第2話 面倒くさい友人
「じゃあ、授業終わりにするぞ」
担任の湯口がそそくさと教室を出たタイミングで、昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた。
カバンから弁当を取り出そうとするが見当たらない。いつもの癖でカバンを漁ったものの、そもそも用意していなかったことを思い出した。
「購買行くか……」
そう言いつつも、立ち上がる気は起きない。昼休みが始まった直後、決まって購買は混み合う。わざわざ並んで売れ残りを食べるくらいなら、諦めて空腹を誤魔化した方が楽だ。
はああ、と花咲の口からあくびが漏れる。
昨日は眠れなかった。
自称『神の遣い』の白衣姿の狐少女。これだけでも情報過多な上に、一年前に花咲は彼女へ告白したという。
「もう訳がわからん」
「うっす」
心の声を漏らしたところで、花咲は声を掛けられた。
目を向ければ、悪い顔をしたイケメンがいた。
谷峻輝。幼稚園から続く十年来の友人で、親同士の趣味も合い、家族ぐるみでの付き合いもある。
制服で隠されているが、その内側には筋肉質で引き締まった身体が秘められている。小顔のせいで広い肩幅がさらに広く見えてしまううえに、その小顔はバランスが取れた堀の深いソース顔ときた。見慣れているというのに、チッと花咲は舌打ちをしそうになった。
その花咲に谷は含みのある笑顔のまま、こう言う。
「ものぐさなお前が悩み事なんてらしくねぇじゃん」
「チッ」
「舌打ちで返事はおかしいだろ」
「今、引き金を引いたのはお前だよ」
装填をしたのは花咲だが。朝から嫌みを言われれば誰だって腹を立てるはずだ。そう花咲は心の中で言い訳をして、恨みつらみを誤魔化した。
悪かったよと軽口を叩く谷の表情は相変わらず悪い。絶対、反省などしていない顔だ。何を企んでいるかなど考えるだけで面倒なので、ひとまず嫌みへの返事を優先した。
「ものぐさな奴だって悩むことはあるだろ」
むしろ悩むからこそ、一歩目を踏み出せないこともある。
「でも、修平は悩むくらいならあきらめるだろ?」
「そういう日もある」
他にどういう日があるのかは知らないが。
「ものは言いようだな」
「谷は喧嘩を売りに来たのか?」
「売るだけ無駄だろ。買ってくれないんだから」
そう言って、谷はケラケラと笑う。
内心腹立たしい花咲だが、実際のところ谷の言う通りだった。
花咲にとって、最優先は何が『楽』なのか、だ。
頭を動かした方が楽なら頭を動かすし、身体を動かした方が楽なら身体を動かす。
必ずしもサボるのが楽になる訳ではないことを知っている花咲は、行動に移すよりも前にいかに楽するかの判断をすることが癖づいてしまっている。
「で、どうしたんよ。昨日ヤれなかったのか?」
谷が痺れを切らして、本題を口にした。余計な一言を添えるのが谷の思いやりなのだそうだ。中学生のときに聞いた。
「そんなことでため息ついたりしねぇわ」
「そんなこと以外のことはあったんだな」
「……まあ、あったかな」
花咲は昨日の放課後のことを思い出してみた。
まず、一年間片想いをしていた相手にフラれた。正直、脈はあると思っていただけに、未だに受け入れきれていない。そのショックで今日の学校は休もうかとも考えた花咲だったが、その出来事が霞むほどの出会いがあった。
「谷さ、もし野生の狐女がいたらどうする?」
「野生の女狐なら、今日のニュースでも見たぞ。先々週くらいにも報道されてたな」
その発想はなかった。つくしが男を誑かそうとするタイプには見えなかったが、天然たらしな感じはあったかもしれない。距離感バグってたし。
「いやいや、そうじゃない。女狐じゃなくて狐女の話だ。リアルに動く狐耳を生やした女がいたとして、その女が話しかけてきたらお前はどうする?」
