は、
超世界が極小か極大を持ち得れば、
タイムトラベルという名の世界の混在が起こることで否定される
同様に僕自身の唯一性も、
ひょっとすると、
二つ以上の唯一性であるかもしれず。
改めて世界の一様な多様性を疑わずにはいられない、
そんな僕は多様な一様体に違いない。