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第1話 狐耳の少女

「うわっ寒ッ」

 西風に背を向けながら、花咲修平はもぞもぞとスマホを取り出す。

 時刻は十七時を回っていた。四月の頭とは言え、そろそろ陽の落ちる頃合いだ。

「あぁあ……」

 自ずと吐いた嘆息で視界が白む。

 花粉症対策の白生地のマスクが、吐息の結露で冷たく鬱陶しい。

「クッソ」

 怒り任せにマスクを外して地面に叩きつけようと構え、手を止める。何やってるんだ、と我に返って花咲は再度嘆息を漏らした。

 呼吸を落ち着かせれば、世界が白いことがわかった。

 雪だ。

 この時期なら、水気を多く含んだドカ雪がたまに積もる。屋根付きの公園ベンチに座っているせいか、はたまた吐息が白んでいたせいか、花咲は外に出て既に一時間近く経つというのに積もり始めた雪に気付かなかった。

 いや、違う。

 気付かなかった理由は、別にあった。

「滝田……、俺とは付き合えないって、なんでだよ……」

 振られた。告白した訳でもないのに、その事実を突きつけられ、自己フォローのしようもない程に心が抉られていた。

 今日の放課後の事だ。図書室へ向かう途中で教室から聞こえてきたその声の主は、紛れもなく滝田朱里本人だった。


『タキが居残りなんて珍しいね』

『課題のページ数を間違えてたの』

『明日で良くない?』

『でも、すぐ終わるからさ。やってから帰ろうかなって』

『おお、さすが優等生』

『だとしたら、居残りしてるのおかしいでしょ』


 滝田は、花咲と同じ大平高校の二年生。去年は花咲と同じクラスだった女子生徒。大きなポニーテールが特徴的で、平均的な身長ながらも出るところは出ているのが制服越しにもわかる。

 その滝田と笑い合う女子生徒は高梨由紀。小学校の頃から知っている花咲の幼馴染であり、気兼ねなく話せる数少ない女子の一人でもある。

 ショートボブの髪型で右耳に横髪をかけるのが、一年ずっと変わらない高梨のヘアースタイル。

 その彼女から発せられた次の言葉で、声でも掛けようかと思っていた花咲は足を止めた。


『タキさぁ、あいつのことどう思ってんの?』

『……あいつって?』

『修平のこと。前にも話してたじゃん』

『ああ、修平くんかぁ……』


 『しゅうへい』の名を持つ生徒は、ここ大平高校にも何人かいる。しかし、高梨や滝田の言う『しゅうへい』ともなれば、該当者は一人しかいない。

 頭で考えるより先に、花咲の背中は教室のドアにピタリと添えられ、そばだてられた耳はウサ耳の如くピクピクと反応していた。 


『修平の気持ち、気付いてんでしょ?』

『まあ、ね……』

『タキだって、修平のことーー』

『わかってるよ』


 高梨の台詞を遮って、滝田は続けた。


『花咲くん、カッコいいと思うよ』


 その言葉に俺の顔が紅潮する。

 良いのか、なんて言葉が脳内で鳴り響いていた。

 盗み聞きも、そして滝田朱里と両想いなど夢みたいなことがあっていいのかと、頬が緩んでいくのを抑えられなかった——


『けど、今のままでいいかな』


 ——その一言を耳にするまでは。

 気持ちの悪い程に曲がり続けていた俺の口角は、その一言で矢の放たれた弓の様に、一瞬で真顔の時のそれに戻っていた。


『ただの男友達のままでいいってこと?』

『そう。だから、花咲君と付き合うつもりはないかな』

『ふーん。まあ、タキが決めることだから良いけどさ』


 以上が一つ壁を隔てて繰り広げられていた、花咲の初恋が人知れず散るまでの流れだった。

 変に胸が高鳴ったせいか、振られた反動は大きかった。振られた反動が大きすぎて、残された感情はもはや「無」だけだった。

 当初の予定通りに図書室へ足を運んだものの、タイトルすら確認せずに借り出した一冊の本を握りしめて、花咲は校舎を出た。

 学校は昨日始業したばかり。だというのに、二日目で絶望を味わうことになるとは。高校生活二年目の最初がこれでは、この一年が思いやられた。

 気付けば学校から徒歩五分程離れた公園で、屯する学生がいないことを良いことに、ベンチを荷物で牛耳って、一人感傷に浸りながら黄昏時の白い砂場を眺めていた。




   *




 ドサッという音がして、足元を見る。落ちたのは、ずっと握り締めていた一冊の本だった。おそらく、先程借りてきた図書室の蔵書だろう。

「【大平の七不思議】、ねぇ……」

 書物と呼ぶには、少し子供染みたタイトルで古めかしく黄ばんだものだった。

 移動時も鞄に仕舞わず持ち歩いていたせいか、ページを捲ると少し湿っていた。

 パラパラと流し見する。折角借りたのだから、目に留まったところだけでも見ておこうと思ったのだが。

「あれ、ほぼ白紙じゃね、これ?」

 紙束が二百を下らない程度には背で束ねられているハードカバー本。でありながら、六つの項目がページ分けされてる他は、それぞれに少し説明書きが添えられているだけだった。

