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抜け殻のようになったナタリーを見て、職場での周囲の対応が変わった。妙に優しくされるようになったのである。むしろ塩対応継続中のアイリスの傍が一番落ち着くくらいだ。
殿下が誤解を解きシャーロンへ公開告白したという新たな噂のおかげもあるだろうが、何よりマクシミリオンへのアプローチを一切止め、口調も格好も別人のように全く変わったナタリーを見て、戸惑いを感じているというのが筋だろう。派手なネイルは落とし、化粧は表情を明るくする程度に薄く仕上げている。……とはいっても、皆ナタリーを見るとまずはぎょっと目を剥く。あの日からもう三日が経つも、ナタリーの目はいまだに腫れているのだ。
突然大人しくなったナタリーに、最初に話しかけてきたのはエミリオだ。王立副騎士団長と忙しい立場なのに、毎度毎度体調や顔色を窺ってくれる。
母親のように世話焼きだとは思いながらも、土足で人の領域に踏み込むようなことはしない。
それがエミリオ・バルテルトという人間だと、ナタリーは知っている。
「ナタリー君、可愛い顔が台無しじゃないか。少し休息を取った方が良いのではないか?」
その証拠に、ナタリーが本当に参っている時は、エミリオは冗談も少なく優しい言葉をくれる。
心配されているのだと分かってはいたが、ナタリーは小さく首を振った。
「いえ、つまらない理由で休むことなどできません」
さすがに今回は個人の事情すぎる。失恋で休職なんて周囲に悪い。後で思い出して黒歴史になりそうだ。
「それに、宰相補佐殿は留守ですから問題ありません」
マクシミリオンは三日前から変境地の視察に駆り出されていて、顔を合わせることはない。
ナタリーがとうとうマクシミリオンを諦めたことは言伝に伝わっているはずだし、実際憑き物が落ちたような今のナタリーを見れば一発だろう。
ナタリーはそう思って彼のことを口に出したのだが、エミリオは予想外にどうしたものかと眉を上げる。
「マクシミリオンと喧嘩でもしたのか?」
その時、ナタリーは気づく。
エミリオは、いまだにナタリーがマクシミリオンを諦めていないと思っているようだ。
ナタリーの様子についに白旗を上げたであろうことは分かるだろうに、本人の口から聞かない限りは流されないようにしようとでも思っているのだろうか。
だとすれば、きちんと。ずっと長いこと付き合わせていたエミリオには、ナタリーの口からきちんと、失恋の報告をするのが筋だろう。思えば、彼もずっとナタリーの恋路を見守っていてくれたのだから。
そう思ってナタリーは口を開いた。
「喧嘩はしておりません。……ただ、そうですね。諦めた、とでも言えば良いのでしょうか。それだけです」
エミリオは目を見開いた。切なそうに眉根を寄せる。
「だが、君は長い間ずっと……!私が少し彼に話をして……」
「必要ありません。ただの失恋です。潔く諦めることにしたんです」
優しいエミリオは仲を取り持とうとしてくれようとしたが、もうその必要はない。
「……目が覚めたんです。無理に背伸びしても、それは彼も私も望んでいないことだった。そのことに、ようやく気付いたんです」
「ナタリー君……。そうか、そうなのか」
感傷で再び涙が出そうになったナタリーは、必死に笑って誤魔化し、パタパタと手で涙を乾かしていく。
悲痛そうにその様子を見つめるエミリオが、困ったように頭を掻いた。
「疎くてすまない。……だが、ならばなおさら、今は休んだ方が良いのではないかい?」
「ダメですよ、そんな風に甘やかしては。失恋中の女性にそんな優しい言葉をかけたら、今度は副騎士団長のことを好きになってしまうでしょう?」
辛さを紛らわすようにナタリーはそう言って笑う。彼の優しさに触れて、またもや涙が込み上げてくる。
「…………っ」
エミリオは一瞬目を見開くが、涙目のナタリーには見えていない。
そしてナタリーはナタリーで、今の自分の発言からヒントを得ていた。
思い出すのは、前にフェリシアの勧めで読んだ本だ。
失恋中の女性が、別の人を好きになって、その傷を癒していく話。
(そうか……別の人を好きになれば、新しい恋をすれば良いのよ。失恋を癒すのは次の恋だって、本にも書いてあったじゃない)
相手はまだ見当もつかないが、次に狙いを定めるなら結婚も視野に入れないといけないだろう。
とはいえ、二十代のナタリーは行き遅れ気味の平民だから、あまり高望みはできないだろう。あまり多くの条件を挙げても、相手の方から拒否されそうだし。
(でも……そうね。次は私を好きになってくれる人が良いわ。そして私も、ありのままの自分で彼に寄り添うの)
そうと決まれば、行動あるのみ。
涙を拭って、ナタリーはエミリオに話しかける。
「あの、副騎士団長様、突然で申し訳ないのですが……男性を紹介してくれませんか?どなたでも構いません。私を気に入ってくださるような方を……」
「ちょ、ちょ、ちょっ、ちょっと待ってくれ!何を突然っ、というか、えっ!?」
動揺して慌て出すエミリオだが、そんな彼にナタリーはさらに詰め寄る。
「次に進みたいんです。お願いします。出会いの場を提供してください。もちろん御礼はします!だからっ……」
「分かった、分かった!そこまで言うなら考えよう」
