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ナタリーが声をかけた王都図書館の職員は、フェリシアという名であった。出会ったその日から意気投合した二人はすぐに友人となり、頻繁に会う約束をするようになった。
フェリシアは高貴で薔薇のような雰囲気に反して、とても気さくで中身は向日葵のような人だった。
場所はいつもフェリシアの家。同じ王都住みで、ナタリーのアパートと同じような、いやそれ以上に年季の入った彼女の家に上がった時は、意外な事実に吃驚すると同時に、かなり不便な環境に心配になったものだ。そのためその日から色々と彼女の世話を焼くようになり、休日は彼女の家で料理を教えるのが日課となっていた。
今は料理も作り終わって、一緒に食事をとっている最中だ。
「あの時は本当に助かったの。ありがとう」
話の流れで出会った時の話になるのはよくあることで、飽きもせず毎回謝辞を述べてくるフェリシアに、ナタリーは何度目になるのか分からない言葉を返す。
「もうお礼はいいのに」
「そうはいかないわ!それに何よりあの後、わたしを気にかけてずっと側についていてくれたじゃない。それがとても嬉しかったの」
戸棚の高いところの本でさえフェリシアは抱えていて心配になった、なんて素直に言えないナタリーは、優しく微笑む彼女から顔を背ける。
「大袈裟ね。その日は何も無かったから暇つぶしに付き合っていただけよ。感謝されるほどのことでは……」
ない、とナタリーが言おうとしたのに被せるようにして、フェリシアが声を張り上げる。
「その時間をわたしに割いてくれたのが嬉しかったの。その後わたしの家で食事まで作ってくれて、あの日は本当に幸せな一日だったわ」
フェリシアはあの日が相当お気に召しているらしい。まだ自分を褒める流れは終わらないのかと、ナタリーはやれやれと苦笑する。
「ただあなたが私の買い物袋に興味津々でレシピを教えてくれなんて言うから、得意のペスカトーレでも振る舞ってあげようかしらって思っただけよ」
「ふふっ、作り方を直接見たいって無理言って家に上がらせてもらったわね。あの日のペスカトーレ、すごく美味しかったわ。それにね、あれは何としてもあなたと仲良くなりたいって思っての苦肉の策だったのよ」
軽く手伝って終わるつもりだったのに、予想外にフェリシアに気に入られたことは意外だった。けれどまぁ……彼女に誘われて嬉しくない人間なんていないだろうな、とナタリーは思う。
すると、そんなフェリシアは長く縁取られた睫毛を伏せて言う。
「わたし、あの時は図書館で働き始めてまだ一週間だったの。車椅子の女性を雇ってくれる職場なんてなかなか見つからなくて、いつも履歴書を送った時点で却下されていたわ。だから図書館では人一倍頑張らないといけないって焦っていた。使える人材だってアピールするために必死だったの。そんな時にあなたが現れて、ただなんてことない動作のように手伝ってくれた。ナタリーがわたしを見つけてくれた時、わたしほっとしたの」
あなたは視野が広い人ね、とフェリシアは微笑む。
けれどその笑顔はどことなく寂しそうで、彼女の影が見えた気がした。
フェリシアは明るい人だ。自分の境遇にめげず常に上を向いて笑う、太陽のような人。
ナタリーはそんな純粋な彼女に会う度に褒められるので、彼女を前にしていると照れ臭くなって、つい素の姿を見せることも多くなっていた。捻くれた自分が前に出てくることもあるが、フェリシアはそんなナタリーでさえ可愛いとでもいうように包み込んでくれる。
でも彼女は一つ勘違いをしている。
ナタリーは視野が広い人などではない。むしろ猪突猛進気味なところがあり、視野は狭いと言えるだろう。図書館にいた時は例外だ。だってあの時はあえて意識的に視野を広げていたから。
「あの時は……そうね、王都図書館への転職を考えて視察をしていたの。今の職場はちょっと……あれだから………」
バツが悪そうに言うナタリーに対して、フェリシアは顔色をぱっと明るくして、ナタリーへと手を伸ばしてくる。
「だったら一緒に働きましょう!あなたと一緒なんて最高の職場だわ!」
「そうね……でも…………」
フェリシアの歓迎に対しナタリーの表情が曇る。
不安定にフェリシアの手を握ると、彼女はそれを機敏に感じ取ったようで、次の言葉を静かに待ってくれる。
実際、王宮勤めを辞めたいと思う気持ちはまだ少しある。
職場の風当たりは未だ厳しいし、王宮にはマクシミリオンがいる。
最近では、マクシミリオンとシャーロンがくっ付けば良い感じに収まるのでは――などという声も大きく、実際マクシミリオンが恋を叶えるチャンスが巡ってきている。殿下が相当頑張らないともう妃殿下の心は取り戻せないだろうとも言われている。
そしてある時ナタリーは見てしまった。
見せつけるようにマクシミリオンに甘えるシャーロンとそれを嬉しそうに受け入れるマクシミリオンを。
衝撃とショックでさすがに声をかける気にはなれなかった。
職場の風当たりは堪えるが、時が経てばいずれ解消されるだろう。最初は彼らの当たりの強さを理由に転職を考えていたが、次第に慣れてきてしまって、今ではまだ踏ん張れると思うようになっていた。