「七不思議だから、項目は六つってことなのか」

 いかにもありきたりだな、と期待せずに捲っていく。七不思議なのに『時間遡行』という項目もあった。なんだそれ。

 そのままパラパラと流し見していると、ある一項目に目が止まる。

「神隠しかぁ……。七不思議ではあまり聞かない気がするんだけど、でも類的には七不思議っぽいよな、アレ」

 『神隠し』とは、人がある日忽然と消える怪事のこと。かくれんぼしてた幼稚園児が隠れた先の箪笥から出てこなくなったという、七不思議チックな怪談話に当時の俺も小学生ながらに恐怖したものだ。

 けれども、歳月は子供らしい純粋さを忘れさせてしまう。実際、既に話の細事は記憶から消え失せているし、今もこうして平気で読み進めている。

 項目はあっても、それ以外は白紙だった。

 文章で綴られたものはないというのに、妙に心が惹かれている。言い換えればただの胸騒ぎに過ぎないのだが、不穏さを感じながらもそこにはちょっとした高揚感があった。

「アレか。久しぶりに見て、童心に返った的なアレ。でも、そんなことに心躍らされてるとか…」

 振られて自暴自棄になっている。そんな自覚があった。

 リアルからかけ離れたフィクションを期待している自分に、笑いがこみ上げてくる。

 どうでもいいはずの願望が、花咲の頭から離れなかった。

「神隠しに遭うのも悪くないかなぁ」

 花咲はそう言って、目を瞑る。寒いのに、温かかった。温もりがあった。

 とりわけ右半身が。

 寒さで感覚が麻痺してきたのだろうかと思うも、確認する気は起きなかった。

 支えとして掴まれる感覚でも、強く引っ張られる感覚でもなく、ただ小さな子供が気を引こうとしてくるときの様な小刻みな刺激を右腕に感じた。

 それが何だか心地よくて、つい花咲は目を瞑ったまま、眠気に襲われた。

「寝ちゃダメだよ。寝ちゃダメだって!あぁ、もうなんで聞こえてないのかなぁ…」

 首が垂れて、身体が傾き始める。右腕が引っ張られたからか、身体が右へ傾いていく。

 反った身体が柔らかい何かに当たって支えられるのを感じる。身体を包み込むように回された何かが暖かくて、耳元の空気もまた温もりがあった。

「ねぇ、起きてって!」

 耳元で叫ばれ、快感に満たされていた花咲も流石に飛び起きた。

「うるせぇ!何だ!?誰だ!?」

 ベンチから立ち上がって振り向いた先。白い何かがそこに居た。

 それは雪ではなかった。

 そして、人でもなかった。


挿絵(By みてみん)