エミリオの返答にナタリーは顔をぱっと明るくする。
エミリオの方はしばらく下を向いてうーんと唸った後、徐に顔を上げた。
「だがその前に作戦会議が必要だ。退勤後、少し話を聞かせてもらおう」
ナタリーの提案を受け入れてくれるらしい。
「エミリオ先輩!」
やはり彼は昔から頼りになる。
ナタリーの呼びかけに、エミリオは口を開けて笑った。
「はっ、懐かしい呼び方だ!」
◻︎
そうしてその日の夜は、二人で食事をすることとなった。
「――そうか。そんなことがあったのか」
エミリオにこの前の話をすると、彼は珍しく眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「君の話を聞く限りは、マクシミリオンは誤解をしているだけなのだろうが……誤解を解く気はないのか?彼もきっと焦って判断力を失っていたのだろう」
ただマクシミリオンを責めるのではなく背景まできちんと考えて発言するエミリオに、ナタリーは彼の優しさを感じ取る。今日の彼は尊大な態度を出さないで、真面目に会話に付き合ってくれる。
「なんかもう疲れてしまって。本当は解いた方が良いのでしょうけど、もういいかなって」
「だが、」
何か言おうとするエミリオに被せてナタリーは言う。
「七年ですよ?十分頑張ったと思いませんか?初告白から見ていたエミリオ先輩ならなおさら……」
決して短くはない。だからこそ、どこかやり切った感もあって。
彼の認める人物にはなれずじまいでこちらから終わらせてしまったけれど、それこそナタリーの我儘でしかなかった。
誤解は依然としてされたままではあるが、長いこと付き合わせたマクシミリオンのことを思うと合わせる顔がない。
「だから、これで良いんです」
ただ、フェリシアのことは気にかかる。
何も言わずにさよならを告げてしまったし、彼女はナタリーの家を知らないから、彼女の方から会いにこようとしても会う手立てがない。
落ち着いてきた今なら、彼女と面と向かって会って、おめでとうくらいは言えそうだなと思っていた。
しかしながらエミリオの表情は固い。
「そうだな。ただ何と言えばいいのか……」
彼は何を言おうとしているのだろうとナタリーは彼を見る。
エミリオは言葉を選ぶように、言い淀むように、ゆっくりと本音を吐露してくれる。
「……最近の君は、というかここ数年の君は、昔と違って追い詰められているようで、心苦しかった」
学院を卒業してからエミリオと話す機会はめっきり減っていたが、そんな彼から見てもそうだったのかとナタリーは自嘲する。
「……必死すぎて、ほんと笑えますよね。どうすれば良いのかわからなくて、結果色んなことを間違ったんです。本当は努力の仕方がずれているって分かっていたのに、認めたくなくて意地を張って、さらにひどくなっていって」
もっと別に頑張ることがあったはずだ。
ナタリーらしく、彼の隣に立つ方法が。
所詮別の女性の真似をして彼に擦り寄っただけで、どうしてこのままで良いと思っていたのだろう。
ナタリーは、身分も噂も気にせずただ真っ直ぐにその人自身を見つめられるマクシミリオンを好きになったのに。
――ああ、すごく恥ずかしい。
それを隠すように、またナタリーは笑ってごまかした。
「笑うことなんて一つもないさ。ただ、今の君の方が昔初めてあった時のような雰囲気に似ていてホッとする」
エミリオにそう言われてナタリーも頷く。
「完全には戻れませんけれど、そう見えているなら嬉しいです」
今はずっと肩の力を抜くように意識している。
染み付いてしまった所作や口調は完全には抜けきれないし、学院時代のような何も知らない少女にはもう戻れないけれど、完全に戻る方が無理があるとある程度は受け入れている。
それでも、昔をよく知るエミリオの前では、少しは無理をしなくてもそのままでいられるから不思議だ。
「確かにエミリオ先輩の前では肩の力を抜くことの方が多かったかもしれませんね。なんていっても、出会いが出会いですから」
「違いない」
顔を見合わせて笑い合う。
彼を前に素直に感情を口にすると自然と心も整理が出来てきて、最後の方にはさっぱりとした爽やかな気持ちになっていた。
そうして穏やかな時間はあっという間に過ぎ、最後に彼が「一人だけ思い当たる節がある」と言い出す。
「え、本当ですか!」
ナタリーが目を見開いて驚くと、エミリオはしっかりと頷く。
「ただ、君が投げやりな状態だとしたら、少し時間を置いた方が良いとは思うが」
確かにマクシミリオンへの当てつけのような荒んだ気持ちで相手に会うのは失礼だ。
忠告を受けて、ナタリーは少し考える。
「……そうですね。まだ完全に吹っ切れた訳ではないのですが…………」
「ナタリー君……」
少し言葉がキツかったかと反省しているのか、エミリオは少し申し訳なさそうな顔をしている。だが、彼の言葉に間違いはない。
「それでも、次に進みたいという気持ちの方が大きいので、その気持ちを育ててみたいと思ったんです」
しっかりと彼の目を見据えて言う。
駄目ですか、と不安気に揺れるナタリーの瞳の先で、エミリオが降参だと言わんばかりに笑う。
「わかった。心得たよ」
そうして、彼が次の休みに顔合わせのセッティングをしてくれることとなった。