けれど、マクシミリオンの恋が叶う瞬間を見るのは怖い。彼の恋が叶ったら自分は一体どうなってしまうのだろう。
「……こんなに好きなのに、会いたくないなんて…………」
小さな呟きは無意識のうちに口にしたものだったが、一言一句漏らさず聞いたフェリシアの食いつきようは凄いものだった。
あっという間に恋愛相談する羽目となったナタリーは、正直に積年の片想いを打ち明ける。
ナタリーはマクシミリオンの名は伏せて、ずっと好きな人がいること、彼を好きになったきっかけ、何度も振られてきたこと、その全てをたっぷりと時間をかけてフェリシアに話した。フェリシアは時々表情を曇らせながら、静かに耳を傾けてくれる。そして話し終えると、静かに呟いた。
「……そうね、好きな人に振り向いてもらえないのは辛いわよね」
「前までは諦める気なんてこれっぽっちも無かったのに、最近はそろそろ潮時かなって弱気になってしまって……」
努力すればするほど目標から遠ざかっている現状に、焦りを感じてどうすれば良いのか分からない。
俯いたナタリーに、フェリシアもゆっくりと同意するように頷く。
「分かるわ。自分の気持ちが届かないのは辛いことよね」
振られ続けることで苦しい気持ちはもちろんある。だけど、それよりも、いつの間にか優しいマクシミリオンならば何度も想いを告げても許してくれるだろうと彼に甘えている気持ちもあって、それがナタリーは自分のことながら良くないと感じていた。
「そうなの。でも、それ以上に自分自身に腹が立つわ。自分を偽って彼に接しているのだもの。猫撫で声に甘ったるい口調で、本当はこんなに可愛げないのにね。昔はもっと素の姿で接していたけれど、いつからか仮面を作るのが当たり前になってしまって……。今の自分はあまり好きになれないの」
ナタリーがそう吐露すれば、思い至る節があるのか、フェリシアまで暗い顔をする。
「わたしも……そうだわ。いつも人に気を遣わせて、我慢させて……」
彼女の曇った表情を見るのは始めてで、明るさを絶やさない彼女の強さの裏にも弱さがあるのだとわかると、ナタリーは少し胸が痛くなった。
そして意外だとも思った。
出会った時からフェリシアは朗らかで丁寧で自立心もある立派な女性で、彼女のような人でも自分を嫌いになることがあるのかと驚いた。
でも思い返せば彼女とて車椅子が手放せず、それゆえ苦労も多くしてきたはず。気を張っていたのはナタリーと同じなのかもしれない。
そしてそんな彼女の思いは、話に聞くだけでもとても辛いものだった。
「……わたしはこの足のせいで、好きな人にも満足に告白できないわ。彼を庇ってわたしが怪我を負ったから、彼は自分自身が許せないの。そんな彼にどうして好きだなんて言えるの?罪悪感でそばにいられても嬉しくなんてないのに……っ」
静かに涙を流すフェリシアはとても辛そうで、恋に苦しむ一人の女性で。ナタリーは思わず彼女の元へと寄って、その背をさすった。
(なんて辛い……)
誰にも話せなかった秘密なのだろう。
フェリシアの彼女の想い人の関係性はとても複雑で、だからこそ、彼女は一人で何でも出来ると証明したくて一人暮らしをしているのだろうか。
けれど、それがフェリシア自身をずっと苦しめていたのならば……。
「辛かった、のね。……でも、出して良いのよ。あなたが私の話を真剣に聞いてくれたみたいに、私も全部聞いているから」
フェリシアは一呼吸おいてナタリーを見上げる。
その瞳はとても寂しそうに揺れていたが、それでもナタリーは彼女からの言葉を待った。
そしてそれが伝わったのだろう。彼女はゆっくりと話し出す。
「……本当のこといえば、もっと外出したりしたいの。評判のレストランにも人気のスイーツカフェにも行ってみたいの。けれどこれ以上迷惑をかけることなんてできっこなくて……」
フェリシアは脱力したように俯くが、ナタリーは彼女の前にかがみ、その手をふわりと包み込んで顔を覗き込む。
なんて言葉をかければ良いのか正解なんてわからない。
けれど、思ったことをそのまま、感じたことをそのまま、彼女にぶつけてみようと思う。
「私には迷惑かけまくりじゃない。ご飯作って欲しいだの、一緒に働こうだの、甘えてくる妹みたいで嬉しかったわよ。私の他にもあなたに頼られて嬉しい人なんてたくさんいるはずよ。フェリシアは誰にでも感謝の心を持っているから、きっとあなたに頼られた人はラッキーって喜ぶわね」
吃驚したようにこちらを見やるフェリシアに対して、ナタリーは笑う。
その笑みにつられて、フェリシアもゆっくりと笑った。
「……そうなの、かしら」
「そうよ、きっと」
憶測でものは言えない。だが、ナタリー自身はそうだったから、あながち間違っているわけでもないと思うのだ。
「さて」とナタリーは食器を下げ始める。
「そういえば、センターストリートに行けつけのスイーツ店があるの。レモンのタルトがすごく美味しいのよ。次の休日は迎えに行くから、早めに準備して待っていて」
涙を拭ったフェリシアが、驚いたように顔を上げる。
その笑みに子供のような無邪気な笑みが浮かんだのを見届けてから、ナタリーも静かに微笑んだ。