「見た目次第だな。可愛ければインスタ聞くし、怖ければひとまず離れる。その後、ひっそりと記念撮影させてもらう」
「クズ野郎だな」
「で、可愛かったのか?」
どうやら『クズ野郎』という言葉は耳に届かないらしい。
「可愛かった……かな」
動揺してそれどころではなかった、というのが本音だ。
「夢なら諦めるんだな。今後、その少女と再会することはないぞ」
「現実なら?」
「コミケに行けば会えるんじゃないか?」
「やっぱ、そう思うよな…」
そう。この反応が正しいはずだ。花咲は自分の考えが間違っていないと確信をもって言える。しかし、つくしはそれ以外にもこんなことを言っていた。
「じゃあ、神の遣いなら?」
「……は?」
「その狐女が自身は神の遣いだと名乗ってきたらどうする?」
「年齢を聞くかな。中学二年生なら、これ以上の黒歴史を増やさないよう忠告してやる」
「クソ野郎だな」
「なんでだよ。その子の将来を気遣ってんだろうが」
「なんだ、聞こえていたのか」
「クソ呼ばわりされる筋合いはねぇからな」
『クズ野郎』は良くて、『クソ野郎』はNGと。どういうこった。
「で、その神の遣いを名乗る狐女がどうしたんだ?何かされたのか?」
「急に真面目になるなよ。調子狂うじゃねぇか」
「珍しく修平が悩んでいるから真剣に話に乗ってやろうとしているんだよ」
「はいはい、優しい友人を持てて幸せですよ」
ニタリと笑う顔からは、そんな思いやりなど微塵も感じられないが。
「昨日、何かあったのか?」
谷に言われて、昨日の出来事を振り返ってみる。
つくしとは、あの後すぐに別れた。別れたというよりも、「じゃあ、また」と別れを一方的に切り出されたと言った方が正確だが。
また会うことを確信しているかのようなつくしの去り際の一言。その言葉の裏側を読み取ることはできなかった。
つくしの目的は何だったのか。ただ『春野つくし』という存在を示したかっただけなのか、それとも『神の遣い』としての使命があったのか。残ったのは謎だけだ。
「何もされなかったんだよ」
「そうか」
「むしろ何かされたなら、現実的にも受け止めようがあるんだけどさ。何もなかったから、夢か現実か区別がつかないんだ」
あの出会いは夢ではないと思う。ただ、それを確信するための証拠がない。
「『夢と現実の区別がつかなくなる主な原因としては、睡眠障害、心理的な要因、身体的な要因などが考えられます』……だってさ。AIがそう言ってる」
いつからか実装された、検索するとトップに出てくるAIの回答。その画面を花咲に見せながら、谷は笑う。
「家に帰って寝りゃ忘れるって」
「……そうするよ」
谷はただの睡眠不足ということで結論づけたらしい。訂正するのも面倒なので、花咲はそういうことにしておいた。
「修平、今日弁当は?」
「持ってきてない」
「へぇ、珍しいな」
「……そうだな」
谷の言葉に少し違和感を覚えた。弁当は毎日持ってきていた。にもかかわらず、その弁当の中身や外箱を思い出せない。
毎日持参していたものが、突然思い出せなくなる。そんなことあるのだろうか。
これも全て寝不足のせいにしておくのが良いのかもしれない。
「じゃあ、購買行くか」
「谷は弁当あるだろ?」
「これだけじゃ足りねえよ」
無地の巾着袋に入った弁当箱を叩きながら言う。カランと箸が転がる音がした。
「面倒くさい」
「と言うとは思ったけどよ。菓子パンくらいなら残ってるって」
「…………………………」
谷の弁当箱を見て、花咲は悩む。きっと谷は購買に行かなくても良いのだ。花咲が一人では腰を上げないことを見越して言ってくれているのだろう。
はああ。本当に面倒くさい友人だ。
「しょうがないな」
「なんでお前が折れた形になるんだよ」
不満そうな谷のツッコミを聞いて、少し機嫌が良くなる花咲だった。