「「……え?」」

 二人の声が重なる。

 耳元で大声を上げておきながら状況がわかっていないのか、相手も相手で目を見開いて花咲を覗き込んでいた。

「……見え……てるの?」

 そう聞かれては反応に困る。

 白い長髪が特徴的だった。姫カットの様な髪型で、頭部に白毛を纏った猫耳が生えている。白い地肌が白基調の衣装から伸びて、見るからに寒々しい。

 白衣びゃくえの様な彼女の服まで合わせて、ソシャゲでよく見る亜人キャラのコスプレに思えた。頭の猫耳が極めつけだ。いや、どちらかと言えば狐耳だろうか。

「やっと…、やっと……」

 感極まったかのように、目の前の狐女が涙ぐんでいる。

 急に泣かれるも、花咲に動揺はなかった。いや、動揺よりも困惑が勝ったというべきかもしれない。

 その涙の理由を聞くより先に、花咲は無意識に指を差しながら口走っていた。

「…何それ」

「…え?あっ、この姿のこと言ってる?」

「そう、その格好は?」

 無礼など気にも留めずに、花咲の口から疑問が漏れる。

「花咲君と初めて会った時から、姿は変わってないと思うけど…。おかしいところあるかな?」

 むしろ、違和感(おかしいところ)しかない。

 染物とは思えない毛色と綺麗な毛並みに、セットにしては自由に動き過ぎる獣耳。

 人間サイズとは思えない大きな眼と、黄色のかった瞳だってそうだ。

 何よりも彼女の相識染みた振る舞いが、花咲にとって違和感でしかなかった。

「いや、あの……ごめん。人違いじゃ?」

「そんな訳ないじゃん!」

「そ、そう…….」

 言われてもピンと来ない。

 当然だ。花咲は彼女の事を知らない。少なくとも、日本語をイントネーションまで使い分ける人外な生物との対面は初めてだった。

「もしかして、私の事わからない?」

「もしかしなくても、全くわからない」

 にべもなく、はっきりと伝えた。

 素っ気ない花咲の返事で、彼女の表情から感情が消える。花咲にとっては予想外の反応だった。

 少し間があった。俯いた狐耳の少女の返事を静かに待ちながらも、まずいことを言ったかと花咲は内心焦っていた。

 やがて少女は顔を上げると、ひそめた声で口にした。

「私は春野つくし。歳は花咲君と同じ。花咲君はつくしって呼んでた。言っておくけど、最初に話しかけてきたのは花咲君からなんだよ」

「…ねぇ、これって俺が記憶喪失なの?それとも、俺があんたの事を知らないから適当言ってる?」

 失礼を承知で聞いてみる。多分、彼女——春野つくしは真剣に話をしている。

 不躾ながら、悲しげな表情を浮かべるつくしの黄色い瞳を綺麗だと思ってしまった。

「そんな事、聞かなきゃわからない?」

 わかる訳ないだろ。とは、思っても口に出せないが。

「だって、状況が掴めないからさ」

 つくしは花咲の表情から言葉の真偽を読み取ったらしい。

 溜息を一つ吐くと同時にこう言った。

「なら、教えてあげる」

 花咲が素直に「お願いします」と伝えると、つくしは要点を踏まえて三つ語り出した。


 一つ。

 去年の春先、初めて出会ったときに花咲がつくしに告白した。

 二つ。

 告白後、花咲はつくしに一年待てと言った。

 三つ。

 この約一年の間、花咲はつくしに全く見向きもしなかった。


 異質な状況過ぎて、聞いても花咲はピンとこない。むしろ自身の記憶回路が正常なものか心配になってくる。

「ごめん、やっぱり人違いだと思うんだけど」

 酒に酔って告白して…、なんて話ならドラマで見たことはある。けれども、酒など料理酒の匂いすらうろ覚えな花咲にとって、そんな珍事は身に覚えがなかった。何よりコスプレ女子高生に遭遇した記憶など、忘れたくとも脳みそにこびり付いて離れまい。

「ううん。そんな事ない」

「なんで言い切れるんだよ」

「だって、私のことを見えてる人は君しかいないから」

「そう言われてもだな…」

 胡散臭いと思いながら、タイミングよく公園そばの歩道を通り過ぎる人がいたので目を向けてみる。

 これだけ目立つ格好をした女がいるのだ。まず間違いなく視線が注がれるに違いない。

 結果は否。花咲の熱い視線に気付いた様子はあったが、男性の視線がつくしに奪われる様子はなかった。

「ほら、言った通りでしょ」

 花咲の視線の意味を察したつくしが不満気に漏らした。

「私の姿を見たいと思ってくれる人も、見れる人も花咲君しか居ないんだよ。私のことを信じてくれる人しか、私を認識することはできないの」

「えぇっと…、それはつまりコスプレ好きの女子のことは皆スルー対象とか、そういう…?」

「違う違う。…って、これコスプレに見える?」

「まぁ、高校生のコスプレにしては、細部まで出来が良すぎるなとは思うけど」

 その次に彼女が何をしてくるか、花咲には予想が付いた。つくしはこの会話の中でおそらく一言すら偽っていない。突き刺す様な真剣な眼差しを向けながら平気で嘘ぶく奴であれば、見事に騙されたとむしろ賞賛してやる。

 だからこそ、その透き通る様な白髪を差し出し、より近くで綺麗な小顔を曝け出す彼女の行動に、花咲は明後日の方向を向いて応じた。

「疑うなら、ほら、触ってみてよ」

「何を言ってるんだ」

 近寄ってきたせいか、彼女の匂いを鼻が感じ取った。香水とも違う甘い香りが、花咲の鼻腔を刺激してくる。シャンプーの香りだろうか。何故か嗅ぎ慣れた匂いだった。

「百聞は一見にしかずっていうでしょ」

「その諺のどこに触るなんて文句があるんだ!」

 花咲が抵抗するものだからか、つくしはさらに圧を掛けるように近付いてくる。

 その距離に堪えられず、花咲は衝動的に口にした。

「わかったから。信じるから、あまりそういう軽い行動はするもんじゃない」

「何を信じるか明言して」

 正直、面倒くさい。どうでもいいと思いながらも、このままでは引き下がりそうにないつくしを見て、観念した花咲が口を開いた。

「あんたの言葉と存在の全てだよ。俺があんたに告白してから約一年経っていて、あんたの事を忘れて……るのは今もだけど、そういった全部を一応信じておくよ」

「思い出せそうにはないんだよね…?」

「…まあな。もう少し具体的な話はないのか?」

「具体的な話って?」

 聞かれて、花咲はすぐに返答できなかった。少し考える間を置いて、口にした。

「そもそも、あんたは——」

「あんたって呼ばないで」

 間髪入れずに、つくしが指摘する。少しお怒り気味だ。

「ごめん、失礼な言い方だったな」

 しかし、訂正するとしても、初対面の女子をどう呼べば良いものかと言葉に詰まった。

「つくし…さん?」

「呼び捨てで良いよ」

「…わかった」

 出会った直後から呼び捨てというのは気が引けたが、本人からの直々の申し出だ。思い切りが大切な時もある。

「じゃあ、つくし」

「なに?」

「つくしはどういう存在なんだ?」

「……そうだね」

 少し間を置いて、つくしは口にした。

「私は『神隠し』に遭った少女とでも思っといて」

「……は?」

「もっと端的に言えば、神の遣いってところだね」

「……そう、なんだ」

 花咲がやっと絞りだした言葉は、心境をよく表現していた。

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